2012年6月9日土曜日

「意識高い(笑)学生Vs.(いわゆる)普通の学生」に見る無意識の対立

おはようございます!


毎日続けるというとネタの豊富さが大事になりますよね。
それなりに毎日本を読んでいるので、その知見を活かそうと思うのですがなかなか難しい。
1日1冊とはかなりシビアに読書して行かないと、学校にバイトに学生団体に遊びに(ちゃんと遊びもしますよ!)・・・多忙な生活の中では後回しにしてしまいかねないですよね。
タイムマネジメントが非常に大切だな、と改めて実感しました。



さて、今日は読書からではなく、
最近巷でよく言われる「意識高い学生(笑)」について、その見方に対する個人の意見と特に「意識高い」と言って他と差別化してしまおうという見方の中に見る対立構造に目を向けて、世間的に見たら「意識高い」側の自分の立場から考えてみたいと思います。


就活スラング「意識の高い学生www」たちの残念行動13パターン
http://www.news-postseven.com/archives/20110818_28689.html

就活 「意識の高い学生w」はもはや大学では公害で人害と識者
http://www.news-postseven.com/archives/20120527_110358.html




’意識高い’って何?


僕はこの’意識高い’って言葉に非常に違和感を感じます。
なぜかというと、別に格段いわゆる普通の学生と比べて意識高くなってやろうぜ(えっへん)的なことは何も思わず、ただ単に自分がやりたいことをやっているだけだからです。

正直言うと、いわゆる普通の学生の「テニスしたい」ってのと、自分の「起業したい、国際協力したい」ってのは何も変わらないからです。

「テニスしたい、テニスうまくなりたい学生」だったら何をしますか?
まずテニスサークル入りますよね。
テニスのトレーニング本買ったり、友達に聞いたり、サークルだけでなく大人も交えたテニス講習会に参加したり、他大学のテニスサークルと試合したり、そこで友達作ったり・・・しますよね。

これって、意識高い学生にも全く同じなんですよ。
自分がしたいことをするために、
まず同じ志を持ったコミュニティを見つけ(学生団体だったり、NPO団体だったり、私塾だったり)、読書して勉強したり、友達とディスカッションしたり、外部のセミナーに参加したり、志を同じくする仲間が集まる交流会に参加してみたり・・・

どうでしょう?
全く同じじゃありません?
意識高い学生と呼ばれる自分から見ると、別に格別なことをしているわけじゃないんです。
いわゆる普通の学生と同じように、何かをしたがり、その何かを達成するためにふさわしい努力をして、何かを通じていろんな人と出会っていく。
自分の欲求をふさわしい形で実行しているだけなんです。
なのに、世間は「意識高い学生」と差別して見たがる。

では、なんでわざわざ「意識高い」と呼んで、差別化したがるのか?
そこにこの議論の本質が隠れていると思います。




対立構造にみる精神不安

正直「意識高い」とかそうじゃないって穿った見方をしているのは世間の見方そのものなのです。
テニスしたいも起業したいも国際協力したいも、それはただの欲求でしかなく、それを解釈し意味付けを与えているのは、個人であり個人の集合による世間なのです。

では個人と世間が、「意識高い」といって差別化したがるのはなぜだろう?
それにはいわゆる「普通の学生」「普通の学生生活を送ってきた現在社会人」からの一種の嫉妬や不安感があると思います。

同じ大学生の人たちに「起業したい」「国際協力したい」と言って色んな活動に手を伸ばしている人たちがいます。
かたや自分はテニスしかしていないと、本来等価値であるはずなのに、「意識高い」と言われる学生の方がよりピックアップされ話題になりやすいために、いわゆる「普通の学生」は劣等感や無意識の嫉妬やテニスしかしていない自分への不安を感じてしまっていると思います。
「普通の学生」は、「意識高い学生」を意識すると無意識の内にすごく精神的に不安になっているんです。

そこで精神的な落ち着きを得るためにどうしたらいいのか?
答えは自分を正当化すること。

「意識高い学生」のアラ探しをし、ちょっとの過ちやちょっとの失礼をみつけたらここぞとばかり「これだから意識高い(笑)学生は」と騒ぎ立てる。
そして「意識高い学生」のほうが、より世間に触れる機会が多いため過失や失礼な言動などがめにつきやすい。
そこには、片方(意識高い学生)を悪にしてしまえば、残った片方(普通の学生)は善である、という単純な構造に落とし込んで、自分たちの正当性を確立しようとしているように思えます。
そしてこういう構造に落としてしまえば、格段に意識高くない自分への逃げ道にもい言い訳にもなります。
この構造には現在学生の人だけでなく、今は社会人になっている学生だった人も、この構造づくりに加担しています。自分が学生だったときは・・・と思い返し、現在の学生の多様化に羨望を持ちつつも嫉妬しているんです。
その結果が、世間全体で見る「意識高い(笑)」構造の確立。

先程も述べたように、善でも悪でもない個人の欲求を、自分たちの都合のいいように解釈し意味付けを与えた結果、現在のような「意識高い学生」に対する見方が生まれたのだと思います。



和解するにはどうしたら?

正直、「意識高い学生」=悪、「普通の学生」=善という構造には建設性がありません。
意識高い学生は普通の学生と比べて自分を正当化したがるし、
普通の学生は意識高い学生と比べて自分を正当化したがる。

はじめに述べたとおり、両方等価値であり対立しいがみ合う意味はありません。
でもそれを阻んでいるのは、お互いがお互いに対する不理解とその結果生じる精神的不安です。

まずはお互いがお互いに等価値の欲求を持ち、活動しているにすぎないという認識を持ち、お互いに自分たちにとって心地いい世界にこもらず、お互いに積極的に交わっていくという、謙虚な姿勢が大切なのではないでしょか?
お互いの欲求や活動が等価値であると認識できれば、お互いの違いに不安になることもないし、いがみ合う必要もなくなる。

むしろ、お互いの価値観を認めオープンにしていくことで、対極にあるような2つの学生生活の両方を垣間見ることができ、お互いにとっていい刺激になるのではないか、と思うんです。





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さて最近、意識高い(笑)と言われることに疑問を持っていたので、意見をまとめてみたけど、やっぱり自分自身も不十分だなと感じる。
周りの学生に対してオープンかといわれると、価値観の違いに少し壁を感じてしまっているし、(笑)と言われるような残念な言動をしてしまっていることもあるだろう。

まずは、自分自身から「意識高い」と言われるだけの責任を感じ、、「意識高い」に見合っただけの自分づくりをしていきたいです!


注)この記事の中でテニスを取り上げたのは、ただ単に世間でいう「普通の学生」のイメージに近いのがテニスサークルの学生ではないかと思うからです。僕自身も一時期いわゆる普通の学生生活をしたいと思ってテニスサークルに入っていた時期もあります。
だからテニスに対して特別穿った見方をしているわけではないし、テニスをしている人の中にもいわゆる意識の高い人はいる、ということを一言付け加えさせてもらいます。



また今回のテーマである意識高い(笑)学生について、
AS I Am【経営学×キャリアデザイン】 毎朝8時の”使える経営学”
「意識高い学生は本当に有害なのか?」
http://value-design.net/wordpress/?author=1

は非常に勉強になり心に響いたので紹介させてもらいます。

この方にお会いしたことはないんですが、「起業家」というキーワードで調べブログをみつけてから、ほぼ毎回読ませてもらっています。
自分の勉強になるだけでなく、一人の人間として見習いたい部分が非常にあります。
気になった方、この方のブログをぜひ一度読んでみてください。





今日も読んでいただきありがとうございました!
















2012年6月8日金曜日

職人型ビジネスと起業家のビジネス

おはようございます!

前回のエントリーから2ヶ月。
なかなか続くないものですよね。

平凡なことを非凡なまでにやりきる
このあとでも紹介させてもらうんですが、最近自分の中で非常に熱い人物がいます。
彼の名はマイケル.E.ガーバー。
彼の言葉にこんな印象深いものがあります。
「平凡なことを非凡なまでにやりきる。それが大切なんだ。」
ブログの更新なんてスキルもいらないし、誰でもできること。
それをどれだけ(非凡なまでに)やり切ることができるか、が成功へのカギになるんですね。
この言葉を胸に刻んで、ブログの更新だけでなく日々しっかり過ごしていきたいです。



と、前置きが長くなってしまったのですが・・・
先のエントリーで起業すること経営することと題して、花屋さんの女の子を例に
起業家の葛藤を紹介させてもらいました。
今回まさに花屋さんの女の子の葛藤を吹き飛ばすような教えに出会いました!
それが先にもあげたマイケル.E.ガーバーの教えなのです。

彼はスモールビジネス向けコンサルタントとして、20年間で25,000社以上(すごい!)の会社にアドバイスを送って来ました。
その彼がよく目にしてきたのが多くのビジネスが
「起業家熱に浮かされた職人のビジネス」
だということ。

職人型ビジネスって?
そうあのお花屋さんの女の子のように、自分が好きなお花を売るために独立し、その結果お店の経営や財務、仕入れや発注・・・といった膨大な仕事に振り回されるようになってしまい、来る日も来る日も仕事に追われているビジネスのことです。。
女の子は思います。
「あれっ?私がしたいことってこんな仕事だっけ?」

ガーバーの経験上、これは本当に多くのスモールビジネスにみられることで、ビジネスとしてより上手くやっていくためには起業家のビジネスを行う必要がある、と彼は説きます。

起業する人の中には、3人の人格が住んでいます。
一人が起業家。一人がマネージャー。一人が職人。
起業家は新しいことに取り組みたがり、マネージャーは多くのことを管理したがり、職人は目の前のことに取り組みたがる。
起業する人は3つの人格を上手くコントロールする必要があるのですが、多くの人は目の前の事ばかりに目がいってしまい(つまり職人の仕事ばかりしたがり)、自分の中の起業家やマネージャーに譲ろうとはしません。
職人は頑固ででしゃばりなんです(笑)

起業家のビジネス
仕事詰めの毎日から解放、あるいはスモールビジネスから脱却しより大きなビジネスへ行くためには、まず自分自身が職人から起業家・マネージャーになっていく必要があります。
そこで大事なのが
「自分と自分のビジネスを切り離す」
こと。
多くの職人型ビジネスでは、自分がいないとお店は回りません。
毎日毎日お店に顔を出し、お店の掃除をし、お花を売り、経理をこなし・・・
しかし、起業家のビジネスでは
「自分がいなくてもお店が回るようにする」
んです。
つまり起業家は、そのビジネスのシステム・仕組みをつくり上げるのが仕事なのです!
まるで製品の開発者のように、自分のビジネスを’自分の商品’だと考えて、その価値やシステム・組織図や戦略・・・を徹底的に企画していくことが求められるのです!
システムさえ作ってしまったら、自分はいつでもお店にいる必要はないのです。

平凡な人が非凡な成果をあげられるシステム
ガーバーは最高の企業として、マクドナルドをあげています。
マクドナルドの価値はハンバーガーではなく、そのビジネス自体だ!と言っています。
どういうことでしょう?
みなさん、マクドナルドに行ったことはありますよね?
マクドナルドに行けば、いつでも同じハンバーガーをいつでも同じサービスで提供してもらえますよね。例えば学校の近くのマクドナルドでも実家の近くのマクドナルドでも都心部のマクドナルドでも、同じハンバーガー・同じサービスですよね。
これはマクドナルドという’システム’を用いれば、誰でもいつでもどこでもマクドナルドをすることができるということなのです。
ハンバーガー職人もマックポテト職人もドリンク職人もいりません。
マクドナルドでは、どんな人でも同じハンバーガー・同じサービスを届けることができるシステムができているんです。
マクドナルド創業者のレイ・クロックが作ったのはマクドナルドではなく「平凡な人が非凡な成果をあげられるシステム」なのです。
彼の商品(マクドナルド)は世界中で受け入れられ、何万店舗も経営されています。




確かに、職人の仕事というのは目の前にあるし非常にわかりやすいから目が行ってしまいがちですが、起業家にとって本当に大事なことはそのビジネスの仕組みを整え、誰もが職人と同じ仕事ができるようにしてしまうことなんですね。
あ、そうそう。
職人気質が非常に強く「その仕事以外やりたくない」というような人には、ガーバーはこう言ってます。
「それなら起業なんてやめてしまいなさい。誰かに雇われて職人の仕事だけをやるのが君にとって最上だよ」
きっぱりですね(笑)


自分も問題意識を持っていたこと(そして多くの人が感じているだろうこと)をズバリ解決する教えだったので紹介させてもらいました。
これからも何かみんなと学びを共有できたら、と思います。

今日も読んでいただきありがとうございました!!




P.S調べてみたら今日紹介したマイケル.E.ガーバーの数々のプログラムを受講することができるようです!
無料オンライン講座はまだしも、他はちょっと・・・
マイケル.E.ガーバーに興味あったらぜひ覗いてみてください(^O^)/
・なぜ大半の起業家は個人事業主、自営業のレベルを抜け出せないのか?
世界で65000の起業家を救った処方箋・ついに日本上陸
http://123direct.info/tracking/af/590065/NazNyfN5/
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2012年3月22日木曜日

孤独な闘いはできない

俺には孤独な闘いはできない。
自分の成果が社会にどう生きているか?誰かの笑顔を生み出せているか?その実感がないと戦えない。

現在、学んでいる工学。
例えば電気配線のよりよい溶接だとかエネルギーだとか発電パネルだとか・・・
実際に社会に生きている。
でも、それってすごい間接的であの車のあの部品のあの配線は俺が研究したんだぜ!
なんていうミクロなところで、そんな細かいところが改善されたからって誰かの笑顔に直接つながるわけではない。
そういった研究・取り組みもとても大事でそれがあるから俺たちはよりよい車・家電・大きく言う社会に生きることができている。
でも、俺は弱い人間だから、どこの誰が知っていてどこの誰が喜んでくれているかわかんないような取り組みができない。
やっぱり誰かのためになりたいし、誰かにありがとうって言われることしたいし、
誰かの笑顔をこの目で見えることをしたい。
俺は弱くてちっぽけな人間だから、直接自分が他人の役に立てているという実感が得られない活動ができないんだ。
孤独な闘いなんて俺にはできない。

適正技術。
俺が適正技術にこんなに魅力を感じている理由って、それなんじゃないかって思う。
「自分の取り組みが直接誰かの役に立てる」
この世の工学で社会に生きないものなんてない。
でも、こんなに直接的に誰かのためになれるものってとても少ないと思う。
自分が(自分たちが)作ったもので、途上国の人々に喜んでもらえて、使ってもらえて、それで生活が変わってよりよい生き方ができるようになる。
それってモノづくりの最上の喜びなんじゃないかな?

俺っていう人間は弱い。
だから、誰かのためになっているかどうかわからないような活動はできない。
だから、誰かの笑顔に出会えないような活動はできない。
だから、誰かのありがとうを見れない活動はできない。
孤独な闘いなんて俺にはできないんだ。

2012年2月13日月曜日

素敵な人の共通点って?

幸運にも自分の周りには素敵な人がたくさんいる。
国際協力系自由人から
旅好きな人、
ガテン系のNGO代表
大手を退社→起業した人
・・・

別に国際協力やってるから素敵とか起業してるから素敵とかいう見方でなく、
本当に人間として好感が持てるし、また会いたいなって思わせてくれる人たち。


この人たちが持ってる素敵エッセンスってなんだろうって考えてみたら、
いくつか共通点がある。
・よくいろんな人と会っている
・夢、目標がある
・好きなことがある
・お金にせかせかしていない
・周りの人を大事にする

こんな感じ。
じゃあなんでこの要素を持ってると素敵に見えるのか?
それはきっと、
夢や目標があるから、まずお金という価値観が全てじゃなくて、むしろ自分の努力や好きなことや新たな出会いや自分の友人や家族など周りの人たちにとても価値を置いてるんだと思う。
だからその人は周りの人には、輝いて見えたり、幸せそうに見えたり、自分を大切にしてくれてる、そんなふうに感じさせてくれるからじゃないかなと思う。

一言でまとめると
「夢や目標をもち、それを叶える過程で人とのであいを大切にしている人」
が素敵な人なんじゃないかな?



今の自分の周りにはほんまに素敵な人がたくさんいる。
そういう人見ててとても魅力的だし、自分もあんな人になりたいっていつも思う。
でも間違えちゃいけないのは、素敵な人って素敵な人になろうとしてなるものじゃないってこと。
あくまで、自分の夢や目標に向かって頑張ってる中で周りからそう思われるものだと思う。
要は目的じゃなくて、結果。

まずは自分が今目の前に目指しているものに全力で取り組むことが
大事なんだろうな。


って訳で、勉強再開です!!
アディオス(^o^)/

2012年2月9日木曜日

起業すること経営すること

久々の更新です。

最近、ビジネス関係や起業関係に携わらせてもらうことが多く、その中で色々考えさせてもらっていることをアウトプットしていきたいと思います。


PayPal共同創業者Max Levchinによる起業家としての教訓
http://www.angelgeek.net/2011/11/max-levchins-lessons.html
の1節「起業家でいるということは、アイディアに傾倒することではく、会社経営に傾倒することだ」
について色々考えてみました。

今まで自分の中では
起業する=自分の好きなことを思い切りやれる
というとんだ勘違いがあったんだけど、それは自分自身のここ数ヶ月の学生団体の運営といろんな形からの学びにより修正されてきたかな。
一つ自分の考察で出した答えとしては

起業すると
「好きなこと”だけ”を思い切りやれるのではなく、”そのための経営をこそ”やることになる」
ということ。
起業したら自分の好きなことに没頭できるのではないのね。

でも、起業して経営に没頭することで自分の好きなことから離れてしまったら元も子もないわけで、先程の答えをさらに進めていって
きっと起業家にとって一番大事なところは
「まず、経営もするという覚悟を持つことと、経営をやりながらもちゃんと自分が一番大好きなことをやる時間を確保すること、あるいは大好きなことができるわずかな時間の中で最大に喜びを感じること」なんだと思う。


お花屋さんを例にする。
お花がめちゃめちゃ大好きな子がいる。
今まではアルバイトという形でお花を売っていた。
あるときこの子は「もっとたくさんの人にお花が好きになって欲しい」と思ってお花屋さんを立ち上げることにした。
そしたら、まずは店舗の準備やら開業資金集めやら仕入れやら事業計画、開業申請・・・に追われることになって、実際に開店したら仕入れ、在庫管理、お金の管理、お店の管理・・・とたくさんの経営の仕事に取り組むことになるだろう。
そしたらこの子はきっと「あれっ?私がしたいことってこんな仕事だっけ?」と違和感を持つかもしれない。

でも、ここで一歩引いて考えてみると
以前と比べて時間の比率の中では「お花を売る」割合は少なくなり、経営に関する時間が多くを占める。
だけど、絶対的にみたら「お花を売る」時間は増えている。
よりたくさんのお客さんにお花を売ることができ、さらに直接お花をラッピングしたりお店のディスプレイを考えたり、お花のことを考えることは多くなっているはずだ。

ここの点に気づけるかどうかで、モチベーションは大きく変わると思う。
お花屋さんの子も、経営に頭を支配されすぎて「お花を好きになってもらう」ことの喜びを忘れてしまったら、きっと起業したことを後悔するだろう。
だけど、初めから経営をすることへの覚悟を持っていれば、お店の経営を通して、
以前よりもっともっとたくさんの人にお花の魅力を伝えることが出来ていてもっともっとたくさんの人に「お花を好きになってもらう」ことが出来ていることにちゃんと気づくことができるだろう。
そしたらきっと毎日がもっと楽しくなるはずだ。



ふぅ、
若輩者の拙い考察ですいませんでした。
まとめると、
「起業すると、経営にかなりパワーを使うことになるけど、その経営のおかげで自分のやりたいこと/好きなことをもっともっと実現できるんだ。」
ってこと。

今考えてみたことは、起業するにしろ、学生団体を立ち上げるにしろ、共通して言えることだと思う。
結局、自分の中で大切なところを見失わないってところかな。
ここ数ヶ月の自分を振り返るとかなりそういう部分あって悶々としてたから、今日の気づきは自分にとってもとても大事な気づきでした。



また適当に更新するよ~
アディオス(^o^)/

2011年10月3日月曜日

あなたに逢うために

昔 とある町に 1人の男の子と 1人の女の子が住んでいた
男の子は 自分のペースで物事を取り組み
“面倒くせぇ”と言っては 途中で 飽きて すぐに
諦めてしまうような子だった
女の子は 何でも一生懸命に取り組み
“頑張れば何でもできる” と 言っては 頑張りすぎて
疲れ果ててしまうような子だった
そんなある日
2人が 町で偶然 出会った
良い所も悪い所も お互いにないものを 持っている2人
そんな2人が 互いに 惹かれあうのに 時間はかからなかった
男の子も女の子も 毎日が発見で 毎日が真新しく
そして毎日を笑い合いながら 楽しく日々を過ごしていた
2人で過ごす時間の中で 男の子は最後まで
一生懸命頑張る大切さを知った
女の子は自分のペースで 無理せず頑張る大切さを知った
そうして幾日過ぎただろうか
2人の会える時間も少なくなり
だんだんと 男の子の心は離れていった
女の子は悲しかった
男の子の心が 遠くへ行ってしまいそうで
自分1人だけ置いていかれそうで
そして この先 1人ぼっちになってしまうような
気持ちで怖かった
そんなある日 男の子は
女の子に別れを告げた
女の子には 理解できなかった
あんなに毎日が楽しかったのに なぜ 男の子が女の子の隣から
いなくなったのか 女の子には全くわからなかった
それからの女の子は
誰かと出会う事が怖くなった 誰かと出会い
また別れるのなら 誰にも会わなければいい
家の中に1人でいれば
そうすれば
こんなに悲しい別れを もぅ二度としなくてすむ
こんな思いをしなくてすむ
そぅ言って 家の中に閉じこもり 毎日を過ごしていた
それをずっと見ていた恋の神様
見るに見兼ねて 女の子にこんな事を聞いた
「なぜ閉じこもっているのだ?」
この問いに 女の子は
「閉じこもっていれば
誰にも出会う事はありません」
と 答えた
すると 恋の神様は
「そうか…
お前はそれで幸せか?」
と 尋ねた
女の子は
「幸せです
別れる悲しみがありませんから
あの苦しみがありませんから」
と 答えた
「そうか
私には幸せに見えなかった
お前の心が 泣いてるように見えたが
お前が幸せならそれでいい」
そう言って 消えようとした時
「どうして別れがあるのですか?
どうしてこんなに辛い思いを
しなくてはならないのですか?
この出会いに
何の意味があったのですか?
こんな思いをするくらいなら
出会わなければよかった」
女の子は今までの思いを全て 恋の神様にぶつけた
すると 恋の神様は
「本当にそう思うのか?
なら お前に
いいものを見せてやろう」
そう言って 女の子の手をとり
2人が出会わなかった世界へと
連れていった
そこには 男の子と女の子の姿があった
男の子は
最後まで頑張る事をせず 全ての事を中途半端にし
そしていつしか
誰からも相手にされなくなり 1人で心閉ざしていた
女の子は
頑張りすぎてしまい 誰にも寄り掛かれず 疲れ果て
心が折れてしまい
1人で心閉ざしていた
その姿を見た女の子は 言葉を失った
その様子を見ていた恋の神様は
「今のお前が在るのは
なぜだと思う?」
呆然と立ちすくむ女の子に尋ねた
「男の子と出会ったからです」
女の子が小さな声で答えた
「これでも
出会わなければよかった と
そう 思うかね?」
恋の神様は静かに尋ねた
「出会えてよかったです」
と 女の子は声を震わせながら ポツリと呟いた
「あの時のお前達には
互いが必要だった
しかし
互いの役割が終わった今
今在るお前達を必要としている
人達の元へ行かねばならない
ずっと 閉じこもっていたら
その人が
お前を 探せないだろう」
恋の神様は
優しい声で女の子に言った
それを聞いた 女の子の目に涙が溢れだした
そして
「互いの人生に必要な時
必要な時間だけ
その人生は交わる
そして それぞれの役割が
終わった時
またそれぞれの道を歩む
互いの持つメッセージを
相手に伝える為にな」
恋の神様はそう言って ニコリと微笑んだ
「だから たくさんの
出会いと別れをしてきなさい
そして たくさんの自分に
出会いなさい
お前を必要としている人の為に
大きく大きく成長しなさい
お前を成長させてくれるのは
人でしかないんだよ」
そう 言い残して消えていった
女の子は 今の自分が在るのは 男の子と出会えたからだ
という事に気がついた 女の子は男の子との
過ごした時間の中に 隠されたメッセージが
何であったのかがわかった
そして なぜ男の子が 隣にいないのかという事も
それからの女の子は
閉じこもる事なく ひとつひとつの出会いと別れを
大切にしていった
例え 悲しい別れであっても
例え 苦しい別れであっても
その人が教えてくれた
メッセージを胸に
新しい自分との出会いに感謝し 自分を必要としてくれる人の為に
自分を成長させていった
そんなある日 あの男の子が 再び女の子の前に現れた
互いに成長した2人 互いの人生に
互いが必要だと知ったのだろう
男の子は女の子の全てを包み込み 守れる程に 強く大きく成長し
女の子は男の子の全てを支え 何事にも負けない程に
強く大きく成長していた
そうして 2人は 永遠の愛を誓いながら
幸せに暮らしていった

~:*:~:*:~:*:~

人生における出会いと別れには ひとつひとつが必然的で
ひとつひとつに意味がある
その意味は
未来でしかわからないけど
でも 必ず つながっている事は確かだ
そして
互いが互いを本当に必要であれば
例え 別々の道を歩んだとしても また交わる時がくるだろう
本当に互いが必要であれば…
そしてまた 互いを必要とする為に
別々の道を歩む時もあるだろう
互いを支え合う為に 互いが強くなる為に
だから
ひとつの別れに踏み止まらず
たくさんの出会いと別れをし
たくさんの新しい自分に 出会ってほしい

あなたを本当に 必要としている人の為に
あなたを心から 愛してくれる人の為に
そして その人を 守れる程の強さを持つ為に

その別れが
あなたに幸せをもたらすから


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なんかこれ読んですごい肩の力が抜けた。
今までずっと前の子のこと心に残ってて、前向きになりきれなかったけど
今の俺に必要なのは前の子をずっと気にし過ぎるのではなく、今の自分に必要な人を見つけることなんだろな。

少し気が楽になりました。

2011年9月30日金曜日

はい、帰国です!

はい、お久しぶりです!1か月の東南アジアバックパッカーを終えて帰ってきました。

今回は1カ月かけてカンボジア→ラオス→タイと巡ってきました。
現地では本当にいろんなものを見ていろんな話を聞き、色んな経験をしてきました。
とりわけ現地NGOの農村で薪割りた水汲み、田植えを経験させてもらったことは非常に大きかったと思います。ただ、正直引いたのが「お風呂いこ~」言われて、ついていったら何の変哲もない普通の池に連れて行かれたこと。この池です↓


俺・・・よくおなか壊したりしないで帰ってこれたな~なんて自分のタフさにもびっくり。

現在は21世紀。スマートフォンやipad・地デジさらには電気自動車もある。でもここには、なんのテクノロジーも届いていない。
いまだに毎日木を切り出しては薪を作りかまどのようなキッチンで料理をする。
毎日近くの池まで水を汲みに行きその水でトイレを流している。
あるいは、家にトイレがないから裏の林の中に行ってトイレをしている。
雨水を大きな甕にためて飲み水にしている。
お風呂という名の池で入浴している。
スコールが来ると下着1枚になって石鹸片手に外で身体を洗う。
手作業で田植え・稲刈りをしている。
電気がないから朝日とともに起き日が沈むとともに寝る。
・・・
BoPと呼ばれる彼らと一緒に生活しながら、この差は一体なんなんだろうと疑問に思う毎日。
それこそ、日本の江戸時代にあったような器具(例えば千歯こきだとか脱穀機?)なんかでも十分生活に役に立つのに・・・

ある家族に生活の様子について聞いてみた。
7人家族で収入源は自分の畑で採れた作物の販売。
その収入は、なんと月に35ドルほどだという。
自給自足できているから食料は大丈夫と言っていたけど、それってどうよ?


他にも色んなものを見てきた。
打ち捨てられた先進国からの贈り物(例えば井戸、例えば重機、例えばコンバイン)
マーケットに山積みにされた各国からの大量の古着(ちょっと写真が見づらいのが申しわけない。白服の男性の前にあるのが山積みの古着)
各国の意思が見えてくるような援助の偏り(観光客がよく訪れる地域には援助が非常に多く、あまり観光客が来ないところには援助物はほぼ皆無)
ブレーキが壊れている日本からの自転車
・・・

開発援助、国際協力って何なんだろう?ってすごく考えさせられた。
かなりの部分で援助側の’都合’が入っていて、本当にその人たちを考えたものじゃない。もしくは
、100%善意のつもりが現地では違う用途、マイナスの影響を与えてしまっている現状があった。

もちろん、いい影響もある。
それこそ橋や道路・ダムなどの大型インフラは途上国では本当に本当に役に立っている。
「この橋のおかげで川を渡れるようになった」「洪水が減った」・・・
でも、じゃあ次は自力でつくってね、と言ったら被援助国が自力で作る能力はあるのだろうか?そういう能力を育ててきたのだろうか?


昨今、国際協力に携わる学生がとてもとても増えてきている。
それは単純にいい傾向だと思うし、門戸は広くあればいいと思う。
でも、そんな中で国際協力の負の側面、例えば今あげたような事例やマイナスインパクト、あるいは何十年後も先のあり方・・・そういった部分を”知っている”そんな学生はどれだけいるだろうか?
ただ、井戸を贈った、学校を建てた、途上国の人たちの役に立てた、私たちも大きな充実感を得た、やったね、ハッピーだけでは自己満足だと思う。
本当の意味で、その人を幸せにする、生活を向上できる、その人に未来の発展性を与えることができる・・・そうやって本気で相手のことを考えたうえで、自分自身にも得るものがある。
そんな視点で行われる本当の意味での協力を目指していきたいし、携わる人たちにもこういう部分も考えてほしいな。



なんて、いろいろ考えてしまった今回の旅でした。
旅で得たBoPビジネスのアイディアだとか適正技術に関してはまた今度。
OUEST内部でブレスト大会をして自分の経験を揉みあげてもらったうえでBlogで発表しようかな^^

あとBlogのルール決めたいと思います。
ルール① 毎週金曜日に更新する
ルール② 今週の課題を設定し、その1週間は課題に取り組む
ルール③ 課題で得た知識、考えたことなどを次の更新時に紹介する
ルール④ 一言紹介してBlogの締めにする
こんな感じでやっていきたいと思います。

来週の課題は
「溜まっている国際開発ジャーナルを読み切る」
にします。まだバイト始まってないから比較的時間あるから大丈夫かな。
頑張ります!


今日の締め
国際開発ジャーナル2010年6月発行より、多摩芸術大学「バナナ・テキスタイル・プロジェクト」を率いる橋本教授の言葉から
「プロジェクトを通じて学生に素材の大切さを学んでほしい。さらにデザインだけでなく、何のために作るかを考えてほしい。たとえば、アフリカで水で汲んだ甕を頭に載せて運ぶ子供を見た学生が’頭に載せなくてもいい、持ちやすいデザインを考えることが本当のデザインと感じた。’と話してくれた。それこそがモノづくりの大切さ」
今僕たちがやろうとしていることを的確に表した一言だと思う。