工学部→途上国における適正技術研究→ERP開発→ITコンサルタント/事業構想大学院修士過程(現在)。将来は、ICT4Dの推進/国連でのITバックオフィス関連を目指しています。 備忘も兼ね、日々の学びや読書の記録などを投稿します。 (ここでの発言は組織や所属には一切関係なく、あくまで個人の呟きです)
2012年7月17日火曜日
浮気心にさようなら
こんばんは!
世間ではこの3連休で祇園祭があったり日本史上最大の原発デモがあったり、何かと話題になるニュースが多っかたのですが、学生もこの時期は色々と慌ただしく(おとなしく?)なります。
・・・そう、あのテスト期間がやってきたのです。
過去問やレジュメをgetしたり、図書館の勉強スペースの奪い合いが始まったり、マクドの店員との小競り合いがあったり(笑)
ちなみに、僕はけっこう前にマクドで勉強してる時に店員に追い出されたのがトラウマで、マクドに勉強しに行きません。
僕は自宅に引きこもって勉強する派です。
学生の中ではマクドは人気スポットだけど、みんなは追いだされたりしないのかな?
「浮気心にさようなら」なんてタイトルつけたんですけど(笑)、内容はいたって真面目な話。
二兎を追う者は一兎をも得ず
前回のエントリーで「自分に足りないのは『抜け感』?」
http://shunichiro-n.blogspot.jp/2012/07/blog-post_12.html
という記事を書きました。
簡単におさらいすると、ここ最近の自分の傾向として「成長する」というところに重点を置きすぎていたがために、逆に楽しむことを忘れてしまいフラストレーション状態に陥ってしまっていました。
そんな頑張りすぎをちょっと置いておいて、『抜け感』を持って楽しんで色々取り組んでいこう!と、そんな反省をしていた前回のエントリーです。
今思うと、少し異常だったかも。
バイト中も暇なときは携帯使ってブログチェックしてたり、
カラオケ行っても自分の曲までの間にすかさずブログチェックしてたりtwitterチェックしてたり、
授業中は講義あまり聞かずにずっと本読んでたり、
アニメ見ながら勉強してたり
・・・
ちょっと変ですよね(苦笑)
結局バイト中やからお客さん来たら中断だし、
カラオケ来たのにそんなに楽しめないし勉強はかどるわけじゃないし
講義中だから時には読書やめてノートとらなきゃいけないし、説明聞いてないから板書だけじゃよくわかんないし
・・・
結局全てのものの中に無理やり「成長」要素を盛り込もうとしたあげく、どっちも中途半端になってしまっていたわけです。
要は、二兎を追う者は一兎をも得ず!
今この瞬間!
現在話題の本 「自由であり続けるために、20代で捨てるべき50のこと」
を読みました。
50個のアドバイスの中で
・「あれもこれも」を捨てる
・マルチタスク思考を捨てる
の2つの言葉が一番ズバっと心に刺さり、
今の自分に必要な言葉だと非常に強く感じました。
人間ってどうしても欲が強いから目の前に兎が二匹もいたら両方欲しくなっちゃいますよね。
兎と鹿でも、水と食料でも、読書とカラオケでも、お金と人間関係でも・・・
それが自分にとって大切なものであればあるほどね。
でも、世の中そんなに甘くない。
二兎を追う者は一兎をも得ずのことわざの通り、結局目の前のひとつの集中したほうがいい結果は出ます。(たまに、二匹とも捕まえちゃう人とか、兎を追っていった先に羊の群れを見つけちゃう人とかもいるけれど(笑))
それに、この次はあれしよ~とかあることに取り組みつつも頭では別のことを考えていたり、そんなこともよくしてしまう。
それも結局人生の損につながってしまう。
自分にとって何が一番大切か?
現在自分は何を一番したいのか?
そしてそれを本気で見極めて、今その瞬間をそれだけに集中していくことが大事なんですね。
その瞬間に全力で集中しているから、ものすごいエネルギーを注げるしクオリティも高くなるし仕事も早い。
その結果、自分の成長にもつながるし、何より全力で行った自分が一番満足できる。
当たり前のことだけど、なかなかできない。
だけど、これをちゃんと意識して取り組んでいくことが大事なのかな?って。
大切なのは明日でも今日でもない。
今この瞬間なのだ!
浮気心にさようなら
さてここまで読んでくださった方には本日のタイトルの意味がわかってもらえたでしょうか?(笑)
現在目の前に自分が選んだ自分の大切なものがあるのに、あれもこれもとよそ見をしてしまい、その結果両方とも失ってしまうなんて嫌ですよね。
まさに今、目の前にあるものに本気で取り組み、本気で楽しみ、本気でぶつかっていく。
その先に人生の大切なものが見つかるのではないか、と思います。
僕も浮気心を捨て去り、目の前のことに全力でぶつかっていきたいです!
え、なんの話って?
試験勉強の話でしたwww
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。
どんなに大人になろうとも、子供の頃のあのやんちゃな自分だけは忘れずに生きたいと思っています。そしてそんな己を生きる中で、周りの方々とともに活きていける人生を歩んでいきたいと思っています。
まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
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2012年7月12日木曜日
自分に足りないのは「抜け感」?
こんばんは!
最近つい衝動に駆られて、小旅行に行ったりしてました。
この時期になると実験とかも終わって午後中空いてたりするんですね。
もちろんテスト勉強も始めてるんですが、夕方とか夜にミーティングとかバイトとかないと・・・どうしても、時間がもったいないな!って思ってしまうんです。
本1冊を片手に気のままに電車に揺られて、初めて訪れる土地に行ったり海が見えるところまで行ったりすると、色んな発見があるんですね。
「こんなところあったや!」とか「この辺って方言違う!」とか。
それとか、日常の喧騒とは離れるので心と会話できるというか、あの感覚が好きなんですね。
「頑張りすぎ」は禁物
でも、そもそも何でこんな衝動が起こってしまうの?
学生団体の運営もある程度安定してきた
人間関係やバイトなど私生活もそれなりに安定
読書の数も増えてきてる
生活リズムも良い形になってきている
・・・
なのに、どうしてこんなにも旅に出たい衝動が沸き起こってしまうのか?
旅に出ていろいろ考えてる中で一つ思い当たったのは
「頑張りすぎ」なのでは?
ということ。
学生団体もちゃんとやらなければ
バイトもしっかり入ってお金も稼がなければ
たくさん本も読んでどんどん学ばなければ
学校もちゃんと行って勉強しなければ
そして、「どんどん成長しなければ」・・・
ここ最近ずっとこんなことばかり考えていて、自分が成長できるかどうかを全ての天秤にかけていたことに気がつきました。
友達とのカラオケよりも自宅で本を読むことを優先したり、
飲み会行くくらいならバイト入ってお金を稼ごう!とか、
ここで外食行ってお金使うくらいなら家で自炊して節約しようとか・・・
本を読むこと
お金を稼ぐこと
節約すること
そんな一つ一つは大事といえば大事だけど、友達との人間関係とか自分へのガス抜きとか他の大事なことをすっかり見落としてしまっていたように感じます。
多分その結果、小さな欲求不満や疲れが重なっていって今回のような衝動が生まれてしまったのかな?
成長することばかりに目が向いてしまい、楽しむこととか自分自身を忘れてしまっていたのかな。なんて思います。
成長/成功は陽炎?
今回少し思ったことは、成長とは陽炎のようなものなんじゃないか?ってことです。
成長を近くに見すぎると遠ざかってしまい、逆に成長を遠くにおいていると意外と近くに見つかったり、そんな陽炎みたいな性質を持ってるのかな?って。
今回の僕にはすごくしっくりきます。
目先の読書やバイトばかり見ていると人間関係とか自分の楽しみとかもっと大事なものを忘れてしまい、逆に成長とかそんなものは遠くに置いておいて今を思い切り楽しみ友達と遊びいろいろ悩んだりもあり・・・といった毎日を過ごしてれば、成長は近くに現れたりするのかな、なんて思います。
これは「成功」ということにも、同じことが言えると思います。
僕が過去に別の国際協力系学生団体を率いてた時に経験したことなのですが、団体立ち上げから初のイベントの開催を控えているときでした。
団体の中でかなりモチベーションに差があったのに、イベントを成功させるため一部のモチベーション高いメンバーだけで全部をやろうとしてしまい、その結果イベントの集客も低く団体のメンバー間で壁が生じてしまいました。
結局、この時も目先に成功ばかりに気を取られ、みんなでひとつのイベントを作ることやメンバー同士の信頼というものを作ることができなかったよな、とすごい反省しました。
成長も成功も同じ。
陽炎を追う人のように目先の実ではなく、いかに日々を最大限楽しみながらずっと先の大樹を見据えることができるか、が大事なポイントになるのではないかと思います。
やれやれ、僕はすごい学ぶのが不器用なのかな。
どうしたら、こういった見方を間違えずに過ごせるでしょうか?
どこかで根本的な解決をしていく必要があります。
僕に足りないのは「抜け感」?
目先にとらわれず、成長を追い求めるのに必要なものは何か?
その答えは「抜け感」なのではないかと考えます。
いつまでも
「成長するぜ、おっしゃーーー!!炎炎」「やる気やる気やる気やる気やる気・・・!!」
では、周りがうまく見えなくなってしまいます。
逆に、肩の力を抜いて、広い視野を持って、仲間や友達とも遊んで息抜きとかしながら、毎日を楽しく充実して過ごしていく積み重ねの先に成長や未来の姿があるのではないかな。
要は「抜け感」
って書いてると、僕がすごい憧れる方も同じようなことをブログに書いていたのを思い出したので紹介。
「私に足りないのは『抜け感』でした!」http://value-design.net/wordpress/?p=2517
この記事を読むと、抜け感の大事さとそれを得ることで変われる自分がいるってことを学ばせてもらえますね。
僕もうまく肩の力抜いて、日々を楽しく充実して過ごしていきたいな、って思います。
それには、この記事で彼女が実践していた
・自分が不得意なことをやってみる
・自分の失敗をすんなり気持ちよく受け止める
・人に気を遣いすぎない
にトライしてみようと思います。
あ、それと、個人的に
・自分がやりたいことをやる
というのも付け加えて、自分が何より楽しむメインで行動していこうと思います♫
みなさんは「抜け感」持ってますか(^o^)/?
今日も読んでいただきありがとうございます!
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ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。
人生において、まず自分自身の人生を真っ向から生き、その中で周りの人々とお互いの良さを引き出し合いともに活かしていくことができるような生き方をしていきたいと考えています。そうあの子供の時のような感性や好奇心・積極性や友情など、本当に大事なことを絶対に忘れず、子供の’やんちゃ’精神を守って生きていきたい。
そのための日頃の学びや考えを書き留め、発信していこうと考えています。
まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
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最近つい衝動に駆られて、小旅行に行ったりしてました。
この時期になると実験とかも終わって午後中空いてたりするんですね。
もちろんテスト勉強も始めてるんですが、夕方とか夜にミーティングとかバイトとかないと・・・どうしても、時間がもったいないな!って思ってしまうんです。
本1冊を片手に気のままに電車に揺られて、初めて訪れる土地に行ったり海が見えるところまで行ったりすると、色んな発見があるんですね。
「こんなところあったや!」とか「この辺って方言違う!」とか。
それとか、日常の喧騒とは離れるので心と会話できるというか、あの感覚が好きなんですね。
「頑張りすぎ」は禁物
でも、そもそも何でこんな衝動が起こってしまうの?
学生団体の運営もある程度安定してきた
人間関係やバイトなど私生活もそれなりに安定
読書の数も増えてきてる
生活リズムも良い形になってきている
・・・
なのに、どうしてこんなにも旅に出たい衝動が沸き起こってしまうのか?
旅に出ていろいろ考えてる中で一つ思い当たったのは
「頑張りすぎ」なのでは?
ということ。
学生団体もちゃんとやらなければ
バイトもしっかり入ってお金も稼がなければ
たくさん本も読んでどんどん学ばなければ
学校もちゃんと行って勉強しなければ
そして、「どんどん成長しなければ」・・・
ここ最近ずっとこんなことばかり考えていて、自分が成長できるかどうかを全ての天秤にかけていたことに気がつきました。
友達とのカラオケよりも自宅で本を読むことを優先したり、
飲み会行くくらいならバイト入ってお金を稼ごう!とか、
ここで外食行ってお金使うくらいなら家で自炊して節約しようとか・・・
本を読むこと
お金を稼ぐこと
節約すること
そんな一つ一つは大事といえば大事だけど、友達との人間関係とか自分へのガス抜きとか他の大事なことをすっかり見落としてしまっていたように感じます。
多分その結果、小さな欲求不満や疲れが重なっていって今回のような衝動が生まれてしまったのかな?
成長することばかりに目が向いてしまい、楽しむこととか自分自身を忘れてしまっていたのかな。なんて思います。
成長/成功は陽炎?
今回少し思ったことは、成長とは陽炎のようなものなんじゃないか?ってことです。
成長を近くに見すぎると遠ざかってしまい、逆に成長を遠くにおいていると意外と近くに見つかったり、そんな陽炎みたいな性質を持ってるのかな?って。
今回の僕にはすごくしっくりきます。
目先の読書やバイトばかり見ていると人間関係とか自分の楽しみとかもっと大事なものを忘れてしまい、逆に成長とかそんなものは遠くに置いておいて今を思い切り楽しみ友達と遊びいろいろ悩んだりもあり・・・といった毎日を過ごしてれば、成長は近くに現れたりするのかな、なんて思います。
これは「成功」ということにも、同じことが言えると思います。
僕が過去に別の国際協力系学生団体を率いてた時に経験したことなのですが、団体立ち上げから初のイベントの開催を控えているときでした。
団体の中でかなりモチベーションに差があったのに、イベントを成功させるため一部のモチベーション高いメンバーだけで全部をやろうとしてしまい、その結果イベントの集客も低く団体のメンバー間で壁が生じてしまいました。
結局、この時も目先に成功ばかりに気を取られ、みんなでひとつのイベントを作ることやメンバー同士の信頼というものを作ることができなかったよな、とすごい反省しました。
成長も成功も同じ。
陽炎を追う人のように目先の実ではなく、いかに日々を最大限楽しみながらずっと先の大樹を見据えることができるか、が大事なポイントになるのではないかと思います。
やれやれ、僕はすごい学ぶのが不器用なのかな。
どうしたら、こういった見方を間違えずに過ごせるでしょうか?
どこかで根本的な解決をしていく必要があります。
僕に足りないのは「抜け感」?
目先にとらわれず、成長を追い求めるのに必要なものは何か?
その答えは「抜け感」なのではないかと考えます。
いつまでも
「成長するぜ、おっしゃーーー!!炎炎」「やる気やる気やる気やる気やる気・・・!!」
では、周りがうまく見えなくなってしまいます。
逆に、肩の力を抜いて、広い視野を持って、仲間や友達とも遊んで息抜きとかしながら、毎日を楽しく充実して過ごしていく積み重ねの先に成長や未来の姿があるのではないかな。
要は「抜け感」
って書いてると、僕がすごい憧れる方も同じようなことをブログに書いていたのを思い出したので紹介。
「私に足りないのは『抜け感』でした!」http://value-design.net/wordpress/?p=2517
この記事を読むと、抜け感の大事さとそれを得ることで変われる自分がいるってことを学ばせてもらえますね。
僕もうまく肩の力抜いて、日々を楽しく充実して過ごしていきたいな、って思います。
それには、この記事で彼女が実践していた
・自分が不得意なことをやってみる
・自分の失敗をすんなり気持ちよく受け止める
・人に気を遣いすぎない
にトライしてみようと思います。
あ、それと、個人的に
・自分がやりたいことをやる
というのも付け加えて、自分が何より楽しむメインで行動していこうと思います♫
みなさんは「抜け感」持ってますか(^o^)/?
今日も読んでいただきありがとうございます!
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ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。
人生において、まず自分自身の人生を真っ向から生き、その中で周りの人々とお互いの良さを引き出し合いともに活かしていくことができるような生き方をしていきたいと考えています。そうあの子供の時のような感性や好奇心・積極性や友情など、本当に大事なことを絶対に忘れず、子供の’やんちゃ’精神を守って生きていきたい。
そのための日頃の学びや考えを書き留め、発信していこうと考えています。
まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
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2012年7月4日水曜日
セカイに飛び出すということ~ITでも適正技術でも~
こんばんは!
今日は深夜の投稿です!
いや~体内時計が狂ってしまうと早起きは難しいですね。
とりあえず、ブログは朝書くもの!と決めずフレキシブルにやっていきたいと思います。
早起きもしない、ブログも書かないではただのダメダメですから(-_-;)
あなたのプロダクトをセカイへ
先週の話になりますが、Let's give a toast in the world~あなたのプロダクトをセカイへ~
http://peatix.com/event/4562
というイベントに参加してみました。
簡単にイベント内容を紹介すると、主にIT分野で世界にチャレンジしている著名なスタートアッパーの方々がそれぞれの商品・サービスの紹介とスタートアップにいたる過程やそこで学んだ経験を語ってくれる、というイベントです。
大雑把にシリコンバレーとかiPhoneアプリとかの話と考えてくれたらOKです(笑)
イベントの中で紹介されたプロダクトは、イベントのURLを見てもらったらいいかな、と思うのでここから先は僕が学んだことや考えたことを紹介させてもらいます。
(ただし、講演のメモと僕がトークを通じて考えたことなので、講演者の意図とずれた理解があるかもしれませんが、あくまでこのブログでは、僕の考えや理解を発信してるのでご了承ください。)
「テクノロジーとサービスだけでは世界では通用しない」
この言葉はがすごく印象に残っています。
どういう意味かというと、テクノロジー・サービスがいかに素晴らしくても、海外でヒットするわけではなく、もう一つ別の視点が必要で、その視点こそが最終的な価値を決めるとのことです。
じゃあその視点って何か?
それは
カルチャー(文化)を反映しているかどうか?
ってところ。
どんなにいいテクノロジー・サービスでも、そこに人を魅了するような惹きつけるようなカルチャーを抜きにしてしまうと、一味欠けてしまうということ。
料理で言う塩が足りないみたいなところかな。
日本のカルチャーっていろいろあるよね。
アニメや芸者、わびさび、寿司・・・
そういった’日本ならでは’感をうまく出していくことが大事なんだと。
でも’塩’って表現はものすごい的を得ていて、カルチャーを反映するって言っても、ガチガチに日本的なもの(芸者とか歌舞伎とか)をねらってしまうと、逆効果になってしまうとも。
例えばイベントで紹介されていたのが、セルフスキンケアのアプリだったりアニメを取り入れた音楽サービスだったり。
でも、これって日本的なもの?って疑問に思うかもしれません。
実はスキンケアの文化って欧米はあまり発達していなくて、むしろアジアがみんな気にしているところだとか。
いまやアニメは日本を代表する(?)文化の一つとはいっても、ドラゴン○ールとかみたいな王道ではなくて、可愛い系のロボットだったり。
他にも、twitter画面を可愛く変えてしまう、Feel on!というサービスとか。
カルチャーといっても、日本的なものズドーン!歌舞伎バーン!じゃなくて、この絶妙加減がとても大事なのだそうです。
料理は塩加減と言うけども、こういうところにも通じるものがあるようです。
もう一つ付け加えで言っていたのが、
世界で流行るいいものを生み出すのに欠かせない要素は
ミニマライズ、要はシンプルに!
ということなのだそうです。
iPhoneで肌を撮影することでその場ですぐにスキンチェックができたり、twitterがかわいいアニメ化されるってとってもわかりやすいよね!
質の高いテクノロジーとサービスの中に、ちょっとしたカルチャーや遊びが込められた、シンプルなものがいいってことなのかな、と。
これって適正技術にも・・・?
こうやって書いていて、ふと自分の注力分野である適正技術を考えてみたんだけど、
・質の高いテクノロジーとサービス
・カルチャーや遊びが込められる
・シンプル
っていうこの要件、意外と適正技術にも当てはまるんじゃないかと。
(適正技術の場合の’質が高い’は、技術水準の高いという意味ではなく、要求(ニーズ)にしっかり応えているという意味で)
例えばQドラム。
水を運ぶ→転がすという非常にシンプルな方法で、水を運ぶというニーズにしっかりと応えていながらも転がすことに楽しさという遊びを見いだせる。
あるいは、ワニック(第1回See-Dコンテスト優勝チーム)のココナッツからお酒を作るキット。
途上国にふんだんにあるココナッツ(文化)に差し込むだけでお酒ができるというシンプルさと、それを可能にする酵母(テクノロジー)が使われている。
それぞれの項目をこじつけていると言われるかもしれないが、逆に言ったら本当にいいものは
・質の高いテクノロジーとサービス
・カルチャーや遊びが込められる
・シンプル
の3項目で表すことが可能っていうことも出来るよね。
IT業界だけでなくこういう分野にも当てはまるこの要件って、実は世界でプロダクトを展開していく上で非常に本質をついているのかな、って思います。
自分を解き放つ?or空気読まない?
さて最後に、このイベントで知り合った面白い方の紹介。
さっき写真でも見せた、ロボットのキャラクターを用いた音楽サービスを展開している「Beatrobo」のCEO浅枝さん。
イベントの中でこの人に一番惹かれました。
(あ、肖像権とか大丈夫かな(-_-;))
どこに惹かれたかって、この人の雰囲気とそのキャラクター。
なんていうか、すごい自分の赴くままに生きてるなって感じた。
例えば、何か気になることあっても他の人の発言中は遮ったりしないのが普通ですよね。
でも、彼は「そういえば僕も~」とか「え、その時どんな感じだったんですか?」みたいにどんどん聞いちゃう。
「あ、いい映像あるんだ~(o^^o)♪」とか言って、自分のパソコンにプロジェクター挿し直したり・・・
こう書いてると、「ただ空気読めてないだけじゃん」って思うかもしれないけど、彼のおかげでトークが盛り上がったり、面白い方向に向かっていったり・・・悪く言う場合の空気の読めなさが逆に会場の空気を妨げないで、よりいい方向に導いている感じがした。
なんて言ってると、僕の勝手なフィルターかかってるから、なんて言われかねないけど(笑)
でも浅枝さん、すごい気が利く方でさりげなくマイクをまわしてあげたり、会場を気遣ってくれてたり。
イベントの講演者はみんな活き活きしてる方ばかりだったけど、彼の場合は活き活きとしてるというより、彼の言動そのものが彼の素を表しているみたいで、素そのものを研ぎ澄まされているように感じた。
(非常に、主観的なので伝わりにくいと思いますが、あしからず。)
なんかうまく周りの空気に合わせようとしないで、自分のスタイルそのものを表現しその場の空気の中でシンクロさせていくようで・・・
そんな姿がすごくカッコよく見えたし、自分を飾ることも隠すこともしない抑えることもしない、あくまで自分という自分を表現している生き方に惚れたかな。
なんていうと褒めすぎかもしれないけど(笑)
そんな浅枝さんを一言で言うと、’やんちゃなクールボーイ’って印象!(笑)
でもこんな感じの大人ってすごい素敵だし、何かにはばかられることなくどんどん自分の価値観を追求していけるんだろうな~って思う。
僕の理想とする自分の像にすごいいいイメージを与えてくれたように思う。
そんな浅枝さんのこれからの活躍に期待(o^^o)♪
(あ、もちろん彼のブログは追っかけていくことにしました(笑))
という感じで最後すごいとりとめない話になってしまったけど、
僕がこのイベントを通じて一番強く感じたことは
「俺も早くセカイに羽ばたきたい!!」
ということでした。
適正技術作りもどんどん進んできてるし、いろんなこともどんどん勉強して、もっともっとも~~~っと新しい世界にチャレンジしていきたいです!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。
人生において、まず自分自身の人生を真っ向から生き、その中で周りの人々とお互いの良さを引き出し合いともに活かしていくことができるような生き方をしていきたいと考えています。そうあの子供の時のような感性や好奇心・積極性や友情など、本当に大事なことを絶対に忘れず、子供の’やんちゃ’精神を守って生きていきたい。
そのための日頃の学びや考えを書き留め、発信していこうと考えています。
まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
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2012年7月3日火曜日
ブログサーフィンからいろんな人の視点を身につけよう!
こんにちは!
最近は早起きが全く出来ず、自分を情けなく思う毎日です。
ブログで書きたいことは溜まっているのに、
朝起きない→ブログ書かない→じゃあ昼や夜は?→朝じゃないからブログ書かない→明日は早く起きよう!→・・・orz
という意味不明な思考に陥っています。
やれやれ、こういう自分の怠惰なところは直して行かなければ・・・
ブログサーフィンという情報取得方法
さて、書きたいことは溜まっているのですが、今ハマっていることを紹介。
最近僕は、タイトルの通り「ブログサーフィン」にハマっております。
とは言ってもやっていることはその名の通り、いろんな人のブログや投稿を片っ端から読み漁ることです(笑)
これがなかなかおもしろい。
最近だと消費税や原発再稼働の話など政治ネタが多く、TV等で放送されていることの再確認だけでなく、報道の裏に隠されたTV局の意図や現場の生の声や率直な感想などを知ることができます。
他にも時事ネタや経済、その人が現在考えていることなど呼んでいて、自分の勉強になる記事ばかりです。
ブログだけでなく、BLOGOSやアゴラといった言論プラットフォームにも目を通していて、色んな方の色んな意見を拝見させてもらっています。
いろんな方向から眺める
ブログサーフィンのいい点って、一つの問題(=お題)を追跡していくといろんな人の色んな視点からの意見を知ることができて、自分で調べたり比べたりしながら、じゃあ自分はどう思うの?って考えるきっかけになるところ。
例えば、原発再稼働の話題一つとっても、
あの人は人間が制御できないテクノロジーの利用に反対。
でも、あの人は経済の状況を考えたら再稼働は当然だ。
また別の人は、現在で再稼働はやむなしだけど長期的には原発0の社会を築かなければならない。
という様々な立場から意見を発信しているので、自分の中でも何が本当なんだろう?自分はどんな意見なんだろう?って自然に考えさせてくれる。
情報媒体としてのブログの価値
今って極度の情報社会で、いい情報も悪い情報も正しい情報も誤った情報も際限なく流れ続けてくる。情報を選別して提供してくれるはずのマスコミは自分たちに都合のいい情報しか流さない。
それにみんなそれぞれ自分の生活があって、情報の摂取・選別だけに時間を割いていられない。
正しく情報を得て、正しく選別し、自分の考えを作っていくのが難しいのです。
そんな中で、’ブログ’って存在は非常に貴重な情報媒体だと思うんです。
その分野の専門家の意見やあるいは違う分野からその分野への意見や、いろんな情報を彼らなりに選別して自分の考えをブログという形で伝えてくれてる。
専門家でない自分一人であらゆる分野の情報を取得して、真偽を見極めて・・・なんて無理。
でもブログという形なら、あらゆる分野の専門家がその分野の情報を発信していて、それに対して色んな知識人が色んな意見を出し合っている。
そんなブログを通して、いろんな情報を摂取しいろんな人の意見を見ていく中で、自分なりのフィルターを作ることができて、自分はその問題に対してどう考えるのか?ってところを考えることができるんです。
本当の事を言っているか分からないTVの報道や新聞の記事をあくせくして求めるより、ブログという形でそんな報道の裏側にある真実や個人としての想い・意見などを求めていくのはいかがでしょう?
もちろんブログにも誤った情報がある可能性は否定出来ないけれど、(正確ですらない)事実を伝えるマスコミの情報よりは、報道内容だけでなくもう1歩踏み込んだところの意見を得ることができるブログの価値をもう1度問い直してみてもいいかもしれませんね。
ちなみに僕が気に入って拝見しているブログを幾つか紹介
・Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
・My Life After MIT Slon http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan?fm=rss
・倉本圭造ブログ-「覚悟」とは「犠牲の心」ではない。 http://keizokuramoto.blogspot.jp/
・アゴラ言論プラットフォーム http://agora-web.jp/
・BLOGOS http://blogos.com/
自分で色々探してみて、気に入る方のブログをRSSなど管理すると楽かもしれませんね。
みなさんもぜひブログをバカにせず、自分自身楽しみながら色んな方のブログを拝見して見てみて下さい(^O^)/
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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ブログ「思考のタネ」は
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。
読んでいただいた方の生活の中にふとした考えの種が芽生え、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえるような内容のブログにしていきたいと考えています。
まだまだ勉強中の身のため、
記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてしまいかねないところもあるかと思いますが、
そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂けたら嬉しく思います。
今後とも、よろしくお願いします!
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最近は早起きが全く出来ず、自分を情けなく思う毎日です。
ブログで書きたいことは溜まっているのに、
朝起きない→ブログ書かない→じゃあ昼や夜は?→朝じゃないからブログ書かない→明日は早く起きよう!→・・・orz
という意味不明な思考に陥っています。
やれやれ、こういう自分の怠惰なところは直して行かなければ・・・
ブログサーフィンという情報取得方法
さて、書きたいことは溜まっているのですが、今ハマっていることを紹介。
最近僕は、タイトルの通り「ブログサーフィン」にハマっております。
とは言ってもやっていることはその名の通り、いろんな人のブログや投稿を片っ端から読み漁ることです(笑)
これがなかなかおもしろい。
最近だと消費税や原発再稼働の話など政治ネタが多く、TV等で放送されていることの再確認だけでなく、報道の裏に隠されたTV局の意図や現場の生の声や率直な感想などを知ることができます。
他にも時事ネタや経済、その人が現在考えていることなど呼んでいて、自分の勉強になる記事ばかりです。
ブログだけでなく、BLOGOSやアゴラといった言論プラットフォームにも目を通していて、色んな方の色んな意見を拝見させてもらっています。
いろんな方向から眺める
ブログサーフィンのいい点って、一つの問題(=お題)を追跡していくといろんな人の色んな視点からの意見を知ることができて、自分で調べたり比べたりしながら、じゃあ自分はどう思うの?って考えるきっかけになるところ。
例えば、原発再稼働の話題一つとっても、
あの人は人間が制御できないテクノロジーの利用に反対。
でも、あの人は経済の状況を考えたら再稼働は当然だ。
また別の人は、現在で再稼働はやむなしだけど長期的には原発0の社会を築かなければならない。
という様々な立場から意見を発信しているので、自分の中でも何が本当なんだろう?自分はどんな意見なんだろう?って自然に考えさせてくれる。
情報媒体としてのブログの価値
今って極度の情報社会で、いい情報も悪い情報も正しい情報も誤った情報も際限なく流れ続けてくる。情報を選別して提供してくれるはずのマスコミは自分たちに都合のいい情報しか流さない。
それにみんなそれぞれ自分の生活があって、情報の摂取・選別だけに時間を割いていられない。
正しく情報を得て、正しく選別し、自分の考えを作っていくのが難しいのです。
そんな中で、’ブログ’って存在は非常に貴重な情報媒体だと思うんです。
その分野の専門家の意見やあるいは違う分野からその分野への意見や、いろんな情報を彼らなりに選別して自分の考えをブログという形で伝えてくれてる。
専門家でない自分一人であらゆる分野の情報を取得して、真偽を見極めて・・・なんて無理。
でもブログという形なら、あらゆる分野の専門家がその分野の情報を発信していて、それに対して色んな知識人が色んな意見を出し合っている。
そんなブログを通して、いろんな情報を摂取しいろんな人の意見を見ていく中で、自分なりのフィルターを作ることができて、自分はその問題に対してどう考えるのか?ってところを考えることができるんです。
本当の事を言っているか分からないTVの報道や新聞の記事をあくせくして求めるより、ブログという形でそんな報道の裏側にある真実や個人としての想い・意見などを求めていくのはいかがでしょう?
もちろんブログにも誤った情報がある可能性は否定出来ないけれど、(正確ですらない)事実を伝えるマスコミの情報よりは、報道内容だけでなくもう1歩踏み込んだところの意見を得ることができるブログの価値をもう1度問い直してみてもいいかもしれませんね。
ちなみに僕が気に入って拝見しているブログを幾つか紹介
・Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
・My Life After MIT Slon http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan?fm=rss
・倉本圭造ブログ-「覚悟」とは「犠牲の心」ではない。 http://keizokuramoto.blogspot.jp/
・アゴラ言論プラットフォーム http://agora-web.jp/
・BLOGOS http://blogos.com/
自分で色々探してみて、気に入る方のブログをRSSなど管理すると楽かもしれませんね。
みなさんもぜひブログをバカにせず、自分自身楽しみながら色んな方のブログを拝見して見てみて下さい(^O^)/
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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ブログ「思考のタネ」は
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。
読んでいただいた方の生活の中にふとした考えの種が芽生え、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえるような内容のブログにしていきたいと考えています。
まだまだ勉強中の身のため、
記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてしまいかねないところもあるかと思いますが、
そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂けたら嬉しく思います。
今後とも、よろしくお願いします!
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2012年6月19日火曜日
大きなVSOPと小さなVSOP
こんにちは!
世間では台風の話でいっぱいですね。
今日台風の影響により学校が休講になりました。
みなさんはどんな一日を過ごしているのでしょうか?
みなさんは’VSOP’という言葉を聞いたことがありますか?
ブランデーの話では無いですよ^^
今回はキャリアの中でのVSOPのあり方について考えていることを紹介したいと思います。
まず、ある有名な方のブログからVSOPの意味について拝借。
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<V:20代はバラエティ> 20代で大事なことは、とにかく多彩な経験を積むこと。自分が何に向いているか、やってみないとわからない。あまり頑なに「自分はこれが向いているはず」と思い込み、それ以外のコトは見ない、触れない、みたいな生活をしないこと。 この時期にあれこれやってみるのは、決してリスクなんかじゃない。多彩な世界に触れること、バラエティを保つこと、視野を広め、見えている世界をできるだけ広げておくこと、そして大いに迷うこと、20代ではそれが大事、という話。
<S:30代はスペシャリティ> 30代は、20代で経験したいろんなことの中から「オレはコレで行く!」という分野を見定め、その分野に集中して専門性を高め、「この分野ならあいつ」と言われるよう知識、スキルを築いていくべき時期。この時期に自分の「コア」を作る、「何の専門家なのか」を明確にする。それが大事、という話。 反対にいえば、この時期にまだ「あれにしようか、それともこっちに行こうか。オレは何をすべきなんだ?」とか言ってたらダメですよ、という話。30代になったら迷わない。そのためにも20代でやりたいことをすべてやって、ちゃんと迷って、ちゃんと決めておかなくちゃいけない。集中と深掘りの30代。
<O:40代はオリジナリティ> 40代になったら、専門性だけでは勝負できません。日々、新しい技術やトレンドが生まれ、それらにたいして、より高い専門性や感度をもつ30代が現れる。 この年代で発揮すべきは、マニュアル化できない「自分らしさ」。「これはあの人の作品だよね」「あの人の仕事はユニークだよね」「そんな考え、普通はでてこないよね!」と言ってもらえる仕事をしないとダメ。 他の人が担当していたら違うものになったはず、自分が担当したからこそ、こうなった、といえる「オリジナルな何か」が必要。そうじゃないと市場から求められない。「学んだ何か」ではなく、「自分が生み出した何か」で勝負する。それが40代。
<P:50代はパーソナリティ> そして50代になれば、パーソナリティがすべて。専門性なんて若い世代にかなうわけがない。オリジナリティだって、どんどん出すのが難しくなる。この段階にきたら「あの人と仕事がしたい」と思ってもらえるかどうか、人格とキャラが切り札になる。 だからこの年代までに、そういうものをしっかり身につけておく必要がある。「あの人がいるからあの会社で働いてみたい」と思わせないと、経営者として人も雇えない。「ぶっちゃけ内容はよくわかってないんだけど、あの人がリーダーなんだったら内容に関わらずやってみたい」と思ってもらえるかどうか、最後は人間勝負、という話。
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だそうです。
まだまだ大学生の方も社会人の方も自分のキャリアについて考えると思うのですが、その際に参考になりますよね。
この方は10年という単位でVSOPと捉えているのですが、僕はVSOPをもっと短期のスパンでも用いることができると考えています。
つまり、大きな枠組で捉えるVSOPと小さな枠組みで捉えるVSOP両方の考え方を持つことで、キャリア形成により役に立つのではないか言うことです。
例えば、大学生活は20代の’V’の中に相当しますが、その4年間の中でも小さなVSOPがあると考えます。
大学1年のときはバラエティ。
色んなサークルに参加してみたり、外部のセミナーに参加してみたり、各地を旅してみたり・・・色んな活動に参加して自分の視野を広げ、色んな人とのつながりを作る時期。
大学2年のときはスペシャリティ。
大学1年で経験した色々な活動のなかから自分が一番やってみたい、興味が持てる、情熱が持てる分野を見つけ、そこに注力していく中で、自分を磨いていく時期。 そこの分野の中でチャンスや試練に積極的に飛び込み、必要なスキルや経験を身につけていく。
大学3年のときはオリジナリティ。
その分野の中でさらに自分ならではのエッジを効かせていく時期。 身に着けてきたスキルや経験を自分なりのメソッドとして確立していったり、その分野に対する自分なりの哲学を深めて行ったり。
大学4年のときはパーソナリティ。
その分野の中で自分を高めてきた人だからこそ持つ威厳や言葉の重みが非常に大きなアイデンティティとなる。 その人と会う・喋る・一緒に活動する、だけで相手をエンパワーできるような存在。
というように、これは大きなVの中の一つの活動で、大きなVを損なうことなく小さな枠の中でVSOPを考えることで自分のキャリアをしっかりと築くことができると思うのです。
小さなVSOPは、専攻分野、大学のサークル、学生団体、アルバイトの中など様々な場面でも成り立ち、小さいながらもしっかりと自分のキャリアを築いてきた経験は大きなVSOPを築いていく上でもプラスになるものだと思います。
振り返ると、僕も新入生の時には大学4年の先輩の姿に憧れ、様々な経験を積んでくる中で国際協力・適正技術という自分なりの価値観を見つけ、逆に今では恐縮ながら後輩から「憧れる」と言ってもらえるような自分になっています。
僕も大きな枠組でみたら、まだまだVの時期だし色んな事を経験したいと思っている中ですが、この小さなVSOPを築いてきたことによって学んできたものは計り知れません。
ちなみに本文で紹介したブログは Chikirinの日記「キャリアのVSOP」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120414
です。
気になった方はぜひ御覧ください。
さて、これから本格的に梅雨の時期ですね。
雨の一考にでも、自分のキャリアにおける大きなVSOPと小さなVSOPを考えてみてはいかがでしょうか?
今日も最後までお読みいただきありがとうございました!!
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ブログ「Originalityとその先へ」は 工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。
読まれた方の中に、生活の中にふとした考えの種を芽生えさせ、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえれば幸いと思っております。
まだまだ勉強中の身のため、 記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてしまいかねないところもあるかと思います。 そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂けたらなと思います。
今後とも、よろしくお願いします!
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2012年6月12日火曜日
テクノロジーの本質とエンジニアリングを学ぶ意味
おはようございます!
やろう!って決めても続けるのってなかなか難しいものですね。
前日お酒を飲んでいたり、目が覚めた時に雨の音がきこえたり、そんな少しの理由でサボってしまいます。
反省反省。
よく言われている言葉で「人はやらない理由(=言い訳)を探したがる」とありますよね。
僕も自分の怠けたい気持ちを抑えこむだけの’やる理由’を常に頭に描き、やりたいからやる、書きたいから書く、そして今日もやったから明日もやる、今日も書いたから明日も書くというポジティブ・ループを作って行きたいです。
さて、つい先日から「テクノロジーとイノベーション~進化/生成の理論~」というものを読んでいます。
各論のテクノロジーについては諸々の参考書籍があるのに、こと’テクノロジー’という概念そのものを考察している書籍が非常に少ないようです。
そこで、著者はテクノロジーそのものについて論じ、その生まれる過程や進化の過程を探っていこうとしています。
生活の中に当たり前のようにあり、あまり意識はしていないけれど、毎日その多大な恩恵にあずかっている私たちにとって、テクノロジーそのものについて考えるのはなかなか面白く感じられました。
テクノロジーはどうやって生まれる?
みなさんの周りを見渡して下さい。
そこにどれだけたくさんのテクノロジーはありますか?
携帯電話、テレビ、パソコン、電気ケトル、時計、プリンター・・・
これらのテクノロジーはどうやって生まれてきたのでしょう?
まずパソコンを考えてみましょう。
目の前のパソコンは何千という電子部品で成り立っています。
またこの電子部品もいくつかの部品で成り立っています・・・
というように、まずひとつ浮かび上がるのは
①テクノロジーはテクノロジーの組み合わせによって形成される
ということです。
また、上記において
②テクノロジーはそれ自身がまた次のテクノロジーを生み出す要素となりうる
ということも言えます。
こうやって、どんどん元を辿って行くとひとつの大元が見つかります。
それは自然現象・原理です。
パソコンの例だと、一番下まで分解していくと最後に残るのは半導体かな?
半導体は周りの環境(温度や電場etc)によって電気を流す流さないが敏感に反応する、という物質の特徴を使っています。
そこにはバンド構造だとかキャリアだとかn型p型・・・とありますが、これがそもそもの自然の現象・原理なのです。
半導体の持つ自然の原理を人間が持つある目的のために利用していくことで、人間はトランジスタを生み出し、トランジスタの応用からパソコンや携帯電話が生まれ、新しいテクノロジーが生まれていくのです。
つまり
③テクノロジーはすべて何らかの目的において自然の現象を利用している
のです。
経済はテクノロジーの’表現’!?
私たちの生活はテクノロジーと不可分です。
そして私たちが生きる社会の経済にもテクノロジーが大きな影響を与えています。
この本では「経済はテクノロジーの表現」と呼んでいます。
人間はこれまで何度かの産業革命を経験しています。
農耕具・農業技術が生まれたことで、狩猟社会から農業社会へ、
電気・蒸気機関が生まれたことで、農業社会から工業社会へ、と私たちの生活そして経済は移り変わってきました。
その移り変わりのドライビング・フォース(原動力)となってきたのがテクノロジーであり、経済はテクノロジーの発達により形成されていくことから、「経済はテクノロジーの表現」と呼んでいるのです
。
経済=社会が自身のニーズを満たすための調整と活動の集合体
とあります。
そして、先述の③の定義からテクノロジー=ある目的(ニーズ)に叶うように現象をプログラムすることなので、経済(から生まれる必要性)からテクノロジーが生まれ、そのテクノロジーによって経済が形成され・・・という循環が生まれます。
そして、より大きな見方で捉えると経済は人間の文化を色濃く反映させ、経済の変遷の過程は人間の歴史ということが出来ます。
つまり、テクノロジーは経済を表しているだけでなく私たちの文化や歴史にまで大きな影響を与えているのだということです。
ここまでの流れを図でまとめるとこんな感じです。
社会の必要性(ニーズ)を受け、それを叶えるように自然現象・原理をプログラムすることでテクノロジーが生まれます。テクノロジーとテクノロジーの組み合わせからまたテクノロジーが生まれます。
このようなテクノロジーの生成や進化の表現として経済があり、経済はテクノロジーの変化によって形を変え、また新たなニーズが生まれ、それを満たすためにまた新たなテクノロジーが生まれていきます。
この循環が歴史であり、循環の中に文化が存在するのです。
テクノロジーの本質とは?
ここまで、テクノロジーの生成/進化の過程を追って来ましたが、本書で述べているのはテクノロジーそのものです。
今まで述べてきたように、
「テクノロジーの根本は自然にある」
のです。
ルネッサンス以降、人類の自然の見方はテクノロジーによっていかに自然を克服するかという点を大事にし、必要以上に自然とテクノロジーを分離させてきました。
しかし、今まで見てきたようにテクノロジーは自然と不可分であり、テクノロジーによってテクノロジーが生み出され、生み出されたテクノロジーによってその生態系(経済や文化)に影響を与えていく、というその生成/進化の過程はよもや・有機的・生物的だとすら言えるのです。
地球温暖化・砂漠化・大気汚染・水質汚染・・・
私たちは今までに経験したことのない地球規模の大きな問題を抱え、その解決にはテクノロジーの進歩しかないと考えつつ、その一方でテクノロジーが自然から人間を分離し、自然を破壊し、私たちの自然を破壊するのではないかと恐れてもいるのです。
私たちは、自然を隷属させようとするテクノロジーと自然の延長線上にあるテクノロジーを区別し、私たちの人間らしさをより高めるための手段としてのテクノロジーを大事にしたり、有機的で生活を豊かにするものとしてテクノロジーを所有するという意識を持つことが大事になるのではないでしょうか?
エンジニアリングを学ぶ意味
以上が本書の主張ですが、ここからは本書の学びからエンジニアリング(工学)を学ぶ意味について考えていきたいと思います。
まず、本書ではエンジニアリングとは問題解決の方法としています。
今まで見てきたように、テクノロジーは社会の必要性(ニーズ)に叶うように、自然現象をプログラムすることで生まれます。
このことからテクノロジーを生み出すため必要なものは
・社会の必要性(欲求・問題解決=ニーズ)
・自然現象の深い理解
といえます。
本書の主張とあわせて考察すると、テクノロジーを考えるということはより深い自然と人間の調和を考えるということであり、そこから導き出されるエンジニアリングを学ぶ意味は
「まず自然現象・原理への理解を深め、それを用いて実社会での特定の目的を満たすようなソリューション(全く新しいテクノロジーであれ、テクノロジーとテクノロジーの新たな組み合わせであれ、空間デザインであれ)を提案していく」
というところにあるのではないかと思うのです。
逆に現在学校で受けている工学の授業を考えても、この定義に当てはまリますよね。
力学や量子力学は自然の現象・原理、数値解析や統計学は実社会への活かし方の基礎、というように。
学んでいる内容の意味がわかったら、俄然勉強は楽しくなります。
何に活かすかわからないからつまらないんです。
自然の根本の現象を理解していくことは、もともと(広義としての)自然の中で生まれ育つ私たちにとって、より深く自然を知ることはより豊かな人生につながるように思えますね。
僕もまだまだ大学生の身分。
大学での勉強もしっかり頑張っていきたいです!!
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
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ブログ「Originalityとその先へ」は
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな
大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。
読まれた方の中に、生活の中でふとした考えの種を芽生え
させ、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえれば
幸いと思っております。
まだまだ勉強中の身のため、
記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてし
まいかねないところもあるかと思います。
そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂
けたらなと思います。
今後とも、よろしくお願いします!
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2012年6月9日土曜日
「意識高い(笑)学生Vs.(いわゆる)普通の学生」に見る無意識の対立
おはようございます!
毎日続けるというとネタの豊富さが大事になりますよね。
それなりに毎日本を読んでいるので、その知見を活かそうと思うのですがなかなか難しい。
1日1冊とはかなりシビアに読書して行かないと、学校にバイトに学生団体に遊びに(ちゃんと遊びもしますよ!)・・・多忙な生活の中では後回しにしてしまいかねないですよね。
タイムマネジメントが非常に大切だな、と改めて実感しました。
さて、今日は読書からではなく、
最近巷でよく言われる「意識高い学生(笑)」について、その見方に対する個人の意見と特に「意識高い」と言って他と差別化してしまおうという見方の中に見る対立構造に目を向けて、世間的に見たら「意識高い」側の自分の立場から考えてみたいと思います。
就活スラング「意識の高い学生www」たちの残念行動13パターン
http://www.news-postseven.com/archives/20110818_28689.html
就活 「意識の高い学生w」はもはや大学では公害で人害と識者
http://www.news-postseven.com/archives/20120527_110358.html
’意識高い’って何?
僕はこの’意識高い’って言葉に非常に違和感を感じます。
なぜかというと、別に格段いわゆる普通の学生と比べて意識高くなってやろうぜ(えっへん)的なことは何も思わず、ただ単に自分がやりたいことをやっているだけだからです。
正直言うと、いわゆる普通の学生の「テニスしたい」ってのと、自分の「起業したい、国際協力したい」ってのは何も変わらないからです。
「テニスしたい、テニスうまくなりたい学生」だったら何をしますか?
まずテニスサークル入りますよね。
テニスのトレーニング本買ったり、友達に聞いたり、サークルだけでなく大人も交えたテニス講習会に参加したり、他大学のテニスサークルと試合したり、そこで友達作ったり・・・しますよね。
これって、意識高い学生にも全く同じなんですよ。
自分がしたいことをするために、
まず同じ志を持ったコミュニティを見つけ(学生団体だったり、NPO団体だったり、私塾だったり)、読書して勉強したり、友達とディスカッションしたり、外部のセミナーに参加したり、志を同じくする仲間が集まる交流会に参加してみたり・・・
どうでしょう?
全く同じじゃありません?
意識高い学生と呼ばれる自分から見ると、別に格別なことをしているわけじゃないんです。
いわゆる普通の学生と同じように、何かをしたがり、その何かを達成するためにふさわしい努力をして、何かを通じていろんな人と出会っていく。
自分の欲求をふさわしい形で実行しているだけなんです。
なのに、世間は「意識高い学生」と差別して見たがる。
では、なんでわざわざ「意識高い」と呼んで、差別化したがるのか?
そこにこの議論の本質が隠れていると思います。
対立構造にみる精神不安
正直「意識高い」とかそうじゃないって穿った見方をしているのは世間の見方そのものなのです。
テニスしたいも起業したいも国際協力したいも、それはただの欲求でしかなく、それを解釈し意味付けを与えているのは、個人であり個人の集合による世間なのです。
では個人と世間が、「意識高い」といって差別化したがるのはなぜだろう?
それにはいわゆる「普通の学生」「普通の学生生活を送ってきた現在社会人」からの一種の嫉妬や不安感があると思います。
同じ大学生の人たちに「起業したい」「国際協力したい」と言って色んな活動に手を伸ばしている人たちがいます。
かたや自分はテニスしかしていないと、本来等価値であるはずなのに、「意識高い」と言われる学生の方がよりピックアップされ話題になりやすいために、いわゆる「普通の学生」は劣等感や無意識の嫉妬やテニスしかしていない自分への不安を感じてしまっていると思います。
「普通の学生」は、「意識高い学生」を意識すると無意識の内にすごく精神的に不安になっているんです。
そこで精神的な落ち着きを得るためにどうしたらいいのか?
答えは自分を正当化すること。
「意識高い学生」のアラ探しをし、ちょっとの過ちやちょっとの失礼をみつけたらここぞとばかり「これだから意識高い(笑)学生は」と騒ぎ立てる。
そして「意識高い学生」のほうが、より世間に触れる機会が多いため過失や失礼な言動などがめにつきやすい。
そこには、片方(意識高い学生)を悪にしてしまえば、残った片方(普通の学生)は善である、という単純な構造に落とし込んで、自分たちの正当性を確立しようとしているように思えます。
そしてこういう構造に落としてしまえば、格段に意識高くない自分への逃げ道にもい言い訳にもなります。
この構造には現在学生の人だけでなく、今は社会人になっている学生だった人も、この構造づくりに加担しています。自分が学生だったときは・・・と思い返し、現在の学生の多様化に羨望を持ちつつも嫉妬しているんです。
その結果が、世間全体で見る「意識高い(笑)」構造の確立。
先程も述べたように、善でも悪でもない個人の欲求を、自分たちの都合のいいように解釈し意味付けを与えた結果、現在のような「意識高い学生」に対する見方が生まれたのだと思います。
和解するにはどうしたら?
正直、「意識高い学生」=悪、「普通の学生」=善という構造には建設性がありません。
意識高い学生は普通の学生と比べて自分を正当化したがるし、
普通の学生は意識高い学生と比べて自分を正当化したがる。
はじめに述べたとおり、両方等価値であり対立しいがみ合う意味はありません。
でもそれを阻んでいるのは、お互いがお互いに対する不理解とその結果生じる精神的不安です。
まずはお互いがお互いに等価値の欲求を持ち、活動しているにすぎないという認識を持ち、お互いに自分たちにとって心地いい世界にこもらず、お互いに積極的に交わっていくという、謙虚な姿勢が大切なのではないでしょか?
お互いの欲求や活動が等価値であると認識できれば、お互いの違いに不安になることもないし、いがみ合う必要もなくなる。
むしろ、お互いの価値観を認めオープンにしていくことで、対極にあるような2つの学生生活の両方を垣間見ることができ、お互いにとっていい刺激になるのではないか、と思うんです。
---------------------------------------------------------------
さて最近、意識高い(笑)と言われることに疑問を持っていたので、意見をまとめてみたけど、やっぱり自分自身も不十分だなと感じる。
周りの学生に対してオープンかといわれると、価値観の違いに少し壁を感じてしまっているし、(笑)と言われるような残念な言動をしてしまっていることもあるだろう。
まずは、自分自身から「意識高い」と言われるだけの責任を感じ、、「意識高い」に見合っただけの自分づくりをしていきたいです!
注)この記事の中でテニスを取り上げたのは、ただ単に世間でいう「普通の学生」のイメージに近いのがテニスサークルの学生ではないかと思うからです。僕自身も一時期いわゆる普通の学生生活をしたいと思ってテニスサークルに入っていた時期もあります。
だからテニスに対して特別穿った見方をしているわけではないし、テニスをしている人の中にもいわゆる意識の高い人はいる、ということを一言付け加えさせてもらいます。
また今回のテーマである意識高い(笑)学生について、
AS I Am【経営学×キャリアデザイン】 毎朝8時の”使える経営学”
「意識高い学生は本当に有害なのか?」
http://value-design.net/wordpress/?author=1
毎日続けるというとネタの豊富さが大事になりますよね。
それなりに毎日本を読んでいるので、その知見を活かそうと思うのですがなかなか難しい。
1日1冊とはかなりシビアに読書して行かないと、学校にバイトに学生団体に遊びに(ちゃんと遊びもしますよ!)・・・多忙な生活の中では後回しにしてしまいかねないですよね。
タイムマネジメントが非常に大切だな、と改めて実感しました。
さて、今日は読書からではなく、
最近巷でよく言われる「意識高い学生(笑)」について、その見方に対する個人の意見と特に「意識高い」と言って他と差別化してしまおうという見方の中に見る対立構造に目を向けて、世間的に見たら「意識高い」側の自分の立場から考えてみたいと思います。
就活スラング「意識の高い学生www」たちの残念行動13パターン
http://www.news-postseven.com/archives/20110818_28689.html
就活 「意識の高い学生w」はもはや大学では公害で人害と識者
http://www.news-postseven.com/archives/20120527_110358.html
’意識高い’って何?
僕はこの’意識高い’って言葉に非常に違和感を感じます。
なぜかというと、別に格段いわゆる普通の学生と比べて意識高くなってやろうぜ(えっへん)的なことは何も思わず、ただ単に自分がやりたいことをやっているだけだからです。
正直言うと、いわゆる普通の学生の「テニスしたい」ってのと、自分の「起業したい、国際協力したい」ってのは何も変わらないからです。
「テニスしたい、テニスうまくなりたい学生」だったら何をしますか?
まずテニスサークル入りますよね。
テニスのトレーニング本買ったり、友達に聞いたり、サークルだけでなく大人も交えたテニス講習会に参加したり、他大学のテニスサークルと試合したり、そこで友達作ったり・・・しますよね。
これって、意識高い学生にも全く同じなんですよ。
自分がしたいことをするために、
まず同じ志を持ったコミュニティを見つけ(学生団体だったり、NPO団体だったり、私塾だったり)、読書して勉強したり、友達とディスカッションしたり、外部のセミナーに参加したり、志を同じくする仲間が集まる交流会に参加してみたり・・・
どうでしょう?
全く同じじゃありません?
意識高い学生と呼ばれる自分から見ると、別に格別なことをしているわけじゃないんです。
いわゆる普通の学生と同じように、何かをしたがり、その何かを達成するためにふさわしい努力をして、何かを通じていろんな人と出会っていく。
自分の欲求をふさわしい形で実行しているだけなんです。
なのに、世間は「意識高い学生」と差別して見たがる。
では、なんでわざわざ「意識高い」と呼んで、差別化したがるのか?
そこにこの議論の本質が隠れていると思います。
対立構造にみる精神不安
正直「意識高い」とかそうじゃないって穿った見方をしているのは世間の見方そのものなのです。
テニスしたいも起業したいも国際協力したいも、それはただの欲求でしかなく、それを解釈し意味付けを与えているのは、個人であり個人の集合による世間なのです。
では個人と世間が、「意識高い」といって差別化したがるのはなぜだろう?
それにはいわゆる「普通の学生」「普通の学生生活を送ってきた現在社会人」からの一種の嫉妬や不安感があると思います。
同じ大学生の人たちに「起業したい」「国際協力したい」と言って色んな活動に手を伸ばしている人たちがいます。
かたや自分はテニスしかしていないと、本来等価値であるはずなのに、「意識高い」と言われる学生の方がよりピックアップされ話題になりやすいために、いわゆる「普通の学生」は劣等感や無意識の嫉妬やテニスしかしていない自分への不安を感じてしまっていると思います。
「普通の学生」は、「意識高い学生」を意識すると無意識の内にすごく精神的に不安になっているんです。
そこで精神的な落ち着きを得るためにどうしたらいいのか?
答えは自分を正当化すること。
「意識高い学生」のアラ探しをし、ちょっとの過ちやちょっとの失礼をみつけたらここぞとばかり「これだから意識高い(笑)学生は」と騒ぎ立てる。
そして「意識高い学生」のほうが、より世間に触れる機会が多いため過失や失礼な言動などがめにつきやすい。
そこには、片方(意識高い学生)を悪にしてしまえば、残った片方(普通の学生)は善である、という単純な構造に落とし込んで、自分たちの正当性を確立しようとしているように思えます。
そしてこういう構造に落としてしまえば、格段に意識高くない自分への逃げ道にもい言い訳にもなります。
この構造には現在学生の人だけでなく、今は社会人になっている学生だった人も、この構造づくりに加担しています。自分が学生だったときは・・・と思い返し、現在の学生の多様化に羨望を持ちつつも嫉妬しているんです。
その結果が、世間全体で見る「意識高い(笑)」構造の確立。
先程も述べたように、善でも悪でもない個人の欲求を、自分たちの都合のいいように解釈し意味付けを与えた結果、現在のような「意識高い学生」に対する見方が生まれたのだと思います。
和解するにはどうしたら?
正直、「意識高い学生」=悪、「普通の学生」=善という構造には建設性がありません。
意識高い学生は普通の学生と比べて自分を正当化したがるし、
普通の学生は意識高い学生と比べて自分を正当化したがる。
はじめに述べたとおり、両方等価値であり対立しいがみ合う意味はありません。
でもそれを阻んでいるのは、お互いがお互いに対する不理解とその結果生じる精神的不安です。
まずはお互いがお互いに等価値の欲求を持ち、活動しているにすぎないという認識を持ち、お互いに自分たちにとって心地いい世界にこもらず、お互いに積極的に交わっていくという、謙虚な姿勢が大切なのではないでしょか?
お互いの欲求や活動が等価値であると認識できれば、お互いの違いに不安になることもないし、いがみ合う必要もなくなる。
むしろ、お互いの価値観を認めオープンにしていくことで、対極にあるような2つの学生生活の両方を垣間見ることができ、お互いにとっていい刺激になるのではないか、と思うんです。
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さて最近、意識高い(笑)と言われることに疑問を持っていたので、意見をまとめてみたけど、やっぱり自分自身も不十分だなと感じる。
周りの学生に対してオープンかといわれると、価値観の違いに少し壁を感じてしまっているし、(笑)と言われるような残念な言動をしてしまっていることもあるだろう。
まずは、自分自身から「意識高い」と言われるだけの責任を感じ、、「意識高い」に見合っただけの自分づくりをしていきたいです!
注)この記事の中でテニスを取り上げたのは、ただ単に世間でいう「普通の学生」のイメージに近いのがテニスサークルの学生ではないかと思うからです。僕自身も一時期いわゆる普通の学生生活をしたいと思ってテニスサークルに入っていた時期もあります。
だからテニスに対して特別穿った見方をしているわけではないし、テニスをしている人の中にもいわゆる意識の高い人はいる、ということを一言付け加えさせてもらいます。
また今回のテーマである意識高い(笑)学生について、
AS I Am【経営学×キャリアデザイン】 毎朝8時の”使える経営学”
「意識高い学生は本当に有害なのか?」
http://value-design.net/wordpress/?author=1
は非常に勉強になり心に響いたので紹介させてもらいます。
この方にお会いしたことはないんですが、「起業家」というキーワードで調べブログをみつけてから、ほぼ毎回読ませてもらっています。
自分の勉強になるだけでなく、一人の人間として見習いたい部分が非常にあります。
気になった方、この方のブログをぜひ一度読んでみてください。
今日も読んでいただきありがとうございました!
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