2013年6月13日木曜日

石油をめぐる世界資源戦争

こんばんは。
Shunichiroです。

今も一昔前も変わらず、石油や天然ガスなどの資源・エネルギーは世界中で希求され、戦争などの火種になったりしています。最近ではアメリカを起点にシェールガス革命も起こり、今後の資源をめぐる各国の様相に大きな変化を与えるものと思われます。


今回のエントリでは‘石油’に焦点を当て、資源消費大国アメリカと成長著しい中国、インドの動向を追っていきたいと思います。

石油というと皆さん、すぐに頭浮かぶのが中東の石油産出国ですよね。サウジアラビアやイラク、クウェート、UAE・・・資源消費大国のアメリカは中東石油利権を握ろうと戦争行ったり、強引な手段を使ったりした結果、中東から多くの石油を輸入しています。この中東の石油はアメリカだけでなく、私たち日本やEU諸国も輸入しています。

しかし、この中東石油に成長著しい中国、インドも輸入をし始めました。中東石油に多くの国の利権が絡んだ状態です。もともと、この中東地域は宗教紛争などもあり政治的に非常に不安定だったのですが、それに増して各国の石油利害の衝突までもが起こるようになりました。中東石油はさらにリスクが高まり不安定になりますね。

その結果、資源消費大国は中東以外の石油にも目をつけ始めます。
一番に狙われたのは、豊富な資源があるとされているアフリカ。中国は開発援助などを通じて、アフリカ諸国とのパイプ作りを始めています。(ただし、中国の開発援助は非常に強引な手法を用いているため、被援助国にとってマイナスになってしまっていると言われています。)アメリカは超大国、さらには安保理メンバーとしての力を活かして、紛争の解決と引き換えに石油利権を得ようとしています。インドは貿易などを通じて、石油を得ようとしています。
またアフリカでの資源は旧宗主国であるフランスも利権を持っているため、石油をめぐった争いが非常に複雑化しています。

また、ラテンアメリカは以前より「アメリカの裏庭」と呼ばれ、アメリカの石油調達先となっていましたが、このラテンアメリカにも中国は入り込もうとしています。


非常にざっくりと世界の石油をめぐる各国の暗闘を紹介しました。天然資源はいずれ枯渇すること、世界の資源消費は今後もますます増加していくことを考えると、現在のライフスタイルや世界のあり方は非常に問題ですね。石油に代わるエネルギーとして見込まれていた原子力発電も今後どうなるかわかりません。

世界はこの喫緊の課題の解消を目指していかなければ、いずれ世界資源戦争ではなく、本当の世界戦争が起きてしまうかもしれませんね。



関連書籍
ブラッド・オイル 世界資源戦争
覇権と石油―石油を巡る米英の角遂の歴史
世界資源戦争

監視社会の限界とその先

こんばんは。
Shunichiroです。

先日のエントリではフーコーに学び「現代という牢獄と私というペルソナ」というタイトルで、現代社会の監視による支配の構造と、取り換え可能な私たちがアイデンティティの在りかを求め、ペルソナを被り始めるという観点で記事にしました。
今日は監視社会の限界と社会が向かう方向について記事にしていきたいと思います。


監視社会では徹底したディスシプリン=規律のたたき込みと上(政府)からと下(市民)からの監視の構造による管理支配体制が敷かれております。この中では、ディスシプリンに従順で画一的な個人が生産されていき、成績や偏差値などの尺度で以て分類され、その結果社会の歯車としての役割を与えられていきます。

このディスシプリンを教え込む仕組みの一つが`刑罰’です。ディスシプリンに逆らうと刑罰が与えられ、その戒めによってさらにディスシプリンが強化されていきます。ちなみに、中世では身体罰をもって刑罰としていました。いわゆる拷問的なこととか火あぶりの刑だとかを観衆の前で見せしめにすることによって、ディスシプリンの強化を行っていました。現在ではほとんどが精神罰です。刑務所に入ることで身体の自由を奪い、その屈辱で以てディスシプリンへの従属意識を喚起させます。

このような刑罰は社会の目指す方向を表わしています。
中世において大事にされたものは、恐怖による統治。現在において大事にされているのは精神の自由。要は人権ですね。

少し脱線してしまいました。
監視による管理支配体制は形や権力者を変え中世より続いてきましたが、完ぺきに機能しているわけではありません。というのも、いつでも、どんな刑罰が設定されようと、犯罪の発生は必ず起こってしまっているからです。どれだけディスシプリンを強化しても、そのディスシプリンに逆らう人間が出てきてしまうのです。

それはなぜか?
そもそも人間それぞれ固有の意思があり、価値観があり、考えかたがあり、全てが多種多様なはずです。それを無理やり単一の価値観、枠組みにあてはめてしまおうとすること自体に限界があるのです。それに中世のように人口が少なく価値観などの選択の幅が少なかった時代でさえディスシプリンが完全には機能していなかったのに、現在のようにグローバル化が進み、ファッション、音楽、テクノロジー、ライフスタイル、国籍、人種、IT・・・あらゆるものの選択の幅が広がってしまった中においては、ディスシプリンが機能しなくなるのも当然でしょう。
監視社会、管理支配体制に限界が近づいてきていると言えるでしょう。



監視社会、管理支配体制の限界が近付いている現在の状況で、これから社会はどのようになっていくのでしょうか?

まず市民においては、現在でも個人がアイデンティティを求め始めペルソナを探し始めているということを先ほど述べました。今後、その傾向がさらに強まるでしょう。画一的で取り換え可能な私ではなく、特別な個人になりたい。その欲求はどんどん高まり、市民の間で広がっていきます。その結果起業する人が増えたり、あるいは社会的な活動にエネルギーを費やす人が増えていくでしょう。自分なりのアイデンティティを確立するため、今までのように社会のシステムに縛られているのではなく、自ら行動していきたい、自ら独立して生きていきたいというマインドセットに移り変わっていくでしょう。

政府のレベルにおいては、上記のように管理支配に従わない者が増えていく中で、政府の管理能力は日増しに小さくなっていくでしょう。市民の社会活動によるシステムへの抵抗や告発が起きてくると思います。革命が起こるとまでは言いませんが、少なくとも現在のように`お上’として市民に対して威圧的にふるまうことはできなくなると思われます。政府の機能はどんどん小さくなり、市民によるオピニオンや行動が国を動かしていくのではないかと思われます。



このようなシナリオは空想のものとは言い切れません。現在でも市民の社会運動が活発になり、企業や政府に影響力を与えていくという事象はすでに起こり始めています。

フーコーを出発点にした旅もここまで来ましたね。
彼の仕事についてはもっともっと勉強していきたいと思っています。

2013年6月12日水曜日

現代という牢獄と私というペルソナ

こんばんは。
Shunichiroです。

最近フーコーに興味が出てきて、彼の著作を読んだり彼の投げかけた問いに対して考えたりしています。


あなたは、今生きているこの社会というものに対して疑問を抱いたり、生きづらさを感じることはありませんか?自分で問いかけておいてなんですが(汗)、多分そんなことはないと思います。たまにはしんどい時や息苦しさを感じることはあるかもしれませんが、概ね満足しているし、基本的にはこの社会に対する疑問などはないでしょう。
でも、それはなぜ?

現代の社会では、少数の権力者が多数の市民を管理するための構造が整っています。’管理する’というと嫌な気持ちになる人もいるかもしれませんが、今の世の中はたくさんの市民がいて、その上にいくらかの役人(市役所や行政など)がいて、されらにその上には少数の官僚がいて、さらにその上にはもっと少数の議員がいて、この国が運営されています。逆から見ると、この上の層の少数の人々がより良い統治を行うために、その下にいる多くの人間をコントロールしているということができます。

そのコントロールを可能にするのに必要なものが「ディスシプリン(規律)」です。私たちはありとあらゆる場所で、このディスシプリンをたたき込まれます。
毎日学校に行かなきゃだめよ。
先生の言うことは聞きなさいよ。
ちゃんと列に並ばなきゃだめよ。
・・・
このディスシプリンに従わないと、私たちは罰を受ける様になっています。特別に呼び出されて説教を受けたり、給料を下げられたり、停学や退学になったり、時には精神病院送りにされかねません。また、このディスシプリンに従わない人は周りの人たちからも避けられたり変人扱いされたりします。

こういった構図により、社会のディスシプリンに従っているかどうかを政府からのコントロールと同じく市民からの目線によるコントロールによって、私たち市民は2重に監視されているのです。私たちは現代という牢獄にとらわれ、社会という看守と周りの市民という密告人に日々監視されている社会に生きているのです。しかしその状態が当たり前であり、また自らも監視し監視されているという状態に気づかない無意識の管理が徹底して無意識化まで浸透されているからこそ、私たちはこの社会に対して何の違和感もなく、満足して生活することができているのです。



このような世の中(つまり現代社会)では、個の私という人間は重視されず、社会という歯車がちゃんと回ることが重視されます。少数による支配を保ちつつ。私たちは教育システムや社会との関わりの中で、社会のディスシプリンに忠実な人間としてあらゆる場所で育て上げられます。その結果、多少の出来の違いはあるにせよ、概ねみんな同じような価値観を持ち、同じような作業をこなせ、同じような考え方を持つ人間になっていきます。

どこかで聞いたような話ではないでしょうか?
そう、まさに私たちが受けてきた教育そのものではないでしょうか?
学校や地域社会、あるいは職場の中で、ある共通のディスシプリンに従うように強制され、よりよく順応しているかどうかを試験や成績というもので測られ、その出来不出来によって官僚になっていったり科学者になっていったり会社員になっていったり工員になっていったりするのです。

教育そして分類の結果、同じような価値観、同じような能力、同じような考え方の者がだいたいある一部のセクターに集められるようになります。そこでは右を見ても左を見ても自分とは同じような人ばかり。自分でなくても、同じセクターにいる誰かで代替可能で、’私’個人そのものが重視されることはない。自分でなければならない、自分以外の人間では代役が務まらない。そんな場所があるのでしょうか?

誰しもそうだと思いますが、私たちは自分が代替の利く歯車の一つだと思いたくありません。そこで私たちは自分が他の人と同じ歯車の一つではなく、自分は特別で代わりの利かない人間なんだと主張するようになります。それがアイデンティティです。そして、彼らは自分が特別である、アイデンティティがあると主張する為にペルソナを被り始めるのです。自分が他の歯車とちょっと違う何者かであるかのように。


フーコーの主張と現代社会と、そこに生きる私たちの様相を考えていくと、現代の社会は、まるで、権力側と市民側の両方による2重監視社会という牢獄の中で、替えの利く歯車たちが手当たり次第にペルソナを被り、「自分は特別なんだ」と主張し合う戯曲のようですね。




興味ある方はフーコーの著作について調べてみると面白いと思います。

2013年6月7日金曜日

米シェールガス革命の先の世界には、米印-中露の冷戦が待っている!?

こんばんは。
Shunichiroです。

アベノミクスに沸く日本ではここ数日日経平均株価がどんどん下がっており、日本の金融動向が非常に不安定なものになってきましたね。投資家としては、先が読めず(まあ、株なんて先が読めるようなものではありませんが・・・)非常に怖い局面です。


今回のエントリは、アメリカで沸いているシェールガス革命について、シェールガス革命により今後アメリカはどうなり、世界はどうなるのか?を考察していきたいと思います。


1.シェールガス革命により強いアメリカの回帰
アメリカは非常に危険な財政状況にいます。サブプライムローン問題に続くリーマンショックにて、公的資金による大手銀行救済を行ったため、今度はアメリカ政府自体が財政危機に陥っています。オバマ政権では政府の税収を増やすため、製造業の国内回帰を目指すなど色々な施策をおこなおうとしていますが、一時デフォルトに陥る直前に至るなど、アメリカ財政は火の車でした。世界的な位置づけとしても、中国が目立つ一方、アメリカの影響力に陰りが見えていました。

しかし、このような状況の中まるで救世主かのように、シェールガス革命が起こりました。シェールガス革命とは、地層に存在する天然ガスの新しい採掘方法が見つかり、今まで回収できていなかった天然ガスを採掘できるようになったことを意味しています。言うまでもなく、石油や天然ガスなどの資源は非常に大きな利益をもたらします。シェールガス採掘に参加する新規企業の参入だけでなく、外国からの資源輸入を減らすことができ、さらには国外への輸出による収入を得ることができます。

世界的影響力の低下の憂き目にあっていたアメリカは、シェールガス革命によって財政危機からの一時脱却および国際的な地位の維持ができる様になります。国際社会における強いアメリカの回帰といえるでしょう。


2.TPP、原発連合による中国封じ込め政策実施
強いアメリカに回復したことで、今やGDP世界第2位であり、国際的に影響力を及ぼし始めている中国を抑え込もうとします。日本でも話題になっているTPPによる環太平洋諸国の抱きかかえもその一つでしょう。また、つい最近ニュースになった日本によるトルコ、インドへの原発輸出の件、これもアメリカによる中国封じ込めの一環だと考えています。ここでは詳しく書きませんが、日本の原子力政策はアメリカの意思と非常に密接に関連しています。そのため、日本の原子力政策=アメリカの原子力政策=核兵器政策とみなしてよいと思っています。
インド、トルコに原発を輸出することで、アメリカ側に引き入れることが狙いです。


3.中国、ロシアの接近。
さて、囲い込まれようとする中国側も対策を行います。ロシアとの関係構築です。
ロシアは核保有国であり、戦後長い間アメリカを敵視していました。また其れだけでなく、天然ガス輸出国であるロシアは、アメリカのシェールガス革命により、ロシアの天然ガス市場が奪われようとしています。これを防ぐ意味でも、中国とロシアの結託は両者にとってwin-winと言えるでしょう。
(シリア問題において、すでに両者は接近しており、両者ともに体制派(アサド政権側)を支援しています)

4.米印-中露における冷戦構造に。
以上1~3の考察により、シェールガス革命により、強いアメリカの回帰と中国封じ込め政策の結果、米印-中露による冷静構造が構築されます。ただ、この冷戦は過去の米‐露間のように表出しやすい形ではなく、社会の裏での戦いになると思われます。例えるなら、一緒にご飯を楽しみ乾杯しているテーブルの下では、お互いに相手の足をふんづけようとしたり脛を蹴ろうとしていたりという状況です。




過去の冷戦では、ソ連の崩壊によって冷戦の解消がなされましたが、今回の冷戦では何が解決に導く鍵となるのでしょうか?またこのような中、アメリカ‐中国に挟まれる位置にある日本はどのような位置づけ、役割を担っていくことになるのでしょうか?
今後の国際情勢を注意して見ていくとともに、日本のあり方について考えなければなりませんね。



※それと今後は通しNo.にて更新していきます。悪しからずご了承ください。

2013年5月7日火曜日

国家/組織の終焉→個人の時代の到来へ

こんにちは。
Shunichiroです。

まるでダムが放水するかのように、GW中に考えていたことを吐き出しています。
前回2回のエントリでこれから激動の時代に入るということ、その時代では自分の生き方を持ち、個人として生きる力を身につけることが大事だと書かせてもらいました。


今回は個人で生きるということについて書かせてもらいます。
現在まで世界の形は国、国家によって統治され安定化されてきました。またその国の中で企業などの組織は存在をある程度保護され、活動をしてきました。個人はその国、企業などの組織に守られる形で生活することができました。特に日本の成長を前提に置いた、年功序列賃金制や年金、社会保障などは私たち個人にとって大きな守護者でした。

しかしこれからの時代(もうすでに)、こういった年功序列や終身雇用制度、社会保障などはなくなっていくか、あっても瀕死の状態となっていき、私たち個人を十分に守ってくれなくなります。
すでに年功序列やなくなりつつあり、年金制度は崩壊しかけている現状の中で、さらに追い打ちをかける様にTPPやグローバルな労働人材競争が襲ってきます。


先日ユニクロの柳井会長が「年収100万円でも仕方がない」という発言をし、物議を醸しました。世間ではユニクロのことを「ブラック企業だ!」と叫び、ユニクロが問題を抱えている企業化のように言うオピニオンが多いですが、本質はそこではないと私は思っています。

多くの企業が業績悪化を抱え、コスト削減を目指しています。まずは無駄な電気代や経費の節約から入るでしょうが、コスト削減の行きつく先は最終的には人間なのです。そのため多くの企業がコストの高い日本人ではなく、コストの安い途上国に向かっていきます。今のように日本人に高い賃金を払っていたのでは、経営が成り立たないのです。どの企業もこれをわかっていても、日本人の給料を下げるなんて言い出せなかったのです。

しかし、今回ユニクロの柳井会長がそれを‘言ってしまいました’。
日本人の給料が今のように高いままだと経営がやっていけない。このグローバルな世界では日本人も相応の給料に是正されるべきだ、と公言してしまったのです。これによって世間ではこの考えが広まり、公然の事実として受け止められるでしょう。グローバル化したこの世界ではどの企業も海外に進出しないと生き残れない、という考えがいつの間にかすべての人の頭の中にインプットされてしまったみたいにね。

年収100万円でどう生きていけますか?
今までは最低限しっかりした生活を送れるだけの賃金が当たり前のように保障されてきました。しかし、これからはどうかわかりません。


そして、国も。
これからどんどん増税が始まり、社会保障がワークしなくなり、さらにTPPの導入によりアメリカ式に企業が社員をリストラしやすくして行くでしょう。国が私たち個人を守ってくれなくなるだけでなく、国が背負う負担をも背負うことになっていきます。
最近起こったキプロスの現状。
国の財政破綻により、キプロス国民がお金を預けている銀行口座に課税をしました。国が国民の財産を収奪しているのです。国家の借金、政治家の腐敗、外交の失敗、政策の失敗・・・そういったもののツケが私たち国民に押し付けられるようになっていくのです。






こういった大きな流れを考えると、私たち個人が個人として生きる力を身につけなければならないと思うのです。企業や国家に頼るのではなく、個人として生きられる力を、そのための方法を身につけていかなければならないと思うのです。

個人として生きるために私たちは何ができるでしょうか?





Shunichiro

今後何が起こるのか?

おはようございます。
Shunichiroです。

先ほどのブログでは、
特にこれからの10年20年30年、つまり私たちが生きていくこの時代は非常に激動の時代になると思っています。16世紀西洋のルネサンス、18世紀後半日本での明治維新、そして20世紀前半の世界大戦を迎えた時代・・・これらの時期を凌駕するほどの大きな変化が起こると私は思っています。今までの常識やルールが全く通じなくなり、その過程で非常に大きな社会的混乱や暴力、退廃等が進んでいくと思います。
と述べましたが、いったい何が起こっているのか?何が起こると思っているのか?小生の見識ではありますが簡単に列挙させてもらいたいと思います。

・TPP
・米中経済冷戦
・国家の退廃、崩壊
・多国籍企業の台頭
・デモや暴力の横行
・政治の腐敗
・格差の‘超’拡大
・メディアによるプロパガンダ、洗脳
・日本の軍事化
・増税
・国による国民の生活の規制
・財産の収奪
・環境問題の悪化
・さらなる資源戦争
・・・
現在なんとなく思っていることなどを挙げさせてもらいましたが、まだまだあると思います。それぞれの事象については今回は触れませんが、こういったことが起こりうる、そしてその兆しが既に見えてきているということです。


じゃあ、こんな世の中で自分はどうしたらいいのか?日本はどうなってしまうのか?世界はどうなってしまうのか?と不安に思うかもしれません。

私はこの答えを持っているわけではありませんが、私が言えることは二つです。
一つ目はエントリの繰り返しになりますが、まず自分なりの生き方をしっかり持つこと。二つ目は、国や企業がなくとも自分個人で生きられる方法を身につけること。
だと思います。


まだまだ時すでに遅しというわけではありません。
困難な時代の前に、そのための準備をもう始めていてもいいかもしれませんね。




Shunichiro

こんな時代だからこそ・・・

おはようございます。
Shunichiroです。

今日からまたいつも通りの生活が始まりますね。
GWはいかがお過ごしでしたでしょうか?


実は私はGW中に誕生日を迎え、24歳になりました。
それもあって、GW中はこれからの生き方(というと大げさですが)を考えていました。
こんな時代に生き方もクソもあるか!と思われるかもしれませんが、私は自らの生き方を自分なりにしっかり持っていることは非常に大事だと思っています。

特にこれからの10年20年30年、つまり私たちが生きていくこの時代は非常に激動の時代になると思っています。16世紀西洋のルネサンス、18世紀後半日本での明治維新、そして20世紀前半の世界大戦を迎えた時代・・・これらの時期を凌駕するほどの大きな変化が起こると私は思っています。今までの常識やルールが全く通じなくなり、その過程で非常に大きな社会的混乱や暴力、退廃等が進んでいくと思います。
そんな世の中だからこそ、自分なりの生き方をしっかり持っていなければ、時代に翻弄される人生になってしまうのではないか?と思います。


私のブログのタイトル「Noblesse Oblige」は、私の生き方/人生哲学を表わしたものです。
‘Noblesse Oblige’の意味は、wikipediaによると
ノブレス・オブリージュnoblesse obligeフランス語発音: [nɔblɛs ɔbliʒ] ノブレッソブリージュ)とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、日本語では「位高ければ徳高きを要す」などと訳される。一般的に財産権力社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。
ということになっていますが、私の中では「徳高き人間の生き様」と定義づけています。

これは何も私が徳の高い人間であると言っているわけではなく、この広い世界の中でも日本という恵まれた国に生まれ、両親のもと健やかに育てられ、その過程で多くの先達にご教示をいただき、大学でも勉強させていただいている・・・そんな境遇は世界全体で見たら本当に少数の数%の人間でしょう。それはこのブログを読んでいるあなたも同じだと思います。
私は本当に素晴らしい機会に恵まれ、成長させていただけたと特に思っております。だからこそ、私はこのご恩をお世話になった人たちに返していきたいし、ひいては社会に役に立つ人間になりたいという思いを持っています。

それが私の生き方「Noblesse Oblige」です。


冒頭で述べたような激動の時代では、こういった生き方を完遂するのは非常に難しいかもしれませんが、むしろこういった時代だからこそ、自分なりの生き方を全うできるかどうか?自分の精神の強さを試されているのではないか?と思います。

まだ24歳、でももう24歳。
平均寿命で考えたら、あと60年もある、でも60年しかない。
その人生をどう生きるのか?

今後迎えるのは、昨日までの常識が全部ひっくり返っていく時代。
こんな時代だからこそ・・・自分なりの生き方をしっかり持ち、それをどこまで貫けるか?を自分自身の人生の尺度にしてみてもいいのではないのでしょうか?

このGW、24回目の誕生日を迎え、そんなことを改めて考え直していました。





Shunichiro