2013年6月27日木曜日

オーディオブック~学びの多角化~

こんばんは。
Shunichiroです。

皆さんはどんな方法によって学んでいますか?
大学生ならば講義が多く、社会人の方にとっては仕事の全てが学びであったり、あるいは帰宅してからの読書などが当たるのではないかと思います。


しかし、学びの方法ってこれだけでしょうか?
私たちは成長の過程で学校教育を受けてきたため、学校での講義や自宅での読書といった学びばかりに目が向き、他の方法ってあまり知らないし考えたことがないと思いますが、学びの方法ってこれだけではないと思うのです。

例えば、外部のセミナーに参加するのも一つの方法ですよね。企業が主催しているもの、NPOなど市民団体が主催しているもの、あるいはネット配信で見るもの等など。ちょっと興味を持ってネットで調べればいくらでもセミナー情報は入ってきますよね。

また、科学技術の発達のおかげで、ネット配信での講義などを受けることができます。しかもその中にはハーバード大学やスタンフォード大学など世界のトップスクールの講義を配信しているものまであるんです。



こういったところで学ぶのも一つの方法ですが、最近私が着目しているのは‘音声による学び’です。「オーディオブック」というものを聞いたことがあるでしょうか?耳で聞く本という別名の通り、本に書かれている内容がナレーターの方によって音声化され、従来の読書のように目で読みページをめくるというスタイルではなく、耳で読書していくものです。

オーディオブックのメリットはいくつもあります。普段仕事や何かで忙しく、まとまった時間を取れない方でも通勤中などで学びを楽しむことができるし、またものによっては倍速再生も可能なため通常よりも早い時間で学ぶことができます。

またこのオーディオブックは電子書籍と非常に相性がよく、ハードのテキストスピーチ機能などによって、自分が関心のある身近な文章なども耳で聞くことができるようになります。


このオーディオブック、最近一部の人の間では知られるようになりましたが、まだまだ市民権を得ているとは言えません。そのためオーディオブック化され利用可能な書籍が少ないのですが、多くの方が関心を持つようになれば、もっと商品のラインナップも充実していくと思います。


みなさんも、自分の学びのチャンネルを見直し、オーディオブックの可能性を感じてみてください。



オリンピック東京招致必要ない!

こんばんは。
Shunichiroです。

最近オリンピックの東京招致議論が盛んですね。猪瀬発言などで一時は絶望的かと思われたが、イスタンブールのデモなどで東京開催の可能性が再燃していますね。

しかし、私の意見としてはオリンピックの東京招致は反対です。そもそも五輪や万博やW杯などの開催地の多くはその地域の開発という観点から選ばれていることが多いです。例えば、日本の経済成長期での東京オリンピックや大阪万博は交通インフラの充実やその地域が経済的に活性化を促し、その国の経済成長を促すテコになりました。近くは北京五輪や上海万博、南アでのW杯開催などを考えるとわかりやすいでしょう。つまり五輪や万博などの国際イベント開催によって、その国自身の経済成長に大きな影響を与えられることが国際イベント開催の大きなポイントと言えます。


では、2013年現在での東京五輪招致は上の観点から見てどうでしょうか?
正直、疑問の点が多いと思います。すでにインフラは整っているし、五輪開催が日本全体の経済成長のドライブを促す要因になるとは思えません。

また国際イベントというのは開催前のインフラなど環境整備だけでも非常に大きなお金が必要になります。日本も例外ではなく、新たな施設の建設なども必要になります。さて、現在非常に多額の債務に苦しむ日本で、その財政負担を抱える意味があるのでしょうか?


もうひとつ大事な点として、国際イベントの開催を迎えたとして、その時は盛り上がって消費も大きくなり良いかもしれませんが、そのあとが非常に問題になります。新たに作った施設などを維持していく必要があるのです。そして、このランニングコストが非常に負担になるのです。
では、いったい誰がこのランニングコストを負うのでしょうか?国?自治体?企業?あるいは国民の税金でしょうか?



日本は現在社会保障や年金問題など多くの分野で財政的負担を抱えています。そのような在世状況の中、一時的には経済効果をもたらしても、長期的に見たらデメリットでしかない五輪招致を行う必要があるのでしょうか?
私は、東京五輪の招致は全く必要ない!と思っています。現在の日本には五輪招致に以上に尽力しなければならない課題が多く存在します。五輪招致や開催に係る費用は、そういった問題にこそ使われるべきだと思います。


ちょうど、時を同じくして、ブラジルでのW杯開催の話が持ち上がっています。しかし日本とは違ってブラジル国民はW杯招致反対のデモまで起こっております。国民の主張は、確かにW杯開催も大事かもしれないが、W杯よりもまず社会保障や教育整備のためにお金を使ってほしい、と訴えているのです。(http://kasakoblog.exblog.jp/20695185/

日本人と、ブラジル人。比べる必要はないかもしれませんが、国際イベント招致に対する両者の態度の違いは大きいのではないかと思います。日本人はもっと国民一人ひとりが短視眼的な‘お祭り’ばかりに目を向けるのではなく、本当に自分達にとって大事なことは何なのか?を考えていってほしいと思います。

2013年6月26日水曜日

亀裂の入った今の社会を変えていくには?

こんばんは。
Shunichiroです。


連日の雨に気が滅入ります。その分自宅にこもり多くの本を読んだり、色々考えることができるのですが。


資本主義・民主主義に限界が訪れ始めてるのは多くの方が気づいてきていると思います。Occupy WallStreatに代表されるように、ますます格差が広がり、貧困は増え続け、富裕層はますます富んでいく。また民主主義という建前の中、政治は政治家の手に握られ、連日アホみたいな政治ゲームが繰り返され、国民はそのツケを政治家の代わりに背負わされています。現在の世界に在り方には多くの人が疑問を抱き、様々なところで行動を起こしています。当初は社会で求められていた資本主義・民主主義体制には亀裂が走り始めました。

しかし、色々なところで限界の兆しが見え始めているこの社会ですが、そう簡単には変わっていかないし、崩壊に陥るなんてことはありません。なぜなら、この社会の限界に気づいていない人は現状のままの生活を続けることによって変革を無意識に拒み、またこの社会を崩壊しないように先延ばすよう尽力する人もたくさんいるからです。
もし今の社会が今のまま何も変わらず崩壊を迎えた場合、私達の生活は甚大な影響を受けるでしょう。貧困や暴力、犯罪が横行し、私たちの生活は非常に恐怖に満ちたものになるでしょう。


そうならないためにも、私たちができることは「日常の中で私たちができることをする」ことです。毎日のように反原発でもに参加せよとか政治集会に参加せよ、とは言いません。私たちが普段日常を過ごしている中で、できることをすればいいのです。

すでにこの社会には至るところに亀裂が見え始めています。多くの人はまだ気づいておらず、また権力者層はこの亀裂から目を背けさせようとしています。

この社会を変えるためには、この亀裂、今の社会のおかしさに気付き、そして権力者層に亀裂から目を背けさせないようにし、また自らできる範囲で行動するだけで良いのです。そういった人が増えることが大事なのです。


今の不合理な社会が変わっていき、もっと多くの方がよりよい生活を送れる日がくるのを望みます。



関連書籍

革命---資本主義に亀裂をいれる

戦略コンサルって脚本家に近いのか?

こんばんは。
Shunihciroです。

戦略コンサルには以前から興味があって、インターンに参加したり、色々本を読んで勉強したりしているのですが、その過程で段々とあるイメージが浮かんできました。それは、戦略コンサルって実は脚本家に近いのでは?ということ。

まだまだ思考の段階で、しかもインターンという形でしか業務に携わっていないのですが、考えていることを記事にしていきたいと思います。



ウィキペディアによると
>コンサルティング (consulting) とは、企業(まれに行政など公共機関)などのクライアントに対して、専門知識を活用するなどし、客観的に現状業務を観察して現象を認識、問題点を指摘し、原因を分析し、対策案を示して企業の発展を助ける業務を行うことである。または、その業務そのものを指す。
と説明されています。

第3者視点として、クライアントとその市場と関わり、なんらかの新たな道を示す仕事と言えます。その仕事の中で大事なのが、クライアントにその道を進むことに納得感や未来へのイメージを持ってもらえるかどうか?なのではないかと思います。

実際コンサル業界でも見られる話に、道を示してコンサルとしての契約は終了したんだけど、そのあとその企業が本当にその道に進めていない時があるそうです。その道を進むための改革はしようとするものの、結局今までのビジネスモデルや体質を変えきれず、コンサルが示した道に挫折してしまうというのです。



この問題に対して、クライアント企業側の努力不足だ!という見方もありますが、それだけではなく、コンサルが示した道に対して本当に心から納得感や未来へのイメージを持ってもらえていたのか?という見方もできると思います。

ある意味コンサルは道を示したところで仕事は終わり、その後の実行やそれに伴う努力をするのはクライアント側です。クライアントがその努力やしんどさを抱え変わっていけるかどうかは、コンサルが示した道に対してどれだけ納得できていて、どれだけ魅力を感じているかにかかっているのではない?と思います。そこで、人に納得や魅力を与える仕事って何だろう?って考えたときに、脚本家やシナリオライターって浮かんだんです。


脚本家、シナリオライターって
脚本家(きゃくほんか)とは、主に映画テレビドラマアニメゲーム舞台ラジオドラマなどの脚本を書く人のことを指す。シナリオライターとも言う。
それで
脚本(きゃくほん)とは、「何時。何処で。誰が」の天地人を示す柱書き台詞ト書きだけで構成された設計図的役割を担うテキスト。小説とは形式が異なる。

ってあるんだけど、エンターテイメント業界で、どうやったら観衆(視聴者)にウケるか?どうやったら観衆(視聴者)に魅力に思ってもらえるか?っていう道を示す仕事だと言えるのではないかと思います。脚本家・シナリオライターの示す道である台本・シナリオの裏には、例えば人間心理学に基づいたストーリー展開がされてたりとか、ほんの些細な感情の機微を感じさせる描写を入れてたりとか、非常に綿密に分析や計算がされているのではないかと思うですね。そして番組が始まっていくと、ある意味脚本家の計算通りに観衆にウケていき、続きが見たい、続編が見たい思わせる。


少し強引な結びつけかもしれないけど、これって戦略コンサルの仕事と似たところがあるんじゃないかなって思うんです。ビジネス戦略論や色んな分析を駆使して、綿密なストーリーを組み立て、市場やクライアントという観衆のウケ(業績の向上・納得)を狙い、またそのストーリーの未来への想像を掻き立てる。



全然違った業種に見えるけど、どこかつながっている部分があるんでしょうね。
今後脚本家としてのコンサルタントの在り方について、もっと考察していきたいです。



2013年6月25日火曜日

グローバル化によるリスクの個人化

こんにちは。
Shunichiroです。

前回のエントリー「グローバル化、ローカル化」では、人やモノや情報が世界中を自由に行き来する現在の状況をグローバル化と言われていますが、個人に視点を移してみると、人やモノや情報を通して個人の価値観や文化に影響が与えられるため、以下に適応していくか?というローカル化が起こっている、ということを述べました。
今回のエントリでは、グローバル化⇔ローカル化という中で、個人は何に留意しなくてはいけないのか?を考察してみます。


グローバル化によって、あらゆるモノが私たちの世界に侵入してきます。もちろんいいものもあれば、悪いものもあります。またグローバル化した世界では、国家の力が及ばない領域が増えてきます。このような中では、私たち個人がグローバル化を通して入ってくるあらゆるモノと向き合っていかなければなりません。これはリスクの個人化と言われます。


例えば、SARS等の感染症も国や地域を超え、世界的に広がっていきます。どこに潜在的感染者がいるのかもわからない中で私たちは対処していかなくてはなりません。またテロ攻撃も、私たちの身近で起こりかねません。また、世界のどこかの国の政治や経済や金融の事件も私たちの生活に何らかの形で影響を及ぼしてきます。

私たちはグローバル化する世界の中で、様々なリスクと直接向き合うようになり、リスクに対処する能力を身につけていかなければなりません。そのために何ができるのか?どんなことをすべきなのか?どう対処するのか?考えていく必要があります。



関連書籍


“反転”するグローバリゼーション
世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

外から見たらグローバル化、内から見たらローカル化

こんにちは。
Shunichiroです。

最近蒸し暑い日が多くて嫌になります。我が家では早速クーラーを稼働してしまいました。一度つけてしまうともう戻れませんね。


グローバル化という言葉は最近非常に日常的なものになってきています。色んなところで「我が社もグローバルな戦略展開を」「グローバル人材の輩出を」とか、耳にしますよね。でもグローバル化の反面、文化や価値観の押しつけではないか?という議論もあったり、テロの恐怖の蔓延、あるいは感染症の世界的拡大などその弊害の部分にも言及されるようになってきています。
今日はこのグローバル化について考えてみたいと思います。

グローバル化とは、科学技術の発展により空間・時間的距離がどんどん縮小され、人やモノや情報が自由に世界中を行き来している状態のことを指しています。しかし、おもしろいことにグローバル化によって互いに行き来が自由になった結果、人々は自分の出身国や出自にこだわるようになり、自分のアイデンティティを求め始める様になりました。まるで航海する船が錨をおろすかのように、自分がつなぎとめられている場所を気にし始める様になったのです。


自分の出自などにこだわるというのは、自らの元となる=自らの地元にこだわるようになったと言えます。グローバル化によって、逆に自らの地元=ローカルについて考える様になったのです。このような外からみたらグローバル化であっても、内側、自分の視点で見たらローカル化している、という状態が、現在世間で言われているグローバル化の正体です。

グローバル化によって、色んな文化や価値観や製品やサービスや情報がありとあらゆるパイプを通して自分達の内側に入ってきます。その中で私たちは無意識的に自分のアイデンティティの元を守り、また新しいものと融合していくというローカル化を進めています。


世間ではグローバル化の表の意味である、製品やサービスの世界的展開という面しか語られませんが、自分視点で見るとローカル化であることを忘れてはいけませんね。




関連書籍

“反転”するグローバリゼーション
世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)



2013年6月19日水曜日

テロリズムと支配の個人化

こんばんは。
Shunichiroです。

先日元CIAの職員が政府はgoogleやFacebook等の企業を介して、国民の情報にアクセスしているという話がリークされ、世界中で物議を醸しております。情報の真偽はわかりませんが、9・11に端を発する社会リスクの性質の変化がこのような動きにつながっていると思います。


9・11以前は社会リスクというものは冷戦に代表されるような国と国の争いや国と組織の争いなど、何らかの母体を持った者同士の間で起こる物でした。したがってその対策も、母体に対する対策が中心になっていました。

しかし、9・11以降この状況は大きく転換することになりました。テロリズムという概念が社会のリスクの中心になり、しかもテロというのは普通の市民の中に紛れ込み、特定の組織にたいして対策を行うという性質のものではなくなってしまいました。そのため政府はテロを未然に防ぐためにも、監視や支配の対象を組織という大きなものではなく、市民一人一人に対しても広げざるをえなくなってしまったのです。
それが、今回のリーク事件の生い立ちです。


私たちの情報の全てが監視・支配されているという状況に賛否両論はあると思います。テロを未然に防ぐためという名目の上においては、私たちが不審なメールのやり取りをしていないか、疑わしき情報を持っていないか、危険な物を持っていないか、ということは監視することは必要に思います。しかし、わたしたち監視される側から見たら、非常に不快きわまりません。私たちの電子上のやり取り全てがチェックされ、何か政府にとって問題に思われるような言動などがあれば「テロを未然に防ぐため」という口実のもと、身柄の拘束を受けかねません。

しかし問題の一つには、何をもってテロを未然防ぐためという線引きがなされるか?があると思います。もちろん日本でもいくつかメディアで取り上げられている「学校を爆破する」などの書き込みでもって、未然に防ぐためその投稿者の身柄を抑えるなどは正当な監視の在り方かと思いますが、例えば反原発デモの呼びかけなどはどうでしょうか?直接テロにつながるとは考えられないまでも、拡大解釈によっては社会不安を煽りかねないから未然に対処するということもありえないわけではないと思います。あるいは特定の政治家を批判する書き込みをしたら、批判が過激した先の政治家の暗殺を未然に防ぐため、身柄を拘束するという可能性も存在します。


つまり、テロを未然に防ぐためという政府の解釈次第では、私たちの言論の自由、表現の自由、そして身体の自由が脅かされる可能性もあるのです。まるで戦前の大政翼賛会、あるいは共産党による独裁政治のようです。



日本でもマイナンバー法が成立するなど、私たちの情報を管理する仕組みが整い始めています。アメリカで起きたことは対岸の火事ではないのです。上で述べたような監視・支配の暴走が起こらないとも言いかねない中、今回のリーク事件は改めて私たちの情報について、政府の管理・監視について考えさせれました。





関連書籍
世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)