2014年4月5日土曜日

ちぇかふぇを終えて②~「国際協力」というワードと、社会参加性~【2014-No.19】

こんにちは。
Shunichiroです。

今日、めっちゃいい天気ですね。
絶好の花見日和でお花見行きたいところですが、ちょうど予定が入っていて残念です。夜時間があれば、夜桜でも見に行こうかな、って思います。


さて、昨日に引き続きちぇかふぇを通して考えたことを、記事にしていきたいと思います。
ちぇかふぇって、「国際協力」がキーワードとなっていて、国際協力活動をやっていたり、あるいは国際協力に興味ある人が来て、みんなで仲良くなって、、、というものだったんですが、個人的に思うのは
・そもそも「国際協力」というワードに魅かれてやってくる層ってどの程度いるのでしょうか?
というところです。またどんなワードにも言えることかもしれませんが、
・「国際協力」というワードを規定することによって、それ以外の層を排除してしまっているのではないか?
というところです。

今回ちぇかふぇには3日間で200名を越える人たちにご来場いただいています。この数字と会場の雰囲気だけ見てると、国際協力に関心があって、みんなの希望が見えてくるように思えてしまいます。

でも、見落としてはいけないのは、国際協力というワードに対して関心をいだく層はそもそもマイナーな人たちであり、今回のちぇかふぇという場もそもそもマイナーで少数な人々同士の内輪の集まりでしかないということだし、国際協力という言葉には全く魅かれない人たちが圧倒的多数だと言うことだと思っています。

「国際協力」というワードで会場に集まった200人が声を上げることで、世界が変わることもありうると思います。しかし、逆に考えると「国際協力」というワードでは、たった200人の意見しかくみ上げることしかできていないとも言うことができます。すなわち、自分が問題意識として思っているのは、「国際協力」というワードの社会参加の可能性の低さという点ですね。より多くの人へのリーチ性というところですね。国際協力というワードには、テーマ、活動、そして意識といった点で求められることが高く、非常に排他的になっているような気がしています。


話しは少し変わって、社会課題の分野においても最近非常に「デザイン」という言葉が注目され、億の人が関心を持ち始めています。いわゆるソーシャルデザインというものですね。イメージの問題ですが、この「デザイン」という言葉には多くの人がわくわくを持てるような響きがあると思っていて、なんとなく参加したくなるものを持っていると思います。先ほどの言葉を使うと、社会参加可能性が高いと考えられます。

そこでソーシャルデザインが優れているなって思うのは、参加する人たち全てが意識高い系というわけでは全くなく、それぞれが「デザイン」とい言葉に求めるなんとなくの楽しさやワクワクや期待や興味から参加しており、でもその成果として、設定テーマとした課題を解決するアイディアが生まれてきているという点にあると思います。


デザインの社会参加性の高さというところを踏まえた上で、国際協力というところに話しを戻すと、国際協力が国際協力というワードを掲げている限り(あるいは国際協力というワードから卒業?脱却?できない限り)、結局今のままの閉じた世界の取り組みに終わってしまうのではないかと思います。

いま国際協力という分野に求められていることは、国際協力を掲げている私たち自身が国際協力というワードの世界を飛び出し、もっと社会参加性の高く、多くの関心や期待を包含できる概念へと進化し、それら多様な関心を結集した結果として、何らかの成果を生み出せるもの(あるいはスキーム?)になっていくことなのではないかと思います。




ちぇかふぇには、国際協力に関心のある多くの人に来ていただけました。
いずれ国際協力というワードだけではなく、もっと色んなワードの関心がありながらも、それらを包含するような大きな旗印としての新しいワードに集まるもっと多様な人たちに参加してもらえるようなものになっていったらいいなって思います。(そして、さらに大きな国際協力という分野においても。。。)




Shunichiro

ちぇかふぇを終えて①~モヤモヤする人、モヤモヤしない人~【2014-No.18】

こんばんは。
Shucnichiroです。

さてさて、新年度が始まって一番最初の金曜日ですね。
facebookを見ていると、新入社員となり、社会人生活が始まった皆さんの色んな熱い思いが書かれた投稿が目立ちます。みんな頑張ってほしいな~っていう応援の気持ちと、出遅れている自分から見た嫉妬ややるせない感が混ざったような複雑な気持ちです。



今年もちぇかふぇが終わってしまいました。
ちぇかふぇとは、そもそもお堅いキーワード「国際協力」について、カフェという場で気楽に話し合うことで、気楽に話し合える仲間、気楽に何かアクションできる仲間を増やしていこう、という試みで去年の第1回目から参加させてもらっています。
今年は去年以上に多くの人に足を運んでもらえたし、またその中で行われたWSも去年以上にレベルの高いものだったと感じています。

今年のちぇかふぇの中でも個人的に感じたことや思ったことを簡単に共有します。
・モヤモヤすることは何のため?
ちぇかふぇのスタッフ自体もそもそも色んな大学・学年・所属の人が集まって、お互い「始めまして」の状態から一緒に作ってきたものになるんですが、段々と仲良くなっていく中で深い話しをしていくとやっぱりそれぞれちぇかふぇに対する見方が違うってこともあるんですね。

あるスタッフの子と話していくうちに段々と深い話になっていってポッと出てきたのが
「モヤモヤすることは何のため?」
って言葉。

確かにちぇかふぇの中でも中心的なメンバーは特に「モヤモヤ族」で、みんななにかしら自分たちで行動しながらも、これで本当にいいのか?どうしたらいいのか?自分は何がしたいのか?ずっとモヤモヤしてる。そもそもそんなモヤモヤ族が、自分のモヤモヤを共有することで自分のモヤモヤを解きほぐすきっかけになるかもしれないし、あるいは他の人のモヤモヤを聞いてあげることでどこか気持ちが楽になるのかもしれない、そんな場を作ろうってことでちぇかふぇが始まってるってこともあって、ちぇかふぇの中では「モヤモヤ」ってワードが頻発してる。

でもその子と話していて出てきたのが、さっきの言葉。
「モヤモヤすることは何のため?」
そして
「モヤモヤするのも大事だけど、結局このちぇかふぇでも楽しんでるように見えない。時には割り切ることも大事だと思うし、モヤモヤしてるだけじゃ何も進まないし、、、ん~なんかもったいない」
って。

この言葉、非常に真を突いてるなって思った。
モヤモヤすることは、自分達の活動や思考の枠に対して盲目的に追従するのではなく、疑問を抱きながら、(意識的かどうかはさておき)ある種の批判的目線で行動することができている証拠と言える。しかし、モヤモヤしてるってことは自分の中での疑問や問題意識が曖昧だからって見ることができて、問題意識が曖昧だから行動に移せない。そのためか、見ている限り、、モヤモヤしてる人たちってモヤモヤはしてるけど、行動にどこまで反映されているかっていうと微妙だし、自分自身もモヤモヤのせいで楽しめてなかったり、正直言うと非常に生産性が低い。(自分の中では、もはや「ウジウジ族」とすら思っている。)
そういう状態を知ってか知らずか見抜いていた、さっきの言葉には脱帽。


逆にモヤモヤしていない人間ってなんだろう?
そもそも目の前の現状に盲目的に追従していて疑問すら抱いていない状態ってのは論外。だとしたら、モヤモヤしてる人と同じように現状に疑問や問題意識を持ちながらもモヤモヤしていない人間の間の違いってなんだろう?

個人的には、
・選択的割り切りができる
・論理的思考ができる
という点があると思っている。

モヤモヤな人間とそうでない人間の間では、同じようにモヤモヤを持っても、自分のモヤモヤの発生源がどこで、その発生源においてどんな現状やどんな構造が成り立っていて、その中でも特にどんな点に問題意識を感じていて、その解決策にはどんなものがあり、あるいはその解決策が現状見つかっていないのであれば自分はまず何をすべきで、、、などという点に明快な違いがあると考える。モヤモヤを抱えていても、モヤモヤ族にならず、行動できている人はまさに自分のモヤモヤの構造を把握していて、モヤモヤする代わりに「いまの自分は何をすべきか?」が明確に見えているからモヤモヤしていないのではないだろうか?
論理的にモヤモヤを分析できているから、今できること今できないことがはっきりしている。
今できること今できないことをはっきり把握できてるから、モヤモヤを割りきって前に進むことができる。

もちろんモヤモヤというのは、自分の本当の心の底から生まれてくるものだから、モヤモヤは大事だと思うし、モヤモヤを抱えながらでもなんとか前に進もうとしている姿に共感を感じる人は多いと思う。でもそのモヤモヤをまるで我が子のように盲目的に大事にするのではなく、そのモヤモヤと客観的に向き合ってあげて、モヤモヤを理解してあげることも大事だと思う。それによって、自分のモヤモヤを解消していくスピードも上がるだろうし、自分自身もモヤモヤから解放されて目の前の一日にもっと集中できるようになるのではないだろうか?



さて、①だけでかなりの長文となってしまったので、記事を分割していきたいと思います。
とりあえず、今回の記事はここで止めさせてもらいます。ある意味、それだけ筆者自身も感じるものが多かった証拠でしょう(笑)

少し脱線になりますが、記事を書きながら思った「日本人の考え方」について、下の方に書いていくので、ご関心ある方はこのまま続けていただけたら幸いです。ちぇかふぇの話を読みたいって方は、下は読まずに、ぜひ次の投稿を読んでいただけたらと思います。



Shunichiro




[脱線]
こうやって書いてて、モヤモヤが共感性を高めるというある種の美徳のように見えてしまう点が非常に恐ろしく感じました。確かに等身大のリアルなストーリーとして身近に近付けて考えることができると言うのはあるかもしれません。

でも、モヤモヤしてるって実際は「答えの出ない問題を考えつづけている」という非常に生産性の低い状態なのですよ。モヤモヤしてることは、答えの出るレベルまで分解できていないってことだし、そもそも答えが出ない問題に向き合い続けているかもしれないし、さらにはモヤモヤしてることを売りにして共感を誘うのは「徹夜で頑張ったから許してください」みたいなノリに見えてしまうのは、穿った見方でしょうか?そして、そういう姿に対して美徳や共感を感じる状態って「特攻隊」や「白兵銃剣主義」「一億総玉砕」にカッコよさを感じる危険思想に近いのではと考えるのは、過激でしょうか?

とにかく目の前に現れた大きな問題に対して、とにかく全力でぶつかっていく。そこでどれだけ時間やお金や資源を費やしても、それに向かっていったこと自体が評価されるような構図って、国際協力という大きなテーマの中で全力でモヤモヤしていることにも超大国を相手にとにかくリソースを突っ込ませ危機に迫ったら一億総玉砕でぶつかっていくことにも当てはまってしまっているんじゃないかと思ってしまいました。

モヤモヤしていること自体に酔いしれてしまったら終わりです。
「issueから始めよ」の“悩むと考えるの違いを知ること”“悩んでいる自分を察知できるようになろう”ではありませんが、モヤモヤすることと考えることは違うと思うし、モヤモヤしている自分に気づくことも大事だと思いました。と書いてて、結局モヤモヤする人とモヤモヤしない人の違いって「悩んでいるか、それとも考えているか?」の違いにあるのかな、って思えてきました。

モヤモヤというところから戦前から残る日本人のある意味危険な思考性について考えてみたこところで、モヤモヤしている=悩んでいるという気づきに到達したので、モヤモヤは自分自身の本心の表れというところを振り返りながら最初の問い「モヤモヤするのは何のため?」というところに戻ると、

モヤモヤするってことは自分の本心からの問題意識が生まれたということだと思います。でもモヤモヤは発端であって、モヤモヤするという行動ではなく、“考える”が行動になるべきです。とすると、「モヤモヤする」というのは自分が問題意識に感じる本質の部分を“発現させる行為”であって、すなわち自分の心の奥底にある問題意識を探求する行為であるのではないか、と思います。そしてモヤモヤすることの目的は、自分自身の心の奥底に抱いている問題意識を顕在化し、その問題意識やテーマというものを“考えていく”というところ、にあるのではないかなと思います。

現状、モヤモヤするというのが、ただ単なる悩むことと同義になってしまっているので、これからはモヤモヤするの奥底にある本質的な意味合いについてもっと考えていくべきだろうと思うし、あるいはそこを周知していく必要があるのかなと思います。

非常に長くなってしまいましたね。
失礼しました。
ただ確かにあまりにも「モヤモヤ」を強調してる空気感はあるので、それをもう少し“考える”方向にもシフトして行けたらなって思います。


2014年4月2日水曜日

2014年度開始&ちぇかふぇ2014一日目【2014-No.17】

こんばんは。
Shunchiroです。

ご無沙汰の更新になってしまいました。相変わらず長期休みに弱いです。すでに大学在籍6年目にもなるのに、長期休みの過ごし方だけは未だに慣れませんorz今後の検討課題です。


さて、今日より2014年度が始まりました。
今年は、
ビジコンもありIDPCもあり、、、と、今までとはまた違って、新しい仲間、新しい分野での活動が始まっていきます。正直ビジコンの運営が始まってから、自分が今まで気持のいい空間にいすぎてしまったこと、改めて自分の力のなさなどを実感しております。
そういったこともあり、最近自分の中にある思いが生まれています。

それは、
今までの自分を捨てて、全く新しい自分になりたい
ということ。

口で言うのは簡単でも実際にやっていくのは難しい。
過去の成功体験、過去の自分のやり方、考え方、リーダーシップの在り方、、、
そういったもの全てを捨てて、新しい自分として新しい成功体験、新しい自分のやり方、考え方、リーダーシップ、あるいは創造性を引き出していくプロデューサーシップの在り方。。。

一回きりの人生でも、何回でも生まれ変わって全く新しい自分として、生きていけたら、それだけ幅もあり、楽しい人生になるんじゃないかと思います。気持ちは常に若く、そして漸進的にフレキシブルに、常に次の自分のステージに向かって全力でぶつかっていきたいと思います。




それと、毎年恒例(?)、ちぇかふぇ2014が始まりました!
初日から80人以上の方にご来場いただき、初日から去年感じたような「ポジティブな変化が起きる瞬間」を見させてもらっています。

自分もセッションとして、「ビジネス」という枠を担当しました。
BoPビジネス、ソーシャルビジネスに対する批判を取り上げながら、開発とビジネスの共存可能性を探る、という内容だったのですが、、、反省点満載でした。

大きなポイントとして、
・そもそもテーマ自体が非常に抽象的(「開発」「ビジネス」「共存」)
・そもそも参加者の基礎知識が足りていない
・適切にファシリテーターを割り当てられてなかった
が挙げられます。

その原因は、具体的に参加者のレベル感や議論の流れをイメージできてなかったな~ということが言えるかな、と思います。WSをやる際に、こちらから参加者に伝えたいメッセージという点だけでなく、相手にとって実際にどうメッセージが伝わるか?という点に関してもっと考えていく姿勢が大事だなと思います。
今後の改善頑張っていきたいと思います。



という緩い感じですが、長期休みが明けて、いよいよ気持にも喝が入りました。
勉強、活動、遊び(特に知的遊び心とクリエイティビティ!笑)に力を入れつつ頑張っていきたいと思います。2014年度も本ブログ「Noblesse Oblige」をよろしくお願いいたします。


Shunichiro


2014年2月6日木曜日

途上国開発における感性的アプローチの可能性【2014-No.16】

こんにちは。
Shunchroです。

ちょうど〆切が迫っているレポートがあるのですが、なかなか進まなくて少々困っています。そこで今回の記事ではレポートに書く内容のことを、まずブログというラフな形でまとめてみたいと思います。 いつもブログを書くときはすんなり記事にできることが多いです。もちろん定量的なデータやエビデンスを引用したりしていないということもありますが、何より自分の中でストーリーが見えているためにすんなり書けているのではないかと思うんですね。
今回はそれを利用し、まずブログベースにてゆるく全体のストーリーを書き出し、その後に言葉遣いや目次整理、データやエビデンスを追加してレポートという形にしていきたいと思います。

人間不思議なものですね。同じ内容でも、レポートを書こうと思うと頭の中も固くなり文章が出てこなくなり、反面ブログにしようと思うと肩の力も抜け文章も浮かんできます。上手くこういった作用を
利用しながら、進めていきたいな~って思います。
まずはブログベースで(笑)



今日は途上国開発における感性的アプローチの可能性について記事にしていきたいと思います。途上国開発って言うと、世銀、UNDPODAだとかのアクターによるいわゆる「上からの開発」のイメージが強いですよね。実施されるプロジェクトも何十枚、時には百枚以上にもわたる詳細な調査を経たうえで綿密な計画で以て行われています。

しかし、以前の記事にも取り上げましたが、モザンビークの武器アートによるエンパワーメント事例や光の音符の音楽活動を用いたエンパワーメントの事例をみると、彼らの行っている芸術活動を用いたエンパワーメント効果は、必ずしも詳細な調査を経て立案され、綿密な計画によって実施されたわけではありません。アクターの強い意志や直観、あるいは物事が進むままにプロジェクトが進んでいったのですが、その結果「下からの開発」とでも言うべき、住民を巻き込んだ主体的な行動を生み出しています。


「上からの開発」においては、なかなか住民の主体性を引き出せていないとして、参加型開発手法や住民のオーナーシップという言葉が生まれ、プロジェクトの実施に当たって住民の参加・主体性を大事にするようにしていますが、これらの草の根NGOでは意図していたかどうかは別として住民主体の「下からの開発」を生み出しています。

この違いって何なんでしょうね?


「上からの開発」と「下からの開発」の違いについて考えると、事例において大きな差異は感性に訴えかけるアプローチであるということが挙げられると思います。
モザンビークではアート、光の音符では音楽。

人間が豊かに生きる上で、産業基盤を整えたり、市場へのアクセスを整えたり、あるいは食を確保するための営みも非常に大事です。これらがないと生活ができません。しかし、芸術活動もまた人間が豊かに生きるためには大事な要素であると思います。そして芸術活動などは食や産業基盤と言った大きなものよりも、自己のアイデンティティの形成や心の豊かさにつながりやすく、そのために産業基盤などの「上からの開発」に比べて、芸術活動などは住民の主体的な参加「下からの開発」を起こしやすいのではないか?と考えます。

人にとっての芸術の意味とは、まさにアイデンティティの形成なのです。プロジェクトに参加することで、まさに自分自身のアイデンティティを育む効果があるために、自らをそれを求めるようになっていくのではないでしょうか?



今も昔も、途上国開発とは、綿密な調査・計画に基づいて行われいて来たものですが、このような草の根NGO活動などを見ると、芸術など今まで全く注目されない、ともすれば蔑視の対象にさえされがちな活動でも、実は非常な成果を挙げる可能性を持っていると考えられますね。
従来の開発という言葉に惑わされず(そしていわゆる論理だとかロジックだとかばかり言ってる頭のお固い方々に惑わされず)、色んな手法の可能性を知っていきたいです。



さて、これをエビデンスなどで肉付けして、レポートにしていきたいと思います。


Shunichiro


2014年2月5日水曜日

理論→実践→フィードバック→理論、、、【2014-No.16】

こんばんは。
shunichiroです。

さて、今日はまとまった更新ですね。
最近時間がうまくとれていないのと、あとは集中力でしょうかね。まとまった更新になる日が多いような気がします。ちゃんと分散して、ペースを守って更新していきたいです。


先ほどなかなかラディカルな記事を書きましたが、やはり大事なのは実践だけでなく理論もしっかり学ぶことなんですよね。学生団体ってえてして実践ばかりになってしまうのですが、理論もちゃんと学びながら活動してほしいなって思うんですね。

ただ、そうやって考えてて、理論と実践だけではなく、さらにフィードバックも大事だと考えるようになりました。今回の記事ではフィードバックについて考察していきます。



よく理論と実践はセットで語られることが多いのですが、私はそれにフィードバックを加えることも大事だと思います。PDCA=Plan Do Check Actionというフレームワーク?はよく言われますが、PDCAでもCheckとActionちゃんと考察していますよね。理論と実践の枠組みも一緒だと思うんです。ちゃんとフィードバックもあってこそ、適切に機能するのではないかと思います。

特に最近ですと、ビックデータという話題もあり、色んな場面でフィードバックを行うことが可能な環境が出来上がりつつあります。現在はビジネスという分野において非常に脚光を浴びておりますが、これは国際開発分野にはもちろん、またその他あらゆる分野でデータによるフィードバックが適用可能であると考えます。

例えば、国際開発においてRCMという手法やインパクトトラッカーがまさにこれにあたりますね。また学生活動でも、広報手法Aと広報手法Bではどちらの方が効果が高いか?等こういった部分でもささやかながらデータを利用したフィードバックが可能であると思います。

先ほどの記事では、理論を学ぶことと成果を生み出すことばかり強調してしまいましたが、適切にデータを集め、また適切にフィードバックを行うことは理論と成果を補完する上で非常に大切だと思います。特に成果を評価するに当たってはデータの存在は非常に心強いサポートになります。


実践を繰り返し、感覚的に改善を繰り返していくことも大事ですが、データを用いたフィードバック方法なども取り入れてはいかがでしょうか?理論と実践とフィードバックの3者がそろったとき、パフォーマンスや成果や生産性は劇的に変化していくものと思います。


Shucnihriro

今の日本の国際協力学生には世界は変えられない(*非常にラディカルな意見を載せています。不快に感じる方はご覧にならなくて結構です)【2014-No.15】

こんばんは。
Shunichiroです。

今回の記事は非常にラディカルな意見を載せています。
私自身、色んな学生と接してきた中で前から感じていた問題について取り上げてみたいと思います。ご不快に感じる方もいるかもしれません。そのような方はご覧にならないほうがよいと思います。ただ見なかったところで、そこには何も変化のない今までと同じあなたがいるだけです。私の意見にご不満やご意見等ある方はぜひコメントくださいませ。


さて、最近非常に考えさせられることがあります。
今日も国際協力系団体のMTGに参加していました。多分この日本中を見たら、同じ時間帯に国際協力について活動している学生が何百人といることと思います。また先週のワンワールドフェスティバルにも何百人の方々が訪れていたように思います。

しかし、そのような様子を見ていて、私にはふとある疑問が浮かびました。

なんでこんな多くの方が時間・お金・熱意等などエネルギーを費やしているのに、世界は変わっていないのだろう?


色んな方が色んな思いのもと、それぞれの活動に熱意を感じて取り組んでいるのは結構なことだと思います。それ自体は非常に素晴らしいことだと思います。しかし、世界には未だに貧困・飢餓・衛生、、、といった課題を抱えている人が何十億人も存在しています。
世界は変わっていないのです。

もしかしたら、私の知らないところで私の知らない形で世界が変わっているのかもしれません。あるいは、色んな人が頑張っているおかげで悪化することがなく、現状があるのかもしれません。それは分かりません。


しかし、私が感じるのは、こんなにも多くの人がそれぞれ膨大なエネルギーを費やしているにも関わらず、なぜ変化がないのか?ということです。

すなわち、活動の結果がアウトプットとして表れていない、もしくは質のあるアウトプットが生み出されていない、のではないかと思います。もちろん開発は長期的な視野に立つものであるために、未だに成果が目に見える形になっていない可能性は考えられます。しかし、私が特に感じるのは質のあるアウトプットが生まれていない、という点への問題意識です。

なぜ質のあるアウトプットが生まれていないのか?
私が周囲の国際協力系学生と接していて感じるのは、質のあるアウトプットを生み出すという意識に欠けているということです。国際協力に携わっていることが価値のあるように感じている、すなわち取り組んでいることそれ自体に価値をおいてしまっているように感じます。国際協力活動として途上国の他者に価値を届けることではなく、国際協力活動としてのコミュニティに参加していること自体に意義を感じているように思います。

その証左の一つが、国際協力学生における国際協力への勉強量の少なさです。
私の所感ですが、国際協力に取り組んでいると言いながら、その実、国際協力について自ら学んでいる人は非常に少ないです。トリクルダウン、参加型アプローチ、プロジェクトサイクルマネジメント、、、色んな手法の存在を知らない人すらおり、また開発における各種論議などにも明るい人は少ないです。

どんな分野においても同じだと思いますが、有効な成果を生もうと思ったら、自ら学び自ら考え自ら行動し、そしてフィードバックを取り入れ、また学んでいく、、、そのような姿勢が求められるはずです。しかし、私が知る限り、そのような姿勢を持って行動している国際協力学生、および団体は非常に少なく、自分の周囲何十人を見ても5指に満たないほどに感じます。

(このようなことを言っていて、じゃあ自分はどうなんだよ!となると思いますが、私は年間400冊以上読書を行い、年間100本以上ブログとして考えをまとめ、また大学内外部のセミナーにも(例え有料でも)積極的に参加し、色んな方の考え方をお伺いしたり、色んな方のお話を伺い、議論したりしています。国際協力活動だけに絞っての、年間の自己投資額は20万円はくだらないでしょう(学生にしては生活が苦しいほどの出費です)。それでも、まだまだ読めていない本はたくさんあるし、泣く泣く行くことができなかったセミナーも山ほどあります。いつも、自分自身の知識・経験、そして人生における時間の少なさを痛感しております。)



自らの所感を通して、考えていることは、学生が現在の姿勢のままで国際協力に携わっていても世界は変わらない、ということです。途上国に変化を起こすことを目的としているのではなく、そこの団体にいること、なんとなく活動に携わっていることに価値を置いている限り、世界は変わらないでしょう。世界に変化を与えることを考え、自ら主体的に学び行動していかない限り、世界は変わらないでしょう。そして、自ら主体的に学び行動していても、有効なアウトプットを生み出すことを目標にしない限り世界は変わらないでしょう。

日本の学生が、現在の姿勢のまま、なにも学ばず、国際協力に取り組んでいる自分に酔いしれ、国際協力団体に所属していることそれ自体に価値を感じ、国際協力的なことを話すMTGに参加していること、それだけで何かやってる気になっている、、、のであれば、どんなに多くの学生が取り組んでいたところで世界は変わりません。
国際協力という偽善の仮面をかぶった、自己満足にすぎないと思います。


本気で世界を変えたい、途上国に変化をもたらしたいと思うなら、まず、
・勉強しましょう
・本を読みましょう
・関連ある情報に敏感になりましょう
そして、
・成果を生み出すことに価値を置きましょう

意識そのものを変えることが大事だと思います。


Shunichiro



*補足です。
非常にラディカルな意見を言わせてもらいましたが、別にコミュニティとしてありたいのであればそれはそれで構わないと思うのです。先進国の学生同士での勉強会など、内輪での活動を目的としているのであれば別によいのです。しかし、国際協力という形で、自分たち以外の人間に積極的に関わろうとする限りは、自らに厳しい姿勢が求められると考えています。なぜなら私たちが国際協力活動という武器を中途半端に振りかざし、むやみに他人に関わっていくことで、もしかしたら関わった人々の人生を狂わす恐れがあると思うからです。

誰にも迷惑をかけない活動なら、姿勢だとかなんとかうるさいことは言いません。しかし、国際協力として、自分たちではない、誰か(例えば、その活動が対象としているインドの小学校の子供)に関わっていくのであれば、それなりの姿勢が求められるべきだと感じています。

思考メモ2月①【2014-No.14】

こんばんは。
Shunichiroです。

試験もいよいよ大詰めです。
しっかり単位取っていきたいな、って思います。




・円借款のカラクリ
円借款の構造の話ですね。日本は官僚制が非常に行き過ぎており、資金の使い方に融通が利かないのは、よく言われていますが、今回の記事の背後にもそのような力学が働いているように感じます。日本の税金の使い方や借金、ODAに至るまで、ありとあらゆる部分で日本の官僚制やお金に対する感覚が変わらない限り日本の未来はないように感じます。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38205#

・ルールメイキングが苦手な日本人
この記事に書いてあることって、よく言われることですよね。よく言われるVHSとベータ?の話や国際的なスポーツの分野においても、日本人はルールメイキングに苦手と聞きます。今後の世界の中で日本の技術水準、環境対策などなど含め、みずから市場のルールを創造していけるような広い視点を持った「構想力」が大事になるのではないか?と思います。
http://lite.blogos.com/article/79417/

・時代はデザイン、すなわち感性へのアプローチ
まさに文中の「ロジックでは説明できないような「感覚」とか「共感」とか「感動」みたいなものであれば、何でも研究対象になるわけですね」という言葉が全てを物語っているように感じます。以前のブログで草の根国際協力について考えたときも言及していたのですが、論理を越えた先にあるモノこそが意味をなす時代になるのかな、と思います。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38248

・クラウドが世界を変える
最近どんどん世界が変わっていきます。クラウドにより働き方が変わって来ているのは皆さんすでに感じられているのではないかと思うのですが、すでに事業の在り方、生まれ方さえも変わってきているように感じます。
http://social-design-net.com/archives/11993
http://monstar-lab.com/news/140203_01

・自社内からイノベーションを生み出す
イノベーションのジレンマという言葉はすでにみなさん御存知かもしれませんが、その対策として「宇イノベーションへの解」では、社内ベンチャーの設立や新規ベンチャーの積極的買収を挙げていました。紹介の記事では、社内ベンチャーを積極的に立ち上げ自らVCとなり育てていく取り組みですね。社員の創造性を活かし、かつ自社の事業にとってもよい取り組みに感じます。
http://techbabies.net/blog/google-ventures/ 



さて、非常に面白いプログラムを発見しました。
理系でない自分には非常に残念なのですが、興味ある方ぜひご参加されるとよいかと思います。
リクルートホールディング:http://recruit-jinji.jp/workshop2014/
世界の社会起業家やCSRを知るプログラム:http://www.worldstudy.jp/2014-1/



早く春休みに入って、ゆっくりと本を読んだりして過ごしたいと思います。何か面白い外部プログラムにも参加できたらいいな~。


Shunichiro