こんにちは。
Shunichiroです。
6月はゆるさ8割増しで参りたいと思います(笑)
さて、最近の悩みとして、(というか前からの悩みでもあるんですが、)
周りを気にして自分自身が100%出せないことがあるんですね~。
インターンが厳しいことで有名な某IT企業でコンサル系インターンやらせてもらっているのですが、選抜されたメンバーとはいってもやっぱりなんとなくのレベル感はあって、自分が本気出しすぎるとチームの中でアウトプットぶち抜いちゃって他のメンバーのためにならないんじゃないかとか思ってしまうんですね。(まあ、実際自分がそこまでやりきるには時間が、、、という問題もありますが。)
どういうことかというと、なんかの折にタスクぽーんと出たときに、
他のメンバーが10までやるところ、自分のアウトプットは20くらいまでは先に行ってしまっているということですよね。考える訓練というか、アウトプットに対する認識の違いというか、年齢の差というか。
そうすると、他の人が10しかやってない時に、20のアウトプット出てきたら、そうしてもその20のアウトプットが支配的な意見になってしまいかねないんですね。個人的にはそれがすっごい嫌で嫌で嫌で。。。
自分がこうしたいなって思っている理想の状態は、
みんなが20のアウトプットを持ち寄ったうえで、25のアウトプット、30のアウトプット、100のアウトプットに高めていくって形が本当に素晴らしい形だと思ってるんですね。
だからいつも、そうしたいと思って、その時点で出せる全力のアウトプットを持っていくのですが、そういう刺激的な議論になりにくいし、他の人のために(成長のために)なっているのかな~とか思ってしまって、最終的にどこかで自分の力を出し惜しみして、迎合してしまっている。。。
でも、それってすごくよくないことだな~と思ってるんですね。
自分にとっても相手にとっても。
まず、自分自身にとっては出し惜しみする癖がついてしまう気がするし、出し惜しみを続ける中で成長するなんてありえないと思うんですよね。みんな視点では、みんながみんな20じゃなくても、20を土台に21の部分に持っていくことは可能だし、その結果20起点と(出し惜しみした結果の)10起点では、やっぱり20起点の高いアウトプットになる可能性髙いんじゃないかなって思うんですよね。10起点でやって、20起点に届かなかった部分があるとしたらその差分って言うたら損失になりますよね。
それに本気出されなかったら、他のメンバーの心理的にもちょっと失礼というか。。。
そんな気もしてます。
そこで、自分の中で上がっている解決策として、
ワークショップの技法に似ているかもしれませんが。
わかっていることに関して道筋を立てるのは簡単なんですよ。
問題はわかっていなかったことをあぶり出し、既存のわかっていることを超越するようなところに考えを高めていくことが大事なんじゃないかと思います。
自分の思考の癖として、ふわふわして具体化されてないものをできる限り既知の状態まで持っていき、そのうえで道を考えるのは得意ですが、ふわふわしたものを具体化できない場合の展開に弱いんですね。
個人としての取り組みとしても、チームでの取り組みにしても、
ありゃ、真面目な文章になっちゃった(笑)
というところで、それでは~"(@´▽`@)ノ"""
Shunichiroです。
6月はゆるさ8割増しで参りたいと思います(笑)
さて、最近の悩みとして、(というか前からの悩みでもあるんですが、)
周りを気にして自分自身が100%出せないことがあるんですね~。
インターンが厳しいことで有名な某IT企業でコンサル系インターンやらせてもらっているのですが、選抜されたメンバーとはいってもやっぱりなんとなくのレベル感はあって、自分が本気出しすぎるとチームの中でアウトプットぶち抜いちゃって他のメンバーのためにならないんじゃないかとか思ってしまうんですね。(まあ、実際自分がそこまでやりきるには時間が、、、という問題もありますが。)
どういうことかというと、なんかの折にタスクぽーんと出たときに、
他のメンバーが10までやるところ、自分のアウトプットは20くらいまでは先に行ってしまっているということですよね。考える訓練というか、アウトプットに対する認識の違いというか、年齢の差というか。
そうすると、他の人が10しかやってない時に、20のアウトプット出てきたら、そうしてもその20のアウトプットが支配的な意見になってしまいかねないんですね。個人的にはそれがすっごい嫌で嫌で嫌で。。。
自分がこうしたいなって思っている理想の状態は、
みんなが20のアウトプットを持ち寄ったうえで、25のアウトプット、30のアウトプット、100のアウトプットに高めていくって形が本当に素晴らしい形だと思ってるんですね。
だからいつも、そうしたいと思って、その時点で出せる全力のアウトプットを持っていくのですが、そういう刺激的な議論になりにくいし、他の人のために(成長のために)なっているのかな~とか思ってしまって、最終的にどこかで自分の力を出し惜しみして、迎合してしまっている。。。
でも、それってすごくよくないことだな~と思ってるんですね。
自分にとっても相手にとっても。
まず、自分自身にとっては出し惜しみする癖がついてしまう気がするし、出し惜しみを続ける中で成長するなんてありえないと思うんですよね。みんな視点では、みんながみんな20じゃなくても、20を土台に21の部分に持っていくことは可能だし、その結果20起点と(出し惜しみした結果の)10起点では、やっぱり20起点の高いアウトプットになる可能性髙いんじゃないかなって思うんですよね。10起点でやって、20起点に届かなかった部分があるとしたらその差分って言うたら損失になりますよね。
それに本気出されなかったら、他のメンバーの心理的にもちょっと失礼というか。。。
そんな気もしてます。
そこで、自分の中で上がっている解決策として、
自分ができる部分までは全力でやる!その上で、自分が到達していない部分に関しては、思い切ってみんなの可能性に預けてみる!そんなやり方もありなんじゃないかということです。
ワークショップの技法に似ているかもしれませんが。
わかっていることに関して道筋を立てるのは簡単なんですよ。
問題はわかっていなかったことをあぶり出し、既存のわかっていることを超越するようなところに考えを高めていくことが大事なんじゃないかと思います。
自分の思考の癖として、ふわふわして具体化されてないものをできる限り既知の状態まで持っていき、そのうえで道を考えるのは得意ですが、ふわふわしたものを具体化できない場合の展開に弱いんですね。
個人としての取り組みとしても、チームでの取り組みにしても、
自分ができる部分までは全力でやる!その上で、自分が到達していない部分に関しては、思い切ってみんなの可能性に預けてみる!という不確定性の高いところにあえて自らの身を投じてみること、その楽しさやマインドセットを身に着けていきたいと思います。
ありゃ、真面目な文章になっちゃった(笑)
というところで、それでは~"(@´▽`@)ノ"""