2012年3月22日木曜日

孤独な闘いはできない

俺には孤独な闘いはできない。
自分の成果が社会にどう生きているか?誰かの笑顔を生み出せているか?その実感がないと戦えない。

現在、学んでいる工学。
例えば電気配線のよりよい溶接だとかエネルギーだとか発電パネルだとか・・・
実際に社会に生きている。
でも、それってすごい間接的であの車のあの部品のあの配線は俺が研究したんだぜ!
なんていうミクロなところで、そんな細かいところが改善されたからって誰かの笑顔に直接つながるわけではない。
そういった研究・取り組みもとても大事でそれがあるから俺たちはよりよい車・家電・大きく言う社会に生きることができている。
でも、俺は弱い人間だから、どこの誰が知っていてどこの誰が喜んでくれているかわかんないような取り組みができない。
やっぱり誰かのためになりたいし、誰かにありがとうって言われることしたいし、
誰かの笑顔をこの目で見えることをしたい。
俺は弱くてちっぽけな人間だから、直接自分が他人の役に立てているという実感が得られない活動ができないんだ。
孤独な闘いなんて俺にはできない。

適正技術。
俺が適正技術にこんなに魅力を感じている理由って、それなんじゃないかって思う。
「自分の取り組みが直接誰かの役に立てる」
この世の工学で社会に生きないものなんてない。
でも、こんなに直接的に誰かのためになれるものってとても少ないと思う。
自分が(自分たちが)作ったもので、途上国の人々に喜んでもらえて、使ってもらえて、それで生活が変わってよりよい生き方ができるようになる。
それってモノづくりの最上の喜びなんじゃないかな?

俺っていう人間は弱い。
だから、誰かのためになっているかどうかわからないような活動はできない。
だから、誰かの笑顔に出会えないような活動はできない。
だから、誰かのありがとうを見れない活動はできない。
孤独な闘いなんて俺にはできないんだ。

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