2012年8月9日木曜日

【過去ログ】工場見学から考えたロボット社会の到来と人類の課題


 私は工学部に所属しているのですが,経営学や国際協力の分野などにも興味があり独学ではありますが多くの書籍やセミナー等による外部リソースからも学んでおります.そのため工場見学をしている中では一エンジニアとしての視点だけでなく経営学やBoPビジネスといった観点からの疑問やあるいはモノづくりが直面している課題など様々なことについての思考がめぐりました.このレポートでは工場見学を通して芽生えた,お互いに関連性のある以下の3点についての考えを述べさせて頂きます.



1.産業用ロボットは本当に社会をより良くするのか?

2.CSR3.0視点からの新事業提案

3.工場見学で垣間見えた‘フクシマ’の存在







1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?

 ダイヘンの工場を見学している中で,非常に高度なロボットが溶接を行う様子を見たり,あるいは質疑応答の際に「ベテラン技術者が適切にロボットに教えればその通りの動きをする」というお話を聞いたりする中で,私は「将来ロボットが人間の雇用を奪うことになるのではないか?それならば,産業用ロボットは本当の意味で社会を良くすることに繋がるのだろうか?」という疑問が浮かびました.

 確かに現状ではまだまだ人間が行うべき仕事は多く,またロボット自体も未発達のため人間が雇用を奪われる恐怖を感じるほどの圧力は生じていません.しかし将来,産業用ロボットの開発・導入が進んだ場合,現在の単純労働やあるいはロボットで代替できる初~中級レベルまでの仕事はロボットに取って代わることになり,人間の雇用はロボット技術が追いついていないベテラン職人レベルの仕事かあるいは経営や管理システムなど高度に知的水準の高い仕事の極端な2つに分けられ,そうではない労働者,すなわち初~中級レベルの技術者・知的労働者は職を失うことになるのではと考えます.生き残るためには頭を鍛えるか腕を鍛えるかのどちらかしかありません.

 しかし,初~中級労働者がベテラン職人になるためには長期に渡る訓練が必要であり,上記のようなロボットの導入が進んだ社会では技術の訓練の場となる初~中級レベルの仕事がロボットに奪われており,初~中級技術者が腕を磨く場がありません.したがってベテラン技術者を育てるためには,ロボットより非効率・非経済を承知の上で初~中級技術者を雇用し職人へ育てていくか,あるいは企業として職人を得る方法が職人のヘッドハンティングという形になるかのどちらかになるのではと考えています.つまりロボットの導入によりベテラン技術者になる道は非常に狭くなり,将来にはベテラン技術者の高齢化,及び技術者を育てる土壌の消失によるベテラン技術者の絶対数の不足が訪れる危険も生じてしまいかねません.

また初~中級労働者がより高度な知的生産に携わるにはより高度な教育を修める必要があり,これを行うには現行の教育制度の変革かあるいは新入社員に対する高度教育を企業内で行なっていくというどちらかのアプローチが考えられます.企業として現実的なものは後者ではあるが人材育成にはコストがかかり,結局のところ人材育成費用とロボット導入による生産性向上のバランスが問われることになります.また人間にとって代わりうるロボットが開発された場合,それは日本を含む先進国だけでなくいずれは新興国でも導入が進んでいくことになり,新興国でも先進国と同じ水準の製造ができるようになります.その時先進国は人件費の安い=製造コストが低い=価格が安い新興国の製品にシェアを奪われることになります.それを回避するには日本のモノづくりも新興国で行うことにするか,ロボット技術が到達していない水準の高度な技術で逃げることしか出来ません.この場合も新興国の工場では現地の安い労働力を持つ現地の人達を雇用することになるため新たな雇用の増加とはならず,また日本での生産においても高度な知識・技術を持っていない初~中級労働者は職・雇用を失います.

では初~中級労働者の雇用はどこに行けばいいのでしょうか?この疑問に答える大きなヒントがある2.CSR3.0視点からの新事業提案について述べさせてもらいます.



2.CSR3.0視点からの新事業提案

  近年CSR(企業の社会的責任)の捉え方に変化が起きています.日本では1960年代の公害問題を機に企業活動の中で発生する外部不経済をできるだけ少なくしていこうというCSR1.0時代が始まり,社会の成熟とともにメソナやフィランソロピーという言葉で表されるような企業による社会貢献活動が行われるようになりました.このような取り組みはCSR2.0と言われ,ある種のボランティア的活動で企業のイメージアップにはなるがそれ以上のものではないと考えられています.しかし近年CSR3.0として,CSRを本業つまりビジネスの中の一つとして長期的な投資と捉えた持続可能でかつ将来的な増収を見越した経営戦略として行なっていこうという考え方が生まれています.このCSR3.0視点からの考え方が先ほどの疑問「ロボットの導入が進んだ場合の初~中級労働者の雇用はどこに行けばいいのか?」の有力なカギとなると考えます.

 ロボットの導入により日本国内のモノづくりはより高度技術・知識を必要とし初~中級労働者は職を追われ,またモノづくり拠点は新興国へとシフトしていきます.CSR3.0の考えかたを利用することで,このような社会の流れの中で初~中級労働者の雇用を確保し,それだけでなく初~中級労働者の技術・知識を伸ばしかつ社会貢献的意義を含んだCSR活動戦略を企業は取ることが出来ます.

 その戦略とは,ロボットの導入が遅れている,まだ進んでいない新興国へ格安で中古のロボットを売り出すとともに,現地へ初~中級労働者を送り出し彼等が現地での技術指導や生産管理を行うというものです.この戦略では,新興国でのロボット導入を促進させる効果を生むと同時に企業としても利益を得つつ初~中級労働者の人材育成にもつながります.また活動の結果,現地への技術移転や能力開発という社会貢献活動を行なっていることにもなります.事業性としては,現地へ売り出す格安中古のロボットでは利益率は低いですが,生活費などが安い新興国で初~中級労働者に働いてもらいしかも業務の中で人材育成が担保されていることを考慮すれば,日本で雇用し特別な人材育成の場を用意し,技術者を育てていくというアプローチより低いコストで行うことが可能なのではないかと考えます.また副次効果として,事業展開したその新興国においては現地人には馴染みのある企業として認識されることになり新興国が経済発展し所得水準が上がり正規の値段で買うことができるよった時には,なじみ深さからその企業の製品が選ばれやすくなるという,その国での強力なブランド力を持った企業・製品という比較優位に立つことができるようになります.つまり,このCSR戦略では国内の初~中級労働者の雇用を新興国という場で確保しつつ人材育成になりうるという面をも含めた長期的視野でのマーケティングと投資回収を可能にしています.



 ここで1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?という疑問の根本原因であるロボットの導入による初~中級労働者の雇用が失われるという問題は2.CSR3.0視点からの新事業提案により,解決しうるのではないかと考えます.よって以下では,ロボット導入による人間社会に与える影響として前向きな方向での検討を行い,当初の疑問1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?に答えていきます.

 

ロボットが導入された社会では,人間の果たす役割に変化が訪れると考えます.ロボットの役割は人間の代わりに作業を行うこと,人間の能力を強化・サポートすることが挙げられます.そのため産業用ロボットが導入された社会では,現在人間が行なっている単純労働やそれに準ずる役割はロボットが代わりにやってくれることになるため,人間は別の活動,すなわち人間にしか出来ない活動を注力して行うことができるようになります.またロボット社会では現在の社会構造とは違う新しい考え方や価値観が求められるようになるため、ロボット社会に適応する新しい社会を模索していく必要があります.

 まず,ロボットに出来なくて人間だけが出来る活動とは何なのか?それは,現状を解釈しまた問題の解決策を考える活動と新領域を開拓していく非常に創造性の高い活動の2つがあると考えます(注:ここでは人間の思いやりや心といった要素は除いて考察しています).ロボットができることはあくまで人間が想定している範囲内での活動です.そのためロボットの開発時点で人間が発生を想定していなかった問題の解決やあるいは事象の解釈をロポットに望むことは出来ません.しかし,人間は思考し社会に発生する問題や事象を解釈し問題を解決することが出来ます.ゆえに現状を解釈し問題を解決する活動は,ロボットには出来ないが人間にはできる活動です.また先述の通りロボットが人間の先を行くことは出来ません.あくまで,開発時点で人間が知っていることを反映したものです.そのため人間に求められるのは,新しい技術や今までにないひらめきといった非常に創造性が高い活動なのです.すなわちロボットが導入された社会では,人間には今まで以上に突飛で高度な知識レベルが求められ,加えて非常に高い創造性を持つことが求められます.

 またこのような社会では上記のような高度な知的水準が要求されるため,教育のあり方を含めた包括的な社会構造の変化が必要です.ロボット社会で人間に求められることになる現在より高度な知識を得るためには教育期間が長くなり,雇用が始められる年齢は上昇します.また教育内容としても問題解決力や創造性を高めるような教育を導入していく必要があるでしょう.また教育を受けている人口が増えるため,生産年齢人口が減少し税収が減り経済活動の活発さにも影響が起こりえるため,保険制度や税制の変化や,あるいはそもそも雇用による賃金で生計を立てていくという現在の仕事とお金に関する価値観も変化していく必要もあるかもしれません.

 以上の考察のまとめとして,産業用ロボットの導入により人間は本当に人間が行うべき活動に注力することが可能になり,またロボットの導入により浮いた人件費は新興国の発展に寄与する形で配分していくことが可能になり,社会がより良くなる方向に動く力学を形成することができる.しかし,ロボットの導入と並行して我々人間自身の考え方や社会の価値観に変化を起こして行かなければ,生じた力学を適切に活かすことが出来ず,雇用自体の絶対数の減少や必要になる知的水準を満たす人材の供給不足になりかねない.したがって,1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?という疑問に対して「ロボットの導入は確かに人間の社会をより良くしていく可能性を持っているが,ロボットの導入と同時にロボット社会に適合した人間社会のあり方を構築していく必要がある」と私は考えます.



3.工場見学で垣間見えた‘フクシマ’の存在

 こういった思考の先に考え至ったのが,現在ロボット生産に携わっている人々は将来自分が作ったロボットに自分の雇用を奪われるのではないか?という問題意識やその技術が使われている将来を描きながら生産をしているのか?という点である.

これはどういうことか?技術それ自体は技術でしかなく、そこには善も悪もない。しかし、技術に解釈を与えその使い方を考え実際に使用していくのは私たち人間である.ゆえに私たち人間は技術に対してその技術の持つすべての側面を理解した上で使い方を考えていかなければならないと考える.昨年の311以降非常にホットな話題となっている原子力技術.これは技術のすべての側面を公正に理解した上で利用方法を考えるべきという考えのいい例である.原子力技術はひとつの面では人間に多大な電力をもたらす技術ではあるが,ひとつの面では放射能により人間を苦しめる可能性があり,ひとつの面では戦争に利用すれば最悪の兵器となる.こういった技術のいろんな側面を理解しその上で議論を重ねて利用方法を決定していくことができていれば,ある側面から生じる害悪への対策を立てることもできるようになる.フクシマが議論となっているのは高度成長期の政府・マスコミによる原発安全神話や二酸化炭素を排出しない発電方法であるといった技術のある一面のみを過剰に取り扱った報道のせいで,公正な議論がなされず大衆の世論が形成されないうちに話が進んでしまったからだと私は考える.過去の時点で,原子力技術のすべての面を公正に開示し大衆の議論を促し,その上で同意・納得を得られる意志決定プロセスを経たのであれば,原発家屋の安全性への対処や核廃棄物処理・原発周辺の都市開発のあり方など包括的な対策を行うことは可能であったはずだ.このような例から、技術の生みの親である開発者,現場のエンジニア,一般市民,議員,官僚,マスコミ・・・といったそれぞれの身分に関係なくあらゆる個人が技術のあらゆる側面を公正に知りその上で技術の使い方を考えその技術が導く社会のあり方をイメージし,意見を形成すること.その過程が非常に大事なのであると考えることができる.

したがって,現場で生産しているエンジニアに対しても,彼等が扱う技術がどんな側面を持ちどんな利用方法が最適か考え,各自の意見が形成されるように企業としてちゃんと促していくことが求められる.もし自分たちが扱う技術の色んな可能性を考えるような風土を形成していないのであれば,どんな技術にとっても‘フクシマ’が存在してしまうことになる.フクシマを繰り返さないためにも私たちが学ぶべきことは,技術に対する私たちの意見を正しく形成できる社会を作り,公正で適切な議論を経た上で意思決定を行うというプロセスを徹底的に行なっていかなければならないということなのではないだろうか.

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