2013年5月7日火曜日

国家/組織の終焉→個人の時代の到来へ

こんにちは。
Shunichiroです。

まるでダムが放水するかのように、GW中に考えていたことを吐き出しています。
前回2回のエントリでこれから激動の時代に入るということ、その時代では自分の生き方を持ち、個人として生きる力を身につけることが大事だと書かせてもらいました。


今回は個人で生きるということについて書かせてもらいます。
現在まで世界の形は国、国家によって統治され安定化されてきました。またその国の中で企業などの組織は存在をある程度保護され、活動をしてきました。個人はその国、企業などの組織に守られる形で生活することができました。特に日本の成長を前提に置いた、年功序列賃金制や年金、社会保障などは私たち個人にとって大きな守護者でした。

しかしこれからの時代(もうすでに)、こういった年功序列や終身雇用制度、社会保障などはなくなっていくか、あっても瀕死の状態となっていき、私たち個人を十分に守ってくれなくなります。
すでに年功序列やなくなりつつあり、年金制度は崩壊しかけている現状の中で、さらに追い打ちをかける様にTPPやグローバルな労働人材競争が襲ってきます。


先日ユニクロの柳井会長が「年収100万円でも仕方がない」という発言をし、物議を醸しました。世間ではユニクロのことを「ブラック企業だ!」と叫び、ユニクロが問題を抱えている企業化のように言うオピニオンが多いですが、本質はそこではないと私は思っています。

多くの企業が業績悪化を抱え、コスト削減を目指しています。まずは無駄な電気代や経費の節約から入るでしょうが、コスト削減の行きつく先は最終的には人間なのです。そのため多くの企業がコストの高い日本人ではなく、コストの安い途上国に向かっていきます。今のように日本人に高い賃金を払っていたのでは、経営が成り立たないのです。どの企業もこれをわかっていても、日本人の給料を下げるなんて言い出せなかったのです。

しかし、今回ユニクロの柳井会長がそれを‘言ってしまいました’。
日本人の給料が今のように高いままだと経営がやっていけない。このグローバルな世界では日本人も相応の給料に是正されるべきだ、と公言してしまったのです。これによって世間ではこの考えが広まり、公然の事実として受け止められるでしょう。グローバル化したこの世界ではどの企業も海外に進出しないと生き残れない、という考えがいつの間にかすべての人の頭の中にインプットされてしまったみたいにね。

年収100万円でどう生きていけますか?
今までは最低限しっかりした生活を送れるだけの賃金が当たり前のように保障されてきました。しかし、これからはどうかわかりません。


そして、国も。
これからどんどん増税が始まり、社会保障がワークしなくなり、さらにTPPの導入によりアメリカ式に企業が社員をリストラしやすくして行くでしょう。国が私たち個人を守ってくれなくなるだけでなく、国が背負う負担をも背負うことになっていきます。
最近起こったキプロスの現状。
国の財政破綻により、キプロス国民がお金を預けている銀行口座に課税をしました。国が国民の財産を収奪しているのです。国家の借金、政治家の腐敗、外交の失敗、政策の失敗・・・そういったもののツケが私たち国民に押し付けられるようになっていくのです。






こういった大きな流れを考えると、私たち個人が個人として生きる力を身につけなければならないと思うのです。企業や国家に頼るのではなく、個人として生きられる力を、そのための方法を身につけていかなければならないと思うのです。

個人として生きるために私たちは何ができるでしょうか?





Shunichiro

今後何が起こるのか?

おはようございます。
Shunichiroです。

先ほどのブログでは、
特にこれからの10年20年30年、つまり私たちが生きていくこの時代は非常に激動の時代になると思っています。16世紀西洋のルネサンス、18世紀後半日本での明治維新、そして20世紀前半の世界大戦を迎えた時代・・・これらの時期を凌駕するほどの大きな変化が起こると私は思っています。今までの常識やルールが全く通じなくなり、その過程で非常に大きな社会的混乱や暴力、退廃等が進んでいくと思います。
と述べましたが、いったい何が起こっているのか?何が起こると思っているのか?小生の見識ではありますが簡単に列挙させてもらいたいと思います。

・TPP
・米中経済冷戦
・国家の退廃、崩壊
・多国籍企業の台頭
・デモや暴力の横行
・政治の腐敗
・格差の‘超’拡大
・メディアによるプロパガンダ、洗脳
・日本の軍事化
・増税
・国による国民の生活の規制
・財産の収奪
・環境問題の悪化
・さらなる資源戦争
・・・
現在なんとなく思っていることなどを挙げさせてもらいましたが、まだまだあると思います。それぞれの事象については今回は触れませんが、こういったことが起こりうる、そしてその兆しが既に見えてきているということです。


じゃあ、こんな世の中で自分はどうしたらいいのか?日本はどうなってしまうのか?世界はどうなってしまうのか?と不安に思うかもしれません。

私はこの答えを持っているわけではありませんが、私が言えることは二つです。
一つ目はエントリの繰り返しになりますが、まず自分なりの生き方をしっかり持つこと。二つ目は、国や企業がなくとも自分個人で生きられる方法を身につけること。
だと思います。


まだまだ時すでに遅しというわけではありません。
困難な時代の前に、そのための準備をもう始めていてもいいかもしれませんね。




Shunichiro

こんな時代だからこそ・・・

おはようございます。
Shunichiroです。

今日からまたいつも通りの生活が始まりますね。
GWはいかがお過ごしでしたでしょうか?


実は私はGW中に誕生日を迎え、24歳になりました。
それもあって、GW中はこれからの生き方(というと大げさですが)を考えていました。
こんな時代に生き方もクソもあるか!と思われるかもしれませんが、私は自らの生き方を自分なりにしっかり持っていることは非常に大事だと思っています。

特にこれからの10年20年30年、つまり私たちが生きていくこの時代は非常に激動の時代になると思っています。16世紀西洋のルネサンス、18世紀後半日本での明治維新、そして20世紀前半の世界大戦を迎えた時代・・・これらの時期を凌駕するほどの大きな変化が起こると私は思っています。今までの常識やルールが全く通じなくなり、その過程で非常に大きな社会的混乱や暴力、退廃等が進んでいくと思います。
そんな世の中だからこそ、自分なりの生き方をしっかり持っていなければ、時代に翻弄される人生になってしまうのではないか?と思います。


私のブログのタイトル「Noblesse Oblige」は、私の生き方/人生哲学を表わしたものです。
‘Noblesse Oblige’の意味は、wikipediaによると
ノブレス・オブリージュnoblesse obligeフランス語発音: [nɔblɛs ɔbliʒ] ノブレッソブリージュ)とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、日本語では「位高ければ徳高きを要す」などと訳される。一般的に財産権力社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。
ということになっていますが、私の中では「徳高き人間の生き様」と定義づけています。

これは何も私が徳の高い人間であると言っているわけではなく、この広い世界の中でも日本という恵まれた国に生まれ、両親のもと健やかに育てられ、その過程で多くの先達にご教示をいただき、大学でも勉強させていただいている・・・そんな境遇は世界全体で見たら本当に少数の数%の人間でしょう。それはこのブログを読んでいるあなたも同じだと思います。
私は本当に素晴らしい機会に恵まれ、成長させていただけたと特に思っております。だからこそ、私はこのご恩をお世話になった人たちに返していきたいし、ひいては社会に役に立つ人間になりたいという思いを持っています。

それが私の生き方「Noblesse Oblige」です。


冒頭で述べたような激動の時代では、こういった生き方を完遂するのは非常に難しいかもしれませんが、むしろこういった時代だからこそ、自分なりの生き方を全うできるかどうか?自分の精神の強さを試されているのではないか?と思います。

まだ24歳、でももう24歳。
平均寿命で考えたら、あと60年もある、でも60年しかない。
その人生をどう生きるのか?

今後迎えるのは、昨日までの常識が全部ひっくり返っていく時代。
こんな時代だからこそ・・・自分なりの生き方をしっかり持ち、それをどこまで貫けるか?を自分自身の人生の尺度にしてみてもいいのではないのでしょうか?

このGW、24回目の誕生日を迎え、そんなことを改めて考え直していました。





Shunichiro