こんばんは。
Shunichiroです。
先ほどのエントリー「シャープに生きる」Makers Summitというイベントでの、川崎和男先生や石黒浩先生の社会のタブーにあえて挑むというシャープな姿勢に魅力を感じたというお話をさせてもらいました。しかし、世の中ではシャープな人間というのは、とかく嫌われてしまい、時には排除されます。特に日本では「空気」が大事にされすぎているため、あえて空気を壊そうとする人は日本では受け入れられません。
では、シャープな人間が社会でうまくやっていくためにどうしたらいいでしょうか?
それには、二つの条件があると思います。一つは「誰にも文句を言わせない、実力と権力」。もう一つは「シャープさをユーモアに変える」。
今回の記事では、この二つについて(特に後半のユーモアへの変換について)考えて生きたいと思います。
まず、一つ目の点「誰にも文句を言わせない実力と権力」については、言うまでもないですよね。日本だけでなく世界でも高い評価を受けるだけの実力を備え、かつその業界で圧倒的な権力を持っている人間には、誰も逆らえないでしょう。むしろ、そのような立場の人間の言葉だからこそ、社会も苦々しく思いつつも、その発言を受け入れていかざるを得ないでしょう。
二つ目の「シャープさをユーモアに変える」は容易には伝わりにくいかもしれません。筆者の拙い文章力ではありますが、感じていることを述べさせていただきたいと思います。
ただ単に社会のタブーに真正面からぶつかっていくだけでは、社会の排除圧力もより強固に働いていきます。しかし、シャープに切り込んだ本質部分というのは、みんななんとなく気づいているけども声を上げにくい、といったところもあると思います。そこをうまく突き、ある種の‘ブラックジョーク’として、発信するからこそ、多くの人の胸に刺さるユーモアとして成立するのではないでしょうか?
ベネズエラの故チャべス大統領は、反米として非常に有名で、反米国家の間では人気がありました。そのチャべス大統領は国連の議会の場で、先日アメリカ大統領も登壇した壇上でプレゼンテーションを行う際に「先日、ちょうどこの場に悪魔が下りました。アーメン」といって、十字を切ったことがあるそうです。
‘悪魔’とは誰のことを指しているのかわかりますよね。このブラック・ジョークによって、会場の反米国家は大喝采、親米国家は苦笑いだったそうです。
他にも、明治時代の‘風刺画’等は、そういうブラック・ジョークが社会に認められたいい例かもしれません。
社会のタブーに切り込んでいても、それをうまいブラック・ジョークというユーモアに転換できれば、排除圧力を抑制することができます。世の中に対して、シャープに生きていきたい人間にとっては、シャープさをユーモアとして、社会に提唱できるようになることが必要な能力かもしれませんね。(自戒の意味も込めて)。
Shunichiroです。
先ほどのエントリー「シャープに生きる」Makers Summitというイベントでの、川崎和男先生や石黒浩先生の社会のタブーにあえて挑むというシャープな姿勢に魅力を感じたというお話をさせてもらいました。しかし、世の中ではシャープな人間というのは、とかく嫌われてしまい、時には排除されます。特に日本では「空気」が大事にされすぎているため、あえて空気を壊そうとする人は日本では受け入れられません。
では、シャープな人間が社会でうまくやっていくためにどうしたらいいでしょうか?
それには、二つの条件があると思います。一つは「誰にも文句を言わせない、実力と権力」。もう一つは「シャープさをユーモアに変える」。
今回の記事では、この二つについて(特に後半のユーモアへの変換について)考えて生きたいと思います。
まず、一つ目の点「誰にも文句を言わせない実力と権力」については、言うまでもないですよね。日本だけでなく世界でも高い評価を受けるだけの実力を備え、かつその業界で圧倒的な権力を持っている人間には、誰も逆らえないでしょう。むしろ、そのような立場の人間の言葉だからこそ、社会も苦々しく思いつつも、その発言を受け入れていかざるを得ないでしょう。
二つ目の「シャープさをユーモアに変える」は容易には伝わりにくいかもしれません。筆者の拙い文章力ではありますが、感じていることを述べさせていただきたいと思います。
ただ単に社会のタブーに真正面からぶつかっていくだけでは、社会の排除圧力もより強固に働いていきます。しかし、シャープに切り込んだ本質部分というのは、みんななんとなく気づいているけども声を上げにくい、といったところもあると思います。そこをうまく突き、ある種の‘ブラックジョーク’として、発信するからこそ、多くの人の胸に刺さるユーモアとして成立するのではないでしょうか?
ベネズエラの故チャべス大統領は、反米として非常に有名で、反米国家の間では人気がありました。そのチャべス大統領は国連の議会の場で、先日アメリカ大統領も登壇した壇上でプレゼンテーションを行う際に「先日、ちょうどこの場に悪魔が下りました。アーメン」といって、十字を切ったことがあるそうです。
‘悪魔’とは誰のことを指しているのかわかりますよね。このブラック・ジョークによって、会場の反米国家は大喝采、親米国家は苦笑いだったそうです。
他にも、明治時代の‘風刺画’等は、そういうブラック・ジョークが社会に認められたいい例かもしれません。
社会のタブーに切り込んでいても、それをうまいブラック・ジョークというユーモアに転換できれば、排除圧力を抑制することができます。世の中に対して、シャープに生きていきたい人間にとっては、シャープさをユーモアとして、社会に提唱できるようになることが必要な能力かもしれませんね。(自戒の意味も込めて)。
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