2014年2月6日木曜日

途上国開発における感性的アプローチの可能性【2014-No.16】

こんにちは。
Shunchroです。

ちょうど〆切が迫っているレポートがあるのですが、なかなか進まなくて少々困っています。そこで今回の記事ではレポートに書く内容のことを、まずブログというラフな形でまとめてみたいと思います。 いつもブログを書くときはすんなり記事にできることが多いです。もちろん定量的なデータやエビデンスを引用したりしていないということもありますが、何より自分の中でストーリーが見えているためにすんなり書けているのではないかと思うんですね。
今回はそれを利用し、まずブログベースにてゆるく全体のストーリーを書き出し、その後に言葉遣いや目次整理、データやエビデンスを追加してレポートという形にしていきたいと思います。

人間不思議なものですね。同じ内容でも、レポートを書こうと思うと頭の中も固くなり文章が出てこなくなり、反面ブログにしようと思うと肩の力も抜け文章も浮かんできます。上手くこういった作用を
利用しながら、進めていきたいな~って思います。
まずはブログベースで(笑)



今日は途上国開発における感性的アプローチの可能性について記事にしていきたいと思います。途上国開発って言うと、世銀、UNDPODAだとかのアクターによるいわゆる「上からの開発」のイメージが強いですよね。実施されるプロジェクトも何十枚、時には百枚以上にもわたる詳細な調査を経たうえで綿密な計画で以て行われています。

しかし、以前の記事にも取り上げましたが、モザンビークの武器アートによるエンパワーメント事例や光の音符の音楽活動を用いたエンパワーメントの事例をみると、彼らの行っている芸術活動を用いたエンパワーメント効果は、必ずしも詳細な調査を経て立案され、綿密な計画によって実施されたわけではありません。アクターの強い意志や直観、あるいは物事が進むままにプロジェクトが進んでいったのですが、その結果「下からの開発」とでも言うべき、住民を巻き込んだ主体的な行動を生み出しています。


「上からの開発」においては、なかなか住民の主体性を引き出せていないとして、参加型開発手法や住民のオーナーシップという言葉が生まれ、プロジェクトの実施に当たって住民の参加・主体性を大事にするようにしていますが、これらの草の根NGOでは意図していたかどうかは別として住民主体の「下からの開発」を生み出しています。

この違いって何なんでしょうね?


「上からの開発」と「下からの開発」の違いについて考えると、事例において大きな差異は感性に訴えかけるアプローチであるということが挙げられると思います。
モザンビークではアート、光の音符では音楽。

人間が豊かに生きる上で、産業基盤を整えたり、市場へのアクセスを整えたり、あるいは食を確保するための営みも非常に大事です。これらがないと生活ができません。しかし、芸術活動もまた人間が豊かに生きるためには大事な要素であると思います。そして芸術活動などは食や産業基盤と言った大きなものよりも、自己のアイデンティティの形成や心の豊かさにつながりやすく、そのために産業基盤などの「上からの開発」に比べて、芸術活動などは住民の主体的な参加「下からの開発」を起こしやすいのではないか?と考えます。

人にとっての芸術の意味とは、まさにアイデンティティの形成なのです。プロジェクトに参加することで、まさに自分自身のアイデンティティを育む効果があるために、自らをそれを求めるようになっていくのではないでしょうか?



今も昔も、途上国開発とは、綿密な調査・計画に基づいて行われいて来たものですが、このような草の根NGO活動などを見ると、芸術など今まで全く注目されない、ともすれば蔑視の対象にさえされがちな活動でも、実は非常な成果を挙げる可能性を持っていると考えられますね。
従来の開発という言葉に惑わされず(そしていわゆる論理だとかロジックだとかばかり言ってる頭のお固い方々に惑わされず)、色んな手法の可能性を知っていきたいです。



さて、これをエビデンスなどで肉付けして、レポートにしていきたいと思います。


Shunichiro


2014年2月5日水曜日

理論→実践→フィードバック→理論、、、【2014-No.16】

こんばんは。
shunichiroです。

さて、今日はまとまった更新ですね。
最近時間がうまくとれていないのと、あとは集中力でしょうかね。まとまった更新になる日が多いような気がします。ちゃんと分散して、ペースを守って更新していきたいです。


先ほどなかなかラディカルな記事を書きましたが、やはり大事なのは実践だけでなく理論もしっかり学ぶことなんですよね。学生団体ってえてして実践ばかりになってしまうのですが、理論もちゃんと学びながら活動してほしいなって思うんですね。

ただ、そうやって考えてて、理論と実践だけではなく、さらにフィードバックも大事だと考えるようになりました。今回の記事ではフィードバックについて考察していきます。



よく理論と実践はセットで語られることが多いのですが、私はそれにフィードバックを加えることも大事だと思います。PDCA=Plan Do Check Actionというフレームワーク?はよく言われますが、PDCAでもCheckとActionちゃんと考察していますよね。理論と実践の枠組みも一緒だと思うんです。ちゃんとフィードバックもあってこそ、適切に機能するのではないかと思います。

特に最近ですと、ビックデータという話題もあり、色んな場面でフィードバックを行うことが可能な環境が出来上がりつつあります。現在はビジネスという分野において非常に脚光を浴びておりますが、これは国際開発分野にはもちろん、またその他あらゆる分野でデータによるフィードバックが適用可能であると考えます。

例えば、国際開発においてRCMという手法やインパクトトラッカーがまさにこれにあたりますね。また学生活動でも、広報手法Aと広報手法Bではどちらの方が効果が高いか?等こういった部分でもささやかながらデータを利用したフィードバックが可能であると思います。

先ほどの記事では、理論を学ぶことと成果を生み出すことばかり強調してしまいましたが、適切にデータを集め、また適切にフィードバックを行うことは理論と成果を補完する上で非常に大切だと思います。特に成果を評価するに当たってはデータの存在は非常に心強いサポートになります。


実践を繰り返し、感覚的に改善を繰り返していくことも大事ですが、データを用いたフィードバック方法なども取り入れてはいかがでしょうか?理論と実践とフィードバックの3者がそろったとき、パフォーマンスや成果や生産性は劇的に変化していくものと思います。


Shucnihriro

今の日本の国際協力学生には世界は変えられない(*非常にラディカルな意見を載せています。不快に感じる方はご覧にならなくて結構です)【2014-No.15】

こんばんは。
Shunichiroです。

今回の記事は非常にラディカルな意見を載せています。
私自身、色んな学生と接してきた中で前から感じていた問題について取り上げてみたいと思います。ご不快に感じる方もいるかもしれません。そのような方はご覧にならないほうがよいと思います。ただ見なかったところで、そこには何も変化のない今までと同じあなたがいるだけです。私の意見にご不満やご意見等ある方はぜひコメントくださいませ。


さて、最近非常に考えさせられることがあります。
今日も国際協力系団体のMTGに参加していました。多分この日本中を見たら、同じ時間帯に国際協力について活動している学生が何百人といることと思います。また先週のワンワールドフェスティバルにも何百人の方々が訪れていたように思います。

しかし、そのような様子を見ていて、私にはふとある疑問が浮かびました。

なんでこんな多くの方が時間・お金・熱意等などエネルギーを費やしているのに、世界は変わっていないのだろう?


色んな方が色んな思いのもと、それぞれの活動に熱意を感じて取り組んでいるのは結構なことだと思います。それ自体は非常に素晴らしいことだと思います。しかし、世界には未だに貧困・飢餓・衛生、、、といった課題を抱えている人が何十億人も存在しています。
世界は変わっていないのです。

もしかしたら、私の知らないところで私の知らない形で世界が変わっているのかもしれません。あるいは、色んな人が頑張っているおかげで悪化することがなく、現状があるのかもしれません。それは分かりません。


しかし、私が感じるのは、こんなにも多くの人がそれぞれ膨大なエネルギーを費やしているにも関わらず、なぜ変化がないのか?ということです。

すなわち、活動の結果がアウトプットとして表れていない、もしくは質のあるアウトプットが生み出されていない、のではないかと思います。もちろん開発は長期的な視野に立つものであるために、未だに成果が目に見える形になっていない可能性は考えられます。しかし、私が特に感じるのは質のあるアウトプットが生まれていない、という点への問題意識です。

なぜ質のあるアウトプットが生まれていないのか?
私が周囲の国際協力系学生と接していて感じるのは、質のあるアウトプットを生み出すという意識に欠けているということです。国際協力に携わっていることが価値のあるように感じている、すなわち取り組んでいることそれ自体に価値をおいてしまっているように感じます。国際協力活動として途上国の他者に価値を届けることではなく、国際協力活動としてのコミュニティに参加していること自体に意義を感じているように思います。

その証左の一つが、国際協力学生における国際協力への勉強量の少なさです。
私の所感ですが、国際協力に取り組んでいると言いながら、その実、国際協力について自ら学んでいる人は非常に少ないです。トリクルダウン、参加型アプローチ、プロジェクトサイクルマネジメント、、、色んな手法の存在を知らない人すらおり、また開発における各種論議などにも明るい人は少ないです。

どんな分野においても同じだと思いますが、有効な成果を生もうと思ったら、自ら学び自ら考え自ら行動し、そしてフィードバックを取り入れ、また学んでいく、、、そのような姿勢が求められるはずです。しかし、私が知る限り、そのような姿勢を持って行動している国際協力学生、および団体は非常に少なく、自分の周囲何十人を見ても5指に満たないほどに感じます。

(このようなことを言っていて、じゃあ自分はどうなんだよ!となると思いますが、私は年間400冊以上読書を行い、年間100本以上ブログとして考えをまとめ、また大学内外部のセミナーにも(例え有料でも)積極的に参加し、色んな方の考え方をお伺いしたり、色んな方のお話を伺い、議論したりしています。国際協力活動だけに絞っての、年間の自己投資額は20万円はくだらないでしょう(学生にしては生活が苦しいほどの出費です)。それでも、まだまだ読めていない本はたくさんあるし、泣く泣く行くことができなかったセミナーも山ほどあります。いつも、自分自身の知識・経験、そして人生における時間の少なさを痛感しております。)



自らの所感を通して、考えていることは、学生が現在の姿勢のままで国際協力に携わっていても世界は変わらない、ということです。途上国に変化を起こすことを目的としているのではなく、そこの団体にいること、なんとなく活動に携わっていることに価値を置いている限り、世界は変わらないでしょう。世界に変化を与えることを考え、自ら主体的に学び行動していかない限り、世界は変わらないでしょう。そして、自ら主体的に学び行動していても、有効なアウトプットを生み出すことを目標にしない限り世界は変わらないでしょう。

日本の学生が、現在の姿勢のまま、なにも学ばず、国際協力に取り組んでいる自分に酔いしれ、国際協力団体に所属していることそれ自体に価値を感じ、国際協力的なことを話すMTGに参加していること、それだけで何かやってる気になっている、、、のであれば、どんなに多くの学生が取り組んでいたところで世界は変わりません。
国際協力という偽善の仮面をかぶった、自己満足にすぎないと思います。


本気で世界を変えたい、途上国に変化をもたらしたいと思うなら、まず、
・勉強しましょう
・本を読みましょう
・関連ある情報に敏感になりましょう
そして、
・成果を生み出すことに価値を置きましょう

意識そのものを変えることが大事だと思います。


Shunichiro



*補足です。
非常にラディカルな意見を言わせてもらいましたが、別にコミュニティとしてありたいのであればそれはそれで構わないと思うのです。先進国の学生同士での勉強会など、内輪での活動を目的としているのであれば別によいのです。しかし、国際協力という形で、自分たち以外の人間に積極的に関わろうとする限りは、自らに厳しい姿勢が求められると考えています。なぜなら私たちが国際協力活動という武器を中途半端に振りかざし、むやみに他人に関わっていくことで、もしかしたら関わった人々の人生を狂わす恐れがあると思うからです。

誰にも迷惑をかけない活動なら、姿勢だとかなんとかうるさいことは言いません。しかし、国際協力として、自分たちではない、誰か(例えば、その活動が対象としているインドの小学校の子供)に関わっていくのであれば、それなりの姿勢が求められるべきだと感じています。

思考メモ2月①【2014-No.14】

こんばんは。
Shunichiroです。

試験もいよいよ大詰めです。
しっかり単位取っていきたいな、って思います。




・円借款のカラクリ
円借款の構造の話ですね。日本は官僚制が非常に行き過ぎており、資金の使い方に融通が利かないのは、よく言われていますが、今回の記事の背後にもそのような力学が働いているように感じます。日本の税金の使い方や借金、ODAに至るまで、ありとあらゆる部分で日本の官僚制やお金に対する感覚が変わらない限り日本の未来はないように感じます。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38205#

・ルールメイキングが苦手な日本人
この記事に書いてあることって、よく言われることですよね。よく言われるVHSとベータ?の話や国際的なスポーツの分野においても、日本人はルールメイキングに苦手と聞きます。今後の世界の中で日本の技術水準、環境対策などなど含め、みずから市場のルールを創造していけるような広い視点を持った「構想力」が大事になるのではないか?と思います。
http://lite.blogos.com/article/79417/

・時代はデザイン、すなわち感性へのアプローチ
まさに文中の「ロジックでは説明できないような「感覚」とか「共感」とか「感動」みたいなものであれば、何でも研究対象になるわけですね」という言葉が全てを物語っているように感じます。以前のブログで草の根国際協力について考えたときも言及していたのですが、論理を越えた先にあるモノこそが意味をなす時代になるのかな、と思います。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38248

・クラウドが世界を変える
最近どんどん世界が変わっていきます。クラウドにより働き方が変わって来ているのは皆さんすでに感じられているのではないかと思うのですが、すでに事業の在り方、生まれ方さえも変わってきているように感じます。
http://social-design-net.com/archives/11993
http://monstar-lab.com/news/140203_01

・自社内からイノベーションを生み出す
イノベーションのジレンマという言葉はすでにみなさん御存知かもしれませんが、その対策として「宇イノベーションへの解」では、社内ベンチャーの設立や新規ベンチャーの積極的買収を挙げていました。紹介の記事では、社内ベンチャーを積極的に立ち上げ自らVCとなり育てていく取り組みですね。社員の創造性を活かし、かつ自社の事業にとってもよい取り組みに感じます。
http://techbabies.net/blog/google-ventures/ 



さて、非常に面白いプログラムを発見しました。
理系でない自分には非常に残念なのですが、興味ある方ぜひご参加されるとよいかと思います。
リクルートホールディング:http://recruit-jinji.jp/workshop2014/
世界の社会起業家やCSRを知るプログラム:http://www.worldstudy.jp/2014-1/



早く春休みに入って、ゆっくりと本を読んだりして過ごしたいと思います。何か面白い外部プログラムにも参加できたらいいな~。


Shunichiro