こんにちは。
Shunchroです。
ちょうど〆切が迫っているレポートがあるのですが、なかなか進まなくて少々困っています。そこで今回の記事ではレポートに書く内容のことを、まずブログというラフな形でまとめてみたいと思います。 いつもブログを書くときはすんなり記事にできることが多いです。もちろん定量的なデータやエビデンスを引用したりしていないということもありますが、何より自分の中でストーリーが見えているためにすんなり書けているのではないかと思うんですね。
今回はそれを利用し、まずブログベースにてゆるく全体のストーリーを書き出し、その後に言葉遣いや目次整理、データやエビデンスを追加してレポートという形にしていきたいと思います。
人間不思議なものですね。同じ内容でも、レポートを書こうと思うと頭の中も固くなり文章が出てこなくなり、反面ブログにしようと思うと肩の力も抜け文章も浮かんできます。上手くこういった作用を
利用しながら、進めていきたいな~って思います。
まずはブログベースで(笑)
今日は途上国開発における感性的アプローチの可能性について記事にしていきたいと思います。途上国開発って言うと、世銀、UNDP、ODAだとかのアクターによるいわゆる「上からの開発」のイメージが強いですよね。実施されるプロジェクトも何十枚、時には百枚以上にもわたる詳細な調査を経たうえで綿密な計画で以て行われています。
しかし、以前の記事にも取り上げましたが、モザンビークの武器アートによるエンパワーメント事例や光の音符の音楽活動を用いたエンパワーメントの事例をみると、彼らの行っている芸術活動を用いたエンパワーメント効果は、必ずしも詳細な調査を経て立案され、綿密な計画によって実施されたわけではありません。アクターの強い意志や直観、あるいは物事が進むままにプロジェクトが進んでいったのですが、その結果「下からの開発」とでも言うべき、住民を巻き込んだ主体的な行動を生み出しています。
「上からの開発」においては、なかなか住民の主体性を引き出せていないとして、参加型開発手法や住民のオーナーシップという言葉が生まれ、プロジェクトの実施に当たって住民の参加・主体性を大事にするようにしていますが、これらの草の根NGOでは意図していたかどうかは別として住民主体の「下からの開発」を生み出しています。
この違いって何なんでしょうね?
「上からの開発」と「下からの開発」の違いについて考えると、事例において大きな差異は感性に訴えかけるアプローチであるということが挙げられると思います。
モザンビークではアート、光の音符では音楽。
人間が豊かに生きる上で、産業基盤を整えたり、市場へのアクセスを整えたり、あるいは食を確保するための営みも非常に大事です。これらがないと生活ができません。しかし、芸術活動もまた人間が豊かに生きるためには大事な要素であると思います。そして芸術活動などは食や産業基盤と言った大きなものよりも、自己のアイデンティティの形成や心の豊かさにつながりやすく、そのために産業基盤などの「上からの開発」に比べて、芸術活動などは住民の主体的な参加「下からの開発」を起こしやすいのではないか?と考えます。
人にとっての芸術の意味とは、まさにアイデンティティの形成なのです。プロジェクトに参加することで、まさに自分自身のアイデンティティを育む効果があるために、自らをそれを求めるようになっていくのではないでしょうか?
今も昔も、途上国開発とは、綿密な調査・計画に基づいて行われいて来たものですが、このような草の根NGO活動などを見ると、芸術など今まで全く注目されない、ともすれば蔑視の対象にさえされがちな活動でも、実は非常な成果を挙げる可能性を持っていると考えられますね。
従来の開発という言葉に惑わされず(そしていわゆる論理だとかロジックだとかばかり言ってる頭のお固い方々に惑わされず)、色んな手法の可能性を知っていきたいです。
さて、これをエビデンスなどで肉付けして、レポートにしていきたいと思います。
Shunichiro
0 件のコメント:
コメントを投稿