こんにちは
アジェンダとしてはこんな感じです。
Shunichiro
Shunichiroです。
久しぶりの投稿になってしまいました。。。
今日はある人より自分の今までの経歴について話を聞いてみたいという、とても嬉しい依頼があったので、それを改めてまとめてみようと思います。
依頼者の問題意識としては、”キャリアのミスマッチ”というところにあって、少し抜粋させていただくと、
勝手ながら中村さんのフェイスブックのご投稿等拝見させていただき、ご経歴に興味を持ったのでご連絡させていただきました。特に工学部で3年間学ばれたのち、人間科学部というまた異なる分野の学部に転部されているため、転部に至った経緯を是非知りたいと思いました。(中略)
敷かれたレールを走らべきではないか、大学に四年通ったら就職すべきではないか、何か違和感は感じるがまあいいか、と通り過ぎてしまい結果として就職した後に「やっぱりダメだった」となる方が多い中、中村さんはその違和感を大事にされた方なのかと感じております。なぜその決断に踏み切れたのか、どのような苦悩があったのか、どのように乗り越えたのか(ちょっと被ってますね、、笑)などが知りたいと感じました。
というところが興味あるそうです。
まあ、確かに自分の経歴は変わってるけども、その背後にあるものは、自分の価値観であったり、そのときののっぴきならない状況であったり、周りの人の支援であったり、諸々の状況が重なり合った結果だったと思います。それをドやって書くのもまあ気が引けますが、一つの体験談としてみてもらえればと思っています。
アジェンダとしてはこんな感じです。
- 工学部に入学するまで
- 「違和感」
- 転部に至るまで
◆1.工学部に入学するまで
当初工学部を志望した経緯としては、自分が中学生か高校生くらいの時にちょうど京都議定書の話だったりとか、環境問題のトピックがホットでTV番組などでもよく取り上げられていました。
その中でちょうど技術(テクノロジー)を使って、CO2を取り除くとかCO2を溜めて排出権取引でお金にしたり、、、みたいな番組を見多のがきっかけで、技術を使って社会の問題を解決するってことに非常にあこがれを感じました。
また自分自身の価値観として、その当時からすでに、このブログのタイトルにもある”Noblesse Oblige”というものがあったので、「技術を身につけて社会(世界)が抱える大きな問題を解決する」というアプローチはまさに自分のぴったりに感じました。
そういった背景から、理系、工学部への道を進もうと決意しました。
◆2.「違和感」
大学に入ったのち、最初のころの授業では自分のいる学部(応用理工学科)の研究室紹介では、ハイブリッド車の開発の話、新エネルギーの話、新しい飛行機素材の話などなど、非常に夢を感じて面白かったものの、反面、工学部の中に存在していた空気感
・理系に来たら、大学院まで行って、そのあと大企業(特に電機系や鉄鋼系など)に行くのが当たり前だ
・サークルとかやるより、研究しなさい
・教授の考えは絶対(上位下達・年功序列)
的な部分にはどうしてもあまりなじめませんでした。(あくまで個人的な見解です)
そんななか自分はあえて海外系の国際的なサークル(AIESEC)に入り、周りが大学の授業や実験、バイトに明け暮れる中、授業サボって渉外に行ったり企画書作ったりなんだりしていました。
1回生の夏休み、所属していたサークルのスタツアでフィリピンに行くことになりました。
フィリピンでは、そのサークルと関係している現地のNGOなどを実際に訪れて、一緒に活動したりしました。活動自体は面白く、現地の人との絡みや英語を使ったコミュニケーション、街中にあふれるドリアンの独特な匂いなどどれも新鮮でした。
ただ、スタツアの中で本当に山奥の最貧地域を訪れたとき、そこには電気も水道も通ってなく、人々が暮らしているのを目の当たりにし、非常に衝撃を受けました。
◆3.転部に至るまで
帰国後、夏休みが明けて2学期が始まり、普通に授業も始まったけど、自分がフィリピンで感じた衝撃はいつまでも心に残り続けていました。何かしら自分の”違和感”を解決できる道はないか、色んな研究室を見てみたり、他学科の研究室を調べたりもしましたが、しっくり感じるものはありません。
当然授業へのモチベーションは下がり、バイトに明け暮れ、溜めたお金でまた海外に行き、インドのマザーハウスでのボランティアやカンボジアの農村での住み込み、バックパッカーに挑戦したり、国際協力系の学生サークルでチャリティーイベントを行うなどしていました。
そして自分の中ではそういった世界の方が面白く感じられました。
「途上国の人たちと関わりながら、その人たちを生活を少しでも良くしていくこと」の方が、「すでに豊かなほんの一握りの人にほんの少しだけ便利になる何かを提供する」ことよりも社会的な意義、自分の価値観とも合ってるんじゃないかと
そうなると、工学部に居続けても意味ないし、何より面白くない、卒業へのモチベーションもない。ならいっそのこと大学辞めちゃおうかと。大学辞めて、途上国のNGOなどでスタッフやるのも一つの道ではないかとも、考えたりもしました。
とは言え、この分野(国際協力、開発援助)、知れば知るほど奥が深いし、豊富な知識、専門性も要求される。本当にこの分野で生きていきたいなら、最低でも修士号まで必要になる。。。
そこで、自分が何をしたいのか?将来どうやって生きていきたいのか?といった部分について、ゼロベースで考え直し、今の自分にとって理想的な人生とは?理想的なキャリアプランとは?というところを書き出して、整理しました。
その結果、、今後を考えても大学を辞めてしまうのは得策ではなく、理想的には今いる大学の中でできるだけ自分が学びたいことに近いことを学べる環境に身を移し、そこで卒業するというのが、まず模索すべき道であると。
そこで、色々と調べた結果、大学には転部という制度があり、まさに自分が学びたい分野のある学部にも転部可能であることが分かりました。
そして転部試験を受け、自分が学びたい国際協力を学べる学部に移動することができました。(もちろん親とはちゃんと?話した上での行動ですが。)
ざっと、書き出してみましたが、こんな感じかなーと。
もちろん細かいところだたっり、端折りまくったw部分などもありますが、「違和感」と転部というところに焦点を絞るとこんな感じ。結局、自分が道に迷ったときに、
といった行動をとったことで、「違和感」を解消し、新たな道を進んでいくための新たな地図を手に入れられたのではないかと思っています。
ちなみに、今の自分を起点にゼロベースで自分の在り方を考え直すというのは、社会人になった今でも大事にしていて、毎年年明けに次のようなマップを作成しています。
当初工学部を志望した経緯としては、自分が中学生か高校生くらいの時にちょうど京都議定書の話だったりとか、環境問題のトピックがホットでTV番組などでもよく取り上げられていました。
その中でちょうど技術(テクノロジー)を使って、CO2を取り除くとかCO2を溜めて排出権取引でお金にしたり、、、みたいな番組を見多のがきっかけで、技術を使って社会の問題を解決するってことに非常にあこがれを感じました。
また自分自身の価値観として、その当時からすでに、このブログのタイトルにもある”Noblesse Oblige”というものがあったので、「技術を身につけて社会(世界)が抱える大きな問題を解決する」というアプローチはまさに自分のぴったりに感じました。
そういった背景から、理系、工学部への道を進もうと決意しました。
◆2.「違和感」
大学に入ったのち、最初のころの授業では自分のいる学部(応用理工学科)の研究室紹介では、ハイブリッド車の開発の話、新エネルギーの話、新しい飛行機素材の話などなど、非常に夢を感じて面白かったものの、反面、工学部の中に存在していた空気感
・理系に来たら、大学院まで行って、そのあと大企業(特に電機系や鉄鋼系など)に行くのが当たり前だ
・サークルとかやるより、研究しなさい
・教授の考えは絶対(上位下達・年功序列)
的な部分にはどうしてもあまりなじめませんでした。(あくまで個人的な見解です)
そんななか自分はあえて海外系の国際的なサークル(AIESEC)に入り、周りが大学の授業や実験、バイトに明け暮れる中、授業サボって渉外に行ったり企画書作ったりなんだりしていました。
1回生の夏休み、所属していたサークルのスタツアでフィリピンに行くことになりました。
フィリピンでは、そのサークルと関係している現地のNGOなどを実際に訪れて、一緒に活動したりしました。活動自体は面白く、現地の人との絡みや英語を使ったコミュニケーション、街中にあふれるドリアンの独特な匂いなどどれも新鮮でした。
ただ、スタツアの中で本当に山奥の最貧地域を訪れたとき、そこには電気も水道も通ってなく、人々が暮らしているのを目の当たりにし、非常に衝撃を受けました。
自分は工学を学んでいるけれども、この人たちにはそもそも電気や水道もない。たとえ電気・水道が通ったところで、この人たちがハイブリッド車や新エネルギーの恩恵に寄与することはないだろう。。。
自分が学んでいる工学は、この人たちのために一体何ができるのか(何もできないのではないか????)そもそも、自分が学んでいる工学は、先進国の一握りの人間のためだけではないだろうか?そんなことを感じました。
◆3.転部に至るまで
帰国後、夏休みが明けて2学期が始まり、普通に授業も始まったけど、自分がフィリピンで感じた衝撃はいつまでも心に残り続けていました。何かしら自分の”違和感”を解決できる道はないか、色んな研究室を見てみたり、他学科の研究室を調べたりもしましたが、しっくり感じるものはありません。
当然授業へのモチベーションは下がり、バイトに明け暮れ、溜めたお金でまた海外に行き、インドのマザーハウスでのボランティアやカンボジアの農村での住み込み、バックパッカーに挑戦したり、国際協力系の学生サークルでチャリティーイベントを行うなどしていました。
そして自分の中ではそういった世界の方が面白く感じられました。
「途上国の人たちと関わりながら、その人たちを生活を少しでも良くしていくこと」の方が、「すでに豊かなほんの一握りの人にほんの少しだけ便利になる何かを提供する」ことよりも社会的な意義、自分の価値観とも合ってるんじゃないかと
そうなると、工学部に居続けても意味ないし、何より面白くない、卒業へのモチベーションもない。ならいっそのこと大学辞めちゃおうかと。大学辞めて、途上国のNGOなどでスタッフやるのも一つの道ではないかとも、考えたりもしました。
とは言え、この分野(国際協力、開発援助)、知れば知るほど奥が深いし、豊富な知識、専門性も要求される。本当にこの分野で生きていきたいなら、最低でも修士号まで必要になる。。。
そこで、自分が何をしたいのか?将来どうやって生きていきたいのか?といった部分について、ゼロベースで考え直し、今の自分にとって理想的な人生とは?理想的なキャリアプランとは?というところを書き出して、整理しました。
その結果、、今後を考えても大学を辞めてしまうのは得策ではなく、理想的には今いる大学の中でできるだけ自分が学びたいことに近いことを学べる環境に身を移し、そこで卒業するというのが、まず模索すべき道であると。
そこで、色々と調べた結果、大学には転部という制度があり、まさに自分が学びたい分野のある学部にも転部可能であることが分かりました。
そして転部試験を受け、自分が学びたい国際協力を学べる学部に移動することができました。(もちろん親とはちゃんと?話した上での行動ですが。)
ざっと、書き出してみましたが、こんな感じかなーと。
もちろん細かいところだたっり、端折りまくったw部分などもありますが、「違和感」と転部というところに焦点を絞るとこんな感じ。結局、自分が道に迷ったときに、
- 違和感(モヤモヤ)を放り出さない、自分に正直でいる
- 自分が一番ワクワクを感じられる、自分が一番自分らしくいられる場所に行く
- その時の自分を起点に、ゼロベースで考え直す
- ↑を体系的に整理する
といった行動をとったことで、「違和感」を解消し、新たな道を進んでいくための新たな地図を手に入れられたのではないかと思っています。
ちなみに、今の自分を起点にゼロベースで自分の在り方を考え直すというのは、社会人になった今でも大事にしていて、毎年年明けに次のようなマップを作成しています。
以上、ざっくりと自分の経歴とその背景にあるものを書き出してみました。
あくまで私個人の経験だし、単なる一個人の意見や考えを述べたに過ぎないものですが、こういった自分の経験が依頼者にとって何かしらの役に立てば幸いだと思っています。
あくまで私個人の経験だし、単なる一個人の意見や考えを述べたに過ぎないものですが、こういった自分の経験が依頼者にとって何かしらの役に立てば幸いだと思っています。
Shunichiro
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