2014年4月5日土曜日

ちぇかふぇを終えて①~モヤモヤする人、モヤモヤしない人~【2014-No.18】

こんばんは。
Shucnichiroです。

さてさて、新年度が始まって一番最初の金曜日ですね。
facebookを見ていると、新入社員となり、社会人生活が始まった皆さんの色んな熱い思いが書かれた投稿が目立ちます。みんな頑張ってほしいな~っていう応援の気持ちと、出遅れている自分から見た嫉妬ややるせない感が混ざったような複雑な気持ちです。



今年もちぇかふぇが終わってしまいました。
ちぇかふぇとは、そもそもお堅いキーワード「国際協力」について、カフェという場で気楽に話し合うことで、気楽に話し合える仲間、気楽に何かアクションできる仲間を増やしていこう、という試みで去年の第1回目から参加させてもらっています。
今年は去年以上に多くの人に足を運んでもらえたし、またその中で行われたWSも去年以上にレベルの高いものだったと感じています。

今年のちぇかふぇの中でも個人的に感じたことや思ったことを簡単に共有します。
・モヤモヤすることは何のため?
ちぇかふぇのスタッフ自体もそもそも色んな大学・学年・所属の人が集まって、お互い「始めまして」の状態から一緒に作ってきたものになるんですが、段々と仲良くなっていく中で深い話しをしていくとやっぱりそれぞれちぇかふぇに対する見方が違うってこともあるんですね。

あるスタッフの子と話していくうちに段々と深い話になっていってポッと出てきたのが
「モヤモヤすることは何のため?」
って言葉。

確かにちぇかふぇの中でも中心的なメンバーは特に「モヤモヤ族」で、みんななにかしら自分たちで行動しながらも、これで本当にいいのか?どうしたらいいのか?自分は何がしたいのか?ずっとモヤモヤしてる。そもそもそんなモヤモヤ族が、自分のモヤモヤを共有することで自分のモヤモヤを解きほぐすきっかけになるかもしれないし、あるいは他の人のモヤモヤを聞いてあげることでどこか気持ちが楽になるのかもしれない、そんな場を作ろうってことでちぇかふぇが始まってるってこともあって、ちぇかふぇの中では「モヤモヤ」ってワードが頻発してる。

でもその子と話していて出てきたのが、さっきの言葉。
「モヤモヤすることは何のため?」
そして
「モヤモヤするのも大事だけど、結局このちぇかふぇでも楽しんでるように見えない。時には割り切ることも大事だと思うし、モヤモヤしてるだけじゃ何も進まないし、、、ん~なんかもったいない」
って。

この言葉、非常に真を突いてるなって思った。
モヤモヤすることは、自分達の活動や思考の枠に対して盲目的に追従するのではなく、疑問を抱きながら、(意識的かどうかはさておき)ある種の批判的目線で行動することができている証拠と言える。しかし、モヤモヤしてるってことは自分の中での疑問や問題意識が曖昧だからって見ることができて、問題意識が曖昧だから行動に移せない。そのためか、見ている限り、、モヤモヤしてる人たちってモヤモヤはしてるけど、行動にどこまで反映されているかっていうと微妙だし、自分自身もモヤモヤのせいで楽しめてなかったり、正直言うと非常に生産性が低い。(自分の中では、もはや「ウジウジ族」とすら思っている。)
そういう状態を知ってか知らずか見抜いていた、さっきの言葉には脱帽。


逆にモヤモヤしていない人間ってなんだろう?
そもそも目の前の現状に盲目的に追従していて疑問すら抱いていない状態ってのは論外。だとしたら、モヤモヤしてる人と同じように現状に疑問や問題意識を持ちながらもモヤモヤしていない人間の間の違いってなんだろう?

個人的には、
・選択的割り切りができる
・論理的思考ができる
という点があると思っている。

モヤモヤな人間とそうでない人間の間では、同じようにモヤモヤを持っても、自分のモヤモヤの発生源がどこで、その発生源においてどんな現状やどんな構造が成り立っていて、その中でも特にどんな点に問題意識を感じていて、その解決策にはどんなものがあり、あるいはその解決策が現状見つかっていないのであれば自分はまず何をすべきで、、、などという点に明快な違いがあると考える。モヤモヤを抱えていても、モヤモヤ族にならず、行動できている人はまさに自分のモヤモヤの構造を把握していて、モヤモヤする代わりに「いまの自分は何をすべきか?」が明確に見えているからモヤモヤしていないのではないだろうか?
論理的にモヤモヤを分析できているから、今できること今できないことがはっきりしている。
今できること今できないことをはっきり把握できてるから、モヤモヤを割りきって前に進むことができる。

もちろんモヤモヤというのは、自分の本当の心の底から生まれてくるものだから、モヤモヤは大事だと思うし、モヤモヤを抱えながらでもなんとか前に進もうとしている姿に共感を感じる人は多いと思う。でもそのモヤモヤをまるで我が子のように盲目的に大事にするのではなく、そのモヤモヤと客観的に向き合ってあげて、モヤモヤを理解してあげることも大事だと思う。それによって、自分のモヤモヤを解消していくスピードも上がるだろうし、自分自身もモヤモヤから解放されて目の前の一日にもっと集中できるようになるのではないだろうか?



さて、①だけでかなりの長文となってしまったので、記事を分割していきたいと思います。
とりあえず、今回の記事はここで止めさせてもらいます。ある意味、それだけ筆者自身も感じるものが多かった証拠でしょう(笑)

少し脱線になりますが、記事を書きながら思った「日本人の考え方」について、下の方に書いていくので、ご関心ある方はこのまま続けていただけたら幸いです。ちぇかふぇの話を読みたいって方は、下は読まずに、ぜひ次の投稿を読んでいただけたらと思います。



Shunichiro




[脱線]
こうやって書いてて、モヤモヤが共感性を高めるというある種の美徳のように見えてしまう点が非常に恐ろしく感じました。確かに等身大のリアルなストーリーとして身近に近付けて考えることができると言うのはあるかもしれません。

でも、モヤモヤしてるって実際は「答えの出ない問題を考えつづけている」という非常に生産性の低い状態なのですよ。モヤモヤしてることは、答えの出るレベルまで分解できていないってことだし、そもそも答えが出ない問題に向き合い続けているかもしれないし、さらにはモヤモヤしてることを売りにして共感を誘うのは「徹夜で頑張ったから許してください」みたいなノリに見えてしまうのは、穿った見方でしょうか?そして、そういう姿に対して美徳や共感を感じる状態って「特攻隊」や「白兵銃剣主義」「一億総玉砕」にカッコよさを感じる危険思想に近いのではと考えるのは、過激でしょうか?

とにかく目の前に現れた大きな問題に対して、とにかく全力でぶつかっていく。そこでどれだけ時間やお金や資源を費やしても、それに向かっていったこと自体が評価されるような構図って、国際協力という大きなテーマの中で全力でモヤモヤしていることにも超大国を相手にとにかくリソースを突っ込ませ危機に迫ったら一億総玉砕でぶつかっていくことにも当てはまってしまっているんじゃないかと思ってしまいました。

モヤモヤしていること自体に酔いしれてしまったら終わりです。
「issueから始めよ」の“悩むと考えるの違いを知ること”“悩んでいる自分を察知できるようになろう”ではありませんが、モヤモヤすることと考えることは違うと思うし、モヤモヤしている自分に気づくことも大事だと思いました。と書いてて、結局モヤモヤする人とモヤモヤしない人の違いって「悩んでいるか、それとも考えているか?」の違いにあるのかな、って思えてきました。

モヤモヤというところから戦前から残る日本人のある意味危険な思考性について考えてみたこところで、モヤモヤしている=悩んでいるという気づきに到達したので、モヤモヤは自分自身の本心の表れというところを振り返りながら最初の問い「モヤモヤするのは何のため?」というところに戻ると、

モヤモヤするってことは自分の本心からの問題意識が生まれたということだと思います。でもモヤモヤは発端であって、モヤモヤするという行動ではなく、“考える”が行動になるべきです。とすると、「モヤモヤする」というのは自分が問題意識に感じる本質の部分を“発現させる行為”であって、すなわち自分の心の奥底にある問題意識を探求する行為であるのではないか、と思います。そしてモヤモヤすることの目的は、自分自身の心の奥底に抱いている問題意識を顕在化し、その問題意識やテーマというものを“考えていく”というところ、にあるのではないかなと思います。

現状、モヤモヤするというのが、ただ単なる悩むことと同義になってしまっているので、これからはモヤモヤするの奥底にある本質的な意味合いについてもっと考えていくべきだろうと思うし、あるいはそこを周知していく必要があるのかなと思います。

非常に長くなってしまいましたね。
失礼しました。
ただ確かにあまりにも「モヤモヤ」を強調してる空気感はあるので、それをもう少し“考える”方向にもシフトして行けたらなって思います。


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