こんにちは。
Shunichiroです。
突然ではありますが、最近若返ってきている気がします(笑)詳しくはお話しできないのですが、気持ちの面で非常に新しい刺激があり、若い感性を刺激されてる気がします(笑)いついかなる時でも若い気持ちのままでいたいですね。
さて、テレビなどで非常に話題になっているSTAP細胞に関する小保方さんの騒動を考えてみたいと思います。自分自身勉強中の身ですし、卒論の一つも未だ書いていない学生のため、非常に恐縮ではありますが、色んな記事を見て感じた事などを書いていきたいと思います。
まずこの問題に関して、世間の論点は「ねつ造か否か?」という部分に集中していると思いますが、この問題の論点はそこだけではなく、
①研究そのものについて
②研究承認(公表?)のプロセス
③科学技術政策
の観点があると思われます。
①研究そのものについて
まず、研究そのものに関する議論があると思っています。この点が世間が関心を持っている、ねつ造の話やSTAP細胞の有無といった話しになると思っています。
研究の在り方として、ねつ造の存在やずさんな研究の在り方は非常に問題があると思っています。その点は追求されてよい部分だと思います。しかし、次の論点に関わる部分では在りますが、そのずさんな研究が機関内の承認?を通ってしまったことやネイチャー誌の査読が通ってしまったことにも問題はあると思います。
またSTAP細胞の有無に関しては、科学的な検証を待つ以外ないでしょう。
②研究承認(公表?)のプロセス
STAP細胞に関して公表する前に、まず機関内の承認や何かしらの情報共有プロセスというのはあるのでしょうか?機関による査読などを経て正式に発表されているのに、ねつ造が見つかったということであれば、それは個人の問題だけに帰結させられる問題ではなく組織の問題ともいえるのではないかと傍目には思ってしまいます。今回の騒動に関しては、組織の問題として扱わず、個人の問題に世間の目を収斂させて組織への責任追及を避けているように思えてしまいます。
ねつ造や研究者の倫理観を保つために、ピアレビューや査読といったシステムがあるはずなのに、それが機能していないとあれば、個人の倫理観うんぬんより、システムそのものの問題の方が追求・議論すべきポイントになると思うのですが、その点に関してはいかがなのでしょうか?
③科学技術政策として扱う問題では?
一時期「科学技術政策イノベーション」という授業をとっていたので、この観点から考えさせられたのですが、日本は国内から生れた(生まれるかもしれない)先端技術に関してどういう態度をとっていくのでしょうか?すでに技術力は国の行方、産業の在り方を決めていく大きなファクターとなっていて、どうやってイノベーションを起こすかどの国も必死になって取り組んでいる中で、今回の騒動によりSTAP細胞に対する研究の目が摘まれてしまわないか心配になります。
また今回に限らず、日本の中で生まれた新しい可能性が、ねつ造だとかなんとかという部分で足を引っ張られ、可能性をつぶしてしまうことは非常に大きく国益を損なう行為なのではないかと思います。
昔から、出る杭は打つという文化の日本ですが、今回の一件だけで日本の中でのイノベーションに対する見方と対応を垣間見ることが出来るし、どんなに施設や設備などが整っていても正直科学者として日本では生きたくないなとさえ思ってしまいました。
僭越ながら私のご意見を述べさせてもらいましたが、私が読ませてもらいました先達方々の記事も合わせてお読みいただけたら幸いに思います。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2233.html
https://m.facebook.com/tomtakei/posts/769799709705979?refsrc=https%3A%2F%2Fm.facebook.com%2Ftomtakei%2Fposts%2F769799709705979&refid=9&_rdr#_=_
http://blogos.com/article/84169/
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52007102.html
Shunichiro
*2014年4月12日追記
もう少し考えてみると、他にも観点があるんじゃないか?と思います。
①個人の研究の在りかた(ねつ造などの問題)
②研究成果そのものについて(STAP細胞の有無など)
③研究プロセス(査読などのシステムの不備、欠陥)
④組織の在り方(責任の在り方、所在、組織の姿勢)
⑤マスメディアの報道の在り方(より大きな問題への追求ではなく、個人の追求に落としめてしまったこと)
⑥日本における科学技術政策の在り方
⑦日本人の国民性(民度?)
それぞれ連関している部分もありますが、これだけの観点が含まれていて非常に複雑で奥深い問題ではあるのですが、結局小保方さん個人の問題のように扱われていった世間の在り方、メディアの在り方には非常に問題を感じますね。
Shunichiroです。
突然ではありますが、最近若返ってきている気がします(笑)詳しくはお話しできないのですが、気持ちの面で非常に新しい刺激があり、若い感性を刺激されてる気がします(笑)いついかなる時でも若い気持ちのままでいたいですね。
さて、テレビなどで非常に話題になっているSTAP細胞に関する小保方さんの騒動を考えてみたいと思います。自分自身勉強中の身ですし、卒論の一つも未だ書いていない学生のため、非常に恐縮ではありますが、色んな記事を見て感じた事などを書いていきたいと思います。
まずこの問題に関して、世間の論点は「ねつ造か否か?」という部分に集中していると思いますが、この問題の論点はそこだけではなく、
①研究そのものについて
②研究承認(公表?)のプロセス
③科学技術政策
の観点があると思われます。
①研究そのものについて
まず、研究そのものに関する議論があると思っています。この点が世間が関心を持っている、ねつ造の話やSTAP細胞の有無といった話しになると思っています。
研究の在り方として、ねつ造の存在やずさんな研究の在り方は非常に問題があると思っています。その点は追求されてよい部分だと思います。しかし、次の論点に関わる部分では在りますが、そのずさんな研究が機関内の承認?を通ってしまったことやネイチャー誌の査読が通ってしまったことにも問題はあると思います。
またSTAP細胞の有無に関しては、科学的な検証を待つ以外ないでしょう。
②研究承認(公表?)のプロセス
STAP細胞に関して公表する前に、まず機関内の承認や何かしらの情報共有プロセスというのはあるのでしょうか?機関による査読などを経て正式に発表されているのに、ねつ造が見つかったということであれば、それは個人の問題だけに帰結させられる問題ではなく組織の問題ともいえるのではないかと傍目には思ってしまいます。今回の騒動に関しては、組織の問題として扱わず、個人の問題に世間の目を収斂させて組織への責任追及を避けているように思えてしまいます。
ねつ造や研究者の倫理観を保つために、ピアレビューや査読といったシステムがあるはずなのに、それが機能していないとあれば、個人の倫理観うんぬんより、システムそのものの問題の方が追求・議論すべきポイントになると思うのですが、その点に関してはいかがなのでしょうか?
③科学技術政策として扱う問題では?
一時期「科学技術政策イノベーション」という授業をとっていたので、この観点から考えさせられたのですが、日本は国内から生れた(生まれるかもしれない)先端技術に関してどういう態度をとっていくのでしょうか?すでに技術力は国の行方、産業の在り方を決めていく大きなファクターとなっていて、どうやってイノベーションを起こすかどの国も必死になって取り組んでいる中で、今回の騒動によりSTAP細胞に対する研究の目が摘まれてしまわないか心配になります。
また今回に限らず、日本の中で生まれた新しい可能性が、ねつ造だとかなんとかという部分で足を引っ張られ、可能性をつぶしてしまうことは非常に大きく国益を損なう行為なのではないかと思います。
昔から、出る杭は打つという文化の日本ですが、今回の一件だけで日本の中でのイノベーションに対する見方と対応を垣間見ることが出来るし、どんなに施設や設備などが整っていても正直科学者として日本では生きたくないなとさえ思ってしまいました。
僭越ながら私のご意見を述べさせてもらいましたが、私が読ませてもらいました先達方々の記事も合わせてお読みいただけたら幸いに思います。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2233.html
https://m.facebook.com/tomtakei/posts/769799709705979?refsrc=https%3A%2F%2Fm.facebook.com%2Ftomtakei%2Fposts%2F769799709705979&refid=9&_rdr#_=_
http://blogos.com/article/84169/
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52007102.html
Shunichiro
*2014年4月12日追記
もう少し考えてみると、他にも観点があるんじゃないか?と思います。
①個人の研究の在りかた(ねつ造などの問題)
②研究成果そのものについて(STAP細胞の有無など)
③研究プロセス(査読などのシステムの不備、欠陥)
④組織の在り方(責任の在り方、所在、組織の姿勢)
⑤マスメディアの報道の在り方(より大きな問題への追求ではなく、個人の追求に落としめてしまったこと)
⑥日本における科学技術政策の在り方
⑦日本人の国民性(民度?)
それぞれ連関している部分もありますが、これだけの観点が含まれていて非常に複雑で奥深い問題ではあるのですが、結局小保方さん個人の問題のように扱われていった世間の在り方、メディアの在り方には非常に問題を感じますね。
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