2014年4月6日日曜日

ちぇかふぇを終えて③~善意や意識を越えたシステムへ~【2014-No.20】

こんにちは。
Shunichiroです。

昨日今日と、もう4月と言うのに寒いですね。
日本には四季があり、季節の変化に敏感というのは、情緒を誘う観点では非常に嬉しいのですが、なにぶん体調管理が難しいですね。新年度も始り、さまざまな行事もある中だと思いますので、体調管理にお気を付けくださいませ。


さて、先日終わりましたちぇかふぇを終えて、筆者が考えたことや思ったことの続きになります。
①では「モヤモヤすることの意味」について、②では「国際協力の社会参加性」という記事を書きました。今日は、②に関連しながら、人の善意や意識に依存した国際協力の在り方について考えていきたいと思います。

ちぇかふぇのWSの中でも、高い意識を持つことの大事さについて言及していくシーンが多くありました。(特にオックスファムの企画では、学生が高い意識を持ち、社会に提言していくことを強く押し出していました。)「貧困を構造から考える」ワークを通して、自分たちの言う「国際協力」の背後にある、より大きな構造を明らかにし、自分たちは学生として誰に何をしてどう変えていくのかというブレストや、「ハンガーバンケット」では会場内を縮小した世界に設定して、高所得層・中所得層・低所得層の置かれた状況を身を持ってシュミレーションしたりしました。

その中では、例えばCSR(企業の社会的責任)の話や「意識の高い消費者」の話しなどが議論され、一人一人に良識ある行動を促すメッセージが出されました。そして、たった1000人の学生の署名により、タリーズコーヒーがフェアトレードの日にはフェアトレードのコーヒーを扱うように動かした事例を取り上げ、小さくても何かアクションを行うことを促していました。



さて、一人一人が意識を変えて小さなことでも何かアクションを起こしていくことは、大事だとは思います。しかし、それだけで本当にこの世界は変わるのでしょうか?この世界の力学を変えられるのでしょうか?

私の意見ですが、人の意識や善意に頼るのは限界があると感じています。たとえ、どんな大きな人数であろうと。人の価値観や考えは移ろいやすく脆いものだと思っています。その時の状況によって、人の価値観も実際に取れる行動も変わってきます。例えば、ある人が寄付を行っていたり、多少高くてもフェアトレードのコーヒーを買っていたり、あるいは実際にNPOや何かで行動していたとしても、もしその人の生活環境や収入あるいは社会情勢が変わってしまった時もその善意ある意識高い行動をとり続けられるでしょうか?

私自身、幸いながら日本という先進国に生まれ、大学に通わせていただけるほど裕福な両親に育てられ、現在縁あって国際的な活動を行っておりますが、もし明日から突然両親からの援助がなくなり、収入もすべて自分で行わなくてはならなくなったとしたら、今のままの活動を続けられるとは到底思いません。募金箱への寄付もしないだろうし、国際的な活動に時間を割いている余裕も、わざわざ電車賃などを払ってまで活動に従事し続けられるとは思いません。

それに人の関心は移り変わるものです。いまは国際的な活動に関心があっても、未来永劫、国際的な活動に関心を持ち続けているのかどうかはわかりません。それはきっと全ての人に共通することだと思います。


先日「ちぇかふぇを終えて②」の記事にて、国際協力を社会参加性の高いものにということを書いたのですが、国際協力を意識の高さや善意で語るのではなく、誰もが参加でき、そしてそこになにかしらポジティブな求めるものがある概念へと進化させる必要があると考えています。すなわち国際協力が「人のポジティブな感情に訴えかけるもの」と「経済的に合理的なもの」の両方を達成するものに変わっていくということですね。

そのため、いわゆる「意識が高く」なくても参加したくなる(ワクワクや期待や希望や楽しさetc)もので、かつ、それをやることが自分にとっても“経済的に意味のある”ものの両方を兼ね備えた、仕組みやスキームあるいは社会システムを構築していく必要があると思っています。

最近話題になっているソーシャルビジネスやBoPビジネス、あるいはSROI(社会的投資効用)といったワードには、そういう(善意と経済的合理性を兼ね備えた新しいシステムになる)可能性を持っていると思います。特にSROI指標などですね。世界で動く個々のビジネスや活動の在り方を規定する指標やフレームワークあるいは国際標準といったものは非常に大きな影響力を持っています。


国際協力が、現在のような善意に頼ったスキームを抜け出し、経済的合理性といった資本主義の力学に直結する新しいアプローチに到達し、システム自体を変えるところまでを見越した動きが生まれるようになると、国際協力という言葉の意味も社会に与える影響性というものも大きく変わっていくと思います。


Shunichiro



◆読書メモ
【直観力:羽生さん】
・経験・視点・精神のトリプルボトムラインを持っていて初めて、直感の有効性が効いてくる。
・直観とは自身の保有するあらゆる暗黙知の結晶として導き出されている
【世界を知る力】
・それぞれが「何を通して」世界をみているか?
・教養=パースペクティブ=自分なりの視点を持っているか?(歴史的背景、文化的背景、トレンドなどを踏まえた複合的な自分なりの世界観)
【読まない力】
・何が語られているか?より、「何が語られていないか?」の視点が大事
・情報には恣意性が必ず存在する
・語られないこと(書かれていないこと)に着目し、独自に調べることで、自分だけの視点や自分だけの情報を仕入れることができる
【貧困の克服】
・あまねく権利を保障する、エンタイトルメント
・↑によって、人々が自らの潜在的能力を発揮することが可能(な環境)になる

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