2014年4月5日土曜日

ちぇかふぇを終えて②~「国際協力」というワードと、社会参加性~【2014-No.19】

こんにちは。
Shunichiroです。

今日、めっちゃいい天気ですね。
絶好の花見日和でお花見行きたいところですが、ちょうど予定が入っていて残念です。夜時間があれば、夜桜でも見に行こうかな、って思います。


さて、昨日に引き続きちぇかふぇを通して考えたことを、記事にしていきたいと思います。
ちぇかふぇって、「国際協力」がキーワードとなっていて、国際協力活動をやっていたり、あるいは国際協力に興味ある人が来て、みんなで仲良くなって、、、というものだったんですが、個人的に思うのは
・そもそも「国際協力」というワードに魅かれてやってくる層ってどの程度いるのでしょうか?
というところです。またどんなワードにも言えることかもしれませんが、
・「国際協力」というワードを規定することによって、それ以外の層を排除してしまっているのではないか?
というところです。

今回ちぇかふぇには3日間で200名を越える人たちにご来場いただいています。この数字と会場の雰囲気だけ見てると、国際協力に関心があって、みんなの希望が見えてくるように思えてしまいます。

でも、見落としてはいけないのは、国際協力というワードに対して関心をいだく層はそもそもマイナーな人たちであり、今回のちぇかふぇという場もそもそもマイナーで少数な人々同士の内輪の集まりでしかないということだし、国際協力という言葉には全く魅かれない人たちが圧倒的多数だと言うことだと思っています。

「国際協力」というワードで会場に集まった200人が声を上げることで、世界が変わることもありうると思います。しかし、逆に考えると「国際協力」というワードでは、たった200人の意見しかくみ上げることしかできていないとも言うことができます。すなわち、自分が問題意識として思っているのは、「国際協力」というワードの社会参加の可能性の低さという点ですね。より多くの人へのリーチ性というところですね。国際協力というワードには、テーマ、活動、そして意識といった点で求められることが高く、非常に排他的になっているような気がしています。


話しは少し変わって、社会課題の分野においても最近非常に「デザイン」という言葉が注目され、億の人が関心を持ち始めています。いわゆるソーシャルデザインというものですね。イメージの問題ですが、この「デザイン」という言葉には多くの人がわくわくを持てるような響きがあると思っていて、なんとなく参加したくなるものを持っていると思います。先ほどの言葉を使うと、社会参加可能性が高いと考えられます。

そこでソーシャルデザインが優れているなって思うのは、参加する人たち全てが意識高い系というわけでは全くなく、それぞれが「デザイン」とい言葉に求めるなんとなくの楽しさやワクワクや期待や興味から参加しており、でもその成果として、設定テーマとした課題を解決するアイディアが生まれてきているという点にあると思います。


デザインの社会参加性の高さというところを踏まえた上で、国際協力というところに話しを戻すと、国際協力が国際協力というワードを掲げている限り(あるいは国際協力というワードから卒業?脱却?できない限り)、結局今のままの閉じた世界の取り組みに終わってしまうのではないかと思います。

いま国際協力という分野に求められていることは、国際協力を掲げている私たち自身が国際協力というワードの世界を飛び出し、もっと社会参加性の高く、多くの関心や期待を包含できる概念へと進化し、それら多様な関心を結集した結果として、何らかの成果を生み出せるもの(あるいはスキーム?)になっていくことなのではないかと思います。




ちぇかふぇには、国際協力に関心のある多くの人に来ていただけました。
いずれ国際協力というワードだけではなく、もっと色んなワードの関心がありながらも、それらを包含するような大きな旗印としての新しいワードに集まるもっと多様な人たちに参加してもらえるようなものになっていったらいいなって思います。(そして、さらに大きな国際協力という分野においても。。。)




Shunichiro

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