2013年10月30日水曜日

論理学とはメッセージの一貫性、ロジカルシンキングとは論理的であるためのサポートツール【No99】

こんばんは。
Shunichiroです。

最近iPodの調整で少し悩んでいます。入れたい曲があるですけど、その曲が入れたい形式で上手く入らなかったり、ファイルが大きくなるので変換できない、とか言われたりで、むむむ~って感じです。これでも、元理系なのですが、やっぱり理系は合ってなかったってのがバレバレですね。


さて、今日は昨日に引き続き論理学。
実際これって文字にするの難しいですよ~。だって、論理学って昨日も言った通り基礎訓練なわけで、そこから具体的な学びを出力するのってなかなかハードル高いんですよね。
今日はあくまで、筆者が「こういうことかな~」ってぼんやりながら捉えている論理学について記事にしてみたいと思います。

・論理的とは?
まず、そもそも“論理的”とは何でしょう?
よく巷で「今は論理的思考が大事だ~」とか「お前の話は論理的じゃない!」見たいなことってよくあると思うんですけど、そもそも“論理的”ってなんなんでしょうね?

よく言われるのが、
・整理されてない
・色んな話題がごちゃまぜになってる
・体系的でない
って辺りでしょうか?
どれも正解とは言えますが、いまいち伝わらないですよね。


・論理=言葉と言葉の間の意味の関係性=メッセージの一貫性
論理とは、言葉と言葉の間の意味の関係性なんですよ。
それが保たれてることが、論理的と呼べるようです。

例えば、最初はご飯どこに行く?って話をしていたのに、途中から料理のレシピの話になっちゃったら「あれっ?」ってなりますよね。これは、一応ご飯(料理)についての関係性は保たれてるけど、その意味の関係性が保たれてないんですよ。

で、言葉と言葉の意味の関係性を保つには、自分がどんな主旨のことを言いたいのか?それを言うためにはどんな材料が必要なのか?そして、それらの材料同士をどう組み合わせれば、意味の関係が保たれたストーリーとなるのか?
って考えなくてはいけませんよね。

だから、論理的とは?体系的だとか、整理されてるとかって言う見方も出来るんですよ。


・ロジカルシンキングは論理的であるためのサポートツール
じゃあ、よく言うロジカルシンキングって、ロジックツリーだとか、MECEだとかいわれるけど、あれはどうなん?っていうと、論理的であることの一部じゃないか?と思うんですね。

言葉と言葉の意味を考えたり、そのつながりを考えるためには、ロジックツリーみたいの使ったりしながらブレークダウンしていくことが必要なんですね。だっていきなり「××売り上げが落ちてる。なぜなら部長が悪いからだ!」とか言われても「ちょっ、お前!」って、売り上げが落ちていることと部長がどうつながってるのかわかんない。論理が飛躍しているんです。

でも、そこをちゃんとブレークダウンしていけば、
・売り上げが落ちている
・市場自体が縮小しているわけではない
・じゃあ、商品の競争力が下がってるのか?
・客離れが起きてるわけじゃない。→にも関わらず、売れてない
・店舗での売り方が悪いのか?
・一番目につきやすいところに配置されてる→にも関わらず、売れてない
・もしかして、そもそも品薄なんじゃ?
→売り上げが落ちているのは、人気が下がったからではなく、生産数・在庫が適切な数量の確保がされておらず、人気があるにも関わらず手に入らない状況の結果売り上げが落ちている。生産数、在庫の数量の指示をするのは部長だ。だから部長が悪い。
って感じで、飛躍のない一貫した論理をつくることが出来るんですね。


自分自身もそうですが、ロジカルシンキングができる=論理的だ!って思ってたんですけど、実際の論理的ってメッセージが一貫されていることで、そのサポートツールとしてロジカルシンキングがあるんだな~ってことを学びました。

改めて奥が深いな、という感じです。



以上、No.99「論理学とはメッセージの一貫性、ロジカルシンキングとは論理的であるためのサポートツール」
・論理的とは?
・論理=言葉と言葉の間の意味の関係性=メッセージの一貫性
・ロジカルシンキングは論理的であるためのサポートツール
でした。

私も、日々論理的な文章を心がけていきたいと思います。
(あれっ?昨日もこんな締め方をしたような~~~。。。)



それでは、 Have a nice day(^^ゞ
Shunichiro



2013年10月29日火曜日

論理学とかロジカルシンキングは素振りと同じ?【No.98】

こんばんは。
Shunichiroです。

いや~急に寒くなってきましたね。最近の日本の気候は春秋が短くなって、夏冬が長くなってきていると聞いたことがありますが、地球温暖化のせいでしょうかね?そろそろ衣替えが必要かもしれません。


さて、最近読む本の種類を変えて、論理学とかロジカルシンキングとかの関連の本を読んでいますが、いや~難しいですね。改めて色々気づかされることがありますし、何より難しいのはその学びを文章という形でブログに書くことなんですね(苦笑)



・論理学とかロジカルシンキングとかの思考術って筋肉の動きと一緒?
戦略~とかマーケティング~とか、そういう具体的な学びがある本だったらまだ出力しやすいので、ブログにも書きやすいのですが、論理学とかロジカルシンキングとかって具体的な学びではないのですよ。

何かに例えて言うならば、スポーツとかしてるときって色々な動きしますよね。野球でスイングするとかボールを投げるとか、、、それって実物?があるから色々アドバイスしたりとかしやすいですよね。でも、スイングしたりボール投げたりしているときの筋肉の動きって自分で把握できます?難しいですよね。思考術ってこういう類のものだと思うんですね。

つまり、何かの動きをする際に、その裏で動いている処理機能のようなものだと思うんですよね。


・思考術=基礎訓練
思考術って上記したように具体的な形のあるものでもないし、具体的な学びとしてとらえられるものではないんですね。でも、何かを学んだりする際に非常に重要な働きを持っていると思うんです。

野球のスイングだって、素振りをして、ちゃんとした形を覚えて、その運動を繰り返して、筋肉をつけて、、、ってやっていかないといいバッティングにつながらないですよね。素振りをしたことで、具体的な結果が出るわけではないですよね。(あくまで、エアーなバッティング練習という意味で)でも、素振りを毎日繰り返していることによって、実際に試合になったときにいい結果につながる要因になるんですよね。

思考術も同じで、思考術を学んでいるときは「う~ん、わかったようなわからないような。。。」見たいな感じになると思うんですけど、そうやって正しい思考術を学んで、それを繰り返し繰り返し練習して、そしてその結果どこかで何かの役に立つ大きな要因になっている。そんなものなんじゃないかとと思うんですね。


・思考術も常日頃繰り返してこそ結果につながるもの
そう考えると、思考術はその時学んで終わりというものではなく、プロの野球選手でも素振りを大事にしているように、常日頃大事に取り組んでいくべきものなんじゃないか、と思うんです。

本を読んでいるとき、ミーティングをしているとき、レポートを書いているとき、もちろんこうやってブログを書いているときも、、、どんな時も思考術を意識しながらやっていくことが大事なのかな、と思います。

実は、このブログも書きながら、いつも論理性を気にしているのですが、上手くできているでしょうか?(汗)自分なりの心がけとして、一つの記事の中で大きく3つの論点を分けていて、その3つがちゃんと連関しているようにしています。
このブログを読んでくださっているあなたにも、わかりやすく伝わっていれば幸いに思います。



以上、No.98「論理学とかロジカルシンキングは素振りと同じ?」
・論理学とかロジカルシンキングとかの思考術って筋肉の動きと一緒?
・思考術=基礎訓練
・思考術も常日頃繰り返してこそ結果につながるもの
でした。

さて、夜は一段と冷え込むので室温など気をつけてお過ごしください。

それでは、Have a nice day(^^ゞ
Shunichiro




2013年10月28日月曜日

スケジューリングはただの記憶のバックアップではなく、成功に導くツール【No.97】

こんばんは。
Shunichiroです。

そろそろ10月も終わりの週になりましたね。
後期の授業や大学生活もだいぶ調子が出てきました。やっぱり、日々の生活スケジュールが固定化されてくると、生活にメリハリ付きますね。この時間は何をする、この時間は何をする、、、というのが決まってくるので、「何やろ~」とか「ごろごろ~」とかいう時間が減ってきます。生活のルーティンが出来てきたおかげで、今月は読書にも非常に時間を割くことが出来ました。



さて、今日の記事はスケジューリングの話。
・スケジューリング=ただの記憶のバックアップ?
スケジュールって皆さんどんな感じで立ててます?けっこう月単位の大きな予定がメインで、週単位、日単位、時間単位で細かく立てる人ってなかなかいないと思うんですね。なんでかって、そもそも記憶に頼ると自分の予定を忘れてしまうこともあるので、ある種のバックアップ機能としてスケジュールを使っている人が多いと思うんですよ。

でも、いくつかの自己啓発本の中には、本当に細かいレベルでスケジューリングをするように勧めている本もあるんですね。著者によっては、夜寝る前に次の日のスケジュールをしっかり決めてから寝るようにしなさい、と。

でも、そんなに細かくスケジュールを立てる必要ってあるんでしょうか?
スケジューリングってただの記憶のバックアップのためですよね?


・スケジューリングが安定したパフォーマンスをもたらす
自己啓発本を書いているような人の中には、やっぱりビジネスや何かの分野で成功している人もいるんですよね。実は、そういう人たちにとって、スケジューリングにはただの記憶のバックアップ以上の意味付けがあるようなんです。どういうことかというと、そういった成功者にとっては、スケジューリングとは自分づくりと同じような意味を持っているようです。

例えば、スポーツ選手でも大きな功績を残している方は、往々にして日々のトレーニングをルーティン化し、どんな時でもそれをきっちり守り通すと言います。メジャーリーグでも大活躍しているイチロー選手は非常に厳格なトレーニングのスケジュールを持っており、どんなときでもそれを淡々とこなしていく、と聞いたことがあります。毎日の決まったトレーニングをすることで、安定したパフォーマンスにつながるだけでなく、その日の調子の良し悪しにまで気づくことが出来るのだそうです。

ビジネスや他の分野においても、スケジューリングはスポーツ選手のトレーニングルーティンと同じような意味合いを持っているのではないか?と思います。すなわち、成功者と言われる方々は、毎日のスケジューリングをしっかりと定めることで、仕事などにおいて安定したパフォーマンスを発揮しているのではないか?と思うのですね。


・そして、安定したパフォーマンスが自身に成功をもたらす
でも、成功者だって初めから成功していたわけではないですよね。
成功者がなぜ成功したのか?には、もちろん色んな要因があると思います。自身の才能、周囲の環境、チャンスとの巡り合わせ・・・なかなか世間でクローズアップされることは少ないと思うんですが、上記のようなことを考えるとスケジューリングも成功要因の一つに挙げられるんじゃないかと思います。

いつも安定してパフォーマンスを発揮してくれる人には、安心して仕事を任せることが出来ますよね。そうすると、あいつは信頼できるな、また仕事をお願いしようかな、とか次の機会につながりやすくなるんですよ。それで、次の新しい機会においても同じように安定したパフォーマンスを発揮していると、また新しい機会に導かれる・・・そういったスパイラルによって成功のステージを上がっていくことにつながるんじゃないか、と。

もちろん、スケジューリングが成功のすべてではありませんが、成功者の持つ十分条件にはなるんじゃないかと思うんです。つまり、成功者にとってのスケジューリングとは、“自身のパフォーマンスを安定化させ、自身の成功を導くためのツール”なんじゃないか?と思います。

成功者が成功者たるゆえんは、日々の生活をスケジューリングによって細かく管理し、それが安定した仕事の結果につながり、その結果、成功への梯子を一段一段登っていくことになっているんじゃないかと思います。

スケジューリング、思っていた以上に大きな意味合いを持ってましたね。私も今日の記事を書きながら自省しています。スケジューリングによって、日々の生活とパフォーマンスを安定して管理していきたいものです。


以上、【No.97】スケジューリングはただの記憶のバックアップではなく、成功に導くツール
・スケジューリング=ただの記憶のバックアップ?
・スケジューリングが安定したパフォーマンスをもたらす
・そして、安定したパフォーマンスが自身に成功をもたらす
でした。



いや~ブログまだ6日目ですけど、毎日続けるってネタ集めが大変ですよね。
今回はスケジューリングって言う身近なところに目を当てて、そういえば・・・って感じで書き始めました。今後もどんどんブログも書いていけるように、ネタ集めのインプットも頑張っていきたいものです。

このブログを読んでくださっているあなたも、面白いと思っていただけたらぜひスケジューリングを心がけてみてください。


それでは、Have a nice day(^^ゞ
Shunichiro





2013年10月27日日曜日

「国内だって困っている人いるのに何で海外支援なんてするのさ?」に答えられますか?【No.96】

こんばんは。
Shunichiroです。

今日の大阪は快晴のいい天気でした。
皆様どんな休日をお過ごしでしたか^^?


休日ということで、少しオフモードな記事を書こうかな~とか思ってたのですが、ひょんなことから色々考え込んでしまって、少しガチ記事になってしまいました。

今日のテーマは、国際協力に携わる人にとっての大命題。
ズバリ「国内だって困っている人いるのに、なんで海外支援なんてするのさ?」
この記事を読んでくださっているあなたはこの問いにどう答えますか?



・結局人間は非合理性と合理性の二面を持った生き物
国内だって困っている人いるのに、なんで海外支援なんてするのさ?
この問いって、非常に難しいですね。
困っている人がいるなら国内も海外も変わらないとか人権~とか国益~とか色々あるけど、どれも一方の見方の領域を超えず、決定打になりうるような回答になっていないと思うんですよね。

つい先日、“Social Justice”という概念を知ったのですが、超要約すると、
生まれついての障害とか貧困って、ひどく不公平な状態ですよね。でもこれって誰もが成りえた可能性のあるものなんですね。よくある話で「さいころを振ってにたまたま日本に生まれた私たちは豊かな生活ができて、たまたまさいころを振ってアフリカに生まれた子供は幼少期にさえ栄養失調で死ぬ可能性がある。でももしかしたら自分もそういった国に生まれていたかもしれない」って。

そういった社会的不公平状態を「仕方ない」と捉えずに、「私もこの不公平を受ける側になっていたかもしれない。だから、そのような不公平のある状態はなるべく除去すべきだ。」という考え方はどうだろう?
ってことなんですね。

この考え方はなるほど~と思いましたね。今まで国際支援って遠い国の話で自分にとっての意味付けがよく見えにくい状態だったと思うんですけど、Social Justiceを考えるとグッっと自分ごとに捉えられるんですよね。


でも、Social Justiceや人権~って言われて、自分が不公平を被っている状態、人権を侵害された状態だったら嫌だろ?って言われても、何か行動できます?イメージわきます?
言ってることわかるけど、具体的なアクションにつながりにくいんですね。

なぜならSocial Justiceや人権~を主張しても、個人の正義感は満たされても経済的には非合理なんですよ。だって、自分が不公平を被っている当事者でない以上、Social Justiceによる効用って正義感以上のものがないんですね。インセンティブに欠けるんですよ。



じゃあどうしたらいいか?って言うと、個人にとってのインセンティブを付与すること。
つまり、国際支援を考える場合、善意や正義感を基にした行動と、経済的合理性の両方の面を考える必要があると思うんです。


・さらに、長期的な意味合いを考える
経済的合理性ってところを考えると、短期的な視点で見ると、国際支援の妥当性を説明しきれないんですよね。ODAのタイド借款~とかあるけど、結局一発終わりの受注にすぎないし、ましてや利益ベースでなくボランティアの形でやってるところなんて特にそう。
「国内だって困っている人いるのに、なんで海外支援なんてするのさ?」に十分に答えられないんですよ。

じゃあ、そこでもう1歩踏み込んで考えてみないといけない。
すなわち、時間軸を持ってくるのですね。


そしたら、「短期的にはただの遠い人への人助けであり、身近な人には目をつぶっている。しかし、長期的な時間軸を持って見た場合に~~のような効用をもたらす可能性があるから、その種まきをしておくことは一理あるだろう。」って、なってさっきよりは説得力が増す。

用語で、潜在的パイの拡大とかCSVとか言われるところですね。

すると、さらに問題が。
「パイを拡大するとかビジネスとかって、結局西欧的価値観の押しつけなんじゃないのか?」ってところ何ですね。本ブログの過去記事でもいくつか触れてますが、国際支援が長期で見たら現地の価値観を壊している例、ビジネスが現地の環境を壊している例などあるんですね。
結局、今やってる支援ってほんまに現地の人のこと考えたものになってる?


・経済的合理性と人の善意を統合させるロジックと裏付けが必要
そう考えると、結局、最後には善意に戻るんですよね。
「善意による行動の中でも短期的な経済的合理性を確保しつつ、かつ長期的な彼我へのメリットを生み、かつ人権や善意を叶える。」
そこのレベルまで求められてるんじゃないかと思うんですよね。

「国内だって困っている人いるのに、なんで海外支援なんてするのさ?」に答えるには、
ここまで人間の有り様と短期的・長期的な目線を持った上で、非常に戦略的なストーリーを描くことによって可能になるんじゃないかと個人的には思います。


上記のような考え方を進める上で必要になるのは、ロジックとその裏付け。
今、筆者が興味を持っているのはこの領域なんですね。
長期的な経済的メリットと人権・善意の両立を可能にする概念とその裏付け。


この領域を筆者は、HS(Human Satisfied)と呼んでいます。
トータルで見た人間の充足をいかに達成するのか?という視点ですね。

今世界では、人権や人の善意の追求とビジネス的利益の追求の両立が可能かどうかの実証が始っています。CSVや攻めのCSR,あるいはSRIやSROIの考え方。このあたりは上記のロジックを裏付けるようなものにする可能性を持っていると思うんですね。



以上、少し長くなってしまったので、改めて議論の流れとその整理
命題:国内だって困っている人いるのに、なんで海外支援なんてするのさ?
・Social Justiceや人権など人の善意に頼った支援は決定打にならない
・人間は善意だけでなく、経済的合理性も求める
・まず、短期的にも、善意と経済的メリットを両立させる
・その上で、長期的に見ても経済的メリットが達成されるようにする
・その過程で、当初とは違う形で現れる人権などの問題について対処する
・つまり、経済的合理性と人の善意を統合させる

これを図で表わすと、


こんな感じです。

以上、No.96「「国内だって困っている人いるのに、なんで海外支援なんてするのさ?」に答えられますか?」でした。

国際支援に携わる身として、常に自省しながら取り組んでいきたいと思います。




それでは、明日からまた一週間頑張っていきましょう!
Have a nice week(^^ゞ

Shunichiro




【補足です】
この記事はあくまで、人に自らの国際支援の意味付けを説明するときには、経済的意味付けや長期的意味付けも説明できる必要があるのでは?というところがメッセージです。その時に図で示したようなフレームが役に立つのではないかと。色んな活動がありますが、それぞれの活動すべて経済的合理性を追求しなくてはいけないということではなく、あくまで説明の際にその視点も必要になるんじゃないか?ということです。

身の丈に合った支援を【No.95】

こんばんは。
Shunichiroです。

台風も過ぎ去り、今日の大阪はやや風が強いながらもいいお天気でした。他の地域の方々はどうだったでしょうか?また台風の被害はなかったものの、昨晩東北地方で地震があり3・11の恐怖を思い返してしまいます。
大事なく過ごしていきたいですね。


さて、先日のブログ(No.94)にて、「武器をアートに」という展示を見たことやモザンビークにおける平和構築活動についての記事を書きました。その中で、内戦終了から20年以上が経過し国際的な関心も薄まり支援物資などの運営資源の確保に課題が生じている、という話をしました。

内戦に限らず、時間の経過と運営資源の確保は非常に重要で、かつ難しい課題となっています。そして、支援に携わる人々にとっては、そのような状況の中でどう支援活動を継続していくのか?支援組織としてどうあるべきなのか?という問題はセットで考えていかなければならない問題になっています。

そういう課題について、説明をしてくださった方に尋ねたときのお話が非常に興味深かったので、今日はそのことについて記事にしていきたいと思います。



・減り続ける寄付、撤退していくパートナー
今回の「武器とアートに」展を行っているのは、「えひめグローバルネットワーク:http://www.egn.or.jp/」さんという団体で、内戦終了後から、内戦で使っていた武器と交換に農具や自転車等の生産物を提供し、紛争復興の手助けをしています。しかし、内戦から月日がたつにつれ、寄付金は減り、また農具や自転車、他にもミシンなどといった物資を提供してくれていたパートナーの方々もどんどん撤退していってしまいました。

このあたりは国際協力活動と人々からの寄付・企業のCSRのジレンマですよね。国際協力はそこに支援を必要としている人々がいる限り続けられますが、時間が経つほど他世間からの関心はどんどん減っていき、それに伴い企業もその活動へのリソースも減っていきます。CSRって単なる寄付じゃなくて、世間からの評価というリターンを求めた“投資”なんですよね。
だから、時間による世間の関心の減少と企業からの支援の減少ってリンクしてしまうんです。


・無理をしてでも維持すべき??
提供されるリソースが減ってしまうと、支援活動を続けていくためには自分たちなりにリソースをGetしていかなくてはならなくなります。関心を呼び戻せるように、今までより多くの人にアピールしたり、今までとは違う企業に営業に行ったり・・・

でもそうやって色んなところに活動の幅(バックヤード分野においての活動)を広げていくというのは非常にパワーがかかるところなんですよね。支援を続けるためにはそういう活動を行っていかなくてはいけないけど、でもそこにパワーを使えば使うほど、本来やりたいことである現地への支援のための活動にパワーが割けなくなってしまうんですよね。

非常にジレンマなんです。
すると、ここで考えなくてはいけなくなってくるのですよ。自分たちの支援の意味や、支援の形がどうあるべきか?ってところ。無理をしてでも今のままの支援の形を維持するのか?現状を受けいれて今の支援の形を変えるべきなのか?


でも、そこでどうするのか?ってすごい難しい判断。
現地では依然として支援を必要としている人もいるし、しかし現実的にはリソース不足。



・身の丈に合った支援を
筆者はソーシャルビジネスとかに興味を持っている身なので、どうしてもそっち側(ソーシャルビジネス的な)の視点で見てしまうんですね。なので、寄付や物資の提供が減ってきている→何らかの物資回収と運営資金の獲得を目指す収益事業を行ってはどうだろう?という考えになってしまうんですね

そこで、当日企画の紹介をしてくださった方に質問させてもらったのですが、その答えが非常に興味深かったのです。(やっと、本題です(笑)前置きが長くてすいません。背景説明が大変なもので、悪しからず。)


“自分たちの身の丈を超えて活動を展開するつもりはない。もちろん運営資金、物資を何とかしなきゃいけないのは分かっている。もっと多くの人たちの関心を呼び戻したりすることも必要だ。しかし、この取り組みは愛媛にとっても大事な意味を持っている。(「武器をアートに」をきっかけに愛媛をしってもらうことに役立っている状況を指して。)また多様なアクターが絡むことで、支援の顔が見えにくくなってしまう。私たちはモザンビークとの1対1の支援を行っていきたい。それを通じて多くの人の関心を呼べればいい。”

とのようにおっしゃっていて(あくまで、筆者の記憶とそれによる解釈です)、国際支援活動におけるすごい大事なところをついてるな~って思いました。

やっぱ身の丈に合った支援って大事ですよ。いくらその支援を必要としている人がいるからとむやみに活動を拡大させていっても、細かいところでニーズがこぼれおちたり、関係性に齟齬が生じたりしてしまうものです。
自分たちはモザンビークと1対1の関係を望む、というところも齟齬の発生を抑え、また自分たちにとっての支援の意味もはっきりとされているな~って思いました。

いや~、自分もやれBoPだ、やれソーシャルビジネスだ、と言ってばかりいないで、今回の例のような深いところの意味まで考えることを忘れてはいけませんね。非常に勉強になりました。

(“非常に”って多いですね。なんか他の語彙が出てこなくて・・・浅学の筆者に他の語彙について教えてほしいものです。)



以上、No.95「身の丈に合った支援を」
・減り続ける寄付、撤退していくパートナー
・無理をしてでも維持すべき??
・身の丈に合った支援を
でした。



明日はどんな天気でしょうか?
明日晴れたら、気分転換に少し自然に触れてきたいものです。
皆さんもよい週末をお過ごしください。
Have a nice day(^^ゞ


Shunichiro





2013年10月25日金曜日

武器をアートに@民博に行ってきました【No.94】

こんばんは。
Shunichiroです。

いや~雨が続きますね。
特に今日の大阪の雨は強く降ったり、時に止んだり、また降ってきたり、、、でなんか嫌な感じです。明後日日曜日には晴れ間が見えるということで、それまで辛抱ですね。
皆様もどうかお気をつけてお過ごしください。


さて、今日の記事は遠足について(笑)
現在自分がいる学科では、より広い視野を身につけるためにフィールド実習や体験談や映像鑑賞などを行っています。例えば、神戸にあるモスクに行って話を聞いてきたり、青年海外協力隊に行っていた方をお招きして、お話を伺ったりしています。

今日はその一環で、万博にある民族博物館にて「武器をアートに~モザンピークにおける平和構築~http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/thematic/peace20130711/index」の紹介及び展示の見学に行ってきました。そこで感じたことなどを記事にしていきたいと思います。

(自分で書いてて気づいたんですけど、今日の口調固くありません?(笑)戦略とか分析とか固い内容書くときに口調ゆるいのに、身近な出来事を伝えるときに口調固くなるってなんか変ですね(笑)何なんでしょうw)



・展示:武器をアートに
まず、今回の展示の背景ですが、

[img]アフリカのモザンビークでは、1975年の独立後1992年まで続いた内戦の結果、戦争終結後も大量の武器が民間に残されました。現在、この武器を農具と交換することで回収し、武装解除を進めるとともに、回収された銃器を用いてアートの作品を生み出し、平和を訴えようという、TAE「銃を鍬に」というプロジェクトが進められ、内戦後の平和構築のモデルとして注目を集めています。このプロジェクトにより、日本に住む人びとへのメッセージを込めて制作された作品「いのちの輪だち」が、さきごろ民博におさめられました。
という感じで、なんと残された武器を使ったアート作品をつくって展示してるんですよ!驚きじゃありません?まず武器を回収し、その対価として農具などの生産のために役立つものと交換し、回収した銃を加工してアート作品を作り、平和の大切さを訴える。そんな取り組みが行われているそうです。

このモザンピークの例って、紛争後の平和構築のモデルとして注目を浴びているんですね。
この取り組みのすごいところは
・為政者による強制的な武装解除ではなく、住民自らが平和を求めて銃を手放している
・生産的な活動の提供(紛争終了後のモザンピークは毎年十数%の経済成長をし、モザンビークの奇跡と呼ばれている)
・武器アートをモニュメントにするなどし、住民の文化意識の高揚と平和維持の欲求を生んでいる
などが挙げられます。

武装解除を進めただけでなく、経済発展、文化高揚にも貢献しているってすごいですよね。モザンビークの奇跡と呼ばれている理由もわかります。

でも、本当にすごいこと、奇跡的なことって、住民が主体となって平和を求めている、ボトムアップの開発が行われていたことにあると思うんですね。

・モザンビークの奇跡≠経済発展but住民が主体となった復興
国際開発の分野で注意しなくてはならないのは、押しつけの支援ではなく、住民自らが主体となって自発的な開発、発展が進むようにするにはどうしたらよいか?というところなんですね。そのためにファシリテーションだとか色々な手法が考えられてるわけですよ。でも、開発従事者も色んな工夫をしたりするのですが、なかなか上手くいかなくて四苦八苦しながら現地の人たちの生活が寄りよくなるためにはどうしたらいいだろうかと格闘しています。

でも、このモザンビークでは、住民からのボトムアップな開発が(図らずも)行われていた。それって本当に奇跡なんですよ。これに関しては、展示の説明をしてくださった方の説明が非常に響きます
「過去、戦争終了後の武装解除は為政者によって強制的に行われていた。日本で見ると刀狩りや廃刀令など。これは世界も同じ。でもモザンビークでは、民間の人々が主体となって、自らの意思で平和を求めて行動した。このことこそが、本当は「モザンビークの奇跡」と呼ばれるべきだ」と。


・武器をアートに→モザンビークを平和の輸出国に
そして現在「この武器をアートに」を通じて、各国への平和のアピールを行ったり、平和構築や戦争意識に対しての学校教材として紹介したりといったアクションを考えているそうです。その理念?狙い?がこれまたキャッチ―で「モザンビークを“平和の輸出国”に」なんだそうです。
胸にドキュンと響きますね。
この取り組みがどんどん広がっていけばいいですね。



今日は色々学ばせてもらいました。
以下、今回考えたことや学んだことなどを簡単に挙げていきます。
・モザンビークには今でも数百万丁の銃が残っている
←内戦時には(おそらく)700~800万丁ほどの銃が出回っていた。そのうちの百数万丁ほどしか回収できていない。もちろん地雷などの武器もまだ残されたままになっている。

・武器との交換物のニーズは、内戦終了時(1990年代)は農具が人気だったが、今では住居に用いるためのセメントやトタン板などが人気
←おそらく生活水準の向上により、食料よりも快適な住居を求める様になった

・内戦終了から20年が経ち、国際的な関心の低下による支援者の減少が深刻な問題
←ある種復興の宿命なのかなと思います。日本の東北も、今では多くの人にとって3・11への関心は薄れ、ボランティアなども少なくなりました。(まだ震災の後遺症に苦しむ方々には本当に申し訳なく思います。自戒も込めて。)復興支援活動において、時間の経過による世間的関心および運営資源の確保、またその時間的プロセスに応じた支援の在り方は考えていくべき課題に思います。
(ただ、この点に関して尋ねたときの回答が非常に示唆に富むものでしたので、別の記事にて紹介していきたいと思います。)




自分の通常の関心だけだったら、今回のような展示を見に行ったりしないので、実習という形で強制的に見に行くのは非常にいい機会になるな~と思いました。いつもある程度オープンマインドで、色んな機会に飛び込むようにしているのですが、どうしても自分の興味の範囲内で物事考えちゃっていますよね。まったく興味ない音楽バンドのライブとか行かないのと同じだと思います。

それが、今回みたいに強制的にでも連れて行かれると、意外と面白いものに出会ったり、何かの縁に恵まれたりするんですね。実習の中身とは関係ないことですが、改めて機会の大切さを考えさせられました。


なんか、今日のブログは内容柔らかいのに、文章硬いまま終わっちゃいましたね。まるでシュークリーム状態(笑)そして、エンドが見えず、尻切れ的な変な感じです。。。
この週末でリフレッシュして、また来週から頑張っていきたいいきたいものです。



それでは、
Have a nice day(^^ゞ

Shunichiro







2013年10月24日木曜日

分類ではなく分析を【No.93】

こんにちは。
Shunicihiroです。

いきなりなんですが、、、木曜日って微妙じゃありません?
月曜日から週が始まって気合い入れていくんですが、どうも木曜日って中だるみするんですよね~。なんかフラ~っと散歩に行きたくなります。
僕だけでしょうか?(笑)


さて、ブログを復活して3日目になりますが、早速なんかいいネタないかな~って感じです(笑)
読書はいつも続けていて、毎日1冊は必ず読了しているくらいのペースなんですが、文章にするとなるとなかなかまとまらない(汗)これも訓練だと思って頑張りたいですね~。

んで、今日は結局、分析について記事にしていきたいと思います。



とはいっても、いきなり分析言われてもね~。困っちゃいますよね。
レポートとかでも「来週までに日本の農業について分析してきて~」とか、「インドネシアの温暖化について分析してきて~」とか、ありますよね。
(実際、授業の宿題でインドネシアの温暖化問題について分析することになっていますw)


・分析とは、物事を分けて分類すること
分析って、見て名前の通り、「分けて、析する」なんですね。
つまり、ある事柄について(あるいはあるお題について)要素に分けたり、マトリクスとかフレームワークにして分類してみたり、することなんですね。


・↑え、それだけ?分析の目的は?
でも、じゃあ、分析ってそれで終わりですか?
何かを分析するときって、何らかの目的があって分析するわけですよね。
だとしたら、マトリクスとかフレームワークにし”分類”して「仕事終わった、やっほーい\(^o^)/」じゃ、まだ半分だと思うんですよ。

どういうことかというと、分析って作業は、物事を要素や構成に“分類”し、その”分類”を基に、分析の目的を達成する為の何らかの洞察を導き出すこと、そこまでが分析の仕事だと思っています。(だから、分類して終わってしまうのは仕事の半分だと思うんですよ。)

先日の戦略について書いた記事の中でも、「SWOT使って現状をあぶり出した後、その情報をもとに圧倒的な非対称状態を見つけ出し、戦略の糸を導き出す」と触れました。

この時ってのは、
分析の目的として「戦略を考えだす」が上位にあり、
それを叶えるサポートツールとしてSWOT”分類”があり、
SWOT”分類”から、、戦略を導き出す作業が”分析”になるんです。

ここ大事です。要チェキですよφ(..)メモメモ


でも世間的には、“分類”で終わってしまうパターンが多いのはなぜでしょう?



・目的があってこそ、分析は機能する
さっきも申し上げたように、何らかの目的があって、それを叶えるために、まずは分類を行い、そこから有意な情報を導き出すのが分析です。つまり、分析という作業においては目的ありき、なのです。

目的のはっきりしない状態で「分析」を頼まれても、なんのために分析するのかわかんないから、結局ただの分類で終わってしまう。そんな状況があるんだと思うんですよね。

目的があってこそ、分析という作業は機能するし、意味のある作業になると思うんです。
自戒の意味も込めて、何かを分析するときには、まずその分析の目的をはっきりさせておきたいですよね。人に分析をお願いする時も同じですね。



以上、分類ではなく分析を
・分析=要素の分解
・↑では半分。そこから、分析の目的を果たす有意な情報を導き出す
・つまり、目的あってこそ分析は機能する
でした。


この記事を書いている間に、雨が降り雷が鳴ってきました。
明日からの天候に、みなさまもどうかお気をつけてお過ごしください。

それでは、Have a nice day(^^ゞ




Shunichiro

2013年10月23日水曜日

コア・コンピタンスって深い、、、^_^;【No.92】

こんにちは。
Shunichiroです。

最近雨続きで嫌な天気ですね~。
今週末には台風が二つ同時接近とか。
でも、世の中には雨を必要としている方もいるし、雨がないと生態系回んないよね、ってこと考えると改めて人間って(自分って(汗)身勝手だな~と思います。


さて、今日はそんな生態系の話。
「ん、待てよ。タイトル、コア・コンピタンスじゃん!」って思った方、その通り。生態系とコア・コンピタンスの意外な結びつきを考えてみたいと思います。


まずそもそも、コア・コンピタンスって??生態系ってどういうこと??みたいな感じだと思うので、まずはそこから入ります。

・コア・コンピタンスって?
コア・コンピタンスとは

ってことで、ビジネスにおいて自分(自社)が持っている武器のことですよ。
昨日の戦略についての記事の中で、内部分析/外部分析して~みたいなくだりがあったと思うんですけど、その内部分析の方で自分が持っている強みですね。

このコア・コンピタンスで大事なことが、相手に絶対真似されない(あるいは、真似するには非常に困難)ものであることですね。真似されない、そして他者(他社)を圧倒する威力を持っているから、独自のコア・コンピタンスになるんです。


ふむふむ、なるほど。
じゃあ、生態系って何?ってのが次ですね。


・生態系って?
生態系とは、
ある地域に住むすべての生物とこれに相互に作用し合う非生物的環境をひとまとめにし,エネルギーの流れ物質循環着目して一つの機能系とみなしたもの。イギリス植物生態学者タンズリーA.G.Tansleyが1935年に提唱した語。
 ある地域に住む生物とそれをとりまく環境が互いに密接関係をもち,全体として一つの系を作り上げているとする自然認識はかなり古くからあった。ドイツメービウスK.A.Möbiusが海中固着生活をするカキの個体群とそこに共存する動植物形成するとした〈生物共同体〉(1877),アメリカ昆虫学者フォーブズE.Forbesが湖沼とそこに住む各種生物について述べた〈小宇宙〉(1887),ロシアの林学者モロゾフG.E.Morosovの森林樹木やそのなかの動植物が相互作用をもち形づくるとした〈有機体〉または〈共同体〉(1928),ドイツの林学者メーラーA.Möllerの〈森林有機体〉などの考え方である。(出典:コトバンク http://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E6%85%8B%E7%B3%BB
ということで、簡単に言うと自然の中の色んな生物による有機的な結びつきのことですね。
木が土の養分吸って成長して、葉をつけて、秋になって(ちょうど紅葉のシーズンですね(笑))葉が枯れて地面に落ちて、地面の虫が枯葉を食べて、その糞が土の栄養になって、また木が生えて・・・それが何千年何万年と培われて生態系になっていくんですね。

自然が保たれていくこと、生命が誕生していくことってこの生態系がすごく大事なんですよね。


んで、「よし、コア・コンピタンスと生態系についてわかった。でも、ビジネスの武器の話と自然の話って何がつながるの?どう関係あるの?」ってところですよね。よしよし、順番に話していくからおとなしく聞くんだよ~、って、、、何なんでしょうねw最近キャラがブレブレです(笑)



・自然の持続もビジネスの持続も鍵は一緒!?
さて、改めてコア・コンピタンスに戻ると、優位性のある中核事業ということで、技術やノウハウなんかが挙げられていますね。じゃあ、その技術やノウハウってどう培いますか?どう生み出しますか?

例では、米フェデラル・エクスプレスの物流管理システム、トヨタの生産管理方式が挙げられていますが、では、このコア・コンピタンスを生み出すためには何をしたらいいでしょうか?

社員研修?買収?生産管理?、、、

正直、このコア・コンピタンスを築くのって容易じゃないと思います。
なぜなら、技術力にしろ、ノウハウにしろ一朝一夕では身に付かないものだからです。一朝一夕では身に付かないものを身に付けたからこそ、他社に真似されない強みになるんです。

技術やノウハウの研鑚、蓄積、フィードバック、、、それらを何度も繰り返し繰り返し行い、長い時間をかけて結晶化してやっとコア・コンピタンスが築かれていきます。そしてこの過程には、多くの人が関わってきます。技術者、マネージャー、サプライチェーン、、、色んな人の色んな活動が相互に作用しあって、上記のような循環が行われ、次第にコア・コンピタンスを結晶にしていきます。

そして、そのコア・コンピタンスのおかげでビジネス上の力強い武器になり、競争の激しい市場でもより長くビジネスを続けることが出来るのです。


これって、自然でも同じなんですよ(むしろ、ビジネスも自然の法則に逆らえない!?)。
森や森林の中では、長い時間をかけて色んな木や草、昆虫や動物などが相互に影響しあって、一つの生態系を築いています。より深みのある生態系ほど、より互いに栄養などを分け与えることができ、より成長していくことが出来ます。深みのある生態系は、気候変動などの脅威にも耐えやすいと聞きます。生態系の深みが、その生態系自体の存在を強固にし、より持続的なものにしていくんです。


つまり、生態系という概念を用いることで、ビジネスにおいても、長い時間をかけて、自らの営みの生態系をどう生み出し、どう育み、どう結晶化させてコア・コンピタンスと成すか?そして、より持続的なビジネスにつなげていくか?という視点が非常に大事なんかな、って思います。

生態系って言っても、目で見えるわけじゃないし、表出化するほど強いものじゃないと気づかない、ってところもあるので、非常にマネジメントが難しいところですが、、、ただ、例にあるようなフェデラル・エクスプレスなどでは、自ら狙ってビジネスモデルをデザインしたりしていますので、何をコア・コンピタンスにするか?どんな生態系を築くのか?をビジネスモデルの中核にして、事業を起こすのもありかもしれません。あるいは、自分の事業の中で、何がコア・コンピタンスなんだろう?って考えるのも有意だと思います。

ここら辺はぜひ、
キーストーン戦略 イノベーションを持続させるビジネス・エコシステム (Harvard Business School Press)
ザ・プロフィット 利益はどのようにして生まれるのか(←確かこの本だったと思う(汗)ウォルマートの強みはなんだい?ってあたりが非常に示唆に富みます。)
などを参考にしてください。


以上、「コア・コンピタンスって深い、、、^_^;」
・コアコンピタンスって?
・生態系って?
・自然の持続もビジネスの持続も鍵は一緒!?
→・技術やノウハウの蓄積=各生物の成長
  ・技術者やマネージャー、サプライチェーンなどの間での相互作用=各生物同士の相互作用
  ・時間をかけた循環
  ・結晶化=コアコンピタンス=深みのある生態系
  ・すなわち、自然の持続もビジネスの持続も、いかにして生態系を生み出し、育んでいくか?が   鍵になる
でした。
(最後の文で、ロジックわかりにくかったかな~と思って、まとめ直しました。もっと文章うまくなりたいです。)



まあ、若造の戯言なんでリアルビジネスやってる方からはどう思われるかわかりませんが、机上の理論でも積み重ねていけば、きっと自分がビジネスに携わるときには絶対に何らかの形で役に立つかな~と思っております。
お付き合いいただけたら幸いに思います。


では、Have a nice day(^^ゞ


Shunichiro


2013年10月22日火曜日

戦略ってなんぞや??【No.91】

こんにちは。
Shunichiroです。

またまた久しぶりの更新になってしまいました。
「毎日更新する!」とか強制付けしないとなかなか習慣にならないものですね。さすがに学校も始まって1カ月も経つので、そろそろちゃんとしなくては(汗)と思う今日この頃です。


さて、この1カ月ほど「“戦略”月間」(笑)と名付けて、ずっと戦略関連の本ばかり読んできました。。。が、いや~難しいですね。そもそも戦略というもの自体曖昧なうえに、実経験がないため、机の上ではなんとなくわかるけど~、、、状態です。

今日は、今まで本を読んできてなんとなく頭にある“戦略”とは?について記事にしたいと思います。あくまで実経験のない私の意見ですが、どうぞお付き合いいただければと思います。


・戦略って?
まず、戦略ってどんな時に必要なの?って考えると、企業だったら「シェアNo1を目指す!」とかすぐ浮かびますよね。他にも個人レベルでは、例えばそろそろ就活シーズンなので「××社に内定もらう!」とかって浮かびますよね。

でも、これって戦略?
違うよね。「シェアNo.1を目指す」「××社に内定もらう」ってのはあくまで“目標”であって、戦略ではないです。

戦略は「シェアNo.1を目指す」「××社に内定もらう」などの、「組織や個人が望む目標を達成する為の“具体的な”設計図」だと思うんですよね。「「シェアNo.1を目指す」のが戦略だー!」って言って、じゃあ何するの?って聞いたら「気合いだー!」って答えられても困りますよね。「「シェアNo.1を目指す」のが戦略だー!」って「じゃあ、何するの?」って聞いたら、「それはね、、、ペラペラペラ、、、」っていう中身の部分が本当の戦略なんだよね。それがTrue Strategyなんです。(^^ゞ←なんかカッコよく言ってみた(笑)

(今日の口調だいぶゆるいですね(笑)やっぱしばらく更新空いてしまうと、自分の文章スタイルを忘れてしまいます(笑))


・SWOTから戦略を紡ぎ出せ
ということで、簡単に戦略って何?っていう表面的な部分を知ってもらったので、細かい部分(True Strategy)を見ていきます。

目標が決まったところで、それを達成する為に戦略を立てるのですが、そこで非常に重要なことがあります。何かというと「現在自分がどこにいるか?」「今後この道はどこに向かっているのか?」ということ、すなわち内部分析/外部分析ですね。

目標に対して、現在自分はどんな立ち位置にいて、目標を達成する為に仕える武器(いわゆるリソース)は何で、敵は誰で、戦場はどこで、敵の武器は何、、、、ってのを情報を集めていくんですね。よくあるSWOT分析とかですよね。自分の持つ強み/弱み、外部環境の機会/脅威、これらを2×2のマトリクスに情報を書き入れていくあれです。

ここまでは普通。
本当に重要なのはここから。よくSWOT分析のマトリクスの情報を埋めて「よっしゃー!」ってなるんだけど、それって情報を埋めてるだけで全然分析してないんですよ。本来のSWOTの意味は、SWOTのマトリクスから、情報を分析し、戦略の糸(道筋)を手繰りだすことにあるんです。

自分の強み/弱み、相手の機会/脅威。これらの情報の中から、圧倒的な非対称状態を見つけ出し、そこを徹底的に押さえ込むような道筋=戦略の糸(道筋)を手繰り寄せること。それが戦略の第1歩目です。そのためのツールがSWOTなのです。

よく言われる、キリンビールとアサヒビールのケーススタディはまさにSWOTの分析を活用して、紡ぎ出した素晴らしい戦略ですよね。

*戦略の非対称性などについては「良い戦略、悪い戦略 」を参照


・ストーリーとロジックで戦略の糸をより太く
さて、これで大まかな方向性が見えました。
現在手元には、戦略の原型とも言うべき戦略の糸があります。しかし、この糸はまだまだ細くか弱いものです。次の作業は、この細い糸をどんどん太くして行く作業になります。

そこで考えるべきなのが、時系列を考えたストーリーとそれを支えるロジックです。

ストーリーが長いほど、戦略の糸はより強化されていきます。
まず1手目に何をする。次に何が起こる。そしたらこうなる。状況がこうなったら、こういう状況に変わる。こういう状況に変わったら、何が起こる。そしたら、、、

そして、ストーリーの中の各事象同士の論理が固まっているほど、戦略の糸は太くなっていきます。
論理的な飛躍や無茶がある場合には、狙った通りにはなりません。すべてのつながりにおいて「なるほど」「確かにそうなるよね」といった論理性があることが、戦略をより確かな成功へと導きます。


以上のように、SWOTにより戦略を紡ぎ出したのちは、ストーリーとロジックで以てその戦略の糸をどんどん太く、強いものにしていきます。

*戦略のストーリーについては「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) 」を参照


・戦略を実現する大胆な投資とオペレーションを
最後はもちろん実行です。
戦略を立てるだけで終わってしまっては、本当にただの机上の空論です。

そしてここが本当に大事。
戦略を本当に実現する為に、どんな組織体、どんなオペレーションが必要になるのかを具体的に考え、時に大胆に投資をし、実行していくことになります。そして投資の先に、戦略がうまく機能するようなレベルまでオペレーションを高めていくことになります。

実行段階において、戦略で立てたストーリーに従った、緻密で繊細なオペレーションがとれなければ、戦略崩れに終わってしまいます。Amazonやトヨタ自動車などなど、戦略も卓越したものながらそれを実現するだけの高度なオペレーション機能を持っています。

戦略とそれを実現するオペレーション、二つ揃ってやっと組織や個人を目標の達成へと導いてくれるものになると思います。


以上、「戦略ってなんぞや?」

・戦略とは、組織や個人が望む目標を達成する為の“具体的な”設計図
・SWOTから戦略の糸を紡ぎ出す
・ストーリーとロジックで戦略の糸を太く長く
・戦略を実現する大胆な投資とオペレーションを
でした\(^o^)/




ふう、久しぶりの更新でゆるめに~とか言ってた割に、けっこうがっつり書いちゃいましたね(汗)
もちろん実業に携わっていない学生の身ゆえに、「甘ぇよ、ゴルぁ!」みたいなこともあると思いますが、どうか御容赦。


今日頑張ったから明日は、、、みたいに息切れしないように頑張ります(笑)


それでは、
Have a nice day(^^ゞ


Shunichiro


(P.S 今回から通し番号を付けてみます。通し番号あると、タイトル見たときになんとなくカッコいい(笑))

2013年10月7日月曜日

玉石混交のマイクロファイナンス

こんにちは。
Shunichiroです。

久々のブログ更新になってしまいました。
どうも長期休みには弱いようです。


まずは、簡単な近況報告から。
念願だった、転部が叶い秋セメからは人間科学部のグローバル人間学にて学んでいきます。分野は。国際協力学やら社会開発論やら人間環境論やら・・・なんとまあ、筆者に合った学科です(笑)10月1日から授業が始まっていて、今日で全授業1周したのですが、めちゃめちゃ楽しいです。転部ゆえの語学やら数学やらが若干めんどくさいですが、その他専門の授業は非常に楽しく学ばせてもらっています。

さて、これからのブログスタイルですが、せっかくの転部ということもあり、今までのような読書からの学びだけでなく、論文なども含めた、よりアカデミックな部分にも触れつつ、意見を述べていきたいと思います。自身の成長とともに、ブログもレベルアップさせていきたいと思います。



本日は早速論文を読んだ感想などを投稿していきます。

「発展途上国の貧困削減に対するマイクロファイナンスの効果」
https://kumagaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=175&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=33&block_id=47

という論文を読みました。
本論文では、マイクロファイナンス(以下、MF)に対する批判意見を交えながら、MFが発展すべき方向の提言を行っています。

MFは貧困層に対する小口金融により、貧困層が収入を増やす行いに投資するのを助けていくというもので、グラミン銀行のモハマド・ユヌスのノーベル賞受賞より世界中に知れ渡り、今や途上国の至る所でMFが行われています。

しかし、MFの氾濫によりその弊害も生まれて来ています。
・MFの皮を被った高利貸し
本来MFは貧困層の所得向上の手助けをするためのものですが、やはりお金が絡むところにはビジネスが生じてしまいます。数多あるMF機関の中には、貧困層の収入向上へのサービスなどは行わず、貧困層が適切な投資が出来ていないまま、そのなけなしの収入を収奪していくような悪徳MFも生まれてきてしまっています。
・MFは零細事業者を生むだけで、地域の発展には貢献しない
MFは貧困層が小さくても何らかの事業を行えるようにするのを手伝うのが目的のため、MFの利用によって、例えば牛を飼う、農業資材を買うといった生産規模の小さな(しかし、個人や家族は養える)事業が活発になっていきます。しかし、あくまで小さな事業にすぎないため、大きな雇用や材料調達等が行われるようなものではなく、結果、地域の大きな発展にはつながりにくいととされています。

等がその例として挙げられます。

1点目の問題に関して、世間で賞賛されるほど、それを真似するものが現われるのは仕方ありませんが、思想の部分までは真似してもらえるのは難しいものです。その結果MFが新たな貧困層からの収奪の手段として見られないためにも、業界での規制が必要に思います。

2点目の問題に関して、ここが論文の著者のメインの主張につながる部分になります。
MFが至る所にあふれている中、所謂“マイクロ”な資金だけでなく、中間的(メソ)な資金提供も必要なのではないかと論じています。メソ・ファイナンスの提供によって、従来のような零細事業だけでなく、より大規模な事業が生まれ、より地域の発展につながるのではないか?ということです。



論文を読むのは勉強になりますね。
こんな感じでブログの更新を進めていきたいと思います。

今後とも「Noblesse Oblige」をよろしくお願いいたします。



Shunichiro