こんにちは。
【やんちゃ】
Nobelsse Obligeに対して、やんちゃは正反対の概念のように思えます。
Nobelsse Obligeが他者への配慮だとしたら、やんちゃは自由奔放・おおらか・心の自由さといったイメージですよね。
今までやんちゃが発揮された自分の瞬間っていつなのか?と振り返ると、高校受験の時や大学受験のときが当たるのかな~と思います。というのも、けっこう親にわがまま言って行きたいところを貫いてしまいました。いつもは礼儀とか気にしているくせに、人生の大きな転換期においてはわがままを通す傾向があるようです。
また最近で言うと、ビジコンなども責任とかではなくやりたいことをやっちゃってる感じですね。
そうやって考えていくと、もしかして自分というのは、
何をやるか?=What?に関しては、自分のやりたいことやノリ等のやんちゃな面を
どうやるか?=How?に関しては、他者に対する責任や配慮を
重んじているのではないか?と気づきました。
その中でも、まだまだやんちゃさを求めてることを深堀していくと、How部分においてもやんちゃさを発揮していきたいと考えているように思います。Whatのやんちゃだけでなく、Howのやんちゃですね。Howのやんちゃとは、すなわち、それを心から楽しむ姿勢や無邪気な姿勢、子供のころのような純粋な遊び心、わくわくした自分そういったものを求めているだと思います。
今現在、Nobelsse Obligeの方が強く出てしまい、やんちゃな自分を出せていないことが、自分自身の潜在的なもどかしさにつながっていると考えられます。かといって、やんちゃに思い切り振り切り礼儀を置き去りにすることはできないなと思うので、今後、もう少しやんちゃに対する心の比重を傾けていってもいいのではないか?と思っています。
Nobelsse Obligeとやんちゃの両極を行ったり来たりしながら、目指す人生の像を追い求めていきたいと思います。
Shuncihiro
Shunichiroです。
さすがに連続で更新してると疲れますね。
ただ、やはり今年の振り返りは今年中にしておきたいので頑張ります。
コーチングでの学びの振り返りの続きですね。
自分が人生の目標にしている
「Noblesse Oblige×やんちゃな自分」
について、解体していきます。
【Nobelsse Oblige】
そもそもNobelsse Obligeとは、直訳すると高貴な身分には義務が伴うということで、いわゆる中世ヨーロッパにおけるエリートあるいは騎士道精神のことです。まあ、自分の場合全く高貴な身分ではないのですが、要は人間として立派に高潔に生きていきたいということです。源泉としては、子供のころに読んでいた三国志や武士道などといった影響が大きいのかなと思います。
具体的な日常の中で、そういうことを感じる場面があるか?ということでブレストを行ったのですが、自分の中で、表層として「他者への礼儀・配慮」があり、その背景に「立場に対する責任」というものを強く感じているということに気づきました。
些細な例ですが、挨拶できない、メールでの誤字脱字、飲み会の席での配慮、、、
で、挨拶や礼儀は相手への礼儀として大事ですよね。特に年配の方に対して、当然のごとく大切だと思っています。また、飲み会で上着をかけたりお酒を注いだり、、、というのも礼儀や配慮ですね。
しかし、その裏で感じているのは、「自分と相手との立場、そしてそれに対する責任」なんですよ。
メールを送る相手と自分、飲み会における相手と自分、、、
そういった瞬間瞬間の立場を敏感に感じとり、その立場ふさわしい責任を果たしている、と言えるのです。
すなわち、自分におけるNobelsse Obligeとは、
責任そのものであり、その責任を全うする覚悟を持ち全うすること
それが自分自身の騎士道だということが分かりました。
よく性格が固いとは言われがちですが、責任とは他者との相互作用の中で生まれるもの。
相手へのなにかしらの責任を全うしようという覚悟を持っているがゆえに、他者への礼儀や接し方を非常に重んじてるのだと思います。
相手へのなにかしらの責任を全うしようという覚悟を持っているがゆえに、他者への礼儀や接し方を非常に重んじてるのだと思います。
【やんちゃ】
Nobelsse Obligeに対して、やんちゃは正反対の概念のように思えます。
Nobelsse Obligeが他者への配慮だとしたら、やんちゃは自由奔放・おおらか・心の自由さといったイメージですよね。
今までやんちゃが発揮された自分の瞬間っていつなのか?と振り返ると、高校受験の時や大学受験のときが当たるのかな~と思います。というのも、けっこう親にわがまま言って行きたいところを貫いてしまいました。いつもは礼儀とか気にしているくせに、人生の大きな転換期においてはわがままを通す傾向があるようです。
また最近で言うと、ビジコンなども責任とかではなくやりたいことをやっちゃってる感じですね。
そうやって考えていくと、もしかして自分というのは、
何をやるか?=What?に関しては、自分のやりたいことやノリ等のやんちゃな面を
どうやるか?=How?に関しては、他者に対する責任や配慮を
重んじているのではないか?と気づきました。
その中でも、まだまだやんちゃさを求めてることを深堀していくと、How部分においてもやんちゃさを発揮していきたいと考えているように思います。Whatのやんちゃだけでなく、Howのやんちゃですね。Howのやんちゃとは、すなわち、それを心から楽しむ姿勢や無邪気な姿勢、子供のころのような純粋な遊び心、わくわくした自分そういったものを求めているだと思います。
今現在、Nobelsse Obligeの方が強く出てしまい、やんちゃな自分を出せていないことが、自分自身の潜在的なもどかしさにつながっていると考えられます。かといって、やんちゃに思い切り振り切り礼儀を置き去りにすることはできないなと思うので、今後、もう少しやんちゃに対する心の比重を傾けていってもいいのではないか?と思っています。
Nobelsse Obligeとやんちゃの両極を行ったり来たりしながら、目指す人生の像を追い求めていきたいと思います。
Shuncihiro
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