こんにちは。
Shucnichiroです。
昨日の記事に引き続き、今日の記事では「援助じゃアフリカは発展しない」を引用しながら、援助が機能していはない、役に立っていない理由について紹介していきたいと思います。
◆援助にいおけるマクロとミクロのパラドクス
援助においては、短期的な効用と長期的な効用の間で、ジレンマを抱えていることがあるそうです。良く聞く話として、援助やチャリティーが現地の産業を破壊してしまうことがあるそうです。
援助やあるいは有名人によるチャリティーという名目などで、現地に大量の蚊帳や古着が送られ、無料で配布されたりする。一時的には現地においても喜ばれるかもしれない。しかし、現地で蚊帳や服飾を行っている業者にとってはたまったものではない。無料で大量の商品が配布されたら、自分の商品が買われなくなってしまうからだ。その結果、そういった業者は廃業してしまう。そして、長期的に見たら、配布されたものを修理しよう、あるいは新しいものに換えようと思っても、現地にはそのための産業はもはや存在していない。
まさに援助が現地の産業を破壊したケースである。
しかし、援助を行った側にとっては、そんなことお構いなしである。チャリティーを行った有名人はさらに知名度と人気を高め、さらに高額なギャラを稼ぐようになる。そして、彼に寄付した者たちも、そんな現状を露とも知らず、さらに彼に熱狂していく。。。
短期的には意味のある行動かもしれない。しかし長期的に見たら、それは全く被援助国の役に立っていないばかりか、むしろ害悪でさえあったと言える。
このような状況に対し、書籍では、
◆援助の悪循環
有効と思って行ったはずの援助が、ますます現地を貧困に陥れる悪循環に陥ってしまっているケースもあるという。一つ挙げられているのが、腐敗である。
◆援助が向かうべき方向
本書では、援助が向かうべき方向として(まず援助自体やめてしまうことも主張しているのだが、、、)、市場経済の利用を掲げている。すなわち、援助ではなく、市場を通じた資金の調達やそれによって行う投資による企業の育成、経済の活性化こそを図るべきだとしている。そして、そのための援助の在り方として、ただ与える、ただ融資するのではなく、見返りを要求することも大事だとしている。
本書の言説を引用すると、
とのことである。
また、現地の産業を育てる視点を持つことが大事であり、先ほどの蚊帳の例で言うと、先進国の蚊帳を送るのではなく、現地の業者に発注を行い、また供給も含めて現地の業者に仕事を依頼するという形が今後の方向性として大事なのだという。
21世紀の今日においても数億人あるいは数十億人規模で貧困が未だに存在し、また発展が十分に進んでいない国々も多い。もちろん、発展することが全てというわけでもないが、人々が十分に尊厳を持った生活を営めることは大事なことだと思う。
本書を読んで、また非常に考えさせられました。
昨日の記事でも書いたのですが、日々知識の練磨を続け、かつ自己対話を通して思考の練磨を続け、自分にとっての国際協力・国際開発の在り方を模索し続けていきたいと思います。
Shunichiro
Shucnichiroです。
昨日の記事に引き続き、今日の記事では「援助じゃアフリカは発展しない」を引用しながら、援助が機能していはない、役に立っていない理由について紹介していきたいと思います。
◆援助にいおけるマクロとミクロのパラドクス
援助においては、短期的な効用と長期的な効用の間で、ジレンマを抱えていることがあるそうです。良く聞く話として、援助やチャリティーが現地の産業を破壊してしまうことがあるそうです。
援助やあるいは有名人によるチャリティーという名目などで、現地に大量の蚊帳や古着が送られ、無料で配布されたりする。一時的には現地においても喜ばれるかもしれない。しかし、現地で蚊帳や服飾を行っている業者にとってはたまったものではない。無料で大量の商品が配布されたら、自分の商品が買われなくなってしまうからだ。その結果、そういった業者は廃業してしまう。そして、長期的に見たら、配布されたものを修理しよう、あるいは新しいものに換えようと思っても、現地にはそのための産業はもはや存在していない。
まさに援助が現地の産業を破壊したケースである。
しかし、援助を行った側にとっては、そんなことお構いなしである。チャリティーを行った有名人はさらに知名度と人気を高め、さらに高額なギャラを稼ぐようになる。そして、彼に寄付した者たちも、そんな現状を露とも知らず、さらに彼に熱狂していく。。。
短期的には意味のある行動かもしれない。しかし長期的に見たら、それは全く被援助国の役に立っていないばかりか、むしろ害悪でさえあったと言える。
このような状況に対し、書籍では、
ほとんどすべてのケースにおいて、短期の援助の評価は、援助の成功という誤った印象を与える。しかし、短期の援助の評価は、アフリカにおいて長期の問題に取り組む場合にはほとんど役に立たない。援助効果は、長期の持続的成長にどれほど貢献したかで評価されるべきであり、持続可能な手法によりどれだけ多くの人々を貧困から救済できたかという観点で評価されるべきである。このようなレンズを通してみると、援助は目標を達成していないことが分かると言っています。
◆援助の悪循環
有効と思って行ったはずの援助が、ますます現地を貧困に陥れる悪循環に陥ってしまっているケースもあるという。一つ挙げられているのが、腐敗である。
援助があると腐敗が腐敗を助長し、国家は簡単に援助の悪循環に陥る。外国援助は腐敗政府にテコ入れする―つまり彼らに自由に使える現金を支給するのだ。これら腐敗した政府は、法体制、透明性のある市民組織の設立、市民的自由の保護を妨げ、内外からの投資を魅力のないものにしてしまう。不透明で投資が少ないので経済成長は低下し、このことは雇用機会を減少させて貧困をますます拡大する。貧困の増大に応じて、ドナーたちはさらなる援助を与えるが、このことがますます貧困を増大させる。これが援助の悪循環だ。必要な投資を窒息させ、援助依存の文化を浸透させ、体系的な腐敗をはびこらせる悪循環は、全て成長にとって有害な結果をもたらす。事実この循環は、援助に依存する最貧国での開発を遅らせ、経済を必ずや失敗に導く。また他にも、援助によって、現地にインフレが生じ、結果的に現地の経済を破壊してしまうことや、あるいは現地の競争力を損なわせ、外貨収入をうむ輸出部門の能力を低下させること等も述べられている。そして、そのような状況に対し、テコ入れを行うためにさらなる援助が行われているのである。
◆援助が向かうべき方向
本書では、援助が向かうべき方向として(まず援助自体やめてしまうことも主張しているのだが、、、)、市場経済の利用を掲げている。すなわち、援助ではなく、市場を通じた資金の調達やそれによって行う投資による企業の育成、経済の活性化こそを図るべきだとしている。そして、そのための援助の在り方として、ただ与える、ただ融資するのではなく、見返りを要求することも大事だとしている。
本書の言説を引用すると、
西側諸国の犯した間違いは、何かを与えるのに際して、なにも対価を求めなかったことである。中国の成功の秘密は、彼らのアフリカへの急進出のすべてがビジネスだったことだ。西側諸国はアフリカに援助を贈り、成果を気にしなかった。このことが利権集団を作り、膨大な数の人々を富から排除したために、政情不安を引き起こした。
一方、中国は、現金をアフリカに送り、見返りを求めた。その見返りによって、アフリカの人々は仕事や道路や食料を得て生活を向上させ、少なくとも当分の間の、表面的な政治的安定が得られている。経済こそが重要なのだ。
とのことである。
また、現地の産業を育てる視点を持つことが大事であり、先ほどの蚊帳の例で言うと、先進国の蚊帳を送るのではなく、現地の業者に発注を行い、また供給も含めて現地の業者に仕事を依頼するという形が今後の方向性として大事なのだという。
21世紀の今日においても数億人あるいは数十億人規模で貧困が未だに存在し、また発展が十分に進んでいない国々も多い。もちろん、発展することが全てというわけでもないが、人々が十分に尊厳を持った生活を営めることは大事なことだと思う。
本書を読んで、また非常に考えさせられました。
昨日の記事でも書いたのですが、日々知識の練磨を続け、かつ自己対話を通して思考の練磨を続け、自分にとっての国際協力・国際開発の在り方を模索し続けていきたいと思います。
Shunichiro
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