2012年12月17日月曜日

活動の先にあるものって?


こんばんは!

今日は選挙の日でしたね。
今このブログを書いている時もTVでは開票速報をやっていて、自民党が圧勝のようですね。
問題をたくさん抱え、でも可能性もたくさん持っているこの国を同かじ取りしていくのか、有権者の一人としてしっかり見ていきたいと思いますし、自分の出来るところでの活動もしていきたいです。



さて、そんな選挙の日。
私は国際協力団体BEAMさん
http://beam-1120.jimdo.com/
の、イベントに参加していました。(もちろん選挙はちゃんと行きましたよ~^^)

BEAMさんはインド最貧困地域ビハール州への支援を行っていて、今回のイベントの収益は現地の学校施設の増設へ使われるそうです。


イベントは普通に楽しめたわけですが、
まあ・・・自分自身も国際協力的な文脈で、しかも一団体の代表を預からせてもらっている身分で活動しているせいか、色々考えてしまうわけですよ(笑)

団体の持続可能性とか、
メンバーのモチベーションの維持とか
メンバーの内発的原動力とか
増設完了したあとのアクションはどうなっているのか?とか

なんか色々。


でも、やっぱ考えてしまうのは、
その自分たちの活動の先なんだよね。

ひとつは、ここ日本においての先で、
もう一つは、現地の人たちにとっての先。


例えば、今回とても楽しく素晴らしいイベントを開きました。
理念や問題意識も素晴らしいし、本当に熱い思いで活動していると思う。

でも、イベントの参加者の多くはきっと「今日はとても楽しかった!」で終わってしまうと思うんだよね。
もちろん、参加してくれた方々が楽しんでもらえるのはイベントにおいてとっても大事なこと。
今回参加してもらえて楽しめて、そしたら次のイベントのときも参加してもらえる。

でも、せっかく普段は国際協力とか何も関係ない人でも、イベントを通して国際協力の世界を知ってもらえる機会なのだから、参加者の方々に少しでも世界に思いを馳せる、そんなきっかけになってほしいな、って思うんだよね。

単発の楽しいイベントで終わってしまうのではなく、何かしら今後にもつながっていくような心を揺さぶる”仕掛け””仕組み”があれば、も~~~~っと良くなると思う。
もちろん、人の心を揺さぶって、意識・行動を変えるなんてそう簡単ではないんだけどね。

やっぱりこういうイベントを通じて、参加者の各々の中で、自分や世界について考え直すきっかけになってほしいって思う。
その結果、意識や行動に変化が起こってもらえればすごい嬉しいし、考え直した結果意識や行動に変化がなかったにしても、意識・行動を変えないという結論を出すための”考え直す”プロセスがその人の中で大事なものになると思う。

イベントの先に、どんな状態を望むのか?
それを少し考えてみてもいいのではないかな?



それと、もう一つ。
現地の人たちの先にあるものについて。

今回の収益は現地の学校増設のために使われる。
その結果、より多くの子供が学校に通えるようになるし、その結果より良い収入の職に将来つくことができるようになって貧困から脱出する力作りになる。

でも、現地の人はいつまで外部の資金調達に頼るんだろう?

資金調達という非常に責任がある重大な仕事を外部に頼ってしまっていることで、現地で学校を動かす人たちに責任感とか献身という態度が芽生えるのを阻害しているのではないか?

そういう人たちの運営する学校では、しっかりした教育が行われているのだろうか?

とか。


こういう活動の難しいところって、自分たちだけでなく、友人、大人、そして現地の子供、大人・・・
色んな人、色んな立場の人が関係していて、しかも将来に大きく影響を与えかねない、というところなんだよね。

もちろん、途上国の子供たちが学校を必要としているのも事実だし、そういう子供たちに学校を作ってあげたいっていう人々の熱い気持ち、精力的な取り組みは本物だと思う。

でも、その需要に応えることだけで本当の幸せにたどり着けるのか、すごく考えなきゃいけない部分かなって思う。

じゃあ、逆に自分が行っている活動はそういう長期的な目で見て本当に幸せを形作っているのか、っていうともっとちゃんと考えなきゃいけないなって思うし・・・





う~ん、非常に悩ましい感じです。


ただ、今日は自分自身イベントをすごく楽しめたし、今日のために本当に一生懸命活動してくださったメンバーの方々に対して、とても感謝しています。
お疲れさまです。
ありがとうございました!

それと今日はすごく魅力的な人々に(また)会えて、お互いに考えとか色々聞かせてもらえて、すごい刺激になりました。

本当に出会いに感謝です。


今後もこういった方々とのつながりを大事にしつつ、またイベントなどにも参加したりしつつ、自分自身活動を続ける中で、色々考えながら進んでいきたいと思います。

今日はありがとうございました!

 

2012年12月12日水曜日

毎日に”理由”を持つこと【成功法則】



12月も中旬になり寒さも一段と増してきましたね。
朝起きるのが辛い時もありますよね?

さて、そんな一日の迎え方についての紹介です。



毎日に充分な理由を持つ

みなさんもこんな経験ありませんか?

朝バイトがあるときはちゃんと起きれるのに、何もないとついつい朝寝坊してしまう
友達との遊びの予定があるときは起きられるのに、サークルのミーティングのときは起きられない

これはなぜか?



それは、その日に充分な理由を持っていないからです。

前者の例では、朝ちゃんと起きる理由がないために起きられないのです。
後者の例では、ミーティングが、時間通りに起きるだけの理由になっていないからです。


これはバイトでもミーティングでも友達との約束でも読書でも・・・
なんでも当てはまることです。

その日に理由を持ち、そしてその理由に自分を奮い立たせるほどの意義を感じていないと、その日を無為に、あるいは時間を無為に過ごしてしまいがちになってしまいます。


毎日をより有意義に過ごすために、毎日充分な理由を持ってみてはいかがでしょうか?



充分な理由の意義

さて、充分な理由とはなんでしょう?

先ほどの例で説明すると、

まず、前者の例。
バイトには責任が伴っています。
バイトに遅れると店長に怒られるだけでなく、同僚に迷惑をかけることになります。
もちろん自分の給料が下がることもあります。
そのため、多くの人にとってバイトは充分な理由として考えられます。

また、後者の例では
友達との約束ではちゃんと起きるのに、サークルのミーティングには起きられない。
これは、サークルのミーティングに充分な意義を感じておらず、逆に友達の約束には充分な意義を感じているからです。
その意義とは、’楽しみ’という自分の感情です。


その日に、意義を感じ、それがその日一日の理由になっていると
・時間を無駄にすることがなくなる
・活気が入る
・その日一日がプラスになる
など、非常にポジティブな効果が得られると思います。
人によっては自尊心の高まりを感じたり、生活への心構えが変わっていったりといった効果がある人もいるかもしれません。


充分な理由には、それだけの意義があるのです。



充分な理由を作るには?

さて、毎日を充実させる充分な理由とはどのように作るのか?

それには、予定意義づけが大事になります。


明日、バイトがある、友達との約束がある、など予定があれば起きますよね?
そしてその予定に充分な意義づけを行うことで、その予定が充分な理由になっていきます。

春休みに海外旅行に行きたいから、ちゃんと起きて明日のバイトを頑張ろう、という希望や先ほど述べたような責任感。
あるいは、自分自身がとても楽しみにしているという感情でも構いません。


何かしら、明日行うことを決め、それに対して充分な意義を感じてください。
そしたら、明日一日は非常に充実したものになっていくと思います。

それを毎日繰り返していったら・・・非常に素晴らしい人生になると思いませんか?




毎日に意義を感じられるだけの充分な理由を持ちましょう!

そして、それはよいよい人生へと導いてくれるものと思います。


2012年12月11日火曜日

See-Dコンテスト報告とお礼


つい先日、OUESTの活動のひとつの区切りとして、See-Dコンテストに参加してきました。


OUESTは私が立ち上げた団体で、発展途上国で本当に必要とされている製品・テクノロジーを学生の手で作り、途上国へ届けていこう!という活動をしています。
http://ouest-osakauniv.jimdo.com/
その一つの目標として、See-Dコンテストへの出場を掲げ、取り組んできました。

See-Dコンテストは、発展途上国で必要とされている製品・テクノロジーのアイディア&ビジネスプランコンテストです。
http://see-d.jp/


今回のコンテストには、OUESTからは2チームが参加し、社会人のチームなど合計9チームで、各々のアイディアの良さ、ビジネスプランの良さ、現地での発展可能性、現地に与えるインパクトの大きさといった点で審査されます。


私たちOUESTは、
・モップ絞り器に着想を得た、非電化洗濯機
・マラリア防止の蚊よけ洗剤
を提示しました。

他のチームでは
・携帯電話を利用した物流システムの構築
・非電化ホットシャワー
・農作物への水遣りポンプ
等等
色んなアイディア、プランが提示されており、どのチームも入念なリサーチ、分析、準備を重ね、本当にどれも素晴らしいものばかりでした。
ホットシャワーや水遣りポンプなどどれも日本や先進国では、非常に当たり前のものなのですが、発展途上国ではこういったものすらないために生活の中で非常に苦労されていたり課題を抱えていたりするのです。

さて、ドキドキの結果発表。
先輩賞や会場賞などが順番に発表されていく中、OUESTの名前はまだなく、残すは優秀賞2チーム、最優秀賞1チームとなりました。

選ばれないんじゃないか?とか、いやいや結構高い評価を頂いてるのかも・・・とか不安に思ったり期待してみたり、色々考えながら発表を待っていると、

司会の方から聞こえてきた言葉は、

「優秀賞・・・OUEST洗剤チーム」


その瞬間、嬉しさやらほっとした気持ちやら、いろいろな思いがこみ上げてきました。

(実はこのブログを更新している、この瞬間も涙目です(笑)
自分って意外とセンチメンタルなんだな、って新しい自分に気づいてびっくりしています(笑))

世界中で大きな課題となっているマラリアに着目した点、
それを、洗濯という日常必ず行う行為に着目した点から、
世界への発展可能性を高く評価いただきました。

OUESTのもうひとつのチームも、入賞は逃したものの、非常に素晴らしい取り組み、提案だったと思います。



ここまで、来るまでに本当にたくさんの色んな人々にお世話になり、協力頂き、応援していただきました。
優秀賞という、成果でもってこういった方々に恩返しをできたことに本当に嬉しく思います。

本当にありがとうございます!


そして、私と一緒に活動してくれたメンバーのみんなにも、本当に感謝がいっぱいです。
みんなの取り組み、熱意の賜物だと思っています。
しかも授賞式のあと、こんな私を胴上げまでしてくれて・・・

みんなには言葉で語れないほど感謝の思いでいっぱいです。
全然いたらない代表であったにも関わらず、一緒に取り組んでくれて、たくさん意見も言ってくれて、応援もしてくれて・・・

本当にありがとう!

(あ、やばい泣きそう(笑))


このブログを読んで、私や私たちの活動を応援してくださっている皆様にも、お礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございます!




今回仲間を含め、多くの皆さんに支えられてここまでくることができました。
でも、私たちの活動はここで終わりでは、ありません。

実際に途上国へ製品を届けていき、途上国の人々のお役に立つこと。
それぞれが幸せを追求していく手助けをさせていただくこと。
そして、学生から関西へ、社会へ、世界へ大きなインパクトを与えていくこと。

そういったところまで、活動を続けていきたいと思っています。


今後とも私たちの活動を見守っていただけると嬉しいです。
本当にありがとうございます!

よろしくお願いします!





2012年10月30日火曜日

未来を創る人を育てる

正しい国際協力や幸せのありかなんて、誰にもわからない。
価値観は人によっても違うし、何が幸せなんてその人自身も正確には理解していないし、理解できるものでもないと思う。

でもその中で、僕たちは何ができるのか?
国際協力のあり方はよく’魚釣り’に例えられる。

以前のやり方は
「魚を与える」
方法。
ODAという形で道路を作り、港を作り、橋を作り・・・
でも、途上国の貧困や生活の質は変わらなかった。

次に、「魚の釣り方」を教えるようにした。
参加型開発とかファシリテーターとか・・・現地の人々が主体になって魚を釣れるように促してきた。
でも、まだまだ十分な効果がでているとは思えない。
しかも、そうやって先進国的なあり方を目指したやり方がそもそも本当に正しいのかわからなくなってきている。

そして、次は?
色んな方と知り合って、色んな本を読んで、色んな考え方があると知った。
「魚を与えるよりも魚の釣り方を教えるよりも、釣竿の作り方を教えよう」
「魚の釣り方を教えたら、漁のやり方を教えよう。そしたら村のみんなに仕事と収入を与えられる」
「魚の釣り方を教えるよりも、そこに生きる人々がそこでどう生きたいかを一緒に考えよう」
・・・

面白いブログ記事を見つけた。
「作り手を増やすhttp://shanindonesia.blog94.fc2.com/blog-entry-139.html
簡単に紹介すると、技術や製品が本当に現地を幸せにしているのか?
TVのない生活よりTVのある生活がいい。
そんな価値観がどんどん広がって、途上国の人々の間でもTVのある生活に憧れている。
でもTVのある生活のおかげで(せいで)人々の結び付きが失われてしまっている。

そんな風に先進国的な生活、幸せの方向(あくまで’方向’)が全員が望んでいることなのだろうか?
そんな疑問を持った著者が出した答えは「自分で考え、解を出せる『作り手』を増やすこと」。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
心にささった刺をいままでずっと無視し続けてきた自分を恨みつつ、うんうんと考えてみてはや3ヶ月。
かろうじて見つけた、私にとってのずっと信じられること。それは「自分で考え、解を出せる『作り手』を増やすこと」。

途上国にモノを届けることの善し悪しはよくわからない。たぶん良いものも、特に幸福度合いには影響のないものも、悪いものもあるんだと思う、というくらいしかわからない。
でも、目の前の問題を見た時に、「こうしたらちょっと良くなるかも。」「こんなの作ったら楽になるかも。」と思って、前に進む事ができる人を増やす。途上国で増やす。先進国で増やす。東ティモールピティレティ村で増やす。アメリカ西海岸で増やす。東京で増やす。東北で増やす。世界中で増やす。。。。
うん、これならいくらやっても害がなさそうだと信じられる。
しばらくの人生をかけてもいいかな、と信じられる。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------


自分の中で色んな糸が解けた気がした。
幸せの在り方や大事にしたいもの、価値観はみんなそれぞれだ。
それならば、自分が望む未来/幸せのあり方を自分で考え、創ることができるようにするのがいいじゃないかと思う。

「魚の釣り方を教えるよりも、自分たちが望む未来/幸せを自分たちで創ることができるようにする」

そして、「自分たちの望む未来/幸せを自分たちで創ることができるようにする」には、
①彼らが抱えている障害をなくし
②過去や今ではなく、未来/幸せを彼ら自身が描ける
ようにすることが大切だと思う。

①の実現のためには、資本の投資や適正技術の普及なんかが役立つと思う。
でも②には、何が必要?
未来/幸せを自分たちで描けるようになるには、
まず教育
次にそれを実現できる環境
かな?
要は、物理的にも精神的にもエンパワーを成し遂げるのが大事なのかな。

「魚の釣り方を教えるよりも、自分たちが望む未来/幸せを自分たちで創ることができるようにする」

そして、そのための手助けとして日々の障害を取り除き、未来/幸せを自分で描けるように促すようにできたらいいな、と思う。



一年以上前から取り組んでいるSee-Dコンテストへの参加。
あと1ヶ月で本番です。


 

2012年9月12日水曜日

全ては自分の足元から始まる~世界を変えるためにできること~


こんばんは!


みなさん、夏休みを楽しんでますか~?
僕は実家に帰ったり、東京でインターンに参加したり、たくさん本を読んだり、友達とバカやったり・・・非常に充実して過ごしています。
そして、今月の半ばにはバングラデシュに1週間ほど渡航する予定があったり、帰国後には「夢ワクワク会議」なるイベントを行ったりする予定で、いまからとても楽しみです。

みなさんは残りの夏休みをどんなふうに過ごしますか~(^^)?
充実して過ごしてくださいね。




さて最近、下記にリンクを貼ったような、「世界を変える」とか次の社会システムに関する本などを読んでいます。



これらの本を読んでいて、すごい大事なんじゃないか?ってことに気づいたので、それをみんなと一緒に考えたいな、って思います。




まず、
「世界を変えるビジネス」
「世界を変える人たち」
から。

世界を変えるって?


これらの本では、途上国あるいは先進国などで活動している企業や社会起業家の話が紹介されています。

例えば、インドのストリートチルドレンを助けるために、24時間のお助け電話サービスを展開している話であったりとか、ブラジルの貧しい村々に電気を届けるために奮闘している話であったりとか、あるいは、世界の企業に先駆けてCSR(企業による社会貢献活動)に力を入れている企業の話や従業員の福利厚生にものすごい力を入れていてその結果従業員のやる気を生み出して収益を上げている企業の話だったりします。


って、ざっくり聞いただけでは「それがなんで世界を変えることにつながるの?」って思ってしまいますよね。

でも、「世界を変える」の’世界’って何を表しているの?


この本で紹介されている方々や企業では、まず彼らの周りの世界を変えることを考えました。
例えば、自分が問題意識を抱いたその小さな一つの地域のストリートチルドレンを助けること、その村に電気を届けること、あるいは自分の会社があるその地域に奉仕すること、自分の企業の従業員に働きやすい職場を用意することから始めたんです。

まず、自分の周りの世界を変える。
そして自分の周りの地域をしっかり大切にし続ける。
すると、他の地域からも要望が上がり、他の地域からの顧客が増えたり、あるいは従業員が本当に企業に貢献したいと思ってくれたりし、その結果他の地域への進出が容易になり、その地域でも変革を進めていくことができるようになりました。

そんなプラスの連鎖の結果、「世界を変える」と言われるほど大きなインパクトを持つ活動、取り組みになったのです!



「世界を変える」って聞くと、僕のような一凡人からしたらすごい大きなことに思えてしまって「すげ~」「一個人が本当に世界を変えられるのか?」なんて少し怖気づいてしまいますよね。
でも「自分が変えたいその世界ってどこだろう?」ってまず考えてみたら、もしかしたらすごく近しいところだったりするんじゃないかな?って思います。


要は、まず自分の足元から=自分のすぐ周りの世界をどうしたいか?
そして、その世界を本当に大事にしていくところから初めて行くのが大事なんじゃないかな~って思います。



って、締めの言葉っぽくなってしまったけど、まだまだですよ(笑)

次は
「ゼロから考える経済学」
について



今の社会、思いやりはどこに行ったのか?

今の社会は、自由市場主義を基にした資本主義社会になっていますよね。
簡単に説明すると、「人間は利己的な生物である」という原則と、「神の見えざる手」の二つの理論によって、人々が各々利己的な行動を取ることで神の見えざる手によって自動的に調整され最適な状態になるという経済モデルとなっています。
(説明不足、誤解などあれば遠慮なく教えてください><)

古今東西、ライオンやトラに限らず生物は自らが生存するために利己的に行動してきました。
人間も生物である以上、それが当然だと考えられていたのです。

でも、生物って本当に利己的なだけでしょうか?
いろんなテレビ番組とかで紹介されているのを見たことがあるかもしれませんが、例えばライオンのお母さんが子供の為に自分の食料を与えたりとか、子供を守るため自分を犠牲にして外敵と戦ったり・・・そんなふうに生物は完全に利己的なだけでなく、慈愛やあるいは思いやりといった精神も備わっているのです。
もちろん人間も然りですよね。
誰にも思いやりとか他者への愛情などがない社会だったら、すっごい嫌ですよね(´;ω;`)


では、さっきの経済理論=「人々が各々利己的な行動を取ることで神の見えざる手によって自動的に調整され最適な状態になるという経済モデル」って、人間の状態、社会を正確に表していると思いますか?

それを、問いかけているのがこの本であり、



この本では、利己的なだけでなく思いやりを持った経済モデルを、思いやりの経済って読んでいます。(そのまんまやんww)

今までの経済モデルでは、家庭での経済や無報酬の活動、例えばお母さんが子供世話をしたり、家事をしたり、おばあちゃんを介護したり、あるいは地域でのボランティア活動などといった人々の思いやりによって行われる行為は、市場を介さないために反映されていません。
でも、こういった家庭での世話や無報酬での手助けというのは、実社会では非常に多く起こっておりそこから非常に多くの価値が生まれています。それをちゃんと反映させた経済モデルを築くことで、現在の大量消費社会、格差社会、ストレス社会を変えることにつながるんじゃないかと主張しています。

現在のモノ・カネに大きな価値をおいているだけでなく、思いやりという人間の心の温かさにも大きな価値を与えることによって家族生活や地域社会の充実を通したより幸せな社会を築いていこうという考え方なんです。


確かに言われてみれば、人間は利己的であるというのは当たり前のように受け入れられてそれを反映した経済モデルになっているのに、人間は人に対する思いやりを持てるというもうひとつの当たり前のことが反映されていないなんて変な話ですよね。
それに、利己的であることが当たり前として作られた社会だからこそ、みんなが当たり前のように利己的な行動を取り、その結果環境問題に代表されるような社会的な悪影響が生まれてしまうのも仕方ないですよね。
神の見えざる手は市場の中では機能するけども、市場以外の部分では弱いんです。


だからこそ、人間の本来のあり方、思いやりを大事にする人間という原則を組み込んだ思いやりの経済が必要になってくるんじゃないかって思います。




ミクロな活動から「世界を変える」あり方と、マクロな視点からの経済のあり方の共通点

さて、こうやって二つの章、
・個々の企業や個人の活動から世界を変える
・経済システムという大きな視点からの世界を変える
を紹介してきたのですが、このミクロな視点とマクロな視点で大きな共通点があるということに気づきました。

まず、一つ目の章では、
あなたが変えたい世界って?ところから議論して、まずは自分のすぐ周りを変え、そして大切にしていくことから始まるんじゃないか?って話をしました。

そして、二つ目の章では、
家庭や地域社会での貢献といった人々の思いやりに着目した社会を作りましょう。って話をしましたね。

ということは・・・
何かを始めるときは、まず自分の足元、つまり自分の家族や周りの友達自分のいる地域社会から思いやりを持って接していくことが大事なんじゃないか、と。

自分が問題を感じた、何かをしたいと思った、その人、その相手、その地域から始め、そして自分の周りにいる人たち、仲間・従業員・パートナーを大切にすること、それが世界を変えていくような大きな輪になって行くのだと思うんです。


さらに、これらの本の中で紹介されていたんですが、
人は金銭的な利益を追求している時よりも、他の人間とのつながりを感じた時により強く幸福を感じる
のだそうです。
そして、
人は幸せな時ほど生産性・創造性が高まる
のだそうです。

自分の周りの世界に思いやりを持って接していくことで、周りの世界に幸福を与えるだけでなく周りの世界から自分への協力を引き出すことができるという相乗効果が生まれるのです!

だから、自分の周りの人たち、自分の周りの世界から始めた活動・取り組みが世界を変えていくようなインパクトを生み出していくんです!


何かを始めるときは、まず自分の足元、つまり自分の家族や周りの友達自分のいる地域社会から思いやりを持って接していくこと

自分の周りの世界に思いやりを持って接していくことで、周りの世界に幸福を与えるだけでなく周りの世界から自分への協力を引き出すことができるという相乗効果が生まれる



これって本当にすごいことじゃありません\(^o^)/?
「世界を変える」なんて大それたことやおじけづくことではありません。
自分の’周りの’世界を変えればいいんです。
そして、その世界を本当に大事にしていけばいいんです。
そしたら、いつの間にか(広い意味での)世界を変えるような大きな活動になっていくのです。





僕の周りには、本当に周りの人を大切にしたい!と言って活動しているカッコイイ大人がたくさんいます。そんな方々に比べると自分は本当に未熟だなって思うし、周りの人をちゃんと見てあげられるほどの心の余裕がないときもあります。
まだまだちっぽけな自分ですが、このブログを読んでくださっているあなた、自分の団体のメンバー、大学やバイトでの友人、家族・・・みなさんを大事にしていける人間になっていきたいと思います。

夏休み残りも充実させて、一歩一歩成長できるように頑張ります!





最後に、今日紹介した3冊と、それに加えていくつか非常に面白い本を紹介させてもらいます。




今回は非常にかいつまんで紹介したのですが、これらの本は本当にすごい学びや気づきがたくさんあり、未来の社会のあり方や自分のあり方などすごく考えさせられるようなものです。
ぜひ読んでみてください(^o^)/


(ちなみに、これらの本を読んでいくと、お互いがすごくつながってきてものすごく知的興奮というか面白みを感じられます。自分自身、未来の社会のあり方について浮かんでいる考えをちゃんと深堀してちゃんとすべてを文章化して行きたいのですが、それを満足するレベルまでやろうとしたら論文レベルになる気がして怖気づいていますwwブログの中で分割払いの形で少しずつアウトプットしていこうかな(笑))





今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

-------------------------------------------------------------------------------------
ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。

どんなに大人になろうとも、子供の頃のあのやんちゃな自分だけは忘れずに生きたいと思っています。そしてそんな自分を生きる中で、周りの方々とともに活きていける人生を歩んでいきたいと思っています。

まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
-------------------------------------------------------------------------------------

2012年9月3日月曜日

自分の想いとガバナンス(組織統治)のジレンマ


こんばんは!

とても充実した東京でのインターンも終わり、先日から大阪に戻ってきています。
大阪に戻った感想は、「暑い!」
実家の静岡よりも、東京よりもなぜか大阪はめっちゃ暑く感じる!
なんなんだろ~??


今日はちょっとした悩みというか、もやもやというか。
僕は現在学生団体の代表をさせてもらっています。
僕自身が立ち上げたんですが、当初から団体の統治、運営の仕方についてはある想いを持っていて、それに従って運営をしようとしてきました。

その想いとは
「個人の活動が団体の活動に邪魔されることなく、それぞれの多様性が自主的に発揮されるエコシステム(生態系)的な自由な団体運営」
です。

僕の団体は、扱っているテーマ故か、かなり個性的なメンバーが集まっていて、それぞれみんな自分の活動自分の意思がある中で団体に関わってくれています。
それを大企業的に、トップダウンで縛り付けて、団体にコミットさせようとすることは彼らの意思に反するし、僕自身そういうやり方を好まないので、できるだけ自由な雰囲気の中で彼らの自主性に任せてコミットしてもらおうと考えていました。

でも、そういうやり方って、本当に団体のビジョンに思い入れを持っていて、かつ個人個人が本当に高い能力を持っていないと実現できないのかな~って思うようになりました。
理由としては、みんなの個人の活動を大切にして団体へのコミットは自主性にまかすというやり方のためか、個人の活動を各々が重視しすぎて団体として統率のとれた活動ができていないな~って最近感じるのです。
それに、そもそも自主的にガンガン動ける人間なんて、社会人の中でもそういう人材が求められているご時世に、一学生にそういう動きを期待すること自体が難しいことなのかな~って。
要は団体としての歯車がうまく回っていないのです。

自分の理想的な団体と、現実的な団体にはかなり大きく乖離があって、そこを埋めるためには自分が目指した理想への挑戦の限界を認めつつも、現実的な範囲内で可能な限り理想にちかづけるというアプローチが必要なのかな~って思う。

そもそも、報酬というインセンティブが発生しない学生団体という中で、何にやりがいを見出すかはそれぞれの仕事であり、それが見つかった時にはその人は自主的にガンガンコミットできる貴重なメンバーになるんだろうけど、そういう段階に達するまではできるだけこっち(運営側)が手とり足取り教えなければならないのかな~って思う。
それこそトップダウン的にね。

まだまだ発足から1年も経ってない状態だから、いろいろと問題はあるけども、こういう問題をみんなで解決していく中でその団体らしさという暗黙知を、雰囲気をうまく作っていけたらな~って。




いろいろとモヤモヤは残るけれども、どうやって解決していくか。
次にバトンタッチするまでにしっかりと道筋示しておくことが、今の自分がするべきことなんだろうな~って思います。


今日も読んでいただきありがとうございました。

2012年8月22日水曜日

Next Worldの可能性【ネクスト・ソサイエティ的な】


こんばんは!


最近すっかり更新サボっていました><
ごめんね~★

今は夏休みなんだけど、なんだかんだ充実して過ごしていまして、
1週間ほど実家帰ってたり、今は東京に来て企業インターン受けてたりしています。
少し学生生活に関わる大きな変化もあったし、それに関連して自分の目標に対する1ステップが思ってたより手前になったので、なまけものの自分としては非常にいいレバレッジになるかな~って思います。




さて今日は、インターン生の中で話題になった
・ネクストソサイエティ

・富の未来(上)(下)


に関連して、自分が思う次世代社会のあり方について考えたものをまとめ、共有したいなって思います。
とは言っても、本書自体が手元にあるわけではなく走り書きのメモ帳があるだけなので詳細な説明などには欠けてしまうのでは思います。
それに関してはご了承ください(´;ω;`)

今回うまくまとまっているかどうかかなり心配です。
というのも、これだけ壮大なストーリーをたった一夜でまとめるとう作業じたいが無茶ですw
正直、論文にしてもいいレベルの考察課題だと思っていますw

ま、でも、とりあえず、無茶だるとわかっていながらも強引に結論まで持っていきたいと思います。
流れ的には
現代社会のトレンド→トレンドから予見するNextWorldとは?
って感じで進めていきます。

それでは、よろしくお願いします。




「ネクスト・ソサイエティ」「富の未来」に見る世界のトレンド

まず、ネクスト・ソサイエティ、富の未来で紹介されている世界の流れを紹介したいと思います。

が、本書は非常に内容の濃いものだったんですけど、今手元にある資料が走り書きのメモだけなので、「もっと詳しく知りたい」とか「それってどういうこと?」みたいな質問などは、どうぞ上のリンクより本書をお買い求めいただければ幸いと思います。

ここでは、
①知識社会における富のありか
②社会的つながり
③生産・消費に関わる変化
④富の移動=文化の移動


とういう点の4つをフォーカスし、それぞれにおける変化や考察を加えていきたいと思います。



①知識社会における富のありか
まず、人類社会は非常に知識が発達し、農業社会→工業社会→知識社会に向かおうとしています。
農業社会の根幹は言わずもがな農耕。
工業社会の根幹は工業製品。
じゃあ、知識社会の根幹は??
答えは、そう知識です(笑)

でもこの知識ってのが非常に問題なのです。
農作物、工業製品というのは物体化されていて’目に見えるもの’です。
目に見えるからこそ、定量化できるし、取引することができるんです。
すなわち、農作物や工業製品の保有量こそが’富、豊かさの指標’になっていたんです。


じゃあ知識社会において、富ってなんでしょう?
さっきの議論で行くと、知識社会での富や豊かさの指標は’知識の保有量’になるのでしょうか?
知識って、目に見えますか?形にできますか?さらに言うと知識を取引したり金銭に変えることはできますか?
そうこの点が非常に大きな問題なのです。

知識社会において、その豊かさの指標となるのは’知識’ではあるんですが、その知識をどう具体化し、マネタイズしていくかが大きなポイントになるんです。


また知識社会においては、人間の仕事・雇用などはロボットやITテクノロジーの導入などにより、どんどん数が減っていき、知識技能者(テクノロジスト)と呼ばれる人々が非常に重要視されるようになります。
要は、
・機械にできないくらい高度な創造的生産を行える人間
・機械にできないくらい高度な技術的水準をもった人間
にのみ安定的な雇用や需要が望まれるようになる、ということなんです。
なんらかの専門職、職人になれなければ、雇用の道は非常に狭いかあまりいい条件ではなくなるでしょう。



②社会的つながり
近年、様々な先進国でNPO活動や地域ボランティアなどの活動に参加する人がどんどん増えてきているそうです。


それはなぜか?
マズローの欲求段階という言葉は聞いたことがありますか?

マズローによれば、人間の欲求は上図のような五つのステージに分類することができます。
この図を見ると、生物体として最も基本的な欲求であるレベル①から、最も高度な欲求であるレベル⑤まで、各ステージ毎に、欲求のレベル分けがなされているのが分かります。
また、
レベル①~②は、生物体としての基本的な欲求で、
レベル③~⑤は、社会的生物としての欲求
と、一応分けることもできます。

そして、例えばこの欲求を、日常生活に当てはめて考えると
①生理的欲求 :生物として生きていくための最低限の欲求          
②安全の欲求:毎日、安心して生活できる居住環境にいたいという欲求
③親和の欲求:誰かとコミュニケーションを取りたいという欲求
 社会的欲求) 誰かと一緒の、何かに参加したいという欲求          
          
④自我の欲求:他者からの賞賛を求める欲求
 自尊欲求)

⑤自己実現の欲求:自分の能力を発揮し、自己の成長を図りたいという欲求
といったところでしょうか。


マズローによれば、人間の欲求というものは
①が満たされて初めて②を満たすことができ、②が満たされることによって、初めて③が、
次いで、④、⑤と
順を追って、段階的に満たされていくものであるとしています。


というのがマズローの欲求の簡単な説明ですが、これを現代社会で考えると、現在先進国ではかなり多くの国で①②は達成されています。
その結果、多くの人が潜在的に③~のより高次の欲求を満たしていきたいという思いがあるのです。
そこで人々は、
社会という場でほかの人とコミュニケーションをとる場としてのコミュニティ。
自らのアイデンティティを発揮する場としてのコミュニティ。
として、NPO活動やボランティア活動などの社会的活動への参加を求めているんです。



③生産・消費に関わる変化
農業社会の到来から、人々はものを作り、それを買う人がいて、対価により生活を営んできました。生産と消費は分かれていたのです。

しかし近年、ITの発達などにより、誰でもどこからでもいつでもWeb上で何かを発信できるように
成りました。
その結果、誰かが自分の趣味(消費)の中で行った行為がWeb上で紹介され、それを他人が求めるという現象が起こっています。
例えば、趣味で作ったガンプラに高額がついたり・・・ですね。

これがどう言う意味をもたらすかというと、誰もが消費者であり同時に誰もが生産者になれるのです。これを生産消費活動と言っています。
個人の趣味やボランティア、あるいは家事や子育てといった従来市場ベースに乗ることがなかったものに対価が支払われるようになるんです。


④富の移動=文化の移動
中世のヨーロッパである非常に大きな二つの革命が起こりました。
それは、
・産業革命
・ルネサンス
です。

産業革命によって、ヨーロッパ経済は非常に大きな影響を受け、蒸気機関車や紡績産業、あるいは農業の高効率かなどによって農業生産、工業生産が急激に伸びるようになりました。
ものの保有量=富の保有量
というこの時代の価値観のとおり、ヨーロッパにはたくさんの富が集まるようになるとともに、多くの人がヨーロッパに富を求めて移動するようになりました。
そして、同時に多くの富や人によりヨーロッパ文化は洗練されていきルネサンスが起こります。
経済・文化的にも世界の先端になったヨーロッパが、当時の世界の中心であり文化や価値観などの中心になったのです。

すなわち、富あるところに文化や価値観もついていくのです。

では現在最も富が集まっているのはどこですか?
そう、アメリカですね。
世界はアメリカの富に憧れ、文化に憧れ、その結果アメリカ的な価値観(=グローバリゼーション)がどんどん世界をおおってますよね。
中世のときと同じでしょ?




というところで、ひとまず簡単にまとめると
・知識社会での職の高度専門家による雇用の減少
・社会的つながりや自己充足への欲求の高まり
・趣味やボランティアのマネタイズ
・富の移動とともに価値観も後追いで移動する

となります。


トレンドから予見するNextWorldの可能性

今、4つのトレンド
①知識社会での職の高度専門家による雇用の減少
②社会的つながりや自己充足への欲求の高まり
③趣味やボランティアのマネタイズ
④富の移動とともに価値観も後追いで移動する
を上げました。
次はこれらのトレンドから、次の世界を予見してみたいと思います。

まず、多くの人々に絶対的な影響を与えてしまう富の話しから。
先ほど、富を握った国が世界の覇権を握る(ま、ここまで過激には言ってませんが)と紹介しました。
現在、アメリカが強いですよね汗

でも、最近どんどん力をつけてきている国ってどこですか?
そう、中国です。そしてまた、インドと言ってもいいかと思います。
さらに、中国・インドを含みほかにも経済成長盛んな国を持つ東南アジアも含めた東アジア圏。
どんどん強くなってきていますね~
反対にアメリカやヨーロッパはリーマンショックやその他政府財政など、どんどんその経済力を失ってきていますね。

いま世界に何が起きているか?
富の大移動が起こっていると言えるのです。
ヨーロッパ→アメリカ→東アジアへと、どんどん富が移動し始めているのです。

すると、先ほども紹介したように価値観や文化もだんだんと東アジア的なものに移ってくると言えます。
東アジアの文化ってなんでしょう?
僕はこれが専攻でもなんでもないんで超素人ですが、東アジアの文化は仏教思想ではないかと思っています。
んで、仏教思想って、例えば「モッタイナイ」的なところや「足るを知る」といった充足の精神だと思っています。

そしてこの仏教思想的な価値観への変化が非常に大切なポイントだと思っています。
皆さん要チェキですよ(w


①知識社会での雇用の減少に関して、正直この現象は避けられないと思います。
が、しかし、そんなにも働くことを人々は求めているのでしょうか?
生活のためにはお金が必要で、お金を得る一般的な手段は雇用を与えられその対価として報酬をもらう必要があります。
しかし、今の社会人々はあまりにも多くものを持ちたがり消費をしたがっているように感じます。
もちろん生活に必要なものは買うべきだし、それにお金がかかるのは否めません。
が、それこそ「足るを知る」(キタっ仏教思想w)ではないですが、適切なライフコストに収めれば、毎日8時間なり働かなくても十分生活できるようなライフスタイルになるのでは?と思ってしまいます。
もし毎日8時間働かなくてもいいのならば、その余分な分の労働は他の人に回すことができるんです。
要はワークシェアリングが可能になるんです。
雇用の絶対数は減少するけども、雇用の延べ数を増やすことができるんです。

また、②社会的充足への欲求の高まりと③趣味やボランティアのマネタイズが可能になったことを考えると、従来NPO活動等は多くのボランティアによって行われていたのですが、このセクターが新たな雇用セクターとなる可能性があるんです。
近年、ソーシャルビジネスやBoPビジネスの波を考えると、不可能な現象ではないですよね。

また趣味をマネタイズできるのであれば、’個人個人が自分が本当にしたいこと’を仕事にできるんようになるんです。
そのための方法はすごく考えなければなりませんが、そんな個人による個人のための雇用/仕事が生まれるのであれば、そもそも社会における雇用の数に影響は受けません。

自分が本当ににやりたいことをやる=自己実現の中で、生活の営みを可能になるんです。

ここでの考えをまとめると
・東アジアが世界の覇権を握ることによる仏教思想に立脚した価値観の伝播
・NPOやボランティア、あるいは趣味を仕事にする中でコミュニティやアイデンティティへの欲求を求めるようになる
ということです。



まとめ

と、非常に大雑把にまとめてしまったんですが、これらの考えの先に予見する、僕の描くNextWorldのストーリーは


経済文化の中心が東アジアになり、その文化=仏教思想が世界に広まる。その結果、モノの消費が抑えられ地球への負荷がだんだん減っていくようになるとともに、NPOや個人ベースでの仕事・活動が非常に活発になる。その結果、社会の様々な課題は解決に向かい、人々は生活の糧だけでなく精神的充足を得られる、好循環社会

が到来するのでは?と考えます。

こんな社会が来たらすごく幸せですよね(w
自分の趣味で生活することができて、かつみんなが誰かの為になる活動に意義を見出していて、質素でありながら精神的に非常に満足できる社会ですよ♪

自分で想像していながら、いいな~(´∀`*)って思っちゃう(w



今回、手元に資料などがない中での、しかも時間的にもかなり強引にまとめてしまったので、主張や意見として非常に根拠の薄い、まとまりが見えづらい文章だったかもしれません。

また時間あるときに、本を読み直して思考整理し直して、文章書きなおそかな~って思います。
(そういえば、再ローカリぜションの話とかも書きたかったけど忘れてた(~_~;))




まだまだ、インターンの真っ只中なので、今日はこんな感じで許してくださいm(_ _)m
またインターン終わったら、夏休み前半総括みたいのとか、ほかにも考えたことなどの整理・アウトプットとして更新頻度上げてきたいな~って思うので、よろしくお願いします。

今日も読んでくれてありがと~v(*'-^*)-☆
インターン頑張ります!




-------------------------------------------------------------------------------------
ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。
どんなに大人になろうとも、子供の頃のあのやんちゃな自分だけは忘れずに生きたいと思っています。
そしてそんな己を生きる中で、周りの方々とともに活きていける人生を歩んでいきたいと思っています。
まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
-------------------------------------------------------------------------------------

2012年8月9日木曜日

【過去ログ】工場見学から考えたロボット社会の到来と人類の課題


 私は工学部に所属しているのですが,経営学や国際協力の分野などにも興味があり独学ではありますが多くの書籍やセミナー等による外部リソースからも学んでおります.そのため工場見学をしている中では一エンジニアとしての視点だけでなく経営学やBoPビジネスといった観点からの疑問やあるいはモノづくりが直面している課題など様々なことについての思考がめぐりました.このレポートでは工場見学を通して芽生えた,お互いに関連性のある以下の3点についての考えを述べさせて頂きます.



1.産業用ロボットは本当に社会をより良くするのか?

2.CSR3.0視点からの新事業提案

3.工場見学で垣間見えた‘フクシマ’の存在







1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?

 ダイヘンの工場を見学している中で,非常に高度なロボットが溶接を行う様子を見たり,あるいは質疑応答の際に「ベテラン技術者が適切にロボットに教えればその通りの動きをする」というお話を聞いたりする中で,私は「将来ロボットが人間の雇用を奪うことになるのではないか?それならば,産業用ロボットは本当の意味で社会を良くすることに繋がるのだろうか?」という疑問が浮かびました.

 確かに現状ではまだまだ人間が行うべき仕事は多く,またロボット自体も未発達のため人間が雇用を奪われる恐怖を感じるほどの圧力は生じていません.しかし将来,産業用ロボットの開発・導入が進んだ場合,現在の単純労働やあるいはロボットで代替できる初~中級レベルまでの仕事はロボットに取って代わることになり,人間の雇用はロボット技術が追いついていないベテラン職人レベルの仕事かあるいは経営や管理システムなど高度に知的水準の高い仕事の極端な2つに分けられ,そうではない労働者,すなわち初~中級レベルの技術者・知的労働者は職を失うことになるのではと考えます.生き残るためには頭を鍛えるか腕を鍛えるかのどちらかしかありません.

 しかし,初~中級労働者がベテラン職人になるためには長期に渡る訓練が必要であり,上記のようなロボットの導入が進んだ社会では技術の訓練の場となる初~中級レベルの仕事がロボットに奪われており,初~中級技術者が腕を磨く場がありません.したがってベテラン技術者を育てるためには,ロボットより非効率・非経済を承知の上で初~中級技術者を雇用し職人へ育てていくか,あるいは企業として職人を得る方法が職人のヘッドハンティングという形になるかのどちらかになるのではと考えています.つまりロボットの導入によりベテラン技術者になる道は非常に狭くなり,将来にはベテラン技術者の高齢化,及び技術者を育てる土壌の消失によるベテラン技術者の絶対数の不足が訪れる危険も生じてしまいかねません.

また初~中級労働者がより高度な知的生産に携わるにはより高度な教育を修める必要があり,これを行うには現行の教育制度の変革かあるいは新入社員に対する高度教育を企業内で行なっていくというどちらかのアプローチが考えられます.企業として現実的なものは後者ではあるが人材育成にはコストがかかり,結局のところ人材育成費用とロボット導入による生産性向上のバランスが問われることになります.また人間にとって代わりうるロボットが開発された場合,それは日本を含む先進国だけでなくいずれは新興国でも導入が進んでいくことになり,新興国でも先進国と同じ水準の製造ができるようになります.その時先進国は人件費の安い=製造コストが低い=価格が安い新興国の製品にシェアを奪われることになります.それを回避するには日本のモノづくりも新興国で行うことにするか,ロボット技術が到達していない水準の高度な技術で逃げることしか出来ません.この場合も新興国の工場では現地の安い労働力を持つ現地の人達を雇用することになるため新たな雇用の増加とはならず,また日本での生産においても高度な知識・技術を持っていない初~中級労働者は職・雇用を失います.

では初~中級労働者の雇用はどこに行けばいいのでしょうか?この疑問に答える大きなヒントがある2.CSR3.0視点からの新事業提案について述べさせてもらいます.



2.CSR3.0視点からの新事業提案

  近年CSR(企業の社会的責任)の捉え方に変化が起きています.日本では1960年代の公害問題を機に企業活動の中で発生する外部不経済をできるだけ少なくしていこうというCSR1.0時代が始まり,社会の成熟とともにメソナやフィランソロピーという言葉で表されるような企業による社会貢献活動が行われるようになりました.このような取り組みはCSR2.0と言われ,ある種のボランティア的活動で企業のイメージアップにはなるがそれ以上のものではないと考えられています.しかし近年CSR3.0として,CSRを本業つまりビジネスの中の一つとして長期的な投資と捉えた持続可能でかつ将来的な増収を見越した経営戦略として行なっていこうという考え方が生まれています.このCSR3.0視点からの考え方が先ほどの疑問「ロボットの導入が進んだ場合の初~中級労働者の雇用はどこに行けばいいのか?」の有力なカギとなると考えます.

 ロボットの導入により日本国内のモノづくりはより高度技術・知識を必要とし初~中級労働者は職を追われ,またモノづくり拠点は新興国へとシフトしていきます.CSR3.0の考えかたを利用することで,このような社会の流れの中で初~中級労働者の雇用を確保し,それだけでなく初~中級労働者の技術・知識を伸ばしかつ社会貢献的意義を含んだCSR活動戦略を企業は取ることが出来ます.

 その戦略とは,ロボットの導入が遅れている,まだ進んでいない新興国へ格安で中古のロボットを売り出すとともに,現地へ初~中級労働者を送り出し彼等が現地での技術指導や生産管理を行うというものです.この戦略では,新興国でのロボット導入を促進させる効果を生むと同時に企業としても利益を得つつ初~中級労働者の人材育成にもつながります.また活動の結果,現地への技術移転や能力開発という社会貢献活動を行なっていることにもなります.事業性としては,現地へ売り出す格安中古のロボットでは利益率は低いですが,生活費などが安い新興国で初~中級労働者に働いてもらいしかも業務の中で人材育成が担保されていることを考慮すれば,日本で雇用し特別な人材育成の場を用意し,技術者を育てていくというアプローチより低いコストで行うことが可能なのではないかと考えます.また副次効果として,事業展開したその新興国においては現地人には馴染みのある企業として認識されることになり新興国が経済発展し所得水準が上がり正規の値段で買うことができるよった時には,なじみ深さからその企業の製品が選ばれやすくなるという,その国での強力なブランド力を持った企業・製品という比較優位に立つことができるようになります.つまり,このCSR戦略では国内の初~中級労働者の雇用を新興国という場で確保しつつ人材育成になりうるという面をも含めた長期的視野でのマーケティングと投資回収を可能にしています.



 ここで1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?という疑問の根本原因であるロボットの導入による初~中級労働者の雇用が失われるという問題は2.CSR3.0視点からの新事業提案により,解決しうるのではないかと考えます.よって以下では,ロボット導入による人間社会に与える影響として前向きな方向での検討を行い,当初の疑問1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?に答えていきます.

 

ロボットが導入された社会では,人間の果たす役割に変化が訪れると考えます.ロボットの役割は人間の代わりに作業を行うこと,人間の能力を強化・サポートすることが挙げられます.そのため産業用ロボットが導入された社会では,現在人間が行なっている単純労働やそれに準ずる役割はロボットが代わりにやってくれることになるため,人間は別の活動,すなわち人間にしか出来ない活動を注力して行うことができるようになります.またロボット社会では現在の社会構造とは違う新しい考え方や価値観が求められるようになるため、ロボット社会に適応する新しい社会を模索していく必要があります.

 まず,ロボットに出来なくて人間だけが出来る活動とは何なのか?それは,現状を解釈しまた問題の解決策を考える活動と新領域を開拓していく非常に創造性の高い活動の2つがあると考えます(注:ここでは人間の思いやりや心といった要素は除いて考察しています).ロボットができることはあくまで人間が想定している範囲内での活動です.そのためロボットの開発時点で人間が発生を想定していなかった問題の解決やあるいは事象の解釈をロポットに望むことは出来ません.しかし,人間は思考し社会に発生する問題や事象を解釈し問題を解決することが出来ます.ゆえに現状を解釈し問題を解決する活動は,ロボットには出来ないが人間にはできる活動です.また先述の通りロボットが人間の先を行くことは出来ません.あくまで,開発時点で人間が知っていることを反映したものです.そのため人間に求められるのは,新しい技術や今までにないひらめきといった非常に創造性が高い活動なのです.すなわちロボットが導入された社会では,人間には今まで以上に突飛で高度な知識レベルが求められ,加えて非常に高い創造性を持つことが求められます.

 またこのような社会では上記のような高度な知的水準が要求されるため,教育のあり方を含めた包括的な社会構造の変化が必要です.ロボット社会で人間に求められることになる現在より高度な知識を得るためには教育期間が長くなり,雇用が始められる年齢は上昇します.また教育内容としても問題解決力や創造性を高めるような教育を導入していく必要があるでしょう.また教育を受けている人口が増えるため,生産年齢人口が減少し税収が減り経済活動の活発さにも影響が起こりえるため,保険制度や税制の変化や,あるいはそもそも雇用による賃金で生計を立てていくという現在の仕事とお金に関する価値観も変化していく必要もあるかもしれません.

 以上の考察のまとめとして,産業用ロボットの導入により人間は本当に人間が行うべき活動に注力することが可能になり,またロボットの導入により浮いた人件費は新興国の発展に寄与する形で配分していくことが可能になり,社会がより良くなる方向に動く力学を形成することができる.しかし,ロボットの導入と並行して我々人間自身の考え方や社会の価値観に変化を起こして行かなければ,生じた力学を適切に活かすことが出来ず,雇用自体の絶対数の減少や必要になる知的水準を満たす人材の供給不足になりかねない.したがって,1.産業用ロボットの導入は本当に社会をより良くするのか?という疑問に対して「ロボットの導入は確かに人間の社会をより良くしていく可能性を持っているが,ロボットの導入と同時にロボット社会に適合した人間社会のあり方を構築していく必要がある」と私は考えます.



3.工場見学で垣間見えた‘フクシマ’の存在

 こういった思考の先に考え至ったのが,現在ロボット生産に携わっている人々は将来自分が作ったロボットに自分の雇用を奪われるのではないか?という問題意識やその技術が使われている将来を描きながら生産をしているのか?という点である.

これはどういうことか?技術それ自体は技術でしかなく、そこには善も悪もない。しかし、技術に解釈を与えその使い方を考え実際に使用していくのは私たち人間である.ゆえに私たち人間は技術に対してその技術の持つすべての側面を理解した上で使い方を考えていかなければならないと考える.昨年の311以降非常にホットな話題となっている原子力技術.これは技術のすべての側面を公正に理解した上で利用方法を考えるべきという考えのいい例である.原子力技術はひとつの面では人間に多大な電力をもたらす技術ではあるが,ひとつの面では放射能により人間を苦しめる可能性があり,ひとつの面では戦争に利用すれば最悪の兵器となる.こういった技術のいろんな側面を理解しその上で議論を重ねて利用方法を決定していくことができていれば,ある側面から生じる害悪への対策を立てることもできるようになる.フクシマが議論となっているのは高度成長期の政府・マスコミによる原発安全神話や二酸化炭素を排出しない発電方法であるといった技術のある一面のみを過剰に取り扱った報道のせいで,公正な議論がなされず大衆の世論が形成されないうちに話が進んでしまったからだと私は考える.過去の時点で,原子力技術のすべての面を公正に開示し大衆の議論を促し,その上で同意・納得を得られる意志決定プロセスを経たのであれば,原発家屋の安全性への対処や核廃棄物処理・原発周辺の都市開発のあり方など包括的な対策を行うことは可能であったはずだ.このような例から、技術の生みの親である開発者,現場のエンジニア,一般市民,議員,官僚,マスコミ・・・といったそれぞれの身分に関係なくあらゆる個人が技術のあらゆる側面を公正に知りその上で技術の使い方を考えその技術が導く社会のあり方をイメージし,意見を形成すること.その過程が非常に大事なのであると考えることができる.

したがって,現場で生産しているエンジニアに対しても,彼等が扱う技術がどんな側面を持ちどんな利用方法が最適か考え,各自の意見が形成されるように企業としてちゃんと促していくことが求められる.もし自分たちが扱う技術の色んな可能性を考えるような風土を形成していないのであれば,どんな技術にとっても‘フクシマ’が存在してしまうことになる.フクシマを繰り返さないためにも私たちが学ぶべきことは,技術に対する私たちの意見を正しく形成できる社会を作り,公正で適切な議論を経た上で意思決定を行うというプロセスを徹底的に行なっていかなければならないということなのではないだろうか.

2012年7月26日木曜日

自分って何がしたいの?どこを目指してるの?(長文ごめん><でもとても大事)

こんばんは!

この時期の学生は、テストも始まり、学生団体の活動もバイトやカラオケなどといった学生のあらゆる動きも停滞していますね。
僕もバイト先の居酒屋でも学生のお客さんなんて、昨今の酒離れもあるのか全く姿を見ることがありません。ここ石橋には本当に多くの学生がいるのにみんなどこに消えてしまったのでしょうか?wまるで神隠しになっているみたいです。
早くテストも終わって、みんな飲みに来ればいいのに(笑)





さて、テスト期間と言いつつも、あれこれ自分自身のことについて考えていて、それを書き留めていきたいと思います。(といっても、前からずっとずっと考えてきていて自分自身の根本にはあるのですが、文章という形で共有したことないな~って思って。)

少し長くなりますが、非常に大事なこと。
ズバリ

「自分って何がしたいの?どこを目指してるの?」

ってところに焦点を当てて共有したいと思います。




現在までの経歴とその根本の問題意識

まずは、ちょっと長いけど、現在までの経歴とその根本にどんな問題意識を持っていて、どんな思いでそれをしているのか紹介します。

高校までは野球一筋。進路選択の時期に二酸化炭素排出削減を利用して行っているある環境ビジネスのテレビ放送を偶然見かけ、技術の力とビジネスの力で世界の問題の解決に貢献できることに憧れ、ある目標を持って浪人を選択し受験に挑むが失敗し、自分が目指していた環境ビジネスにつながるには非常にイメージの湧きにくい学科に配属される。

大学では、新しい自分を模索するため海外活動に興味を持ち海外インターンシップを運営する学生団体AIESECに所属を決めるが、参加したスタディツアーの中でAIESECの活動と途上国の問題との矛盾に疑問を感じ1年足らずでフェードアウト。
1年の春休みに自分の中でビジョンが見えず悶々とした状態で参加したNGOボランティアツアーの中で出会った非常に鮮烈な出来事により「どんなにちっぽけな自分でも誰かの手助けをすることができる」という強い想いを抱くようになる。

2年前期、いわゆる普通の大学生活に憧れテニスサークルに参加。また自分の視野を広げるため中型二輪免許の取得からツーリング、ギャンブル、二次元世界(要はオタクw)、またいわゆる裏社会などを経験。
2年の後半、上海万博を訪れた時に行列連なる日本館(パビリオン)を見て「日本って、国内ではすごい悲壮感漂っているけど、世界的に見たらまだまだ本当にすごい国なのに日本人自身がその価値に気づいていないってすごいもったいない!!」という強い問題意識を持つようになる。
同時期、RoomtoRead~教育は世界を変える~グループの学生団体立ち上げのボードメンバーに参画。

3年前期、RoomtoRead学生グループ第2期代表就任。同時期に、学生に夢を持ちそれを叶えていく手助けをする、夢わくわくワークショップを開催。夏休みにはバックパッカーとして東南アジアを放浪。

3年後期より、途上国の人々への支援活動と大学教育と実社会との乖離の二つの問題意識の融合から学生団体OUEST~途上国の人々の生活を変えるテクノロジーを作ろう~を立ち上げる。
またこの時期、内部事情によりRoomtoRead学生グループを解散させる。

現在、上記OUEST代表を務め、またNPO団体kopernikのサポーターとRoomtoReadグループのサポーターとしての活動も行う。また将来の目標のため(後述)、いわゆるビジネスのことや起業関連、国際協力学やソーシャルビジネス・NGO/NPO論・BoPビジネスなどについて勉強中。


という感じなのだけれど・・・まぁ自分で言ってなんだけど非常に濃いな~って思う(笑)
色んな回り道や挫折を経験したりもあるんだけど、でも紹介の中でも強調しているように、自分の問題意識って一貫して非常にはっきりしていて、

ビジネス的に世界の問題解決に貢献したい!

こんな自分だって、世界のどこかの困っている人の力になれる!

日本って本当にすごい国なんだから、もっと俺達テンション上げてやっていこうぜ!


って事なんだよね。

さっき紹介した自分の経歴って一見非常にバラバラしていてよくわからないんだけど、この3つの問題意識を軸にして捉え直すと、とてもクリアーになるんですね。
(といっても、中型免許だとか裏社会だとかは自分の趣味の領域なので別ですが)

図式化するとこんな感じ。





(なんで、それぞれがその領域なの?ってところはあると思うけど、今回はその趣旨から外れるので割愛します。)


じゃあ、何がしたいのか?

経歴と問題意識を紹介したところで、浮かんでくるのは「じゃあ何がしたいの?」ってところだと思うんだけど、簡単に言うとさっきの3つの軸

・ビジネス的に世界の問題解決に貢献したい!
・こんな自分だって、世界のどこかの困っている人の力になれる!
・日本って本当にすごい国なんだから、もっと俺達テンション上げてやっていこうぜ!

のすべてを包含するような活動をしていきたいということで、ひとくくりの言葉にすると、
誰か非常に困っている人たちの手助けをしてあげる中で日本の人たちをもエンパワーできるようなビジネス

をしていきたいんだよね。



こういうことって特に自分のターニングポイントになった原体験がすごい影響するんだ。
自分の場合それが途上国での体験になるから’世界のどこかの困っている人’ってのは特に途上国の特に貧困層の人たちに対しての活動をやっていきたいと思うんだ。

ということで繰り返しにはなるけど、
特に途上国の特に貧困層の人たちの手助けをしてあげる中で日本の人たちをもエンパワーできるようなビジネス

をしたいんです。

それに、途上国での活動を強く希望しているのはそんな感性的な部分だけじゃなくて、一つには、途上国の人々のほうが僕たち先進国の人たちと比べて社会的・経済的水準が非常に低く、生活に困窮している絶対数が多いということもあるし、国内での活動よりもグローバルな舞台での活動のほうがよりエンパワーにつながるんじゃないかってところもあるんだよね。
ほらもうじきオリンピック始まるけど、国内で活躍する姿も素晴らしいけど世界という舞台で活躍している姿ってとても感動的だし勇気づけられるよね。イチローに然り、なでしこジャパンに然り・・・さ。

そんな’背中で見せれる’活動をやれたらなって思うけど、でもそれだけじゃ上のミッションの実現には足りないんだよね。



どこを目指してるの?

オリンピックで日本勢が頑張って、「勇気もらいました」とか「元気づけられました」ってよくテレビで報道されてるけどさ、こういう’背中で見せる’タイプのエンパワーの方法だと一過性で終わってしまう危険性が非常に高いのが怖いんだよね。結局オリンピックなりそういう報道なりが終わってしばらく経ってしまえば、その時の感動・決意を忘れてしまい前と同じ生活の繰り返しになってしまう。

じゃあどうやったら持続可能なエンパワーになるか?っていったら、日常的なあるきっかけをもとに、誰かに与えられるのではなく自分で自分をエンパワーする、自分で湧き上がるようにするのが最上だと思うんです。

どういうことかというと、日常のちょっとしたことの中で人々をエンパワーできるきっかけを埋め込んでおいてその人自身がそれに気づいてテンション上がっていく感じが欲しいのです。


それに、自分自身の問題意識として
・ビジネス的に世界の問題解決に貢献したい!
・こんな自分だって、世界のどこかの困っている人の力になれる!
・日本って本当にすごい国なんだから、もっと俺達テンション上げてやっていこうぜ!
っていうのを上げてるんだけど、じゃあ面と向かって「世界の問題解決していこうぜ!」とか「誰かの手助けをしようぜ!」とか「もっとテンション上げていこうぜ!」とか言われたらどうですか?
正直ちょっとうっとおしくないですか?(笑)

そうなんです。
僕の掲げる問題意識もそうだし、ボランティアだとか国際協力だとかってのもそうなんだけど、とても意識の高い人しか入ってこれないとてもハードルの高いものに聞こえるんです。


だから僕のミッションを達成するためには、
まずそのハードルを非常に下げた形でかつ日常の中で

特に途上国の特に貧困層の人たちの手助けをしてあげる中で日本の人たちをもエンパワーできるようなビジネス
を実現していくというミッションを考える必要があるんです。



ロールモデル

そこでロールモデルとして考えているのが、
・Table for Two
・RoomtoReadが開催しているBeer for Books


まずTable for Twoは世界の食料による健康問題に焦点を当てて、先進国にはヘルシーな料理を提供し、その価格の中に20円分の支援金を盛り込んでおき、アフリカの飢餓に苦しむ子供たちに食事を提供しているNPO団体です。
これのどこがいいかっていうと、ヘルシーな料理食べたいなって普通の欲求ですよね。そんな当たり前の自分の欲求を叶える行為が実は途上国の人たちの手助けを行ってることになっている・・・ってなんか嬉しくないですか?(笑)
自分はヘルシーな料理食べたくてそれを選んだだけなのに、その結果として世のためにいいことしているっていうこの感覚。その感覚に気づかなくても支援金は送られているし、気づいた時とても気持ちいいですよね。そしたら、「よくわかんないけど気づいたらなんかいいことしたぜ!」って感じでテンション上がるし、またあの料理食べよ♪って思いません?

あるいはRoomtoReadがやってるBeer for Booksも同じようなモデルで、飲んだビール1杯につき100円分が途上国の教育支援のお金となるんです。
このイベントはネットワーキングや交流会などでも利用されていて、人脈広げる目的で参加したらラッキーちょっとだけ世界にいいことしたぜ!的な感覚を与えることができるんです。


これって僕が目指す、

まずそのハードルを非常に下げた形でかつ日常の中で
特に途上国の特に貧困層の人たちの手助けをしてあげる中で日本の人たちをもエンパワーできるようなビジネス

の非常にいい例なんですよ。
国際協力だとかボランティアだとか募金だとかって、なかなかやりづらいでしょ?
よほど強い気持ちがないと身を削ってなんかできない。

でもさっき紹介したTable for TwoやBeer for Booksのように、こうやって日常当たり前のように嗜好する行為の中で、誰かのためになっているって知ったらなんかちょっと嬉しくないですか?気持ちよくないですか?


こうやってその人の日常の中でちょっとした支援の芽が埋め込まれていて、それをきっかけにして自身がエンパワーされたり、あるいはそこから1歩進んで支援する側に興味を持ったり・・・そんな可能性を秘めているんです。

だからTable for TwoやBeer for Booksのような
まずそのハードルを非常に下げた形でかつ日常の中で
特に途上国の特に貧困層の人たちの手助けをしてあげる中で日本の人たちをもエンパワーできるようなビジネス
って、自分自身もそこに到達していきたいと思うんです。




適正技術/適正技術教育の位置づけ

ここで現在僕がメインで行っている適正技術ってどんな位置づけなのかっていうと、実は
まずそのハードルを非常に下げた形でかつ日常の中で
特に途上国の特に貧困層の人たちの手助けをしてあげる中で日本の人たちをもエンパワーできるようなビジネス

に非常に近いんです。


現在僕たちは学生の活動によって適正技術を生み出していこうってことと、同時展開で大学内に適正技術を学べるようなプログラム(MITのD-Labのような)ものを作ってもらおうって活動をしています。

なんでこの適正技術/適正技術教育が僕のミッションに非常に近いかっていうと、まず、適正技術の出発点として途上国の人々の生活を向上させる技術ってことだから非常に実社会と密接に関連しているし、適正技術を作っていくにはまず途上国でのフィールドリサーチがありそこから自分達でブレストしたりアイディア出ししたり、手を動かしてプロトタイプ作ったりして、また途上国に行ってフィードバックもらって改良したり・・・というプロセスがあって、座学で教授から教えられるようなものでは全くなく、教育としても非常に質の高いものなんですよ。

そして適正技術って本当に色んな概念を含んでいて、
・国際協力
・モノづくり
・デザイン
・開発援助
・普及=ビジネス的展開
etc
だから色んな学生のニーズに応えることができて、しかもそれをより質の高い面白い教育という当たり前のようにみんなが望んでいる環境の中で、学生も学ぶことができるし、その結果途上国の人たちのためになるテクノロジーが生まれてくる。
ほらね、この感じ、さっきのTable for TwoとかBeer for Booksとかとすごい似てるでしょ?


それにこれは僕自身の想いではあるんだけど、適正技術を開発していくことを通して「社会のために役立てる自分」ということに気づいてほしいなってところがあるんです。
これはさっきの3つの軸にも関連するエンパワーって事なんだけど、一人ひとりが自分が持っている力・能力を積極的に社会に生かすというところを考えて欲しいなって思っています。

「ノーブレス・オブリージュ」という言葉は聞いたことがあるでしょうか?
直訳すると高貴なる人には責任が伴う、という西洋の考え方なのですが、高貴とは言わなくても僕は人間一人ひとりが社会に対して何らかの責任を持っていて、そんな個人のノーブレス・オブリージュを実現していくことが人生において大事だと思っています。
Callingや天職と言った言葉もあるように、誰しもが社会に対して何らかの自分の良さを発揮できると思うんです。



適正技術開発って、自分のためにありながらも社会のためにもあるものなんですよね。
だから僕がOUESTで適正技術を行い、かつそれを広げていこうっていう活動は自分自身のミッションなどを考えても、非常に理にかなっているんです。

ただ、大きな問題のひとつは収益を得られてないこと
やっぱりどんなに理想を掲げていてもそれがある程度の収益に結びつかなければ、自分の生活が回らない。
そこをどう変えていくかが、これからの課題の一つかな。







というわけで、非常に長くなりましたが、
自分自身の問題意識と現在の自分の活動の位置づけ、将来どういう方向を目指していきたいのか?

というところを紹介させていただきました。

夏休みには、色んな方と将来の方向性とかお互いの夢だとか色んなこと話し合えたらなって思います。
また気軽に声かけてください(^o^)/





 P.S 夢わくわくワークショップの第2弾を開催しようかな、と考えています。興味ある方気軽にFacebookなりで連絡ください♪






 今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

-------------------------------------------------------------------------------------
ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。

どんなに大人になろうとも、子供の頃のあのやんちゃな自分だけは忘れずに生きたいと思っています。そしてそんな己を生きる中で、周りの方々とともに活きていける人生を歩んでいきたいと思っています。

まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
-------------------------------------------------------------------------------------




2012年7月17日火曜日

浮気心にさようなら


こんばんは!

世間ではこの3連休で祇園祭があったり日本史上最大の原発デモがあったり、何かと話題になるニュースが多っかたのですが、学生もこの時期は色々と慌ただしく(おとなしく?)なります。

・・・そう、あのテスト期間がやってきたのです。
過去問やレジュメをgetしたり、図書館の勉強スペースの奪い合いが始まったり、マクドの店員との小競り合いがあったり(笑)
ちなみに、僕はけっこう前にマクドで勉強してる時に店員に追い出されたのがトラウマで、マクドに勉強しに行きません。
僕は自宅に引きこもって勉強する派です。
学生の中ではマクドは人気スポットだけど、みんなは追いだされたりしないのかな?




「浮気心にさようなら」なんてタイトルつけたんですけど(笑)、内容はいたって真面目な話。


二兎を追う者は一兎をも得ず

前回のエントリーで「自分に足りないのは『抜け感』?」
http://shunichiro-n.blogspot.jp/2012/07/blog-post_12.html
という記事を書きました。

簡単におさらいすると、ここ最近の自分の傾向として「成長する」というところに重点を置きすぎていたがために、逆に楽しむことを忘れてしまいフラストレーション状態に陥ってしまっていました。
そんな頑張りすぎをちょっと置いておいて、『抜け感』を持って楽しんで色々取り組んでいこう!と、そんな反省をしていた前回のエントリーです。

今思うと、少し異常だったかも。
バイト中も暇なときは携帯使ってブログチェックしてたり、
カラオケ行っても自分の曲までの間にすかさずブログチェックしてたりtwitterチェックしてたり、
授業中は講義あまり聞かずにずっと本読んでたり、
アニメ見ながら勉強してたり
・・・
ちょっと変ですよね(苦笑)

結局バイト中やからお客さん来たら中断だし、
カラオケ来たのにそんなに楽しめないし勉強はかどるわけじゃないし
講義中だから時には読書やめてノートとらなきゃいけないし、説明聞いてないから板書だけじゃよくわかんないし
・・・

結局全てのものの中に無理やり「成長」要素を盛り込もうとしたあげく、どっちも中途半端になってしまっていたわけです。
要は、二兎を追う者は一兎をも得ず!


今この瞬間!

現在話題の本 「自由であり続けるために、20代で捨てるべき50のこと」


を読みました。

50個のアドバイスの中で
・「あれもこれも」を捨てる
・マルチタスク思考を捨てる
の2つの言葉が一番ズバっと心に刺さり、
今の自分に必要な言葉だと非常に強く感じました。

人間ってどうしても欲が強いから目の前に兎が二匹もいたら両方欲しくなっちゃいますよね。
兎と鹿でも、水と食料でも、読書とカラオケでも、お金と人間関係でも・・・
それが自分にとって大切なものであればあるほどね。

でも、世の中そんなに甘くない。
二兎を追う者は一兎をも得ずのことわざの通り、結局目の前のひとつの集中したほうがいい結果は出ます。(たまに、二匹とも捕まえちゃう人とか、兎を追っていった先に羊の群れを見つけちゃう人とかもいるけれど(笑))


それに、この次はあれしよ~とかあることに取り組みつつも頭では別のことを考えていたり、そんなこともよくしてしまう。
それも結局人生の損につながってしまう。



自分にとって何が一番大切か?
現在自分は何を一番したいのか?
そしてそれを本気で見極めて、今その瞬間をそれだけに集中していくことが大事なんですね。

その瞬間に全力で集中しているから、ものすごいエネルギーを注げるしクオリティも高くなるし仕事も早い。
その結果、自分の成長にもつながるし、何より全力で行った自分が一番満足できる。
当たり前のことだけど、なかなかできない。
だけど、これをちゃんと意識して取り組んでいくことが大事なのかな?って。



大切なのは明日でも今日でもない。
今この瞬間なのだ!




浮気心にさようなら

さてここまで読んでくださった方には本日のタイトルの意味がわかってもらえたでしょうか?(笑)

現在目の前に自分が選んだ自分の大切なものがあるのに、あれもこれもとよそ見をしてしまい、その結果両方とも失ってしまうなんて嫌ですよね。

まさに今、目の前にあるものに本気で取り組み、本気で楽しみ、本気でぶつかっていく。
その先に人生の大切なものが見つかるのではないか、と思います。




僕も浮気心を捨て去り、目の前のことに全力でぶつかっていきたいです!


え、なんの話って?
試験勉強の話でしたwww




今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


-------------------------------------------------------------------------------------
ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。

どんなに大人になろうとも、子供の頃のあのやんちゃな自分だけは忘れずに生きたいと思っています。そしてそんな己を生きる中で、周りの方々とともに活きていける人生を歩んでいきたいと思っています。

まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
-------------------------------------------------------------------------------------




2012年7月12日木曜日

自分に足りないのは「抜け感」?

こんばんは!

最近つい衝動に駆られて、小旅行に行ったりしてました。
この時期になると実験とかも終わって午後中空いてたりするんですね。
もちろんテスト勉強も始めてるんですが、夕方とか夜にミーティングとかバイトとかないと・・・どうしても、時間がもったいないな!って思ってしまうんです。
本1冊を片手に気のままに電車に揺られて、初めて訪れる土地に行ったり海が見えるところまで行ったりすると、色んな発見があるんですね。
「こんなところあったや!」とか「この辺って方言違う!」とか。
それとか、日常の喧騒とは離れるので心と会話できるというか、あの感覚が好きなんですね。




「頑張りすぎ」は禁物

でも、そもそも何でこんな衝動が起こってしまうの?
学生団体の運営もある程度安定してきた
人間関係やバイトなど私生活もそれなりに安定
読書の数も増えてきてる
生活リズムも良い形になってきている
・・・

なのに、どうしてこんなにも旅に出たい衝動が沸き起こってしまうのか?
旅に出ていろいろ考えてる中で一つ思い当たったのは

「頑張りすぎ」なのでは?
ということ。

学生団体もちゃんとやらなければ
バイトもしっかり入ってお金も稼がなければ
たくさん本も読んでどんどん学ばなければ
学校もちゃんと行って勉強しなければ
そして、「どんどん成長しなければ」・・・

ここ最近ずっとこんなことばかり考えていて、自分が成長できるかどうかを全ての天秤にかけていたことに気がつきました。

友達とのカラオケよりも自宅で本を読むことを優先したり、
飲み会行くくらいならバイト入ってお金を稼ごう!とか、
ここで外食行ってお金使うくらいなら家で自炊して節約しようとか・・・
本を読むこと
お金を稼ぐこと
節約すること
そんな一つ一つは大事といえば大事だけど、友達との人間関係とか自分へのガス抜きとか他の大事なことをすっかり見落としてしまっていたように感じます。

多分その結果、小さな欲求不満や疲れが重なっていって今回のような衝動が生まれてしまったのかな?

成長することばかりに目が向いてしまい、楽しむこととか自分自身を忘れてしまっていたのかな。なんて思います。



成長/成功は陽炎?

今回少し思ったことは、成長とは陽炎のようなものなんじゃないか?ってことです。
成長を近くに見すぎると遠ざかってしまい、逆に成長を遠くにおいていると意外と近くに見つかったり、そんな陽炎みたいな性質を持ってるのかな?って。

今回の僕にはすごくしっくりきます。
目先の読書やバイトばかり見ていると人間関係とか自分の楽しみとかもっと大事なものを忘れてしまい、逆に成長とかそんなものは遠くに置いておいて今を思い切り楽しみ友達と遊びいろいろ悩んだりもあり・・・といった毎日を過ごしてれば、成長は近くに現れたりするのかな、なんて思います。


これは「成功」ということにも、同じことが言えると思います。

僕が過去に別の国際協力系学生団体を率いてた時に経験したことなのですが、団体立ち上げから初のイベントの開催を控えているときでした。
団体の中でかなりモチベーションに差があったのに、イベントを成功させるため一部のモチベーション高いメンバーだけで全部をやろうとしてしまい、その結果イベントの集客も低く団体のメンバー間で壁が生じてしまいました。
結局、この時も目先に成功ばかりに気を取られ、みんなでひとつのイベントを作ることやメンバー同士の信頼というものを作ることができなかったよな、とすごい反省しました。


成長も成功も同じ。
陽炎を追う人のように目先の実ではなく、いかに日々を最大限楽しみながらずっと先の大樹を見据えることができるか、が大事なポイントになるのではないかと思います。

やれやれ、僕はすごい学ぶのが不器用なのかな。
どうしたら、こういった見方を間違えずに過ごせるでしょうか?
どこかで根本的な解決をしていく必要があります。




僕に足りないのは「抜け感」?


目先にとらわれず、成長を追い求めるのに必要なものは何か?
その答えは「抜け感」なのではないかと考えます。

いつまでも
「成長するぜ、おっしゃーーー!!炎炎」「やる気やる気やる気やる気やる気・・・!!」
では、周りがうまく見えなくなってしまいます。

逆に、肩の力を抜いて、広い視野を持って、仲間や友達とも遊んで息抜きとかしながら、毎日を楽しく充実して過ごしていく積み重ねの先に成長や未来の姿があるのではないかな。

要は「抜け感」



って書いてると、僕がすごい憧れる方も同じようなことをブログに書いていたのを思い出したので紹介。
「私に足りないのは『抜け感』でした!」http://value-design.net/wordpress/?p=2517


この記事を読むと、抜け感の大事さとそれを得ることで変われる自分がいるってことを学ばせてもらえますね。
僕もうまく肩の力抜いて、日々を楽しく充実して過ごしていきたいな、って思います。

それには、この記事で彼女が実践していた

・自分が不得意なことをやってみる
・自分の失敗をすんなり気持ちよく受け止める
・人に気を遣いすぎない
にトライしてみようと思います。

あ、それと、個人的に
・自分がやりたいことをやる
というのも付け加えて、自分が何より楽しむメインで行動していこうと思います♫



みなさんは「抜け感」持ってますか(^o^)/?


今日も読んでいただきありがとうございます!




-------------------------------------------------------------------------------------
ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。

人生において、まず自分自身の人生を真っ向から生き、その中で周りの人々とお互いの良さを引き出し合いともに活かしていくことができるような生き方をしていきたいと考えています。そうあの子供の時のような感性や好奇心・積極性や友情など、本当に大事なことを絶対に忘れず、子供の’やんちゃ’精神を守って生きていきたい。
そのための日頃の学びや考えを書き留め、発信していこうと考えています。

まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
-------------------------------------------------------------------------------------

2012年7月4日水曜日

セカイに飛び出すということ~ITでも適正技術でも~


こんばんは!

今日は深夜の投稿です!
いや~体内時計が狂ってしまうと早起きは難しいですね。
とりあえず、ブログは朝書くもの!と決めずフレキシブルにやっていきたいと思います。
早起きもしない、ブログも書かないではただのダメダメですから(-_-;)



あなたのプロダクトをセカイへ

先週の話になりますが、Let's give a toast in the world~あなたのプロダクトをセカイへ~
http://peatix.com/event/4562
というイベントに参加してみました。

簡単にイベント内容を紹介すると、主にIT分野で世界にチャレンジしている著名なスタートアッパーの方々がそれぞれの商品・サービスの紹介とスタートアップにいたる過程やそこで学んだ経験を語ってくれる、というイベントです。
大雑把にシリコンバレーとかiPhoneアプリとかの話と考えてくれたらOKです(笑)



イベントの中で紹介されたプロダクトは、イベントのURLを見てもらったらいいかな、と思うのでここから先は僕が学んだことや考えたことを紹介させてもらいます。

(ただし、講演のメモと僕がトークを通じて考えたことなので、講演者の意図とずれた理解があるかもしれませんが、あくまでこのブログでは、僕の考えや理解を発信してるのでご了承ください。)



「テクノロジーとサービスだけでは世界では通用しない」

この言葉はがすごく印象に残っています。
どういう意味かというと、テクノロジー・サービスがいかに素晴らしくても、海外でヒットするわけではなく、もう一つ別の視点が必要で、その視点こそが最終的な価値を決めるとのことです。

じゃあその視点って何か?

それは
カルチャー(文化)を反映しているかどうか?
ってところ。

どんなにいいテクノロジー・サービスでも、そこに人を魅了するような惹きつけるようなカルチャーを抜きにしてしまうと、一味欠けてしまうということ。
料理で言う塩が足りないみたいなところかな。

日本のカルチャーっていろいろあるよね。
アニメや芸者、わびさび、寿司・・・
そういった’日本ならでは’感をうまく出していくことが大事なんだと。

でも’塩’って表現はものすごい的を得ていて、カルチャーを反映するって言っても、ガチガチに日本的なもの(芸者とか歌舞伎とか)をねらってしまうと、逆効果になってしまうとも。

例えばイベントで紹介されていたのが、セルフスキンケアのアプリだったりアニメを取り入れた音楽サービスだったり。

でも、これって日本的なもの?って疑問に思うかもしれません。
実はスキンケアの文化って欧米はあまり発達していなくて、むしろアジアがみんな気にしているところだとか。
いまやアニメは日本を代表する(?)文化の一つとはいっても、ドラゴン○ールとかみたいな王道ではなくて、可愛い系のロボットだったり。


他にも、twitter画面を可愛く変えてしまう、Feel on!というサービスとか。



カルチャーといっても、日本的なものズドーン!歌舞伎バーン!じゃなくて、この絶妙加減がとても大事なのだそうです。
料理は塩加減と言うけども、こういうところにも通じるものがあるようです。



もう一つ付け加えで言っていたのが、
世界で流行るいいものを生み出すのに欠かせない要素は
ミニマライズ、要はシンプルに!
ということなのだそうです。

iPhoneで肌を撮影することでその場ですぐにスキンチェックができたり、twitterがかわいいアニメ化されるってとってもわかりやすいよね!


質の高いテクノロジーとサービスの中に、ちょっとしたカルチャーや遊びが込められた、シンプルなものがいいってことなのかな、と。



これって適正技術にも・・・?

こうやって書いていて、ふと自分の注力分野である適正技術を考えてみたんだけど、
・質の高いテクノロジーとサービス
・カルチャーや遊びが込められる
・シンプル
っていうこの要件、意外と適正技術にも当てはまるんじゃないかと。
(適正技術の場合の’質が高い’は、技術水準の高いという意味ではなく、要求(ニーズ)にしっかり応えているという意味で)

例えばQドラム。
水を運ぶ→転がすという非常にシンプルな方法で、水を運ぶというニーズにしっかりと応えていながらも転がすことに楽しさという遊びを見いだせる。
あるいは、ワニック(第1回See-Dコンテスト優勝チーム)のココナッツからお酒を作るキット。
途上国にふんだんにあるココナッツ(文化)に差し込むだけでお酒ができるというシンプルさと、それを可能にする酵母(テクノロジー)が使われている。

それぞれの項目をこじつけていると言われるかもしれないが、逆に言ったら本当にいいものは
・質の高いテクノロジーとサービス
・カルチャーや遊びが込められる
・シンプル
の3項目で表すことが可能っていうことも出来るよね。


IT業界だけでなくこういう分野にも当てはまるこの要件って、実は世界でプロダクトを展開していく上で非常に本質をついているのかな、って思います。



自分を解き放つ?or空気読まない?

さて最後に、このイベントで知り合った面白い方の紹介。
さっき写真でも見せた、ロボットのキャラクターを用いた音楽サービスを展開している「Beatrobo」のCEO浅枝さん。

イベントの中でこの人に一番惹かれました。

(あ、肖像権とか大丈夫かな(-_-;))

どこに惹かれたかって、この人の雰囲気とそのキャラクター。
なんていうか、すごい自分の赴くままに生きてるなって感じた。

例えば、何か気になることあっても他の人の発言中は遮ったりしないのが普通ですよね。
でも、彼は「そういえば僕も~」とか「え、その時どんな感じだったんですか?」みたいにどんどん聞いちゃう。
「あ、いい映像あるんだ~(o^^o)♪」とか言って、自分のパソコンにプロジェクター挿し直したり・・・

こう書いてると、「ただ空気読めてないだけじゃん」って思うかもしれないけど、彼のおかげでトークが盛り上がったり、面白い方向に向かっていったり・・・悪く言う場合の空気の読めなさが逆に会場の空気を妨げないで、よりいい方向に導いている感じがした。

なんて言ってると、僕の勝手なフィルターかかってるから、なんて言われかねないけど(笑)
でも浅枝さん、すごい気が利く方でさりげなくマイクをまわしてあげたり、会場を気遣ってくれてたり。


イベントの講演者はみんな活き活きしてる方ばかりだったけど、彼の場合は活き活きとしてるというより、彼の言動そのものが彼の素を表しているみたいで、素そのものを研ぎ澄まされているように感じた。
(非常に、主観的なので伝わりにくいと思いますが、あしからず。)

なんかうまく周りの空気に合わせようとしないで、自分のスタイルそのものを表現しその場の空気の中でシンクロさせていくようで・・・
そんな姿がすごくカッコよく見えたし、自分を飾ることも隠すこともしない抑えることもしない、あくまで自分という自分を表現している生き方に惚れたかな。
なんていうと褒めすぎかもしれないけど(笑)


そんな浅枝さんを一言で言うと、’やんちゃなクールボーイ’って印象!(笑)
でもこんな感じの大人ってすごい素敵だし、何かにはばかられることなくどんどん自分の価値観を追求していけるんだろうな~って思う。
僕の理想とする自分の像にすごいいいイメージを与えてくれたように思う。


そんな浅枝さんのこれからの活躍に期待(o^^o)♪

(あ、もちろん彼のブログは追っかけていくことにしました(笑))




という感じで最後すごいとりとめない話になってしまったけど、
僕がこのイベントを通じて一番強く感じたことは

「俺も早くセカイに羽ばたきたい!!」

ということでした。
適正技術作りもどんどん進んできてるし、いろんなこともどんどん勉強して、もっともっとも~~~っと新しい世界にチャレンジしていきたいです!


最後までお読みいただきありがとうございました!


--------------------------------------------------------------------------------
ブログ「やんちゃイズム~とある学生の「己を生き、周りと活きる」人生の追求~」は、
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんなとある大学生のブログです。

人生において、まず自分自身の人生を真っ向から生き、その中で周りの人々とお互いの良さを引き出し合いともに活かしていくことができるような生き方をしていきたいと考えています。そうあの子供の時のような感性や好奇心・積極性や友情など、本当に大事なことを絶対に忘れず、子供の’やんちゃ’精神を守って生きていきたい。
そのための日頃の学びや考えを書き留め、発信していこうと考えています。

まだまだ未熟な部分は多々あるかとおもいますが、そこも含めて応援いただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
----------------------------------------------------------------------------------

2012年7月3日火曜日

ブログサーフィンからいろんな人の視点を身につけよう!

こんにちは!

最近は早起きが全く出来ず、自分を情けなく思う毎日です。
ブログで書きたいことは溜まっているのに、
朝起きない→ブログ書かない→じゃあ昼や夜は?→朝じゃないからブログ書かない→明日は早く起きよう!→・・・orz
という意味不明な思考に陥っています。
やれやれ、こういう自分の怠惰なところは直して行かなければ・・・




ブログサーフィンという情報取得方法

さて、書きたいことは溜まっているのですが、今ハマっていることを紹介。

最近僕は、タイトルの通り「ブログサーフィン」にハマっております。
とは言ってもやっていることはその名の通り、いろんな人のブログや投稿を片っ端から読み漁ることです(笑)

これがなかなかおもしろい。
最近だと消費税や原発再稼働の話など政治ネタが多く、TV等で放送されていることの再確認だけでなく、報道の裏に隠されたTV局の意図や現場の生の声や率直な感想などを知ることができます。
他にも時事ネタや経済、その人が現在考えていることなど呼んでいて、自分の勉強になる記事ばかりです。

ブログだけでなく、BLOGOSやアゴラといった言論プラットフォームにも目を通していて、色んな方の色んな意見を拝見させてもらっています。



いろんな方向から眺める

ブログサーフィンのいい点って、一つの問題(=お題)を追跡していくといろんな人の色んな視点からの意見を知ることができて、自分で調べたり比べたりしながら、じゃあ自分はどう思うの?って考えるきっかけになるところ。

例えば、原発再稼働の話題一つとっても、
あの人は人間が制御できないテクノロジーの利用に反対。
でも、あの人は経済の状況を考えたら再稼働は当然だ。
また別の人は、現在で再稼働はやむなしだけど長期的には原発0の社会を築かなければならない。

という様々な立場から意見を発信しているので、自分の中でも何が本当なんだろう?自分はどんな意見なんだろう?って自然に考えさせてくれる。



情報媒体としてのブログの価値

今って極度の情報社会で、いい情報も悪い情報も正しい情報も誤った情報も際限なく流れ続けてくる。情報を選別して提供してくれるはずのマスコミは自分たちに都合のいい情報しか流さない。

それにみんなそれぞれ自分の生活があって、情報の摂取・選別だけに時間を割いていられない。

正しく情報を得て、正しく選別し、自分の考えを作っていくのが難しいのです。


そんな中で、’ブログ’って存在は非常に貴重な情報媒体だと思うんです。
その分野の専門家の意見やあるいは違う分野からその分野への意見や、いろんな情報を彼らなりに選別して自分の考えをブログという形で伝えてくれてる。
専門家でない自分一人であらゆる分野の情報を取得して、真偽を見極めて・・・なんて無理。
でもブログという形なら、あらゆる分野の専門家がその分野の情報を発信していて、それに対して色んな知識人が色んな意見を出し合っている。


そんなブログを通して、いろんな情報を摂取しいろんな人の意見を見ていく中で、自分なりのフィルターを作ることができて、自分はその問題に対してどう考えるのか?ってところを考えることができるんです。




本当の事を言っているか分からないTVの報道や新聞の記事をあくせくして求めるより、ブログという形でそんな報道の裏側にある真実や個人としての想い・意見などを求めていくのはいかがでしょう?

もちろんブログにも誤った情報がある可能性は否定出来ないけれど、(正確ですらない)事実を伝えるマスコミの情報よりは、報道内容だけでなくもう1歩踏み込んだところの意見を得ることができるブログの価値をもう1度問い直してみてもいいかもしれませんね。




ちなみに僕が気に入って拝見しているブログを幾つか紹介
・Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
・My Life After MIT Slon http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan?fm=rss
・倉本圭造ブログ-「覚悟」とは「犠牲の心」ではない。 http://keizokuramoto.blogspot.jp/
・アゴラ言論プラットフォーム http://agora-web.jp/
・BLOGOS http://blogos.com/

自分で色々探してみて、気に入る方のブログをRSSなど管理すると楽かもしれませんね。
みなさんもぜひブログをバカにせず、自分自身楽しみながら色んな方のブログを拝見して見てみて下さい(^O^)/



最後まで読んでいただきありがとうございました!




--------------------------------------------------------------------------------
ブログ「思考のタネ」は
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。
読んでいただいた方の生活の中にふとした考えの種が芽生え、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえるような内容のブログにしていきたいと考えています。
まだまだ勉強中の身のため、
記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてしまいかねないところもあるかと思いますが、
そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂けたら嬉しく思います。
今後とも、よろしくお願いします!
----------------------------------------------------------------------------------




2012年6月19日火曜日

大きなVSOPと小さなVSOP


こんにちは!

世間では台風の話でいっぱいですね。
今日台風の影響により学校が休講になりました。
みなさんはどんな一日を過ごしているのでしょうか?



みなさんは’VSOP’という言葉を聞いたことがありますか?
ブランデーの話では無いですよ^^
今回はキャリアの中でのVSOPのあり方について考えていることを紹介したいと思います。

まず、ある有名な方のブログからVSOPの意味について拝借。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
<V:20代はバラエティ> 20代で大事なことは、とにかく多彩な経験を積むこと。自分が何に向いているか、やってみないとわからない。あまり頑なに「自分はこれが向いているはず」と思い込み、それ以外のコトは見ない、触れない、みたいな生活をしないこと。 この時期にあれこれやってみるのは、決してリスクなんかじゃない。多彩な世界に触れること、バラエティを保つこと、視野を広め、見えている世界をできるだけ広げておくこと、そして大いに迷うこと、20代ではそれが大事、という話。

<S:30代はスペシャリティ> 30代は、20代で経験したいろんなことの中から「オレはコレで行く!」という分野を見定め、その分野に集中して専門性を高め、「この分野ならあいつ」と言われるよう知識、スキルを築いていくべき時期。この時期に自分の「コア」を作る、「何の専門家なのか」を明確にする。それが大事、という話。 反対にいえば、この時期にまだ「あれにしようか、それともこっちに行こうか。オレは何をすべきなんだ?」とか言ってたらダメですよ、という話。30代になったら迷わない。そのためにも20代でやりたいことをすべてやって、ちゃんと迷って、ちゃんと決めておかなくちゃいけない。集中と深掘りの30代。

<O:40代はオリジナリティ> 40代になったら、専門性だけでは勝負できません。日々、新しい技術やトレンドが生まれ、それらにたいして、より高い専門性や感度をもつ30代が現れる。 この年代で発揮すべきは、マニュアル化できない「自分らしさ」。「これはあの人の作品だよね」「あの人の仕事はユニークだよね」「そんな考え、普通はでてこないよね!」と言ってもらえる仕事をしないとダメ。 他の人が担当していたら違うものになったはず、自分が担当したからこそ、こうなった、といえる「オリジナルな何か」が必要。そうじゃないと市場から求められない。「学んだ何か」ではなく、「自分が生み出した何か」で勝負する。それが40代。

<P:50代はパーソナリティ> そして50代になれば、パーソナリティがすべて。専門性なんて若い世代にかなうわけがない。オリジナリティだって、どんどん出すのが難しくなる。この段階にきたら「あの人と仕事がしたい」と思ってもらえるかどうか、人格とキャラが切り札になる。 だからこの年代までに、そういうものをしっかり身につけておく必要がある。「あの人がいるからあの会社で働いてみたい」と思わせないと、経営者として人も雇えない。「ぶっちゃけ内容はよくわかってないんだけど、あの人がリーダーなんだったら内容に関わらずやってみたい」と思ってもらえるかどうか、最後は人間勝負、という話。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

だそうです。
まだまだ大学生の方も社会人の方も自分のキャリアについて考えると思うのですが、その際に参考になりますよね。

この方は10年という単位でVSOPと捉えているのですが、僕はVSOPをもっと短期のスパンでも用いることができると考えています。
つまり、大きな枠組で捉えるVSOPと小さな枠組みで捉えるVSOP両方の考え方を持つことで、キャリア形成により役に立つのではないか言うことです。

例えば、大学生活は20代の’V’の中に相当しますが、その4年間の中でも小さなVSOPがあると考えます。

大学1年のときはバラエティ。
色んなサークルに参加してみたり、外部のセミナーに参加してみたり、各地を旅してみたり・・・色んな活動に参加して自分の視野を広げ、色んな人とのつながりを作る時期。

大学2年のときはスペシャリティ。
大学1年で経験した色々な活動のなかから自分が一番やってみたい、興味が持てる、情熱が持てる分野を見つけ、そこに注力していく中で、自分を磨いていく時期。 そこの分野の中でチャンスや試練に積極的に飛び込み、必要なスキルや経験を身につけていく。

大学3年のときはオリジナリティ。
その分野の中でさらに自分ならではのエッジを効かせていく時期。 身に着けてきたスキルや経験を自分なりのメソッドとして確立していったり、その分野に対する自分なりの哲学を深めて行ったり。

大学4年のときはパーソナリティ。
その分野の中で自分を高めてきた人だからこそ持つ威厳や言葉の重みが非常に大きなアイデンティティとなる。 その人と会う・喋る・一緒に活動する、だけで相手をエンパワーできるような存在。


というように、これは大きなVの中の一つの活動で、大きなVを損なうことなく小さな枠の中でVSOPを考えることで自分のキャリアをしっかりと築くことができると思うのです。
小さなVSOPは、専攻分野、大学のサークル、学生団体、アルバイトの中など様々な場面でも成り立ち、小さいながらもしっかりと自分のキャリアを築いてきた経験は大きなVSOPを築いていく上でもプラスになるものだと思います。

振り返ると、僕も新入生の時には大学4年の先輩の姿に憧れ、様々な経験を積んでくる中で国際協力・適正技術という自分なりの価値観を見つけ、逆に今では恐縮ながら後輩から「憧れる」と言ってもらえるような自分になっています。

僕も大きな枠組でみたら、まだまだVの時期だし色んな事を経験したいと思っている中ですが、この小さなVSOPを築いてきたことによって学んできたものは計り知れません。

ちなみに本文で紹介したブログは Chikirinの日記「キャリアのVSOP」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120414
です。
気になった方はぜひ御覧ください。


さて、これから本格的に梅雨の時期ですね。
雨の一考にでも、自分のキャリアにおける大きなVSOPと小さなVSOPを考えてみてはいかがでしょうか?


今日も最後までお読みいただきありがとうございました!!




----------------------------------------------------------------------------------------------------
ブログ「Originalityとその先へ」は 工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。

読まれた方の中に、生活の中にふとした考えの種を芽生えさせ、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえれば幸いと思っております。

まだまだ勉強中の身のため、 記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてしまいかねないところもあるかと思います。 そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂けたらなと思います。
今後とも、よろしくお願いします!
----------------------------------------------------------------------------------------------------

2012年6月12日火曜日

テクノロジーの本質とエンジニアリングを学ぶ意味


おはようございます!

やろう!って決めても続けるのってなかなか難しいものですね。
前日お酒を飲んでいたり、目が覚めた時に雨の音がきこえたり、そんな少しの理由でサボってしまいます。
反省反省。
よく言われている言葉で「人はやらない理由(=言い訳)を探したがる」とありますよね。
僕も自分の怠けたい気持ちを抑えこむだけの’やる理由’を常に頭に描き、やりたいからやる、書きたいから書く、そして今日もやったから明日もやる、今日も書いたから明日も書くというポジティブ・ループを作って行きたいです。





さて、つい先日から「テクノロジーとイノベーション~進化/生成の理論~」というものを読んでいます。

各論のテクノロジーについては諸々の参考書籍があるのに、こと’テクノロジー’という概念そのものを考察している書籍が非常に少ないようです。
そこで、著者はテクノロジーそのものについて論じ、その生まれる過程や進化の過程を探っていこうとしています。
生活の中に当たり前のようにあり、あまり意識はしていないけれど、毎日その多大な恩恵にあずかっている私たちにとって、テクノロジーそのものについて考えるのはなかなか面白く感じられました。


テクノロジーはどうやって生まれる?

みなさんの周りを見渡して下さい。
そこにどれだけたくさんのテクノロジーはありますか?
携帯電話、テレビ、パソコン、電気ケトル、時計、プリンター・・・
これらのテクノロジーはどうやって生まれてきたのでしょう?

まずパソコンを考えてみましょう。
目の前のパソコンは何千という電子部品で成り立っています。
またこの電子部品もいくつかの部品で成り立っています・・・
というように、まずひとつ浮かび上がるのは
①テクノロジーはテクノロジーの組み合わせによって形成される
ということです。

また、上記において
②テクノロジーはそれ自身がまた次のテクノロジーを生み出す要素となりうる
ということも言えます。

こうやって、どんどん元を辿って行くとひとつの大元が見つかります。
それは自然現象・原理です。
パソコンの例だと、一番下まで分解していくと最後に残るのは半導体かな?
半導体は周りの環境(温度や電場etc)によって電気を流す流さないが敏感に反応する、という物質の特徴を使っています。
そこにはバンド構造だとかキャリアだとかn型p型・・・とありますが、これがそもそもの自然の現象・原理なのです。
半導体の持つ自然の原理を人間が持つある目的のために利用していくことで、人間はトランジスタを生み出し、トランジスタの応用からパソコンや携帯電話が生まれ、新しいテクノロジーが生まれていくのです。
つまり
③テクノロジーはすべて何らかの目的において自然の現象を利用している
のです。



経済はテクノロジーの’表現’!?

私たちの生活はテクノロジーと不可分です。
そして私たちが生きる社会の経済にもテクノロジーが大きな影響を与えています。
この本では「経済はテクノロジーの表現」と呼んでいます。
人間はこれまで何度かの産業革命を経験しています。
農耕具・農業技術が生まれたことで、狩猟社会から農業社会へ、
電気・蒸気機関が生まれたことで、農業社会から工業社会へ、と私たちの生活そして経済は移り変わってきました。
その移り変わりのドライビング・フォース(原動力)となってきたのがテクノロジーであり、経済はテクノロジーの発達により形成されていくことから、「経済はテクノロジーの表現」と呼んでいるのです

経済=社会が自身のニーズを満たすための調整と活動の集合体
とあります。
そして、先述の③の定義からテクノロジー=ある目的(ニーズ)に叶うように現象をプログラムすることなので、経済(から生まれる必要性)からテクノロジーが生まれ、そのテクノロジーによって経済が形成され・・・という循環が生まれます。
そして、より大きな見方で捉えると経済は人間の文化を色濃く反映させ、経済の変遷の過程は人間の歴史ということが出来ます。

つまり、テクノロジーは経済を表しているだけでなく私たちの文化や歴史にまで大きな影響を与えているのだということです。


ここまでの流れを図でまとめるとこんな感じです。

社会の必要性(ニーズ)を受け、それを叶えるように自然現象・原理をプログラムすることでテクノロジーが生まれます。テクノロジーとテクノロジーの組み合わせからまたテクノロジーが生まれます。
このようなテクノロジーの生成や進化の表現として経済があり、経済はテクノロジーの変化によって形を変え、また新たなニーズが生まれ、それを満たすためにまた新たなテクノロジーが生まれていきます。
この循環が歴史であり、循環の中に文化が存在するのです。


テクノロジーの本質とは?

ここまで、テクノロジーの生成/進化の過程を追って来ましたが、本書で述べているのはテクノロジーそのものです。
今まで述べてきたように、
「テクノロジーの根本は自然にある」
のです。
ルネッサンス以降、人類の自然の見方はテクノロジーによっていかに自然を克服するかという点を大事にし、必要以上に自然とテクノロジーを分離させてきました。
しかし、今まで見てきたようにテクノロジーは自然と不可分であり、テクノロジーによってテクノロジーが生み出され、生み出されたテクノロジーによってその生態系(経済や文化)に影響を与えていく、というその生成/進化の過程はよもや・有機的・生物的だとすら言えるのです。

地球温暖化・砂漠化・大気汚染・水質汚染・・・
私たちは今までに経験したことのない地球規模の大きな問題を抱え、その解決にはテクノロジーの進歩しかないと考えつつ、その一方でテクノロジーが自然から人間を分離し、自然を破壊し、私たちの自然を破壊するのではないかと恐れてもいるのです。

私たちは、自然を隷属させようとするテクノロジーと自然の延長線上にあるテクノロジーを区別し、私たちの人間らしさをより高めるための手段としてのテクノロジーを大事にしたり、有機的で生活を豊かにするものとしてテクノロジーを所有するという意識を持つことが大事になるのではないでしょうか?



エンジニアリングを学ぶ意味

以上が本書の主張ですが、ここからは本書の学びからエンジニアリング(工学)を学ぶ意味について考えていきたいと思います。

まず、本書ではエンジニアリングとは問題解決の方法としています。
今まで見てきたように、テクノロジーは社会の必要性(ニーズ)に叶うように、自然現象をプログラムすることで生まれます。
このことからテクノロジーを生み出すため必要なものは
・社会の必要性(欲求・問題解決=ニーズ)
・自然現象の深い理解
といえます。
本書の主張とあわせて考察すると、テクノロジーを考えるということはより深い自然と人間の調和を考えるということであり、そこから導き出されるエンジニアリングを学ぶ意味は

「まず自然現象・原理への理解を深め、それを用いて実社会での特定の目的を満たすようなソリューション(全く新しいテクノロジーであれ、テクノロジーとテクノロジーの新たな組み合わせであれ、空間デザインであれ)を提案していく」

というところにあるのではないかと思うのです。
逆に現在学校で受けている工学の授業を考えても、この定義に当てはまリますよね。
力学や量子力学は自然の現象・原理、数値解析や統計学は実社会への活かし方の基礎、というように。

学んでいる内容の意味がわかったら、俄然勉強は楽しくなります。
何に活かすかわからないからつまらないんです。
自然の根本の現象を理解していくことは、もともと(広義としての)自然の中で生まれ育つ私たちにとって、より深く自然を知ることはより豊かな人生につながるように思えますね。

僕もまだまだ大学生の身分。
大学での勉強もしっかり頑張っていきたいです!!





最後まで読んで頂きありがとうございました!!




----------------------------------------------------
ブログ「Originalityとその先へ」は
工学を専攻し、国際協力に身を置き、起業を志す、そんな
大学生の日頃の学びや考えを発信しているブログです。
読まれた方の中に、生活の中でふとした考えの種を芽生え
させ、より豊かな一日を過ごすきっかけにしてもらえれば
幸いと思っております。

まだまだ勉強中の身のため、
記事の中には考え足らずな部分や失礼に受け止められてし
まいかねないところもあるかと思います。
そういった部分も含めて、意見をいただけたり応援して頂
けたらなと思います。

今後とも、よろしくお願いします!
----------------------------------------------------

2012年6月9日土曜日

「意識高い(笑)学生Vs.(いわゆる)普通の学生」に見る無意識の対立

おはようございます!


毎日続けるというとネタの豊富さが大事になりますよね。
それなりに毎日本を読んでいるので、その知見を活かそうと思うのですがなかなか難しい。
1日1冊とはかなりシビアに読書して行かないと、学校にバイトに学生団体に遊びに(ちゃんと遊びもしますよ!)・・・多忙な生活の中では後回しにしてしまいかねないですよね。
タイムマネジメントが非常に大切だな、と改めて実感しました。



さて、今日は読書からではなく、
最近巷でよく言われる「意識高い学生(笑)」について、その見方に対する個人の意見と特に「意識高い」と言って他と差別化してしまおうという見方の中に見る対立構造に目を向けて、世間的に見たら「意識高い」側の自分の立場から考えてみたいと思います。


就活スラング「意識の高い学生www」たちの残念行動13パターン
http://www.news-postseven.com/archives/20110818_28689.html

就活 「意識の高い学生w」はもはや大学では公害で人害と識者
http://www.news-postseven.com/archives/20120527_110358.html




’意識高い’って何?


僕はこの’意識高い’って言葉に非常に違和感を感じます。
なぜかというと、別に格段いわゆる普通の学生と比べて意識高くなってやろうぜ(えっへん)的なことは何も思わず、ただ単に自分がやりたいことをやっているだけだからです。

正直言うと、いわゆる普通の学生の「テニスしたい」ってのと、自分の「起業したい、国際協力したい」ってのは何も変わらないからです。

「テニスしたい、テニスうまくなりたい学生」だったら何をしますか?
まずテニスサークル入りますよね。
テニスのトレーニング本買ったり、友達に聞いたり、サークルだけでなく大人も交えたテニス講習会に参加したり、他大学のテニスサークルと試合したり、そこで友達作ったり・・・しますよね。

これって、意識高い学生にも全く同じなんですよ。
自分がしたいことをするために、
まず同じ志を持ったコミュニティを見つけ(学生団体だったり、NPO団体だったり、私塾だったり)、読書して勉強したり、友達とディスカッションしたり、外部のセミナーに参加したり、志を同じくする仲間が集まる交流会に参加してみたり・・・

どうでしょう?
全く同じじゃありません?
意識高い学生と呼ばれる自分から見ると、別に格別なことをしているわけじゃないんです。
いわゆる普通の学生と同じように、何かをしたがり、その何かを達成するためにふさわしい努力をして、何かを通じていろんな人と出会っていく。
自分の欲求をふさわしい形で実行しているだけなんです。
なのに、世間は「意識高い学生」と差別して見たがる。

では、なんでわざわざ「意識高い」と呼んで、差別化したがるのか?
そこにこの議論の本質が隠れていると思います。




対立構造にみる精神不安

正直「意識高い」とかそうじゃないって穿った見方をしているのは世間の見方そのものなのです。
テニスしたいも起業したいも国際協力したいも、それはただの欲求でしかなく、それを解釈し意味付けを与えているのは、個人であり個人の集合による世間なのです。

では個人と世間が、「意識高い」といって差別化したがるのはなぜだろう?
それにはいわゆる「普通の学生」「普通の学生生活を送ってきた現在社会人」からの一種の嫉妬や不安感があると思います。

同じ大学生の人たちに「起業したい」「国際協力したい」と言って色んな活動に手を伸ばしている人たちがいます。
かたや自分はテニスしかしていないと、本来等価値であるはずなのに、「意識高い」と言われる学生の方がよりピックアップされ話題になりやすいために、いわゆる「普通の学生」は劣等感や無意識の嫉妬やテニスしかしていない自分への不安を感じてしまっていると思います。
「普通の学生」は、「意識高い学生」を意識すると無意識の内にすごく精神的に不安になっているんです。

そこで精神的な落ち着きを得るためにどうしたらいいのか?
答えは自分を正当化すること。

「意識高い学生」のアラ探しをし、ちょっとの過ちやちょっとの失礼をみつけたらここぞとばかり「これだから意識高い(笑)学生は」と騒ぎ立てる。
そして「意識高い学生」のほうが、より世間に触れる機会が多いため過失や失礼な言動などがめにつきやすい。
そこには、片方(意識高い学生)を悪にしてしまえば、残った片方(普通の学生)は善である、という単純な構造に落とし込んで、自分たちの正当性を確立しようとしているように思えます。
そしてこういう構造に落としてしまえば、格段に意識高くない自分への逃げ道にもい言い訳にもなります。
この構造には現在学生の人だけでなく、今は社会人になっている学生だった人も、この構造づくりに加担しています。自分が学生だったときは・・・と思い返し、現在の学生の多様化に羨望を持ちつつも嫉妬しているんです。
その結果が、世間全体で見る「意識高い(笑)」構造の確立。

先程も述べたように、善でも悪でもない個人の欲求を、自分たちの都合のいいように解釈し意味付けを与えた結果、現在のような「意識高い学生」に対する見方が生まれたのだと思います。



和解するにはどうしたら?

正直、「意識高い学生」=悪、「普通の学生」=善という構造には建設性がありません。
意識高い学生は普通の学生と比べて自分を正当化したがるし、
普通の学生は意識高い学生と比べて自分を正当化したがる。

はじめに述べたとおり、両方等価値であり対立しいがみ合う意味はありません。
でもそれを阻んでいるのは、お互いがお互いに対する不理解とその結果生じる精神的不安です。

まずはお互いがお互いに等価値の欲求を持ち、活動しているにすぎないという認識を持ち、お互いに自分たちにとって心地いい世界にこもらず、お互いに積極的に交わっていくという、謙虚な姿勢が大切なのではないでしょか?
お互いの欲求や活動が等価値であると認識できれば、お互いの違いに不安になることもないし、いがみ合う必要もなくなる。

むしろ、お互いの価値観を認めオープンにしていくことで、対極にあるような2つの学生生活の両方を垣間見ることができ、お互いにとっていい刺激になるのではないか、と思うんです。





---------------------------------------------------------------
さて最近、意識高い(笑)と言われることに疑問を持っていたので、意見をまとめてみたけど、やっぱり自分自身も不十分だなと感じる。
周りの学生に対してオープンかといわれると、価値観の違いに少し壁を感じてしまっているし、(笑)と言われるような残念な言動をしてしまっていることもあるだろう。

まずは、自分自身から「意識高い」と言われるだけの責任を感じ、、「意識高い」に見合っただけの自分づくりをしていきたいです!


注)この記事の中でテニスを取り上げたのは、ただ単に世間でいう「普通の学生」のイメージに近いのがテニスサークルの学生ではないかと思うからです。僕自身も一時期いわゆる普通の学生生活をしたいと思ってテニスサークルに入っていた時期もあります。
だからテニスに対して特別穿った見方をしているわけではないし、テニスをしている人の中にもいわゆる意識の高い人はいる、ということを一言付け加えさせてもらいます。



また今回のテーマである意識高い(笑)学生について、
AS I Am【経営学×キャリアデザイン】 毎朝8時の”使える経営学”
「意識高い学生は本当に有害なのか?」
http://value-design.net/wordpress/?author=1

は非常に勉強になり心に響いたので紹介させてもらいます。

この方にお会いしたことはないんですが、「起業家」というキーワードで調べブログをみつけてから、ほぼ毎回読ませてもらっています。
自分の勉強になるだけでなく、一人の人間として見習いたい部分が非常にあります。
気になった方、この方のブログをぜひ一度読んでみてください。





今日も読んでいただきありがとうございました!