2013年7月22日月曜日

情報インフラ、第2の脳としてのスマートフォン

こんばんは。
Shunichiroです。

本日私のスマートフォンが突然の不調をきたし、そのまま使えなくなってしまいました。使い始めてもう2年立つし動作性もかなり落ちてきていたので、思い切ってアンドロイドからiOSにチェンジしました。今日はアプリのインスト―ルや同期などでだいぶ時間を費やしてしまいました。
今日は今回の件で、改めて考えさせられた“身体の一部”としてのスマートフォンについて考えていきたいと思います。


もはや私たちの身から離すことができなくなってしまっているスマートフォン。メールやSNSはもちろん、スケジュールやToDoリスト、ちょっとしたメモなどもスマートフォンに残している方も多いと思います。私は色んな情報収集にRSSや種種のまとめニュースなどのアプリを用いていますし、さらに株やFX等のアプリも使っています。

そのため今回のように突発的な故障によって、種種の機能が一気に使えなくなってしまうと非常に困るのですよ。メールチェックも出来なければ、ToDoも考え直し、スケジュールもわかんなくなってしまえば、情報収集もできない・・・

テクノロジーの進化により、私たちの生活はテクノロジーのサポートをたくさん受けながら成り立っています。私の例のようにスマートフォンに多くを依存してしまっている状況は、もはやスマートフォンが‘第2の脳’であるかのようになってしまっています。


Evernoteというメモ?アプリは「第2の脳を目指す」とまで言っています。
http://www.atmarkit.co.jp/news/201205/18/evernote.html
他には、ライフハッカーというサイトでも、スマホに依存しすぎている状況を記事にしています。
http://www.lifehacker.jp/2011/08/110801do_hard_way.html
多分調べたらもっともっと出てくるでしょう。


Evernoteに限らず、スマートフォンはすでに私たちの身体の一部かのように機能しており、私たちもまた無意識にせよスマートフォンなどのデバイスを当たり前に持っているものとして活用しています。それがいいことか悪いことかは一概には言えません。スマホのおかげで私たちの生活が便利になっているのも事実です。


普段私たちは何かを気にすることもなく、スマートフォンを有効に活用していますが、時にはそのスマホが身体の一部になりかかっているという事実を考えてみてもいいかもしれませんね。





2013年7月20日土曜日

ARにおけるマネタイズの難しさ

こんばんは。
Shunichiroです。

先日、居酒屋にて(笑)出会った方から、面白いお話を聞きました。その方はAR(拡張現実)といって、コンピューターによる映像を用いることで、あたかも現実に存在しているように見せることができる技術を扱っていまして、そのお話を伺うことがで起案した。拡張現実は、クーリエでも21世紀流行るであろう技術の一つとして挙げられていましたが、まさか居酒屋でこのようなお話を聞けるとは思いませんでした。
今日はこのARについて、記事にしていきたいと思います。


改めてARとは、
拡張現実はバーチャルリアリティ(VR)の変種であり、その時周囲を取り巻く現実環境に情報を付加・削除・強調・減衰させ、文字通り人間から見た現実世界を拡張するものを指す[1]。 バーチャルリアリティが人工的に構築された現実感と現実を差し替えるのに対し、拡張現実は現実の一部を改変する技術である。例えばバーチャルリアリティでは、仮想の部屋に居て、仮想のテーブルに置かれた仮想のティーポットを見ているかのような五感情報を人に提示するのに対し、拡張現実では人が実際に居る現実の部屋のテーブルの上に、仮想のティーポットが置かれているかのような情報提示を行う。コンピュータにより現実を強化することから強化現実と呼ばれることもある。現実環境を情報ソースとして用いることから必然的にリアルタイム処理を必要とする場合が多い。技術課題としてはバーチャルリアリティでのそれに加えて、仮想物体と現実環境・物体との相互作用、例えば視覚要素では照明、影、接触、隠蔽などを解決することが特に課題になる。

となっています。
こちらはYoutubeに上がっている映像ですが、ARのことがなんとなくわかると思います。
「ARのしくみ」http://www.youtube.com/watch?v=im91BU9-OyA
「ARの未来」http://www.youtube.com/watch?v=FheCsNXTlkc



さて、私がこの方からいただいた話では「マネタイズが難しい」とのことです。
上記の映像を見てもらってもわかると思いますが、B2Cのマーケティングツールとして用いられるこようで、ビジネスの形態として基本B2Bの形になるようです。衣料などの小売店が相手になるのでしょうか?でも、例えばユニ○ロ等の大きな企業に扱ってもらえれば、非常に大きな収益につながるでしょう。マーケットサイズがよくわからないですね。


他にもARには全くの門外漢の私に考えられる事として、エンターテインメント業界も可能性があるのではないでしょうか?例えば、ディ○ニーやユニ○ーサルスタジオ等のアトラクションの中にARが取り入れられれば、何か今までにない臨場感や面白いものが出来るのではないかと。(まあ、筆者の頭で浮かんだことくらいすでに実践済みだろうと思いますが・・・)




もう少し、時間をかけてARのマーケット規模や先行事例など調べていきたいと思います。





2013年7月19日金曜日

自分だからこそ提供すべき情報

こんばんは。
Shunichiroです。

最近、色んな方からもっとお話を聞かせてほしいとか、もっと教えてください、といった声をいただく。非常に嬉しいことです。今回のエントリでは、私が発信すべき情報とはなんなのか?私なりの考え方を記事にしていきたいと思います。


人が情報に触れて、格別に価値を感じる時や驚くときはどんなときでしょうか?
私の考えでは、①その人の今までの常識を打ち崩すような情報②自分以外誰も提供できないような最新の情報や本質に迫る深さを持った情報、この2点のどちらかが満たされることで、相手に特別な情報の価値を届けられると思っています。


では、それぞれについて紹介していきたいと思います。
①その人の今までの常識を打ち崩すような情報、という点では、社会では目が当てられていない部分についてあえて言及していくことを大事にしています。例えば先日のエントリー「BoPビジネスソーシャルビジネス本当現地っていか?
」では、世間一般のイメージとしてはBoPビジネスやソーシャルビジネスは非常にポジティブにとらえられていますが、私はあえてBoPビジネスやソーシャルビジネスが現地の人たちにとっては害になってしまっている情報をお伝えし、現状に対して警鐘を鳴らしています。

この例のように、世間一般で広まっている常識や価値観を打ち破るような情報は受けて手にとっては非常にインパクトがあります。今まで自分が信じてきた世界観を壊してしまうのですから・・・このような情報に触れた後、その人は今まで自分が信じてきた世界が本当に正しいのかどうか考えざるを得なくなっていきます。
つまり、私の話1回きりで終わるのではなく、その人の中で何回も何回も考えなおしていくきっかけになっていくのです。


次に②自分以外誰も提供できないような最新の情報や本質に迫る深さを持った情報、について考え方を紹介していきます。

今の時代、インターネットを探せばありとあらゆる情報を入手することができます。しかし、その情報は色んな角度からの情報がごっちゃになっており、しかも中には虚偽の情報も混じている、まさに玉石混交で何を信じ、何を疑い、何が真実なのか分からなくなります。

そのような状況下にある方々に対して、全体を網羅したようなある解釈や情報の全体像を示していくことは非常に意義があるものだと思っています。

また、すぐに見つかる情報も価値が低いと思っています。
例えば、Amazonで自分が知りたい情報に関連した書籍を探せばあっという間に数多くの書籍がヒットします。しかし、このような、アクセスが容易な情報はその人以外にも多くの方もアクセス可能なため、情報としての希少性が少なくなります。

だからこそ、普通の検索ではなかなか見つけることが出来ないところにある良質な情報を届けることは非常に価値あることだと思っています。



自分の提供した情報は、本当に受け手にとって価値ある情報でしょうか?
少なくとも私には私なりの価値提供戦略を持って、ブログを書いたり講演を行ったりしています。多種多様な情報にアクセス可能な現在の社会だからこそ、自分だけの独自な情報の発信を行っていくのも一つの手ではないでしょうか?


2013年7月18日木曜日

戦略思考とは?

こんばんは。
Shunichiroです。

最近の関心は、専ら戦略ですね。
事業戦略と戦略思考と色々と学んでいます。

先日の記事でも何回か触れているのですが、戦略とはすなわち相手に勝つ作戦であり、基本的に長期的な視野に立って物事を考えることになります。

この戦略策定に大事なことが、客観的で明確な成果の定義です。
いったい何を以て勝ったとするのか?例として挙げられているのが、戦争中の日本軍の話。当時の日本軍では「早めに力を見せつけて、アメリカから有利な条件で交渉に持ち込む」というのが、なんとなくのコンセンサスとしてあったようですが、明確に定義されているわけではなく、また戦争の泥濘化によってどんどんあいまいになっていったそうです。

そして、この成果の定義においても大事なことがあります。
それは「どの土俵で戦うのか?」というフレームの設定です。どんな点において戦うのか?という点です。例えば他のある国に勝とうと思ったとしても、戦争をするのか?経済力で勝つのか?文化の豊かさで勝つのか?スポーツで勝つのか?小学生の学力で勝つのか?・・・色々な点がありますよね。

このフレームをどう取るかによって、勝つ負けるも大きく変わっていきます。日本がアメリカに戦争で勝つ、なんて(形式上)戦力を持たない日本には不可能ですよね。しかし、経済ならいかがでしょう?一時期、GDPにおいてアメリカに次ぐ二番目にまで達しましたが最近は衰退してますよね。でも、スポーツならいかがでしょう?野球にしても、レスリングにしても、水泳にしても、日本には勝てる見込みが大きいですよね。
出来る限り、自分たちが一番勝ちやすいフレームを取ることが大事です。



一言で‘戦略’といっても、自分たちに有利なフレームで、長期的で客観的で明確な定義というところまで深堀していかないと、十分な戦略にならないし、さらには仲間内にその戦略の共有ということも必要だろうと思います。

非常に奥が深いな、と感じています。




関連書籍
10年後、仕事で差がつく戦略思考―一生役立つ「考えるスキル」の磨きかた

2013年7月17日水曜日

イノベーションのジレンマを防ぐ~社内プロジェクトX~

こんばんは。
Shunichiroです。

先ほどからのエントリに続いて、イノベーションのジレンマを防ぐ方法について考えていきたいと思います。

イノベーションのジレンマはある企業が自社が優位なポジション、製品に固執してしまっているがために、破壊的なイノベーションを起こした新興企業などにシェアを奪われてしまう状況を指します。このイノベーションのジレンマが生じる一つの構造には、経営者が戦略的視野に立つことを許さない株主の存在があると述べさせてもらいました。

今回のエントリでは、株主の話は横に置き、企業内部の戦略としてイノベーションのジレンマを防ぐ方法を模索していきます。


破壊的イノベーションを起こすビジネスや製品は、従来のモデルや従来の製品からは異なるところから生まれてきます。そういった点を考えると、既存のビジネスや製品の枠組みとは全く異なる考え方や文化を持つ世界(領域?)に踏み込んでいくことが求められます。しかし、破壊的イノベーションを生み出す可能性があるからといって、そこに全資源を費やすことはあり得ません。現在のビジネスで収益をえることができている場合は、そこを全て捨ててしまうのは賢明とはいえないでしょう。

そこで、企業がどのようにして新たなイノベーションを起こしていくかというと、社内ベンチャーをつくる、スカンクワークスを行う、といったことが挙げられています。社内ベンチャーとは権限や予算を従来のものと全く別にしてまい、新たな文化、考え方で以て、破壊的イノベーションを生み出していく方法です。スカンクワークスも同じような形です。

これらの利点は、イノベーションのジレンマに陥ってしまいがちな、従来の価値観、文化を切り離してしまい、まったく新しい発想や価値観で取り組んでいけることにあります。既存ビジネスによる収益の一部をスカンクワークス部門?に配分し、また社内の人材も配分していくことによってスカンクワークスに挑んでいく体制も築くことができます。

また、このような部門には若手を配置するのがいいと主張している書籍もあります。
なぜなら、若手はまだその企業の文化に染まり切っておらず、比較的斬新な発想ができるだろう、という点、たとえ失敗してもその経験は若手の大きな成長につながる、という点があるからです。

そして、このような形による新規事業が成功した場合、漸進的にこちらにビジネスの比重を向けていくことになります。(ただ、その過程でも非常に複雑で困難な経営転換になるのですが、それはまた後日。)




いかに、継続的なイノベーションを生み出し、収益を確保していくか。
企業にとって最大の関心になりますが、そうは言ったところで簡単にはイノベーションは起こせないのが難しいところですね。


イノベーションのジレンマと株主

こんばんは。
Shunichiroです。

先ほどのエントリー「長期的視野に立ちたい経営者と短期的利益を追求する株主」にて、短期的な利益を求める株主の姿勢が、ひいては企業のイノベーションを妨げているということを、ちらっと述べさせてもらいました。今回はその点について考えていきたいと思います。


先ほど述べたように、戦略とは長期的な視野に立って経営を考えることですが、短期的利益を追求する株主によって、経営者は戦略を立てられず、いずれは競合企業に負けてしまいます。どういう動機であれ、市場では自分たちが固執してしまっているビジネスのやり方、製品に対して、それを全く越えてしまうような革新的なビジネス、製品が出現してくるのです。そうして、今まで優位を誇っていた大企業も、あっという間に新たに台頭してきた企業によって駆逐されてしまいます。
これを、有名なビジネス用語で「イノベーションのジレンマ」と言います。

イノベーションのジレンマとは、
イノベーションのジレンマ(The Innovator's Dilemma)とは、巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業経営の理論。

であり、
大きな企業においては、規模の大きい既存事業の前に現れる新興の事業や技術は小さく、魅力なく映るだけでなく、既存の事業をカニバリズムによって破壊する危険があるため、新興市場への参入が遅れる傾向にある。優れた特色を持つ商品を持つがゆえに、その特色を改良する事のみに目を奪われ、顧客の別の需要に目が届かず、既存の商品より劣るが新たな特色を持つ商品を売り出し始めた新興企業に大きく遅れを取ってしまうのである。

とあります。イノベーションのジレンマがなぜ起こるかというと、
  1. 優良企業は顧客のニーズに応えて従来製品の改良を進め、ニーズのないアイデアについては切り捨てる。イノベーションには従来製品の改良を進める持続的イノベーションと、従来製品の価値を破壊するかもしれない全く新しい価値を生み出す破壊的イノベーションがあるが、優良企業は持続的イノベーションのプロセスで自社の事業を成り立たせており、破壊的イノベーションを軽視する。
  2. 優良企業の持続的イノベーションの成果はある段階で顧客のニーズを超えてしまい、顧客はそれ以降においてそうした成果以外の側面に目を向け始め、破壊的イノベーションの存在が無視できない力を持つようになる。
  3. 他社の破壊的イノベーションの価値が市場で広く認められた結果、優良企業の提供してきた従来製品の価値は毀損してしまい、優良企業は自社の地位を失ってしまう。

ということです。


持続的なイノベーションを行っている限り、破壊的イノベーションには辿りつかないし、いつかは破壊的イノベーションを行った新興企業に打ち負かされます。しかし、破壊的イノベーションを行うためには戦略が必要になり、今現在の収益性ではなく、将来の未知の可能性に飛び込んでいかなくてはなりません。それには、往々にしてリスクが伴うし、新たな資源の配分も伴います。


しかし、企業のそういった戦略を阻んでしまうのが株主の存在なのです。
先ほども申し上げたように、株主の関心は短期的利益の追求にあります。そのため、リスクのある将来の投資に対してはシビアな態度を示し、ある程度の収益を上げている現在のビジネスのやり方に賛同します。

それが、結果としてイノベーションのジレンマを招いてしまい、可能性が未知の新規事業に踏み出せなかった大企業はその優位性を失っていくのです。

先日の授業でイノベーションについて扱った際の講師の言葉が思い出されます。
「まだ存在していない市場を分析することはできない」
非常に示唆に富む言葉だと思います。



経営と株主の在り方について、まだまだ模索される必要がありそうです。



関連書籍





長期的視野に立ちたい経営と短期的利益追求の株主のジレンマ

こんばんは。
Shunichiroです。

今回からしばらく経営戦略の話。


戦略とはもともと軍事用語で、端的に言うと、戦略は相手に勝つことを目的として作られます。それは少なからず、長期的な視点に立つこと、時間軸を持って、戦略を考えることが求められます。なぜなら、たとえ短期的に見たときに、相手に先を越されていても、最終的に相手に勝てばいいからです。

また戦略とは、長期的な視点で相手に勝つ方法であるとともに、そのための‘資源配分’という点も忘れてはいけません。自分たちが持っている資源(人や物やお金、時間など)は限られています。それをいかに効率的に用い、相手の先を取るかという点が大事になります。資源配分という点で見た場合、やることとともに、やらないことも決めていくことになります。

すなわち、戦略とは、相手に勝つための長期的な視点とそれに合わせた資源の配分方法を考えることと言えます。



しかし実際には、多くの企業が戦略に乏しいと言われます。
そこには、企業(特に上場企業)が抱える構造的問題があります。

先ほど述べたように、戦略とは長期的な視点で経営を考えることが必要になるのですが、企業の意思決定やお金という資源を握っていて、短期的な利益の追求を目指す株主の存在があるのです。

株主は、少なからず経営に関与する力を持っていますし、経営者は株主総会などで株主の意見を聞き、それを反映した経営を行うことが求められます。もし、株主の意見を尊重しなかったら、経営者としての立場を解雇されるでしょう。

経営者と株主の関係、ここに大きな矛盾があるのです。
経営者は出来る限り長期的視野での戦略を立て、競合企業に勝ちたいと思っています。しかし、株主は出来る限り短期間で出来る限り多くのリターンを求めています。そして、企業は株主のものです。

つまり、経営者は長期的視点で戦略を立てたいにも関わらず、短期的な利益を求める株主のために、短期的な視点での経営を余儀なくされてしまっているのです。


この問題がために、企業は戦略を思うように立てられず、短期的には競合企業に勝てても、いずれは競合企業によって打ち負かされてしまうのです。今後の記事の中でも考えていきたいのですが、この問題は「イノベーションのジレンマ」というところにもつながっていく問題でもあるし、環境や社会のことを考えた経営の在り方というところにもつながっていきます。


株主に縛られない経営の在り方、あるいは経営者と株主との長期的関係性の模索は21世紀の課題の一つともいえると思います。

2013年7月16日火曜日

シャープな自分をステルスする戦略が大事

こんばんは。
Shunichiroです。

立てつづけに4本目?ですね。少し更新が滞ると書きたいネタがいっぱい溜まってしまい、消化するのが一苦労です。それだけ色んなネタを持っていることに、自信を持っていきたいと思います。


何本か連続で、社会のタブーに切り込むシャープな姿勢について記事にしています。このシャープさというのは、ここ最近の自分の人生に対するテーマですね。自分自身、今までシャープに生きてきたつもりですし、またイベント等の影響も受けて、ますますシャープさに磨きがかかってきたように思っています。

しかしその分、シャープさというものは世に受け入れられません。先ほどのエントリ「」で述べたように、シャープに生きるためには、相応の実力と社会的身分、かつユーモアさが必要になります。筆者のようにまだまだ一学生の身分で社会的身分はなく、またシャープさをユーモアさに変換できない人間にとっては、世の中排除圧力だらけで非常に苦労しています。でも、妥協も出来ない性格のため、社会のタブーにかみつき、その結果また排除され、そしてまたその排除にたいしてもかみついて・・・という繰り返しになってしまっています。

今回のエントリでは実力も社会的身分もユーモアへの変換能力もない人間はどうやって生きるべきなのかについて記事にしていきたいと思います。


筆者の考えはただ一つ。「しかるべき地位・身分に到達するまでステルスすること」の一言に尽きます。

冷戦の立役者ゴルバチョフは、旧ソ連の共産党体制化の中トップにまで上り詰め、トップになったとたん、旧ソ連の解体、共産党体制の解体を推し進めました。もし初めから、共産党体制の解体を語っていたらトップになる前に排除されたでしょう。

また中国は三国志の時代。魏の司馬偉は曹家政権の忠実な家臣として仕えていましたが、魏の力が弱くなったところでクーデターを起こし、晋という国家を作りました。

日本の歴史を紐ほどいても、このような例はあります。
織田信長に仕え、草履を温めておいたなどの逸話も残る豊臣秀吉も、織田信長亡き後その功績を利用し、天下統一を果たしました。またこのとき裏では同じように徳川秀吉が虎視眈々と天下をねらっていました。


しかるべき地位・身分に到達するまでは、その自身のシャープさは隠しておき、しかるべきタイミングにてそれを発揮していく。そしてその間、虎視眈々と自分のシャープさという武器はひたすら研ぎ澄まし続けていく。シャープに生きていきたい人間にとって、そんな賢さも身につけていく必要があるのではないか、と思います。


シャープさをユーモアに~ブラックジョークの力を使う~

こんばんは。
Shunichiroです。

先ほどのエントリー「シャープ」Makers Summitというイベントでの、川崎和男先生や石黒浩先生の社会のタブーにあえて挑むというシャープな姿勢に魅力を感じたというお話をさせてもらいました。しかし、世の中ではシャープな人間というのは、とかく嫌われてしまい、時には排除されます。特に日本では「空気」が大事にされすぎているため、あえて空気を壊そうとする人は日本では受け入れられません。

では、シャープな人間が社会でうまくやっていくためにどうしたらいいでしょうか?
それには、二つの条件があると思います。一つは「誰にも文句を言わせない、実力と権力」。もう一つは「シャープさをユーモアに変える」。
今回の記事では、この二つについて(特に後半のユーモアへの変換について)考えて生きたいと思います。


まず、一つ目の点「誰にも文句を言わせない実力と権力」については、言うまでもないですよね。日本だけでなく世界でも高い評価を受けるだけの実力を備え、かつその業界で圧倒的な権力を持っている人間には、誰も逆らえないでしょう。むしろ、そのような立場の人間の言葉だからこそ、社会も苦々しく思いつつも、その発言を受け入れていかざるを得ないでしょう。



二つ目の「シャープさをユーモアに変える」は容易には伝わりにくいかもしれません。筆者の拙い文章力ではありますが、感じていることを述べさせていただきたいと思います。

ただ単に社会のタブーに真正面からぶつかっていくだけでは、社会の排除圧力もより強固に働いていきます。しかし、シャープに切り込んだ本質部分というのは、みんななんとなく気づいているけども声を上げにくい、といったところもあると思います。そこをうまく突き、ある種の‘ブラックジョーク’として、発信するからこそ、多くの人の胸に刺さるユーモアとして成立するのではないでしょうか?

ベネズエラの故チャべス大統領は、反米として非常に有名で、反米国家の間では人気がありました。そのチャべス大統領は国連の議会の場で、先日アメリカ大統領も登壇した壇上でプレゼンテーションを行う際に「先日、ちょうどこの場に悪魔が下りました。アーメン」といって、十字を切ったことがあるそうです。

‘悪魔’とは誰のことを指しているのかわかりますよね。このブラック・ジョークによって、会場の反米国家は大喝采、親米国家は苦笑いだったそうです。

他にも、明治時代の‘風刺画’等は、そういうブラック・ジョークが社会に認められたいい例かもしれません。



社会のタブーに切り込んでいても、それをうまいブラック・ジョークというユーモアに転換できれば、排除圧力を抑制することができます。世の中に対して、シャープに生きていきたい人間にとっては、シャープさをユーモアとして、社会に提唱できるようになることが必要な能力かもしれませんね。(自戒の意味も込めて)。

哲学に触れよ

こんばんは。
Shunichiroです。

先ほどのエントリ「」の最後に、石黒先生の若者に向けた言葉として「哲学」という答えを紹介しました。クーリエという雑誌の編集スタッフのブログにて、哲学に関係する非常に興味深い記事が載っていましたので、紹介したいと思います。


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クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)

今年の「哲学試験」の問題は?(http://courrier.jp/blog/?p=15139

ヨーロッパ班のFです。

先月、フランスでは毎年恒例の「バカロレア(大学入学資格を得るための全国統一国家試験)」が行われました。弊誌6月号の「教養」特集では、フランスではいかに哲学が重要視されているかの記事を取り上げましたが、今年も哲学の試験でどんな問題が出されたかが国民の関心を集めていたので、今日はそちらをご紹介したいと思います。

問題は専攻によって異なるのですが、共通するのは「3つの設問から1つを選択する」ことと、「解答時間は4時間」ということ。1つの文章に対し、小論文形式で自分なりの答えを導き出します。

今年の設問は、
文科系
-言語とは、「道具」でしかないのか?
-科学とは、事実を証明するだけのものなのか?
-デカルトの『エリザベートへの手紙』からの抜粋について論ぜよ。

理科系
-政治に関心持たずして、道徳的に行動することはできるのか。
-仕事をすることで、自意識は得られるのか。
-アンリ・ベルクソンの『思想と動くもの』からの抜粋をもとに、次の問いに答えよ。
「正しい判断とは何か?」

経済・社会系にはまた別の設問があるわけですが、もう書いているだけで、何がなんだか……。でも、フランス人はこれを18歳で解くわけです。受験生だけでなく、かつてバカロレアを受験した大人たちも、どのように答えると高得点が貰えるのか気になるようで、「フィガロ」紙は人気哲学者のリュック・フェリーに模範解答のポイントを解説してもらったり、カルチャー誌「レ・ザンロキュプティブル」は、レディオヘッドらの曲のなかから「正解」を見つけよう、なんて企画を行ったりしていました。

フランスの試験は20点満点で採点されるのですが、この手の試験で満点を得られるなんてことはまずなく、15~16点貰えれば高得点というところ。先のリュック・フェリーと、セレブな若手哲学者ラファエル・エントヴァンは試験前に行われた対談で、前者は16点、後者は11点だった、と告白していました。

ちなみに、フランス版「ハフィントン・ポスト」によると、オランド大統領は13点、サルコジ前大統領は9点だったそう。日本にもファンの多い俳優マチュー・アマルリックは10点でした……。

ちなみに、来年のパリ市長選の右派候補ナタリー・コシウスコ= モリゼ女史は、18点だったとか(右派、左派ともに女性候補となったため、来年は初の女性パリ市長が誕生予定。「女の闘い」も盛り上がっています!)。
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何とフランスでは18歳にして、このような哲学を行うことが行われるのですね。大学受験の際に多くの人が受けるセンター試験、とは大違いですね。

あくまで私見ですが、昨今の日本の人たちはあまりにも哲学に触れる機会がなさすぎるのでは?と思います。哲学というと、やれニーチェだとか難しいイメージばかりがはびこってしまっています。しかし、哲学とはもっと日常的なものだと思います。自分は人生どう生きるべきか?家族とどう付き合うべきか?どんな仕事を行い、社会に対してどんな価値を発信していくのか?などなど。

哲学に値する問題は、自分が日々生きている日常の中でたくさん直面しているはずなのに、どうもこの問題に対して少なからぬ人たちが漫然と過ごしてしまっているような気がします。
それが昨今の日本の衰退を招いているのではないかと邪推ではありますが、個人的には思っています。


日本の教育の現場でも、哲学的なものがもっと導入されてほしいな、と思います。

シャープに生きる

こんばんは。
Shunichiroです。

少し前の話になりますが、大阪大学にて「Makers Summit(http://makerssummit.com/)」と題したイベントが行われました。このイベントでは、3Dプリンターに始まる今後のモノづくり日本の在り方について、デザイナーや起業家など著名な方々が簡単な講演を行い、パネルディスカッションをする、というものでした。
イベントの中で面白かったな、と思うものを記事にしていきたいと思います。


登壇した方々の中で、特に面白かった方は「石黒浩」阪大教授と「川崎和男」阪大教授のお二人です。何が面白かったかというと、そのイベントの中でお二人の哲学が垣間見られたこと。お二人とも世界という舞台で高い評価を受けている人物で、世界を相手に自分なりの姿勢で以て挑んできた歴史を感じさせます。


いくつかエピソードを紹介したいと思います。

川崎和男教授は、今回のイベントの主旨「Makers」とトレンドそれ自体に対して、警鐘(!)を鳴らしていました。そんな簡単なものじゃない。トレンドに乗っかって色々騒ぎが起こりそうだ。等など。

なぜ彼がそう言うのか?
メーカーはモノづくり(製品)はもちろん大事だけど、それ以上に大事なのが‘サービス’である、と。販売、壊れたときの修理や回収などなど、サービス体制が整っているから製品を安心して使うことができるのだと言う。3Dプリンターを利用が広がっていくと「一人家電メーカー」なども可能になっていく。(イベントには実際に「一人家電メーカー」を行っている起業家の方もご登壇していた)その場合たった一人でどうサポート体制を築くのか?そういった点を非常に危惧しているようです。

また、工業を行っていく場合、非常に大事になるのが知的財産の問題。
新しい製品を市場に投入した場合、すぐに模倣されていく。ある国などはオリジナルな製品よりも模倣製品の方が出回ってしまっているし、その模倣製品をおくびもなく輸出している。特にデジタルな情報を扱っていく3Dプリンターの場合、データ自体の所有権をどうするのか?どう知的財産を護っていくのか?そこが非常に大切で、Makersでもそういった視点を持たなくてはならない、とおっしゃっていた。


次に石黒先生の話。
彼はパネルディスカッションでエコについての話になった際に、巷にあふれるエコな製品は本当の意味ではエコではない、まがいものだ!とおっしゃっていた。なぜか、消費電力を抑えたといってもほんの少しのものでしかないし、ある理想的な環境下でそれが達成されるだけでユーザーの生の使い方では消費電力は変わっていない。なのに、過剰にエコを演出して、高感度を上げて売り上げにつなげようとしている、と。この世界では生産活動を行うことそれ自体が、二酸化炭素を排出し資源を浪費し、エコとは正反対の営みですらある、と。


この二人に共通する姿勢で、私が非常に感銘を覚えたのは、「社会のトレンドにあえて警鐘を鳴らす」「社会のタブーを打ち破る」その姿勢です。川崎先生にしろ、石黒先生にしろ、その‘あえて’社会に警鐘を鳴らし、本質に切り込んでいく‘シャープさ’があるんです。

日本社会はある意味‘空気’に支配されており、社会のタブーにはなるべく触れないようにするのが普通です。しかし、この二人はあえてタブーに触れ、空気を壊し、本質に迫ろうとしています。その態度、姿勢、そのシャープさが私には非常に印象的にうつりました。




余談ですが、「今後モノづくりに挑んでいく若者が行うべきことは?」という会場からの質問に対して、石黒先生の答えが素晴らしかったです。「哲学」その一言に尽きる、と。
う~ん、とても深いですね。



HS(Human Satified)追求の社会へ

こんにちは。
Shunichiroです。

最近更新が滞ってしまい、すいません。
言い訳になってしまいますが、私のPCにウイルスが入ってしまったようで、しばらく警告音だらけで落ち着いてネットすらも出来ない状況でした。ウイルスバスターを更新して、やっと収まったのですが、改めてパソコンの大事さとウイルスバスターによる保護の重要性に気づかされました。


先日のエントリー「エコ概念」では、エコという概念が市民の中に定着はしているが、その中身には疑問が伴い(エコ製品を生産する過程では、今まで以上に材料や電力を消費しているetc)、エコという言葉のイメージだけが先行してしまっているのではないか?そのため、エコで捉えきれていない部分までサポートするような新しい概念が必要なんじゃないか?という、考えを記事にさせてもらいました。

そういった視点で色々な情報を集めていたところ、まさにぴったりの言葉が見つかりました。それが「HS(Human Satified)」という言葉です。

エコという言葉では、環境に優しいことがキーコンセプトでした。このHSで重視するのは、人間に優しいこと。つまり、便利さや使いやすさ、デザイン、材料という点だけでなく、その雇用の過程や環境、社会に与える影響などなど色んなファクターを考慮したうえで、総合して‘人間に優しい’ことをHSでは目指します。

自身のエントリー「エコ概念」「BoPビジネスソーシャルビジネス本当途上国ってい」ではエコという言葉やソーシャルビジネスという言葉の裏側では利潤追求が先行し、製品やビジネスモデルだけでなく、経営や雇用、生産なども含めてトータルで見た場合に、本当にエコなのか?本当に現地のためになっているのか?疑わしいのではないか、と述べました。ここにHSの概念を導入していくと、そういった経営や雇用、生産など今まで見られなかった部分まで、目が向くようになり、何が本当にHSになるのか?どんな経営や雇用ならHSになるのか?を考えるようになると思います。

HS(Human Satisfied)の追求と、利潤の追求。
両者が矛盾なく、つながっていく方法を模索していきたいと思います。

2013年7月3日水曜日

‘エコ’の先の概念を

こんばんは。
Shunichiroです。

エコという言葉、もうみなさんはなじみのあるものですよね。エコな製品、エコな経営、エコな企画・・・色んな言葉が在りますが、なんとなくイメージがわきますよね。エコな製品と言えばなんとなく環境に優しい材料を使ってるんだなとか、エコな経営と言えばあまり冷暖房は使わず、無駄紙もあまり出さないようにしてるんだなとか、エコな企画と言えば無駄な装飾は少なく、でも季節に合ったような雰囲気を楽しめる企画なんだなとか、浮かんでくるものは人それぞれかもしれませんが、エコが指す概念や考え方はかなり浸透していると思います。


しかし、近年では、人々や社会のニーズは‘エコ’という言葉だけでは物足りない部分が出てきているのではないでしょうか?確かに環境に優しいことも大事なんだけど、もっと配慮すべきところもあるんじゃない?例えば、説明責任だとか?CSRだとか?雇用だとか?コンプライアンスだとか?押しつけのグローバル化だとか・・・特に自分は国際協力とビジネスの狭間の世界にいるためか、そういうことを強く感じます。

製品自体はエコなものや、社会にとって良いものであっても、それを生み出す生産の過程や販売の在り方など製品の上流下流を見てみると、‘エコ’だけで語れない部部があると思うんですね。先日のエントリー「BoPビジネス・ソーシャルビジネス本当途上国人々っていか?」で書いたような、世間ではソーシャルビジネスとか言われてても、雇用や経営という観点では・・・という部分と同じだと思うんです。


もちろん、現在でも‘エコ’なものの素晴らしさは変わりません。環境への負荷を減らすことは大事です。しかし、そこからもう一歩踏み込んで、経営・雇用の在り方は適切か?文化やユーザーの価値観を侵害していないか?富みの収奪に陥っていないか?等など、エコを超える新たなフレームが必要ではないか、と思います。

それを見つけ、社会に提唱し、‘エコ’と同じように社会に浸透させること、そんな仕事ができたらな、と思っています。





文言の具体化による生産性の向上

こんばんは。
Shunichiroです。

先ほどのエントリー「WSにお意見文言明確化」で、意見の文言をなるべく具体的にすることでより有効な議論になりやすい、というお話をさせてもらいました。実は、この文言の具体化というのは、ビジネスとかコンサルとかでも非常に有効なのだそうです。

例えば、上司が部下に「自社製品の優位性について調べて」って依頼したとしても、この部下からしたら、何をどのレベルまで調べていいかわかりませんよね?結局膨大な量のデータを取って、分析して、なんとなくぜんたいを網羅したような俯瞰的な報告書になってしまうのではないか?と思います。

しかし、ここで上司がもっと文言を明確にして「北米市場でのシェアNo.1の競合他社製品Aに対して、わが社の製品Bは競争優位性があるのか?ないのか?調べて」って言われたらどうでしょう?前者の例に比べて、調べるべきことがグッと明確になって、報告書での答えも自社製品Bは競争優位性はあるけどマーケティングに問題あり、だとか自社製品Bは価格の面で競争優位性を備えていないだとか、具体的な問題点にまで踏み込んだものが出せると思います。


こういった知的生産性を上げるための方法が書かれている名著と言われているものに


があります。
ここで言われているものが知的生産性を上げるためには、イシュー=問題設定の質を高めよ、ということがあります。問題設定の質とは、先ほどの例のような「自社製品の優位性は?」ではなく「北米市場でのシェアNo.1の競合他社製品Aに対して、わが社の製品Bは競争優位性があるのか?ないのか?」というレベルにまで具体化していくことだと言えます。従ってイシュー=問題設定の質を高めるとは、必要な5W1Hにまで踏み込んだ具体的な文言にしていく作業なのではないか、と思います。


知的生産性を高めるために、まずは自分のふとした問題意識や疑問から始まってもいいけど、そこから誰が?何を?どこで?いつ?誰に?なぜ?どのようにして?というレベルにまで、問題設定を具体化して、それに答えるリサーチや議論を行っていくという点を念頭に置いておくことが大事ですね。

私も日々精進です。





WSにおける意見の文言の明確化

こんばんは。
Shunichiroです。

今日の授業で、WS形式のものがあったのですが、その中で新しい気づきがあったので共有したいと思います。

授業の内容としては、科学技術コミュニケーションというもので、科学技術が社会の中に入っていくことによって、良くも悪くも色んな問題が起きてくる、その時に科学者はどういう態度・姿勢で在るべきか?どうコミュニケーションをとっていくべきか?というものを考えていく授業となっています。

それで、今日のテーマが「科学技術が社会に貢献する為に、誰が?何をすべきか?」をみんなでブレインストーミングしていきました。その中で色んな意見が出ていて、
・科学者は社会のニーズを読み取った研究をすべき
・文科省が科学技術を必修にすべき
・行政は技術や政策に関してちゃんと説明すべき
・市民は主体的に技術や政策に関して理解しようとすべき
・・・
とかが在りました。

始めはブレインストーミングだから、みんながそれぞれポストイットにこれらの意見を書いて、次にそれをみんなで共有して・・・というプロセスだっただけど、そこからのファシりテーターの取った方法が自分にとっては非常に新鮮でした。


その方法というのは、ポストイットに書かれた文言を全員が‘同じ理解をできる’文言に直していくという作業。ポストイット一つ一つについて、読み上げ、文言のあいまいなところ、述語がはっきりしないもの、対象がはっきりしないものなどなど、全員が共通の理解ができる文言にまで直していきました。

例えば、
・行政は技術や政策に関してちゃんと説明すべき
は、対象は誰?ちゃんと、ってどのレベル?どういう形(場)で?というところを問い直し
→「行政は技術や政策に関して、市民に公聴会などで最低限度の仕組みなどが理解できるように説明すべき」という文言に。
・文科省が科学技術を必修にすべき
は、対象は誰?小学生?中学生?高校生?大学生?それとも市民?というところを問い直し
→「文科省は科学技術を高校の必修科目にすべき」という文言に
それぞれ書き直されていきました。

この方法が私にとって新鮮だったののは、ブレインストーミングというとそれぞれが自分のアイディアをざっくりと出していくもの、という先入観があったので、ここまで細かく文言チェックするんだって思ったのです。でも、これってすごい大事なことで、ブレインストーミングだからってふんわりとしか書かれてないと、解釈の仕方が増えてしまって、議論の前提がずれてしまう恐れがあるんですね。この方法だと、アイディア出しの時点まででは厳密な文言は要求されないので、アイディア出しを妨げることがなく、かつ出てきた意見を共有し共通の理解を得ることができるのですね。

それに、文言が具体的になるほど、意見のイメージや意義、問題点などが浮かびやすくなって、議論の内容も具体的になっていくんですね。ふわっとした意見から始まると議論って空中戦とか言葉遊びみたいなものになってしまって生産性が低くなってしまいがちなのですが、これだけ文言が具体化されると具体的な点について話しやすいし、その分議論も前に進みやすいですよね。



今までの経験上、WSとか議論みたいなことやってると、結局今何を話してるんだっけ?とか、そもそもの議論の土台がいつの間にかずれてしまっていることもあります。今回の方法のように、みんなで土台をそろえる方法って大事なんだな、って改めて気付かされました。




2013年7月2日火曜日

BoPビジネス・ソーシャルビジネスが真に途上国開発に資するために

こんにちは。
Shunichiroです。

前回のエントリー「BoPビジネス・ソーシャルビジネス本当途上国人々っていか?」で、ミクロな視点で見た場合、BoPビジネス・ソーシャルビジネスが途上国の人々のためになっていないのでは?という疑問を投げかけました。今回のエントリーでは、どうやったらBoPビジネス・ソーシャルビジネスが真に途上国開発に資するようになるのか?について考察していきたいと思います。


私の着眼点としては二つあります。一つは雇用の視点、もう一つはお金の流れの視点です。
まず、雇用の視点から考察していきます。

ミクロな世界を見た場合、雇用されたものが幸せを感じるのは①賃金による生活水準の向上化②労働による個人の尊厳の高まり、この2つが噛み合うことが大事ではないか?と考えます。雇用によって生計を立てられるようになることは非常に大事ですが、もう一方の点である「個人の尊厳の高まり」がなければ、ただの労働力搾取になるのではないかと思うのです。そしてBoPビジネス・ソーシャルビジネスではこの点が忘れられがちな気がします。

個人の尊厳の高まりを起こすには、まずその地域の文化やその地域の人たちがどんな価値観を持っているのか?を理解することから始まるのではないか?と思います。先進国側の人間が今まで先進国で採用されてきた方法を一方的に押し付けてしまうのではなく、現地の価値観や生活様式のありかたなどとすり合わせ、その地域にとって望ましい在り方を目指すべきではないか?とお思います。


続いて、お金の流れの観点について考察していきます。
私が問題に感じているのが、途上国で生み出された富が最終的に先進国に流れてしまう、ところに在ります。ビジネスである以上、この流れは避けられないものかもしれませんが、富みの収奪にならない方法はあると思います。例えばですが、途上国現地の会社をできる限り現地の人間に権限の移譲を行い、かつ資本比率も現地の人間が多く握るようにする。そこで本社?先進国側はあくまで大口株主として提言を行ったり、あるいは社外取締役のような形で経営に関わるというのはいかがでしょう?

このような形であれば、その事業の成長によって収益の向上や株価が高くなれば、親元企業にも利益があるし、現地の人たちにも利益の分配がなされ、その地域の発展に貢献するのではないか?と思います。

また現地の人たちに権限を移譲するため、文化的摩擦や労働の搾取という自体も起こりにくいのはないか?と思います。


あくまで仮説に過ぎませんが、今後この仮説を検証していけたらと思います。



BoPビジネス・ソーシャルビジネスは本当に途上国の人々のためになっているのか?

こんにちは。
Shunichiroです。

最近の私の問題意識として、BoPビジネスやソーシャルビジネスという形で先進国の資本が途上国に参入していくことが多くなっているが、はたして本当にその地域やそこの人々のためになっているのか?というものがあります。

マクロな視点で見た場合、その地域の雇用が増え、生計をたてられるようになっているとかはよく聞けども、ミクロな視点、実際にその人達は幸せになっているのか?そこってあまり語られていないと思います。


以前、世間ではソーシャルビジネスと言われている方の講演を聞きに行ったことがありますが、その中で、工場のドアマンをしてくれている子供の話がありました。「ドアを開けたり閉めたりすることに賃金を払ってあげ、その家族の大きな収入源になっているのだ」と誇らしげに彼は語っていましたが、子供を労働に使い、賃金を与えていることがはたして本当にその子のためになっていると言えるのでしょうか?これは世界で礼賛されているソーシャルビジネスの形なのでしょうか?

他にも、バングラデシュで工場を営んでいる方のお話をお聞きしたことがあります。バングラデシュではイスラム教徒が多く、工場の労働者の中にもイスラム教のバングラデシュ人も多くいるそうです。皆さんもご存じのとおり、イスラム教徒は毎日5回のお祈りをします。もちろん彼の工場での勤務時間帯内でもお祈りの時間はやってきます。しかし、彼はお祈りを許していないそうです。彼の言うには「やつら(イスラム教徒の労働者を指して)はお祈りを口実にサボりたがる。けしからん。同じ勤務時間内でイスラム教徒ではない労働者は働いているんだ。」との事。


またもともと先進国の資本で始まっているので、その地域での売り上げなど、先進国の本社?のもとに流れてしまいます。途上国の人々が頑張って働いた結果が、途上国のためではなく先進国のためになってしまっています。


確かに雇用を生み、生計を立てられるようになることは途上国の貧困層にとって大事なことかもしれませんが、それだけでいいのでしょうか?

世間ではまだまだBoPビジネス・ソーシャルビジネスが途上国開発に役に立つ、と言われJICAなどでも推進されていますが、ビジネス視点で語るのではなく本当の意味での社会開発・人間開発につながっているのか?という点で見た議論や研究がもっとなされるべきだと思っています。

自分自身もっと調べて掘り下げていきたいと思います。




関連書籍

BoPビジネス戦略 ―新興国・途上国市場で何が起こっているか
BOP 超巨大市場をどう攻略するか
BOPビジネス入門―パートナーシップで世界の貧困に挑む
BOPビジネス 市場共創の戦略
ネクスト・マーケット[増補改訂版]――「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)

6月の振り返り

こんにちは。
Shunichiroです。

もう7月になりましたね。簡単ではありますが、6月の振り返りをしていきたいと思います。


6月は読書として、まずはフーコーやベックなど監視社会やリスク社会の在り方について勘気て行きました。グローバリゼーションにだけでなく、社会のディスシプリンの限界性によっても、リスクの個人化が起こってきているという洞察に触れました。

またゲーミフィケーションや仮想経験というものに触れ、IT世界という私たちのもう一つの世界が私たちの現実世界にも大きく影響してきていている状況を改めて確認しました。バーチャル世界で違う自分を楽しむといった行為だけでなく、現実世界の問題や取り組みをバーチャルと連動させて新たな楽しみを見いださせたり。
ある意味変な言い方かもしれませんが、バーチャルの世界も現実とつながっている世界とみなして、どう楽しみを作り出すかが、面白い企画のポイントになっていくかもしれませんね。

そして、最後は戦略。
現場の戦略といわゆる学問としての戦略について考えたり、リーダーとマネージャーについて考えたりしました。MBA等で学問として戦略を学ぶことは数学の公式を頭に叩き込むのと一緒で、青子から先はその公式や基本をいかに応用していくか?が大事なのだと。また、特性の異なるリーダー・マネージャーがお互いを活かしあえるようなビジネスにおける関係性をつくることが大事だと。


6月の更新は21記事でした。
考えることは多いですが、記事にしきれていない部分や、土日など更新を怠ってしまうところは改善の点です。

頑張っていきたいと思います。






13年6月の読書メーター
読んだ本の数:34冊
読んだページ数:8333ページ
http://book.akahoshitakuya.com/u/232806/matome?invite_id=232806

■犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る (DOJIN選書 17)
読了日:6月4日 著者:越智 啓太
http://book.akahoshitakuya.com/b/4759813179

■うるさい日本の私 (日経ビジネス人文庫)
読了日:6月4日 著者:中島 義道
http://book.akahoshitakuya.com/b/4532195748

■本を読む本 (講談社学術文庫)
読了日:6月5日 著者:J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061592998

■リーダーシップの旅  見えないものを見る (光文社新書)
読了日:6月10日 著者:野田 智義,金井 壽宏
http://book.akahoshitakuya.com/b/433403389X

■無駄に生きるな熱く死ね (Sanctuary books)
読了日:6月11日 著者:直江 文忠
http://book.akahoshitakuya.com/b/4861130158

■クロスロード グレードアップバージョン―20代を熱く生きるためのバイブル
読了日:6月11日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/b/4921132003

■知の教科書 フーコー (講談社選書メチエ)
読了日:6月12日 著者:桜井 哲夫
http://book.akahoshitakuya.com/b/4062582082

■ミシェル・フーコー (シリーズ現代思想ガイドブック)
読了日:6月12日 著者:サラ ミルズ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4791762274

■ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)
読了日:6月12日 著者:重田 園江
http://book.akahoshitakuya.com/b/4480066276

■フーコー―知と権力 (現代思想の冒険者たち)
読了日:6月12日 著者:桜井 哲夫
http://book.akahoshitakuya.com/b/4062659263

■ブラッド・オイル 世界資源戦争
読了日:6月12日 著者:フランソワ・ラファルグ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4062152096

■石油をめぐる国々の角逐―通貨・安全保障・エネルギー
読了日:6月13日 著者:長谷川 榮一
http://book.akahoshitakuya.com/b/4623053423

■ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲 (Kobunsha Paperbacks 123)
読了日:6月13日 著者:浜田和幸
http://book.akahoshitakuya.com/b/4334934420

■科学革命の構造
読了日:6月14日 著者:トーマス クーン
http://book.akahoshitakuya.com/b/orgb652230411

■世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)
読了日:6月15日 著者:ウルリッヒ・ベック
http://book.akahoshitakuya.com/b/4480093109

■世界の99%を貧困にする経済
読了日:6月15日 著者:ジョセフ・E・スティグリッツ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4198634351

■リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)
読了日:6月15日 著者:山岸 俊男,メアリー C・ブリントン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4062880733

■科学革命の構造
読了日:6月15日 著者:トーマス・クーン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4622016672

■フーコー―他のように考え、そして生きるために (シリーズ・哲学のエッセンス)
読了日:6月17日 著者:神崎 繁
http://book.akahoshitakuya.com/b/4140093315

■東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた
読了日:6月17日 著者:東京大学i.school
http://book.akahoshitakuya.com/b/4152091320

■増補 ケインズとハイエク―“自由”の変容 (ちくま学芸文庫)
読了日:6月18日 著者:間宮 陽介
http://book.akahoshitakuya.com/b/4480090215

■ゲーミフィケーション―<ゲーム>がビジネスを変える
読了日:6月18日 著者:井上 明人
http://book.akahoshitakuya.com/b/4140815167

■仮想経験のデザイン―インターネット・マーケティングの新地平
読了日:6月18日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/b/4641162646

■儲ける仕組みをつくるフレームワークの教科書
読了日:6月19日 著者:川上 昌直
http://book.akahoshitakuya.com/b/4761268956

■社会の思考―リスクと監視と個人化
読了日:6月19日 著者:三上 剛史
http://book.akahoshitakuya.com/b/4762020613

■“反転”するグローバリゼーション
読了日:6月25日 著者:鈴木 謙介
http://book.akahoshitakuya.com/b/4757141564

■イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
読了日:6月25日 著者:安宅和人
http://book.akahoshitakuya.com/b/4862760856

■本質を見抜く「考え方」
読了日:6月25日 著者:中西 輝政
http://book.akahoshitakuya.com/b/4763197975

■志を育てる―リーダーとして自己を成長させ、道を切りひらくために
読了日:6月26日 著者:グロービス経営大学院,田久保 善彦
http://book.akahoshitakuya.com/b/4492044485

■知の編集術 (講談社現代新書)
読了日:6月26日 著者:松岡 正剛
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061494856

■戦略「脳」を鍛える
読了日:6月26日 著者:御立 尚資
http://book.akahoshitakuya.com/b/4492554955

■革命---資本主義に亀裂をいれる
読了日:6月26日 著者:ジョン・ホロウェイ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4309245463

■未来記憶
読了日:6月26日 著者:池田貴将
http://book.akahoshitakuya.com/b/4763131672

■Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2013年 01月号 [雑誌]「戦略をシンプルに」
読了日:6月26日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/b/B00AAZCFV2


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