2013年6月18日火曜日

視点の違いと物事の本質をとらえる考え方

こんばんは。
Shunichiroです。

私たちは常に自分という視点にとらわれていて、私という視点から世界を見ています。これは私やあなただけでなく、誰しも同じです。それぞれの人がそれぞれの視点から世界を見ています。しかし世界は複雑にできています。そのため、日常のちょっとしたことでも自分の視点と他の人の視点が異なることがあります。

例えば、朝起きた時雨が降っていて、これから出勤する自分にとっては憂鬱かもしれません。しかし、隣の家に住む農家の方は恵みの雨であると喜ぶかもしれません。あるいは、日本が金融緩和を行うということに日本人は喜ぶかもしれませんが、中国人は不快に思うかもしれません。

雨のように身近な例では自分の視点と他の人の視点が異なることに気づきやすいかもしれませんが、より大きな問題、政治や経済や軍事や金融やテクノロジーや国際関係や・・・というところに広げていくとなかなか他人の視点をイメージしづらくなってしまいます。
他人の視点をイメージできなくなると、自分の都合ばかり主張してしまいがちになりそれに対する他者の反応だとか、その裏の構造というものに目がいかなくなってしまいます。その結果、両者の見解がドンドンずれてしまい、損失や不利益につながったりしてしまうこともあります。



ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今回のエントリーでは日々の物事の捉え方として、自分の視点にとらわれるのではなく、他人の視点に立ってみることやその背後にある構造について考えるということについて話してみたいと思います。

世の中に起きている様々な物事は、自分から見える景色だけでなく他の人から見える景色も内包した複雑なものの表象にすぎません。イメージとして、自分が好んで使っている表現が「氷山」のイメージです。


私たちは氷山の海面にでている部分しか見ることができませんが、その背後により大きな影が潜んでいます。この隠れた部分にも気をつけないと、船は氷山にぶつかってしまいます。情報の見方・捉え方もこれとおなじで、その背後に隠れている構造などにも踏み込んでいかないと真実の姿は見えません。

そして、この氷山の見え方は人によって異なります。私たち側から見たらずんぐりむっくりな形かもしれませんが、横から見たら細長いかもしれないし、あるいは上から見たら楕円かもしれません、水平から見たら平べったかったりするかもしれません。あるいは遠くから見たら、遠近法により小さく見えるし、間近から見たらはるかに巨大な壁でしょう。
同じ対象を見てても人によって見方・解釈が異なってしまうのです。




非常に簡単ではありましたが、物事の本質をとらえる考え方というのは、
①自分と違う視点にも考えを及ぼす
②物事の背後にある構造を考える
という2点が大きいと思われます。

こういった物の見方を知っているだけで、自分の視点や物事の表象だけにとらわれずに、日々の情報に接することができる様になるでしょう。時には自分自身が前提として立っているその立場自身を疑ってみたり、あるいは毎日のニュースや新聞で見かけたものが、どのような視点で以て書かれているのか?その背後にある構造は何か?ということを少し考えてみるだけでも、非常奥深い楽しさを感じられると思います。




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