こんばんは。
Shunichiroです。
最近フーコー的な話ばかりで少し堅苦しいかもしれませんが、悪しからずお付き合いくださいませ。
Shunichiroです。
最近フーコー的な話ばかりで少し堅苦しいかもしれませんが、悪しからずお付き合いくださいませ。
先ほどのエントリでは、「ディスシプリンの硬直化と組織・集団の退廃」ということで、社会の安定化にはディスシプリンの確立が必要になるが、ディスシプリンが硬直化してしまうと、集団それ自体の退廃のもとになってしまうため、ディスシプリン自体も社会や時代の変化に合わせて変わっていける様にすべきだと、述べさせてもらいました。
では、どうやったらディスシプリンを変化させることができるでしょうか?
今回のエントリではこの点を深堀していきたいと思います。
ディスシプリンとはその社会・その組織に固有の価値基軸であり、ディスシプリンにいかに忠実であるかという点で以て、その社会での地位が決まっていきます。つまりその社会において優秀だとかエリートだとか言われるものほど、ディスシプリンに染まっているのです。そのため、その社会を導けるような大きな力を持つものほど、その社会のディスシプリンに染まってしまっておりディスシプリン自体を変えるような発想などできなくなってしまっている構造ではないかと思います。
では、そんな社会のディスシプリンを変える方法とは何があるでしょうか?
まず1点目は「意図的に別のディスシプリンを持つものを引き入れる」があると思います。
先ほどのエントリでも事例として紹介したように、硬直化してしまった組織に別の価値観を持つ人間を引き入れ改革を主導してもらう、というものですね。某航空会社とか某自動車会社だとかがこれに当てはまりますね。企業などにおいては経営者が変わること、特に社外から著名な経営者を引き入れることはディスシプリンに変化をもたらすという意味でも非常に大きなものです。逆に、その会社の中で育ってきたサラリーマン社長などの場合、ディスシプリンに変化をもたらすことが難しいので、この変化の激しい時代の中で衰退してしまいがちなのではないのでしょうか。
ディスシプリンに変化をもたらす方法の2点目は「その社会その組織におけるマイノリティの力に頼る」というものがあると思います。
その社会におけるマイノリティとは、その社会のディスシプリンに染まり切れなかったもので、いわゆる主流にいる人たちとは持っている価値観などが異なります。そういった違う価値観を持った者たちをディスシプリンから異なると言って排除するのではなく、ある程度許容し、その価値観を取り入れていくことで、その社会全体のディスシプリンに変化をもたらすのではないかと思います。
ビジネスの話になってしまい申し訳ないのですが、その企業にイノベーションをもたらすのもいわゆるマイノリティグループだと言われています。ハーバード・ビジネス・スクールの教授でイノベーション論で有名なクレイトン・クリセンテンによると、スカンクワークス(少人数で従来のマネジメントの枠とは別枠の権限を持った新製品開発グループ)だったり数名による社内ベンチャーだったりするようです。
また、今度は国という大きな単位ですが、フランスは意図的に少数ずつの移民を受け入れることで、漸進的な社会の変化に成功しているそうです。また、アメリカは言わずと知れた移民大国であり、その多様性を活かし世界の最先端を進んでいます。
ただ、マイノリティ・グループの力を活かすという方法は、もろ刃の刃みたいなもので注意が必要です。マイノリティ・グループに力を与えすぎると、それはある種の革命や社会転覆の可能性を持っているのです。先ほどフランスの移民の例を紹介しましたが、最近は移民の中でもイスラム教徒の影響力が強くなってきており、キリスト教からの改宗者なども含めイスラム教の市民が多くなってきており、フランスのキリスト社会に危惧を抱かせているという問題もあるようです。
ディスシプリンの変化を呼び込むための、マイノリティ・グループの活用について、その方法論や手綱さばきなどはもっと研究されてもいいと思います。
社会の衰退を防ぐための、方法として①意図的に別のディスシプリンを持つものを引き入れる②その社会その組織におけるマイノリティの力に頼る、を紹介させてもらいました。
日進月歩でテクノロジーが進歩していき、また社会自体もその影響を受けどんどん変化していく世の中においては、自らが立脚している社会そのもののディスシプリンも柔軟に対応させていく勇気が必要になると思います。
皆さんは変わっていく心の準備はできているでしょうか?
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