2013年6月19日水曜日

テロリズムと支配の個人化

こんばんは。
Shunichiroです。

先日元CIAの職員が政府はgoogleやFacebook等の企業を介して、国民の情報にアクセスしているという話がリークされ、世界中で物議を醸しております。情報の真偽はわかりませんが、9・11に端を発する社会リスクの性質の変化がこのような動きにつながっていると思います。


9・11以前は社会リスクというものは冷戦に代表されるような国と国の争いや国と組織の争いなど、何らかの母体を持った者同士の間で起こる物でした。したがってその対策も、母体に対する対策が中心になっていました。

しかし、9・11以降この状況は大きく転換することになりました。テロリズムという概念が社会のリスクの中心になり、しかもテロというのは普通の市民の中に紛れ込み、特定の組織にたいして対策を行うという性質のものではなくなってしまいました。そのため政府はテロを未然に防ぐためにも、監視や支配の対象を組織という大きなものではなく、市民一人一人に対しても広げざるをえなくなってしまったのです。
それが、今回のリーク事件の生い立ちです。


私たちの情報の全てが監視・支配されているという状況に賛否両論はあると思います。テロを未然に防ぐためという名目の上においては、私たちが不審なメールのやり取りをしていないか、疑わしき情報を持っていないか、危険な物を持っていないか、ということは監視することは必要に思います。しかし、わたしたち監視される側から見たら、非常に不快きわまりません。私たちの電子上のやり取り全てがチェックされ、何か政府にとって問題に思われるような言動などがあれば「テロを未然に防ぐため」という口実のもと、身柄の拘束を受けかねません。

しかし問題の一つには、何をもってテロを未然防ぐためという線引きがなされるか?があると思います。もちろん日本でもいくつかメディアで取り上げられている「学校を爆破する」などの書き込みでもって、未然に防ぐためその投稿者の身柄を抑えるなどは正当な監視の在り方かと思いますが、例えば反原発デモの呼びかけなどはどうでしょうか?直接テロにつながるとは考えられないまでも、拡大解釈によっては社会不安を煽りかねないから未然に対処するということもありえないわけではないと思います。あるいは特定の政治家を批判する書き込みをしたら、批判が過激した先の政治家の暗殺を未然に防ぐため、身柄を拘束するという可能性も存在します。


つまり、テロを未然に防ぐためという政府の解釈次第では、私たちの言論の自由、表現の自由、そして身体の自由が脅かされる可能性もあるのです。まるで戦前の大政翼賛会、あるいは共産党による独裁政治のようです。



日本でもマイナンバー法が成立するなど、私たちの情報を管理する仕組みが整い始めています。アメリカで起きたことは対岸の火事ではないのです。上で述べたような監視・支配の暴走が起こらないとも言いかねない中、今回のリーク事件は改めて私たちの情報について、政府の管理・監視について考えさせれました。





関連書籍
世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

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