2013年6月18日火曜日

自分ごととしての社会

こんばんは。
Shunichiroです。

先日私が非常に信頼を置いている仲間とともに合宿を行い、さまざまなことについて語り合いました。その中で出た議論の一つに、アメリカだとか他の国ではロビイングだとか学生運動だとか非常に市民による活動が活発なのに、日本ではなぜあまりこういったことが起こらないんだろう?という話になりました。今回のエントリーではその議論を共有したいと思います。


社会って聞いて何を思い浮かべますか?身近な友達?学校?コミュニティ?あるいは遠くで政治家がなんかやってるところ?・・・社会という言葉自体非常に範囲も広く、人によって解釈が異なってしまいますが、大事な点はその社会の中に‘自分がいるか?’という点だと思います。

日本の中での社会のイメージは、とかく政治家がワイワイなんかやってるところというイメージが多く、自分達とは遠くのあまり関係のない世界だと思われている節があります。その理由の一つとして、間接民主制のため自分達の考えは選挙という機会でのみ主張することになり、しかもその結果として当選した議員が自分達が思っていたようには全く動かないところにあると思います。自分が政治を社会を動かす、1アクターであるという認識に非常に乏しいのです。そのため、社会を自分ごととしてとらえることができず、政治や社会に無関心になってしまいがちなのです。

もちろんこの構造の背後には、政治家への不信感であったりだとか政治機会の少なさだったりがあると思いますが、私たち市民一人一人がもっと政治や社会に対するオピニオンになれるということを意識していくことが大事だと思います。


例えば3・11以降、日本でも反原発デモや政治集会が開かれるようになりました。その理由の一つには、放射能の問題や原発という自分達の生活にも関わる重大な問題が起こったからだと思います。今までは遠かった社会というものが、自分の生活と関わっていると強く認識されるようになったため、多くの市民の中にも問題意識が生じ行動につながっているのだと思います。
今まで身近にあったけども、ほとんど意識してこなかった社会でも、自分ごととしての社会だと認識した時、人は強く関心を持つようになり、このように行動を起こすようになるのです。


私たちの生活の中で社会と関わらないところはあるでしょうか?
例えば、日本経済だとか世界情勢だとかあるいは社会保障、年金、医療、政治・・・それらはふだんは強烈に意識されないまでも、確実に私たちの現在の生活や将来の生活に何らかの影響を及ぼしています。それに気づいていないのは私たちの方なのです。しかし、社会をあまりにも遠くの関係ないものとして見ているため、何か問題が起きた時はすべて政治家の責任にしようとしてしまいます。自分達が関わっているものに無関心で居続け、不利益を被ったときだけ、その実行者に責任を押し付けるのは何か違うんじゃないかと思います。


社会は政治家のものでも経済人のものでもありません。私たちひとりひとりのものです。社会と遠いよくわからない存在としてではなく、自分ごととしての社会として見て行ったら、今の社会に対して色んな関心が芽生えると思います。別にデモに参加しろだとか、何か行動しろと強制するつもりはありません。ただ、一人ひとりが社会というものを自分ごととして考えながら日々生活してほしいなと思います。


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