2013年6月18日火曜日

リスク不感症の日本人

こんばんは。
Shunichiroです。

世界にはいろんなリスクが常に存在しています。3・11により日本ではそのリスクの一つ原発の問題が顕在化しました。他にも日本や世界が抱えているリスクとして、テロ、環境問題、自然災害、エネルギー・資源問題、通貨リスク、債務リスク、高齢化、少子化といったものがあげられます。

しかし、わたしたちは日々の生活の中でこれらのリスクの恐怖におびえることなく平穏に暮らせていますね。あるいは、リスクそのものについて日々特別な意識を持っているわけではないですよね。今回のエントリーでは、リスクに対する日本人の捉え方について考えてみたいと思います。


リスクに日々恐怖を抱くことなく過ごすには
①リスクを認識しているが、すでに対策済み
②リスクを認識しているが、無視している
③リスク自体を認識していない
の二つの道があると思います。

まず、①リスクを認識しているが、すでに対策済み、という点から考えていきたいと思います。
日本で生活している中で、飢餓や生命の危機といったリスクを感じることは少ないです。日本にはしっかりした物流が存在し、また私たちも色んな物を買うことができる十分なお金を持っているからです。しかし、世界の国々の中には毎日の食糧や日々の命に気を配りながら、生きている人たちもいます。そういった国では日々リスクを意識せざるを得ないほど、インフラが整っていなかったり、政治が乱れていたり、富の配当が行われていないのです。
こういった点をみると、日本の食という観点ではリスクを感じなくなる水準まで物事が整っていると言えます。


次に②リスクを認識しているが、無視している、という点ですがこれは非常に厄介な問題です。無視しているという中には、経済的なコストパフォーマンスなどを見た上であえて無視している、というものや何らかの構造上対策を立てることができないので無視されている、という問題をはらんでいます。

前者の例が、3・11のときでも話題に上がった防波堤の件。
宮城県沖での地震の可能性の調査内容によれば、マグニチュード7や8を超えるような地震も想定されていたと聞きます。そのような大規模な地震に備えるためには膨大なコストがかかってしまいますが、そんなに大きな地震が起こる確率は低く、何百年に1度というものでしかありません。そのためコストパフォーマンスを考慮すると、もし起きたら非常に大きな被害を及ぼす大地震はあえてむしして、より頻繁に起こる震度6や7に合わせた対策をとることが一番いいということになるのです。これを想定除外と言います。

また後者の例としては、政治問題でしょう。
政治家は通常3年ないし6年で、選挙を迎え入れ替わることになります。誰しも職を失いたくなく、次の選挙でも当選することを目標に任期の間の公務を行っていきます。日本の財政や社会保障、年金の問題を長期的に見たら、必ず対策しなければいけない問題です。しかし政治家は短期的な目標、あるいは得票を気にしてしまうと、多くの支持を得られにくい思い切った改革はできなくなってしまいます。その結果、対策しなければならないリスクだとは感じてはいるものの、選挙という構造上手が出せないたっめ、あえて無視する、という選択を取らざるを得なくなります。


③リスク自体を認識していない、に関しては一見議論の余地がないかもしれませんが、難しい点がリスクを感知している人とリスクを感知していない人の差です。同じ問題に対してもリスクを感じる人とリスクを感じない人がいます。それは価値観や考え方の違いということもできますが、一つの見方としては、情報隠ぺいやプロパガンダの可能性もあります。

また原発の例になってしまい恐縮ですが、3・11が起こる前まで、国民の多くは原発は安全なものであるという考え方に染まってしまっていました。原発による電力供給を推し進めていきたい、政府とその関係者による安全神話にそまってしまったのです。これはプロパガンダの一つでしょう。もちろん原発の危険性を訴える人たちもいましたが、そのような人たちの行動やオピニオンはあまり取り上げられません。これは情報隠ぺいだと言えます。




①~③のような点から日本社会のリスクへの感度を考えると、日常的でせつな的部分ではすでに特に対策の必要がないほどの水準の豊かさの国といえますが、より大きく将来的な問題である原発や高齢化、債務問題、社会保障といったリスクには対処できていないにもかかわらず、無視されている、あるいは認識されないようになっている状況ではないかと思います。

市民の多くが日常的に不安を感じずに生活できていることは平和の表れであり、非常に良いことだと思いますが、その裏で生じているリスクに対して無関心、無防備で居るのはあまりにも危険だと思います。国レベルでの対策を待たずとも、個人である程度備えられるリスクもあると思います。

身の回りに存在するリスクについて、不感症で終わってしまうのではなく、リスクとちゃんと向き合い対策し、そのうえで現在の平和を楽しめるようになれば、リスクに翻弄されない生き方を目指すことができるのではないでしょうか?







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